2006年07月09日(日)
1923, 孤独であるためのレッスン
おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜 著・諸富祥彦
ー読書日記
孤独について何度か書いてきた。
自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。
図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。
我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に死んでいく。
その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」
といえない自分に直面することを恐れるのだという。
真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。
だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を無視するか、
処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。
仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)と信じている。
この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。
そのための条件を以下のとおり書いている。
ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二 人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三 自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六 ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。
そう思える人を見つけよ。
八 自分だけは自分の味方であれ。
「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め
まあ、巧くまとめたものだ。
また、ー孤独の中の四つの出会いー
を一章にわたって書いている。
・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う
・他者との出会い −深い孤独を知っている他者と出会う
・普遍的なものとの出会い ー深い孤独の中に普遍的なものをみる
公平な内なる観察者
・`人間を越えた何’かとの出会い
−人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い
感動した時に感じる何かである
この出会いは深い孤独の世界でしか出会うことができない。
そして、逆に深い孤独でこそ、人間関係も自由に柔軟になる。
「『ひとり』でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、
柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、
他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。
他者とのほんとうの『つながり』に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。」
ーおわりにー
の最後の締めくくりの言葉がよい!
−−
他者とのつながりをきっぱりと絶ち切って、自分の孤独を、深さのほうへ、
深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されない。
表面的な人間関係は、さらに孤独を強化する。
もし、孤独を癒すことができる人間関係があるとすれば、
それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、互いがますます深くひとりなり、自分自身になりきることが
できるような人間関係でしか、ありえないだろう。
孤独は素晴らしい。人間が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切か知るのも、
すべては孤独においてである。孤独を深めていける人間同士が出会ってはじめて、
深い心のふれあいというのも、可能になる。
孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間しか、本当の幸せを獲得できないはず、である。
ー池田晶子が自分の本で孤独について次のようなことを書いている。
ーー
「自分の孤独に耐えられない人が、その孤独に耐えられないために求めるような友だちは、
やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。
本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、
生まれるものでは決してないんだ。
なぜだと思う?
自分の孤独に耐えられるということは、
自分で自分を認めることができる、
自分を愛することができるということからだ。
孤独を愛することができるということは、
自分を愛することができるということなんだ。」
「孤独というものはいいものだ。友情もいいけど、孤独というのも本当にいいものなんだ。
今は孤独というとイヤなもの、逃避か引きこもりとしか思われていないけれども、
それはその人が自分を愛する仕方を知らないからなんだ。
自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、その面白さは、
つまらない友だちといることなんかより、はるかに面白い。
人生の大事なことについて心ゆくまで考えることができるからだ。」
孤独について書いた内容をコピーしておきます。
(一部カット二〇〇八年月9日)
ーつづく
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