閑話小題 


*地元スーパーの社長の死

地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと、新聞で報じていた。
40数年前に、セトモノ屋をしていたが、先代と供にスーパーを立ち上げ、一部上場までもっていった。
20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。 享年73歳。
チェーン理論を教える「ペガサスクラブ」のセミナーでよく、顔を見かけていた。
30年ほど前に会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が残っている。
スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした先代の父親と供に、衣料品の仕入れ先とか、
産地とかを聞きにきたと父から聞いたことがある。 ・・・私には関係ないことだが。
 何時も人様が亡くなると思うことだが、仕事の質量より、どれだけ人生を楽しんだかを推し量る。
あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。
しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して多くを学び、楽しむことを加えれば99%の価値がある。
他人様の死は、そのことを自戒させてくれる。 
弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業するあたりを狙って追い出したのは驚いた。
その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。
その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 所詮、地方の聞いたことのないスーパーに全てを捧げるより、
ハワイあたりで、読書三昧の方が良いに決まっている。それを2人が一番感じていただろう。


*人生とは自分の物語を生きること

振り返ってみると誰もが自分歩いてきた道が見えるものである。
そして、その足跡が自分の人生であり、それを語ることが自分の物語になる。
常に自分の心の中で内省をして、自分の生きてきた跡を見つめ、そして現時点の位置を確かめて、
何処に行こうとしているか考える必要がある。 最近になり、知人の死を見るにつけ、その人の物語を
想像しながら、自分のことを振り返ることが多くなった。
それと哲学書を読んで、己の人生を付き合せてみると、喜劇的物語に気づく。
自分が経験し、乗り越えたことしか物語としての場面は無いのである。
そこにいる己は喜劇的な卑小な人物でしかない。 
自分の物語、それは平凡な至近の日常を見逃してしまいがちになる。
いや、平凡な日々の細部の素晴らしさの織り成す味わいに慣れてしまう。
自分の物語、そんなものと簡単に切り捨てることができないから厄介なのである。

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