d・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
   「ウェブ時代をゆく」−3  読書日記

  著者が見出したという「ロールモデル」という言葉が面白い。
  人間は、自然と色いろな付き合いの中で、何人かの「ロールモデル」をさがし、
  無意識のうちに真似をしているうちに自分の個性を作り上げているものだ。
  しかし技術や文化に関する知識だけではなく、人間の行動パターンでも、
  巨人の肩の上に立つことが可能であるという考え方である。
  企業では、ベンチマーキングという手法でモデルとなる会社の優位点を真似るが、
  何故か人間の行動パターンについてはマネをする手法を敢えて取上げない。
  子供には、偉人の伝記を勧めるが、大人になると見向きもしなくなる。

  「ウェブ時代をいゆく」で、「ロール・モデル」という言葉で
  上手く手法として提示している。学生時代に「ロール・プレーイング」という
  役割演繹をゼミで一年にわたりさせられたことがあったが・・・
  それは、問題が起こった当事者として解決方法を実例を元にするものだが。

ーP−119・ 120
著者の梅田望夫
ロールモデル思考法』とは、その答えを外界に求める。
直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、
直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。
たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、
『ある人の生き方のある部分』『ある仕事に流れるこんな時間』
『誰かの時間の使い方』『誰かの生活の場面』など人生のありとあらゆる局面に
関するたくさんの情報から、自分の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出る何かが具体的に見えなくとも、「ある対象に惚れた」
という直感にこだわり、その対象をロールもでるとして外部に設定する。
そしてなぜ自分が惹かれたかを考え続ける。それを繰り返していると、
たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を見つけることなのだと
だんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデル
総体として、外部の世界からはっきりとした形で顕れてくる。
それが、そのときどきのゴールとなり「けものみち」における灯台になるのだ。

ーー
この思考法は
『大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。
 それが人生で一番大切なようだ。・・・・
自分が何にむいているのか、何がすきなのか、見つけるのはやさしくない。
それでも何とか見つけ出さなければいけない。』小柴昌俊の言葉から
それを見つける方法とは何か?を著者は考えた末に外界の偉人のモデルをみつけ、
その行動、考え方を真似ることを提案した。 面白いといえば面白い。
無意識で誰もがしてきたことだが・・・

 また偶然に、去年の同日に彼の前著の「ウェブ人間論」の読書日記を書いていた。
 無意識が呼ぶのだろう?
                        ( ^_^)/バイ
・・・・・・・・
2007年01月02日(火)
2100, ウェブ人間論  −1
           (~Q~;) おはよう〜〜
                ファ〜
    この本は確かに面白いが「ウェブ進化論」ほどの衝撃度はない。
    しかし二人の対談からウェブの世界の中で人間がどのように変化していくのか、
    多くの示唆がある内容であり、「ウェブ進化論」のフォローという面では、
    ベストと言える。 面白そうなところの抜粋と意見は次回にするとして、
    まずはー紹介文ーを直接読んだ方が解りやすい。
    ーー
ウェブ人間論 」(新潮新書
梅田 望夫・平野 啓一郎著
 
 ー内容説明ー
「ウェブ進化」によって、世の中はどう変わりつつあるのか、
そして人間そのものはどう変容していくのか。
ビジネスとテクノロジーの世界に住む梅田望夫と、文学の世界に生きる平野啓一郎が、
その変化の本質と未来を徹底討論!

 まず 梅田望夫平野啓一郎という二人が対談したという事実が興味深い。
シリコンバレーでITを主体とした実業家と京都で中世欧州を舞台とした「日蝕」を書いた
芥川賞作家の間の「距離」はいままでの常識で考えると 果てしないものがあるはずだ。
つまり 出会うはずの無かったセグメントに属したお二人が 出会ってしまい、
かように刺激的な対談を行うようになったという点で 時代の変化を強く感じた。
 
     二人の興味はネットという「新しい道具」を手にした「人間」にある。
    人間が道具を作ることは確かだが 作られた「道具」が
    逆に人間を変えていくことも歴史的な事実である。
    過去人間を変えてきた「道具」には色々あったと思う。
   「火」から始まり「車」や「電話」など 人間の価値観自体を変えてきたような
   「道具」は 色々あった。 そんな「道具」の一つとして 「ネットがある」
    という点で 二人の意見は 一致している。
    それが この稀有な対談を可能にしたと思う。
 
 一方ITを使った「実業家」が 「人間を考える」という点も興味深い。
僕らが当初持っていたIT企業家といえば「ネットを使って さっと会社を設立、
公開して巨額の個人試算を築く」という感じであった。
それに対して 梅田氏の論点は そんな一種の拝金主義からはかけ離れた極めて
「思弁的」である。 これは梅田氏の個人的な資質と言ってしまえばそれまでだ。
しかし ネットという人間を変える道具を使うに際してその「人間を見つめる」
という視点が 実は 非常に重要なのだと強く感じた。対談ゆえ 内容には
あっさりした印象はあるが、一方 きらめくようなヒントに彩られている本と言える。 a
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    以上が、紹介文であるが、
    この本の中に多くの意見の一致点と、全く知らないことが多くあった。
    検索がインターネット時代の中核技術だということは
    知っていたが、これほど全てを左右するものとは知らなかった。
    1998年にシリコンバレーで創業したグーグルという会社だけは
    その重要性を誰よりも知っていたということだ。    
    すべての中心が検索!と言われても、何かまだピンとこないが。
    次回は「第一章 ウェブ世界で生きる」から、
    面白いところを抜粋して考えてみる。
      
              さようならm(__)m ごきげんよう
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2006年01月02日(月)
1735, 内福について
         オハヨウゴザイマス  o┐ペコ
先年の暮れ、東京のある会で新潟の県民性について話した。、
新潟県は一見貧しそうだが、実情は内福な家が多いのですよ。
 特に中越地震の被災地区の辺りは、裕福なのですよ。
  間接的に雪の融け水が豊かな農産物や鯉・畜産にプラスになっている」
   といったところ、居合わせた4人が(´ρ`)ぽか〜ん、 として
   「『内福』という言葉も、字も知らない。如何いう意味ですか?」という。
   子供の時から両親が「あの家は地味だが内福だ」が
    日常用語であったので、知らないということに驚いてしまった。     
                       ‖┓  ((   
                      (_)  匚P   
                       ━┻      
そして、その場の‘主の立場’の人が、
「貴方のいう内福は豊かとは違う!」と発言。
 それに対して
  「ヨーロッパのイタリアとかフランス人も、実際の生活は実収入より
   豊かな生活をしているというが、彼らは豊かではないと言うのですか?」
    というと、「豊かとは思わない」という。そこで
「私は家内と、この十数年で三十数回地球の秘境旅行をしているが、
 これは豊かといわないのですか?」と訊ねると、
  「それは豊かといえる。しかし、地味な生活に甘んじて遊びも控えているのは
   豊かとはいえない」との答え。
それも一理ある。
 私の従兄弟に一億以上の貯金がある?という噂がある60代半ばの独身男がいる。
  見たところ地道な生活をしており、殆どお金を使っていない。< ;`∀´>マジっすヵ!!
   この人は間違っても豊かとはいえないし、内福とは言わない。

内福という言葉を知らないことが驚きであった。
 越後長岡の典型的な方言だろうかと 
 「検索」で調べたら、
  小説の一節に「以前は内福であったが、現在はそうでもないらしい」
  というのがあった。それからみると方言ではなくて、死語になってしまったようだ。
内福は、「収入内でヤリクリしてそれなりに豊か?な生活をしている状態」である。
 これからの日本の生き方のヒントが『内福』の生き方にあるのではないか。
  書店で『300万で豊かに暮らせる方法』みたいな本がならんでいるが。
                      ヾ(●´∀)ノ" また〜♪
・・・・・・・・・
2005年01月02日(日)
1370, 酒についてー3
           ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーイ
正月早々、また酒についてを書く。
 前回書いた「作家の酒についての名言」の続きである。
  感想も含めて考えてみる。
  −−
・酒に限らず言えることですが、人間のつくり出した
 『楽しむためのもの』を、不必要に恐がらずに、みくびらず、使いこなして、
  『楽しむ』ことを覚えれば、それだけ豊かな時間を過ごせるわけでです。
   ー豊かな人生、豊かな青春が。         −吉原幸子
                  ( ^_^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ
   my感想ーその反対も多く過ごしてきた。 みくびったためだろうが。
・酒は、その土地の文化の結晶なのである。
              −田村隆一
  my感想ーその土地土地の酒は、景色、人間に劣らず個性がある。
    新潟の酒、沖縄の泡盛、世界各地の葡萄酒、ビール、
    そして中国の紹興酒などなど。
     そこの肴を一緒に飲む酒は、何よりも絶品である。

・深まってくる秋とともに飲みたくなるのはやはり日本の酒である。
   一人で部屋で仕事から解放されたあと、魚のひらきなどを焼いて飲む。
   この時のものさびしさは、やはり捨てがたい。
              −三木卓
   my感想ーそれで二日酔いをしたら馬鹿?

・女を口説くときは酒はあったほうがいいものだが。
  が、酒を飲むときは、女は要らないサカナである。
              −荻昌弘
   my感想ー?   ?!    クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)"

・楽しみといえば、酒を酌交わしながら、
  気のおけない友人と談笑することであろうか。
   といって、趣味に『飲酒』とも書けないが。
              ー戸坂康二
・酒場でモテる客というものは、要するに向こうの期待通りに振舞って、
 それが気にならないような、そんなお客かもしれない。
  こんなお客だけにはなりたくないものだ。
   酒場では、少し嫌われるぐらいが一番いいものである。
              −五木寛之
 my感想ー誰かがそう言ってくれるのを待っていた
  酔っ払いが、世の中には五万といるだろう。
   そのうちの一人が私だ。
    少しぐらいならよいが、それを超えてしまうのが酒の魔力である。
 
   my感想ーこの人が言うと、迫力がある!
 
・私がうまいというのは、           ―{}@{}@{}- ヤキトリ
 「値段が安くて・・・」と必須条件がついてのことで、
   値段が高いものは、
    うまいもまずいも判断の対象にならない。−吉村昭
  my感想ーまったくである。よく言ってくれた。
    バブル時に三千円までの男と酷評されていたからね。
    そういう連中の数倍、数こなしてきたから、
    そんな金を使う必要がなかったからだ。
    そのどこが悪いかとお思っていたが、このバブル崩壊で、
   やっとみな本音を言いはじめてきた。よいことだ。
 高い店はドンドン潰れているのが楽しい・・。
   ーー
酒については、書いても書いてもネタはある。
    ∪*ゝω・*∪つC□☆□D⊂∪*・ω・*∪ カンパイ♪

・・・・・・
2004年01月02日(金)
1003, 「2004年日本経済」ー読書日記
  ー円高デフレの恐怖が襲来する。

この人の本はバブル発生時から一貫して「日本経済悲観論者」である。
 中長期的に振り返ってみると、この人のいうとおりになっている。

  ー印象に残った順に列記してみる。
・2005年のペイオフが一つの鍵になる。
  金融再々編成によって残る大手銀行は二行になる可能性も。
   メガバンク国有化は、日本経済の信用を損なう、
    そうなる前に再編成をさせる。
・いまのデフレとは、銀行の信用デフレが発端である。
  銀行がその役割を終えてしまった。
・さらにリストラ、倒産はつづく。
  日本経済は根幹から音を立てて崩れはじめている。
   給料はまだまだ下がり続ける。
アメリカは内部崩壊をはじめてきた。
  この円高ードル安は、日本では更にデフレ圧力になる。
・EUも深刻なデフレに向かっている。
  ドイツ経済が日本化をしていく。
   元東ドイツの住民が社会主義的な政策政党に票を入れ始めた。
    その為ドイツ経済は競争力を無くし始めた。
     日本の生産地が中国に移動したのと同じ現象が
      ドイツと元東欧諸国と同じになってきた。
円高は100円を割る可能性を含んでいる。
  79円も割る可能性も十分考えられる。
   この水準を割り込めば日本経済は完全に息の根を止められる。
   この大不況の中、何とか持ちこたえられたのは輸出のおかげである。
    円高はドル安になるといくことである。
     この輸出が円高で激減する可能性 がある。
     またアメリカの国債を持たされた日本は実質の回収が落ちることになる。
     等々である。

     実際に事業現場に立っていると、この内容は決してオーバーに思えない。
     新潟駅前の夜は、火が消えてしまったように静まり返っている。
    何処の会社も経費節減の為に2時間以内は日帰り圏にしてしまった。
   この数年間でビジネス客は3分の1に減ったという統計も出ている。

 「2003年日本経済」では副題はー世界恐慌の年になる!であった。
 実際のところは恐慌にはならなかった。だから「今年は、この人の
いう通りにはならない」と考えるのはおかしい。
この本では人口の問題には触れてない。
 数年先から、本格的な人口の減少が続く。
  他には若い人の質の低下の問題がある。
   まだ何とか持っているのは、
   団塊の世代が踏ん張っているからである。

   こと日本に関しては悲観的材料が多すぎる。
   生存対策をまずは第一にしなくてはならない時代である。
   この情報化社会は世の中を激変させている。
   健康食品も本も、インターネットで注文するようになった。
   近く「ユニクロ」があっても、わざわざインターネットで注文をする。
   電化製品も必ず「価格ドットコム」で最低値段を調べて、近く大販店で
   値段交渉をするようになった。

   まさかこんな時代をみることになるとは思ってもいなかった。
  大不況になっているのではなく、違う時代への過渡期の整理過程と
 見るべきなのだ。整理されないよう自分を変えていくしかない。
 会社も自分も社会もである。
  
 ーー
「2004年日本経済」ー円高デフレの恐怖が襲来する。
   出版社: 東洋経済新報社 ;
    
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2003年01月02日(木)
629, 英国人はまず道具を揃える

 今回-パタゴニアの添乗の人がイギリスに詳しい人で色々のことを教わった。
 その一つに
  「イギリスではゴルフやハイキングをする時は思い切った良いものをまず揃える」
   「まずは形から入る!」
    この言葉がいやに説得力があった。
    長い歴史の中からの知恵を感じ入った。
    しっかりした道具を買ってしまえば簡単には止めることができない。
    覚悟ができると言う事だろう。
    目的を見定めて手段のしっかりしたものをそろえるという事だ。

    道具だけ揃えて持つことを趣味にする人がいるが、それはそれで趣味なら良い。
    チャーチルが持ち物は若い時から超一流のものしか持たないことにして
    いたという逸話を思い出したが、今回の内容と関係ないか?!

    機能優先であまり物に拘らない生き方をしてきた事が果たして良かったのか?
    少し疑問があった矢先に聞いたので印象に残ったのだろう。

    ブランドものは値段の価値のあるものが多い。
   といって、それだけを追いかけている人を見ると疑問を感じる。
  ブランド=価値と勘違いをしてしまうからだろう。
  しっかりした道具を揃えることとは意味が全く違うが。

 道具はすぐ揃えるが、三日坊主の人があまりに多い。
  私の場合三日坊主の経験は少ない、学生時代の英会話があったが。

ーーーーーー
2002年01月02日(水)
288、捨てる技術

 捨てる技術という本が数年前、ベストセラーになった。
 それに対し、立花隆が全く正反対の立場であった。
   その本を読み数年前、思い切って本を八割かた捨ててしまった。
   そして後で後悔した、といってさっぱりしたことも事実だ。矛盾が残った。

   先日図書館で野口悠紀雄の「超」整理法3を借りてきて読み、
   感じるところがあった。 パソコンの「ゴミ箱」の考え方である。
   −とりあえず捨てるのである。 後で拾いなおすことができる。
   「バッファー」という概念である。ショックを吸収するための緩衝器である。
   「廃棄バッファー」が重要だという。

   ベストセラーの「捨てる技術」と立花隆の反論の中間の?方法である。
   具体てきにいうと「多分必要でない書類を」収容する封筒をまず作ること、
   次にこれを収容する箱を作ることである。 要するに「保存ごみ」である。
   保存することによって捨てることができる。
   捨ててしまった中に宝があったのに?といつも疑念が残っている。
   分ければ、資源になるのに?とかも。
  「到知」という雑誌を捨てようかどうかかどうか迷っていたが、
   そうだ自宅の倉庫に整理しておいて置けばいい!とか、新しい考えが出てきた。

 新聞の切り抜きもしかり、「随想日記の保存分類ごとに封筒を作り」に
  放り込んでおけばいい。

ホームページを立ち上げ、運営してきづいたことは、
 ホームページの本質は、ストックでなくフローであるということだ。
  それがそのままストックになっていく楽しみだ。
   捨てる技術がそのままシステムでできることだ。

ーーーー
1月2日 1969年

朝8時にたたき起こされる。 9時過ぎに店に出発。
  新年の初売りの手伝いである。初めは支店で一時間位働く。
   雪のためか人の出は少ない。その後本店で17時過ぎまで手伝う。
   18時に帰宅をする。 食後団欒。
   22時過ぎのNHKの「出会い」という番組がよかった。
   最後の出た新婚の話がよい。
   その愛が美しく、人の気持の神秘的な美しさがよく出ていた。
  その前に出ていた40歳位の女性の20年前に話もよかった。
 よい正月の話として記憶に残るだろう。年賀はがきが友人から届いている