「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」
「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」
「老化のバランスの崩れに対して抵抗しなくなった女性」
「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。

女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。
女性が一番美しいのは、40歳前後という。 おばさんへの、折り返し地点であるからだ。
演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際(キワ)が光輝くからである。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題が一挙に押し寄せる時期。
人生の境目でフト我に返ったときに、女の最後の美も失われようとしている。 
「私の人生は何だったのだろうか。男(亭主・恋人)には仕事という生甲斐がある。
自分には、空しい小さな世間しかない。 これでは、自分の人生は浮かばれない。」等々の妄想がよぎる。
肉体的には本格的な老化が始まり、精神のバランスも崩れる。
まさに人生の断崖絶壁に立っているといって過言ではない。 何か解るような気がする。
ここを、そのまま過ぎると「こてこてのおばさん」の弛緩した日々が待っている。 

そこで、「おばさん」という言葉から、女性の魅力とは何かを導き出してみよう。
・女という魔物の演技を自作自演でする
 男のニーズに合った女づくり
・男とは違う部分を強調し、そこをアピールする
・「美とはバランス」という事実を意識して、バランスの崩れを諦めないでフォローする。
・世間とは、その辺の5〜6人と割り切り、彼らの違った個性を追求する
  等々になる。
私の知人の女性が、最近、ある会社の営業に勤めだしたという。
間接的な話しだが「そこはジェラッシック・パークというより、動物園の世界だった」という。
その言葉の中に、何かしら中年にさしかかった女性たちの姿が目に浮かぶようだった。

自分の趣味を持たないで、日々に流されると、「こてこてのおばさん」になる。
それも不幸な・・・ というとこだ。 ただ自分で気づかないだけだが。
「おじさん」にも、言えることだが。 その年齢も過ぎようとしているのに、
何を言っているのだろうか? 御前は!!


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