2007年05月06日(日)
 2224, 自分の居場所ヽ
         (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ    
  
昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。
八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、大所帯の中で独りで
自分の居場所を何時もつくっていたためである。
その条件が、誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けさせていた。

人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。
両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。
両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。
その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、バランスが崩れてしまい、
自己嫌悪になるケースが多い。その根本が、親への愛情に対する不平不満である。
愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、何処かに母の存在を
求めて居場所の確保追われることになる。(これは当人は気づいてない)
その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。

その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と、
自分の心の奥で悟るしかない。その心の在りかたが、解決になる。
それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。
自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。
その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」と同じ心理状態となる。

たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。
反対に親に自分をからみ取られて、母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺の
ザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、自分の人生は無かった?という虚無感である。
私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。
そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、
後悔はないが・・・。

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ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に?
 居場所づくりとして何をしてきたかというと、
・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、
 人によりそれぞれ違う。)
・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。
 その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころになる愛読書を置く。
 現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に、4冊以上の本を携える。
 座った席がそれだけで、自分の居場所になってしまう。
・そしてコーヒーのセット。
・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。
 意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。
 
私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。
地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 

面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・
                 ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪

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