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2006年05月05日(金)
1858, ローマから日本が見える−10
ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
この本を読んでいると史実を読んでいるというより、壮大な歴史小説を読んでいるようだ。
一人一人がそれぞれの立場をわきまえて役割をこなしている。
当然、ローマに敵対する英雄もいる。カルタゴの英雄ハンニバルである。
まずは第5章のハンニバルの挑戦 の概略を抜粋する。
ー第5章 ハンニバルの挑戦 −1
ポエニ戦争や、ハンニバルを書いていたら中途半端では終えることができない。
当時のローマ(BC264年頃)のローマは地中海では新興国もよいところ。
ようやくイタリア半島を統一したまではよいが、もとが農牧民族のため航海術さえ、ろくに知らなかった。
ましてや海を渡ってカルタゴを征服など夢にも考えたことがない。そのような時代にポエニ戦争が始まった。
当時の地中海ではカルタゴは圧倒的な力があり、経済力の差は全く違っていた。
それでは何故大国カルタゴと新興のローマはポエニ戦争を戦うことになったのか?
イタリア半島の先にある、シチリア島であった。その半分の支配下にあったカルタゴが、
残りの半分を支配下に置こうとしたことが、きっかけになった。
もし、全島を支配下にカルタゴが置けば、ローマの防衛体制が瓦解する可能性があった。
{著者の塩野のいうとおり、ポエニ戦争を軽く書き飛ばすことなど不可能なので、
なぜカルタゴのハンニバルが強かったのかを書いてある部分を抜粋してみる}
《なぜハンニバルは強かったのか》
ーカンネの戦いー
第二次ポエニ戦役三年目のBC216年、ローマが満を持して臨んだカンネの戦いでも、
ハンニバルの強さは圧倒的でした。その前年も中部のイタリアのトランジメーノで、
ハンニバルの奇襲を受けて二個軍団をそっくり失ったいた、ローマは雪辱という意味合いもあり、
絶対に負けられない戦いでもあった。
そこでローマは同盟軍も含めて8万5千という空前の大軍を編成をした。
これに対して、ハンニバルはガイアの傭兵2万4千を含めて5万人でしかない。
組織のローマとしては、これ以上は無いという必勝の態勢でカンネに乗り込んだが・・・
結果として惨敗の終わった。史書によれば、ローマ軍の死者は7万人に達した。
が一方のハンニバル側は5500人。ローマ軍の大軍はハンニバル1人に壊滅させられたといってよい。
ーでは何故、ハンニバルは強かったのか?ー
ハンニバルが何が違っていたのか?ずばり言えば、それは騎兵の活用であった。
ローマに限らず、古来から戦争では騎兵は騎兵どうしで戦うのが定法であった。
双方とも同じ種類で戦うのだから、当然質より量がモノをいう。
つまり、陸上の戦いでは兵士の多いほうが圧倒的に有利とされていた。
この常識を覆したのが、アレクサンダーであり、その戦い方を継承したのが他ならぬハンニバル。
その戦法とは、騎兵の持つ機動力を最大限に活かすことであった。
つまり味方の騎兵を相手の騎兵にぶつけるのではなく、騎兵の持つ機動力を活用することで敵の背後を攻撃したり、
敵陣を分断したりする。そして敵陣が分断したところを歩兵を投入したり、包囲して壊滅する・・・
アレクサンダーやハンニバルが名将と言われるのは、「騎兵の機動性の活用」を軸にしながらも、
実際の戦闘では騎兵歩兵をぶつけるだけでなく、逆に歩兵を敵にぶつけたり、様々な対応をすることができたからだ。
天才とは、「無から有を産みだすことができる人物」と思われがちですが、実際は昔から目の前にありながら、
誰も注目しなかったことを見出し、それを活用できるのが本当の天才です。
ローマは「古い戦法」をつかい、ハンニバルは「新しい戦法」を使ったのです。
−つづく
バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
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