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2002年05月05日(日)
397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ?
以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。犬のたとえがシビアである。
犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。(人間に絶対服従の性格に)
社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。
イスラム教のアラーの神はその発明の典型といってよい。
砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。宗教は一番権力者に利用される。
キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。
論語もしかり、孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。
鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。
人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。人間の95?は従属を望んでいるという。
したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。
「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬 、狂犬・・・」
あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。
ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人間、牧羊犬、しかしそれが自然の推理なら、
それに従うのが人間の姿である。 それに気づいているかどうかである。
話が変わるが、ハワイでの事、現地のガイドが日系?の事をバナナと言っていた。
外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。
いまの日本人は正しくそうだ。日本人のキリスト教信者もそういえる。
白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。
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