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2005年03月23日(水)
1450, 書く(一人、語る)ということ −2
このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。
よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位のインパクトがあった。
書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。
20代前半の日記を読んでみると、書き残すという意味と必要性が解る。
問題はその後書き続けてなかったことである。
書き続けていれば、人生は全く違ったものになっていた。
日記など、自分の考えを書き続けている人は1?しかいないという。
それだけ自分の気持を書き連ねることは大変なことである。
記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。
随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、 知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、 常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、 哲学的論理を重視する生活へ
と変わっていった。
これは一般社会の見方を根底から否定することになる。
それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど大きくなっていく
ほうが素晴らしい。しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?、
何か可笑しな戯言に思えるだろう。
過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを
雄弁に書いていたという。天才などなりたくもないし、なれるわけがないが、
脳の基礎構造を拡大している実感がする。
4年間書き続けてみて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。
おそらく、このペースであと6年間ー合計10年続けたら、
何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。
一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、
‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という特集をしていた。
全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。
携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、表現力がついてしまっている。
おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。
彼らの文化もチャンとできているのだ。
言葉とイメージは人間に対し、神が与えた最大の能力(脳力)である。
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