2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話

遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」

人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。
自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。これを読んでいると、論語など読むのがバカバカしくなるか、
だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。

ーあるホームページからのコピーですー
なかなか解りやすくうまくまとめてある
 ーーーー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから
不滅であるといえるだろう。個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、
個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。

ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて行う生き残りゲームである。
ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、増殖することができる。
うまくやれない遺伝子は滅びる。遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのもの。
今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。
DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。

しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。
遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、その遺伝情報を実際の形質として発現させる途中で、
調節遺伝子などが働く。調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。
さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。

10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも重要な働きをすることが明らかになった。
では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。 ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる
乗り物なのであるから、もちろん、行動もその支配下にあるということになる。 ハミルトンやドーキンスは、現在、
ある生物が存在しているのは、その生物の遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。
しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。

こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることで
あって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。
このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が生まれてくる。
簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子
(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗している
ある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。

「個体は遺伝子の乗り物」「自己犠牲」につづく、ドーキンスの第3のモチーフ、
「延長された表現型」とうい概念がある。ドーキンスはこの概念を「遺伝的遠隔作用」とも表現している。
遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合がある。
これを、延長された表現型としている。

ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが
目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。
神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?

・・・・・・