2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」−2

「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして
「すべての客を一生に一度の出会いとして、悔いのないようにもてなしなさい」という意味である。

 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。
そうすると、飲み方が変わるのだ。
ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。
一回ごと徹底的に割り切って飲む。店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。
 
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。
これは酒席だけの事を言っているのではない。

 言語学者西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に
「ことば」はその場、その時、一回限りである、という趣旨のことがあった。
ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどい
と思われます。怒鳴っていったり、これも当然違ってきます。
また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・

以上のとおり、ことばも一期一会である。もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。 その意味でー事業百訓というカタチで、
その時々に書き残してきたことも一語一会を記録してきた事になる。この随想日記もそういうことになる。

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