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2005年05月16日(月)
1504, 平等について−2
社会主義の失敗は、この「平等が基本」という前提が間違っていたことである。
建前と本音が人間にはある。 その本音の部分を見落としたのである。
だから、官僚という特権階級の利権の肥大化が資本主義者の特権階級より
進んでしまったのだ。現在の北朝鮮や中国の姿である。
不平等といえば、インドのカースト制度がある。 大きく分けると、4階級。細かく、500階級もあるという。
下の人に不満があるかというと、そうでもないという。下ほど、多くの数の見下せる人達がいることと、
ヒンズー教の教義の裏づけがあるためだ。 それと3000年の歴史がある。
不平等という本音が、そのまま生きている国なのである。
先回書いた、鷲田と三浦の対談の中に「運命まで平等にしようとする」が、本質をさらについている。
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・鷲田
美人に生まれようが、ブスに生まれようが、偏差値が高かろうが、低かろうが、それはその人の運命である。
運命は自分で引き受けなくては、それが人間の基本です。ところが世の中のすべてを同じようにならそうとする。
偏差値の高い人も低い人もなるべく同じ土俵において、差をつけようとする。
どこかの放送局で女性アナウンサーがある年齢になって他の部署に配置転換されたら、不当だとか抗議したというのが。
TVを観るほうからしたら、原稿を読むアナウンサーならくたびれたオバサンよりも、
若いきれいなお嬢さんの方が良いに決まっている。
放送局が配置転換をするのは当然のことです。その当然のことをいかんというのです。
平等になろうという意識が、いかんと言わせているのです。
・三浦
運命まで、平等にはできるわけにはいかない。
・鷲田
そうですよ。運命の平等化なんてフィクションです。
そのフィクションまで平等化しようとしたのがマルクス主義です。
そこが、あの思想の危険なところがあったわけです。
その危険な余韻がまだ尾を引いているということです。
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フランス革命の「自由・平等・博愛」は、それまでの王政の矛盾を破壊するための理想であった。
人間は自由を目指し、平等であるべきだ、そのためには博愛をもっていなくてはならない、ということである。
しかし、自由の獲得は簡単ではないし、人間は不平等である。
そこで博愛で乗り越えていかなくてはならないということか?
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