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2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。
中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。
ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる
彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、
秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。
しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。
最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。
1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、
三人ずつ銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。
その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。
「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。
この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を講じたというのです。
つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、
残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。
・・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、
もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、
おれは一分一分をまるで百年のように大事にして、もう何一つ失わないようにする。
いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』
減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー
以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。
バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの恐怖経験がある。
その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?
どうしても飛び降りなければならないのか! ただ前に体を投げ出すしかない!
何か時間が止まるという言葉があるが・・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めてである。
しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。
私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。このドフトエフスキーの心理を、
カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。それも肉体的極限の苦痛で、
七転八倒して! 死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。
「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、しかし気楽に考えるしかない。
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1253, 死について再び考える −1
過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、そのまま、
深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。
死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。それはそれでいいのではないか。
人生とは何なのだろうか?ー意味
その行蔵の中味の意味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー希望
何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか?
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か?
精一杯生きたのだろうか?
答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。
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(格言は字数の関係上カットしています)
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