68歳の頃、現在の私と同じ73歳の元社長が亡くなった。若い頃の豪遊が祟って
その数年、顔を合わせる度に、弱弱しくなっていた。その直後に訃報を聞いたが、
その頃、「年寄りとは、自分より5歳年上をいう」と含蓄ある道理?を、聞いて
いて、成る程と思っていた。50歳半ば辺りまでは、「老人とは、他人のこと!」
と思っていたが、成る程、腰の重さが日ごと進み、鏡には、凄く老けた老人が
存在している現実が…。 …で、呆け川柳を調べるとあるある。あと二年で、
後期高齢者なら、れきっとした老人である。老化とは、病気の進行である。
 
  第18回(平成30年:20作品
・デイサービス「お迎えです」はやめてくれ  相野正(男性・大阪府・68歳)
・ベンツから乗り換えたのは車椅子      井堀雅子(女性・奈良県・65歳)
・朝起きて調子いいから医者に行く      小坂安雄(男性・埼玉県・77歳)
・百年も生きりゃ貯金に先立たれ       川野誠(男性・大分県・46歳)
・仲いいねいいえ夫は杖代わり       佐々木美知子(女性・埼玉県・67歳)
・「インスタバエ」新種の蝿かと孫に問い  石井丈夫(男性・滋賀県・83歳)
・うまかった何を食べたか忘れたが   アリス(女性・三重県・52歳・福祉施設
★ Siriだけは何度聞いても怒らない   小栗洋介(男性・東京都・32歳)
・靴下を立って履くのはE難度      近藤真里子(女性・東京都・56歳・パート)
「ご主人は?」「お盆に帰る」と詐欺に言い  川野竹子(女性・群馬県・73歳)
「もう止めた」検査ばかりで病気増え   かつ子(女性・山形県・85歳・無職)
★お揃いの茶碗にされる俺と猫    角森玲子(女性・島根県・50歳・自営業)
納得をするまで計る血圧計      ハルル(女性・東京都・69歳・主婦)
★家事ヘルパー来られる前に掃除する Verveine(女性・熊本県・82歳・無職)
★歩幅減り歩数が増えた万歩計    中川曙美(女性・新潟県・77歳・無職)
私だけ伴侶がいると妻嘆く      長谷川明美(女性・東京都・58歳・主婦)
古希を過ぎ鏡の中に母を見る     佐々木綾子(女性・大阪府・76歳・主婦)
無宗教今は全てが神頼み       見辺千春(男性・東京都・72歳・会社員)
君たちもどう生きるかと子に聞かれ  和沙楽(女性・長野県・52歳・会社員)
★メロが新し過ぎて歌えない     宮内宏高(男性・千葉県・65歳・無職)

  第1回(平成13年:24作品
「お若いわ」その一言で得意さん   (東京都 (東京都 81歳 女性)
口づけも入歯ガクガク老いの恋    (東京都 (東京都 79歳 男性)
残るのも先に逝くいやと言う     (埼玉県 77歳 男性)
人恋し とは違う人恋し       (宮城県 75歳 女性)
老妻がホームで宣言主婦卒業     (千葉県 72歳)
化粧する昔話も 化粧する      (三重県 70歳 男性)
三回忌頃から光る未亡人      (大阪府 70歳 女性)
次の世も一緒と言えば妻はNO    (山口県 67歳 男性)
主治医には内緒 鍼灸まむし酒    (東京都 63歳 男性)
逝く日まで恋をする気の紅を買う   (大阪府 61歳 女性)
なってみりゃあの年寄は偉っかた  (神奈川県 61歳 男性)
合コンだ入歯みがいて 紅をさし  (北海道 60歳 女性)
昔酒、今は病院はしごする     (神奈川県 59歳 女性)
夫より三歩前行く老後かな     (和歌山県 59歳 女性)
売るほどの病を持って長生きし   (新潟県 58歳 女性)
昼寝して「夜眠れぬ」と医者に言い (大阪府 57歳 男性)
苦虫を永年噛んで歯も抜けた    (大阪府 53歳 男性)
赤い糸夫居ぬ間にそっと切る    (香川県 52歳 女性)
見くびるな賞味期限は切れとらん  (福岡県 48歳 男性)
長生きは幸か不幸か実験中     (宮崎県 41歳 女性)
人生も野球も最後はホームです   (茨城県 32歳 女性)
70歳で年少組とはまいったな    (沖縄県 27歳 女性)


▼ これを読んでみた実感! <ご長寿に、なりたくもあり、なりたくもなし> 
 でも、なってしまったから、これだけは笑い飛ばすしか手立てはない。

――
2012/08/03
ある老女の遺書ー 3

 10年前に取り上げた、随想集『心に残るとっておきの話』第五集、
に載っていた内容。10年か20年もしないうちに、生きていれば次のステージ
で待っている。人は、それぞれ来し方の人生という行蔵がある。その行蔵に他人は
入ってみることは出来ない。しかし本人には蔵があり、それぞれの棚には多くの
経験というお宝がある。外見はボンヤリしていても、一歩藏に入れば宝の山。
だから元気なうちに、ここで書き残すべきことを書いている。ところで遺書を
書いた老女は80歳後半辺り。看護婦の叱責に怒りと哀しみが蓄積されている。 
老人同士の愚痴は、その解消のためにある。しかし老人ホームでは、それも
限られる。老化は、それだけでウツになる要素が十分にある。だから元気な
うち、動けるうちに、やるべきことは、全てしておくことだ。老いるという
ことは、過去のしてしまった失敗と、しなかった後悔にうち震えることだ。
  ● 2002年08月02日(金)  475, ある老女の遺書
 この文は「心に残るとっておきの話」
第五集に載っていた話で、そのまま写し書きしてみる。
≪ ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から見つ
 かった詩、書き置きです。「何がわかっているのです!看護婦さん、あなた
は何わかっているの? さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりと
した目付きをして行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。
(努力して、やってみて欲しいの!)とあなたが大声でいっても、そんな事
少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、
何をしようというわけでなく、長い一日を入浴と食事で埋めている。そんな
ふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは私のことを考えているの?
もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。あなたのいう
ままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと静かにここに座っている
間に、私のことを話しましょう。
私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
十六の若い少女のときはウキウキし、もうすぐ愛する人に巡り会えることを夢み、
やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると約束した
誓いの言葉。 
25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
50歳の時、再び私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、もう一度私を愛する
子供達と私は理解しあう。
夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者はみな子育てに忙しく、私は昔を愛し合った日を思う。
私は年老いた女。自然は残酷だ。老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。活気はなくなり、かって熱く燃えた心も
今は石のよう! しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。
そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。永遠に続くものは何もない
という厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、早く過ぎ去った年月の事を思う。 
 さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。目を開いて私を見つめて、
もっとそばによって、気難しい老女でない、‘私を知って!’≫

▼ この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。一人の人間の心の叫びが
 そのまま伝わってくる。これを何時か書こうと思っていたが、その時が
きたようだ。いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。
これだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている詩である、人生を言い
尽くした。 必ず誰も思う道だ。笑えるうちに笑っておいて本当に良かったと
思っている。いっぱい泣いてもきたが、泣けるウチはまだよい。
神(自然)は、こういう苦しみを軽くするため、ボケを老年に与えたという。
改めて読んでも、魂の叫びが伝わってくる。

・・・・・・
6160,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −5
2018年01月24日(水)

熊さん: まだネタ切れが続いていますか。ったく。
八つぁん: そういう日が二日も続くのは珍しいよ。こうなれば頼れるのは
   熊さん、寅さんだけだよ。
寅さん: まあ、いいけど。今日は大相撲のことで、口を濁せばいいんだろう。
熊さん: 白鵬が、早々に休んだね。張り手と肘打ちを禁じらると、この様さ。
  来場所、優勝すれば、充分と思っているのだろう。相撲協会も、次の横綱
  候補が出てくるまでは何とか鶴竜と2人で持たせたいのさ。 白鵬の両足の
  親指の骨折もあるが… 
八つぁん: 男色行司のセクハラが加わった上に、今度はエジプト人の大砂嵐の
  「無免許運転事故事件」が発覚。早速、休場じゃあ。 防犯カメラに映って
  いるのに、言い逃れとは!下手すると追放だよ。協会も、親方も、これだけ
  は防ぎようがないよ。
寅さん: しかし相撲内容は、ガチンコ(八百長無しの真剣勝負)で面白いね。
  立合いの一瞬の勝負というところも面白いね。
大家さん: こと相撲なら、ワシが出てこないと… 第二群に、阿炎、朝の山、
  豊山、モンゴルの水戸龍とかが控えているし、その後には、今場所デビュー
  した大鵬の孫と、朝青龍の甥っ子もいる。その前に、逸ノ城の再生もあるね。
熊さん: 日馬富士、どうするのだろうね。国に帰ってもつまらないし。 
  唯一、鶴竜が伸び伸びと頑張ってるね。
寅さん: 白鵬日馬富士の重しが取れたからさ。稀勢の里は、どう?
大家さん: 下半身が細って踏ん張りがきかないのは、引退前の力士の特徴。
  復活など夢のまた夢。絶望的さ。前の朝潮の引退時とそっくり。
八つぁん: 来場所、白鵬の復活が無かったら、引退しかないね。八百長も、
  張手も、肘打ちも無理ならね。40回の優勝って何だったのだろうね。
  昇進と優勝実績に、人間的成長がついていけなかっただけですか。
大家さん: 基礎教育もない、モンゴル人に品格を求めるのは土台無理。
  要するに、「国技の最高の座に相応しい品格があるフリをしろ」という
  ことでしょう。どのみち、神前の余興でしかないもの。
熊さん: それにしては、次の横綱候補が見当たらないね。
八つぁん: あと二年を白鶴コンビで持たせて… 白鵬が引退をすることで、
  全体が活性化するんじゃないですか。それと、国技とかいっての無税の
  特権を放棄すべきと思うが… 海外に門戸を開いてしまったのだから…
寅さん: 毎回、引っ張り出され、話しているけど、内容は殆ど同じじゃない?
  これじゃ、詰まらないよ。私らを引っ張り出したせいか、品格が落ちたよ。
  自分でいうのも何だがね。
八つぁん: 池田晶子女史じゃないが、ソクラテスを出したり、大川隆法
  有名人の降臨をさせ対話じゃないがね… 
八つぁん: 最近、土俵周り客の観察が面白いよ。
大家さん: 私も、アンタに言われて見ているけど。面白いよ。
  東京場所だと、有名人をカメラ目線の先に芸者とか、水商売の思われる
  人を置いてるね。砂かぶりは、一般人の入手は難しいというがね。
寅さん: 携帯電話に知人らしき人から、頻繁に電話が入っているようだし、
  スマホで撮った写真を送っているようだしね。砂かぶり席から直接生中継
  映像の配信も、既にあるかもしれない。
熊さん: 野球の審判の帽子にカメラをつけた映像を時々みるが、行司の冠に
  つけても良いんじゃない。どうでもいいことか。
八つぁん: それにしても、10年、20年前に比べて段違いに面白くなっている。
  ガチンコが多くなったからですよ。大家さん、熊さん、寅さんのファンは?
   私は、実は見当たらない。宇良、炎鵬と、豊山、遠藤あたり。
  そして、突いて引くしかない千代大龍と千代丸。
大家さん: 御嶽海、幕下の炎鵬あたり。
熊さん: 日馬富士だったが、辞めさせらたので、今では宇良。それと逸ノ城
寅さん: 阿炎と遠藤。強いのか弱いのか分からないのがよい。

・・・・・・
4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を
2014年01月24日(金)
  * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく 
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 
ーその辺りを抜粋
《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、
 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の
6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。
さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳
となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は
12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで
人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の
大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで
(1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは
如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を
毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》
▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ
 だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。
で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、
何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに
個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。
男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている
人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 
元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。
お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺
の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが
プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、
ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
 * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
   生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」 高橋新吉
 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉
・・・・・
4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテスモンテーニュパスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
5793,「自分」から自由になる沈黙入門 −2
2017年01月24日(火)
       <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * スローパンク
 フローパンクという聞きなれない言葉があった。〜ネット検索をすると〜
《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。
「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。
いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。
原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。
この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ
不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》
▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、
 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、
生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。
天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する
ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト
にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を
有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と
言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。
内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。
まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、
いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。
 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が
抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。
ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 
私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で
振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 
自分も同じ姿だろうに。
・・・・・・
5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜?
2015年01月24日(土)
            ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー
   * 日本人と宗教
以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。
これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、
人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という
避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想
つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の
世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー
≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など
 を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど
特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、
「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが
よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。
 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように
答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も
意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた
「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、
結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」
と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、
あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。
 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在
としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに
対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも
それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の
言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。
 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道
などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米
であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。
このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず
のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫
▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、
 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として
 我々を支配する。

つれづれに

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パソコン3台を処分する。何かサッパリしたような!

 






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4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
 * 自己への思考の旅    
         「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテスモンテーニュパスカルなどを取り上げながら
「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、
【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を
 たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから
逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて
読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を
振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。
そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の
テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、
今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 
 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ
 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも
道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、
目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、
手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、
自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか
少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を
説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して
自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて
しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている
他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた
出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き
つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが
自己への旅の醍醐味であろう。》
▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない
 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの
45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。
非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して
いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、
実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番
知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、
後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 
後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の
経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー
の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
5793,「自分」から自由になる沈黙入門 -2
2017年01月24日(火)
       <「自分」から自由になる沈黙入門~小池龍之介(著) >
   * スローパンク
 フローパンクという聞きなれない言葉があった。~ネット検索をすると~
《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。
「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。
いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。
原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。
この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ
不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》
▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、
 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、
生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。
天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する
ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト
にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を
有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と
言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。
内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。
まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、
いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。
 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が
抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。
ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 
私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で
振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 
自分も同じ姿だろうに。
・・・・・・
5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと ~③
2015年01月24日(土)
            ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー
   * 日本人と宗教
以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。
これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、
人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という
避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想
つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の
世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー
≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など
 を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど
特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、
「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが
よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。
 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように
答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も
意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた
「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、
結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」
と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、
あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。
 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在
としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに
対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも
それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の
言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。
 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道
などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米
であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。
このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず
のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫
▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、
 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として
 我々を支配する。