2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
           おはよ〜!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
−NHKbooks 著者 永江朗 −長岡中央図書館・借

5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。
書き続けたからこそみえてきたのだろう。 何が違うのだろうか?
ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。
    この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。そんなことは素人が書くことだという。
    この本でまず、ガツンとやらえるのが、「自己表現を捨て、読者を愉しませることに徹せよ!」である。
    私の5年間書き続けてきた、「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
    読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。
    そこがプロと私の差である。もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。

こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!

ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。
読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。こんど行こうかしら」と、
書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそがプロフェッショナルの文章である。
   おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
   ・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。
   そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。プロは客を退屈させてはいけません。
   客を眠らせてはいけません。良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、しかし、それでいいのです。
   (中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
   <不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。
   つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。読者が買いたくなる」ような文章の指南書である。
    名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
    不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。
   「本書を読めば、誰でもプロのライターになれます」
     万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
  「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。
  どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など見向きもされない、ことを自覚しておくべきだ」という。
   アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、「読み手」から発想するのがプロの文章です。
  「読み手」にとって役立つ情報とは何か、プロは「読み手」は何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。

読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
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   図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
   プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
   最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」
   である。注文をして手元に届くと、それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本である。 
   「商品としての文章を書くのがプロである。だから貴方の文章はつまらないのです」と自覚せざるを得ない内容である。
   文章術に関してベスト3に入る本である。
                    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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