* さて大相撲が始まった
 昨日から、大相撲が始まった。一時半過ぎにチャネルを回すと、幕下の取組
だったが、何と『この一番まで打ち止!』まで見ていた。長い相撲のTV観戦で
初めてである。それも高校女子バレー、女子ジャンプなどと同時観戦で、一番も
見逃すこともなく… 貴乃花が協会から去って面白味が薄れた感がある。本人は、
サッパリしたのだろうが、元弟子たちの手前、間違っても、口に出せない本音。
 ところで現在の上位陣にスター要素の強い力士が見当たらない。白鵬の天下が
長いこともあり、相撲協会の土壌が腐りかけて…? 白鵬はオリンピックまでの
現役維持のため、休場と優勝を繰返す戦略が見え見え。それは勝負師として当然。
そして休養タップリで今場所は優勝の可能性が大。41回の優勝経験は伊達でない。
ところで元貴乃花の愛弟子を日馬富士の復讐と、暗黙裡のうち、身体の何処か
一ヶ所を集中攻撃をされ潰される可能性が大。気の毒だが、そんなもの!
 ―
   * 何かしら、嫌味なブログ脳になってしまった?
 ブログを書き続けて18年近く、6500のテーマを書いてきて、「ハッ」とし、
自己嫌悪に陥ることが多くなってきた。 あるブロガー曰く、
「ブログってのは、突詰めると自慢話なんだよ…」 
何かしら面白そうな、受けそうなテーマを探しだし、自慢げに提示する。
旅行の感想を書けば、旅行自慢に。中学の同期会で、久々に知人に会って
話す内容といえば、
<18年欠かすことなくブログを書いていてね>とか、
<40,50歳代に年2回。その前後に12回、52回、豪華1点主義でツアーに行った> 
とか。テーマ日記書きの習性で自分を曝け出す。それしかないから、それをいう
が、聞く方からして「何だ、いきなり」となる。 自分の自慢話の曝け出しも、
程があるが、そんなことを気にしていたら、18年も続けることが出来ない。
相手あっての自分。ブログ脳が醸し出す偽悪、偽善、露悪、露痴に、時どき、
底知れない自己嫌悪に陥ることに… 自問自答の世界のドツボから、自分の
無意識を覗き込み、自己嫌悪を勝手にしているだけのこと。40年も前のことに
なるが、仕入れで岐阜から名古屋に向かう普通電車の中に、精神をやられて
青年の独り言が、今でも鮮明に残っている。前に北海道旅行をしたが、その
面白かったこと。そして友人の批判… そして、自分が変であるのは分かって
いるが、コントロール不能とか、延々と自己問答が続く。混雑した車内は、
シーンとして凍り付いたように。その一言の言葉が重く圧し掛かって聞こえる。
このブログの自問自答と、何が違うというのか?

 〜で、偶然だが丁度よい文脈になる。
・・・・・・
6149,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −3 
2018年01月13日(土)

* 書きネタが無いと、御呼びですか!
大家さん: 書きネタが無くなると、御呼びですか。仕方がないがね。
熊さん: 北朝鮮が、オリンピックに参加だってさ。有得ないと思ってたがね。
寅さん: 精一杯の虚勢さ。まあ、物資不足は明らかだこそ、ここが土壇場。
    国そのものが張りぼて。よくぞ、やってるよ。そろそろボロが出るさ。
大家* 中国が、本気になってきたからね。そこに、韓国が抜け駆けをして、
   オリンピック参加の勧めの尻尾振りをしたから、アメリカと中国は動転?
   韓国も開戦ともなれば、百万、二百万の死者も出るから、解るがね。
八っあん: この時節に冬季オリンピックとは、何でまた?の疑問が残るね。
   ここまでは、手を出せまいという思惑のためですか。
熊さん: これほど辛辣な挑発を繰返したのだから済やしないよ。
寅さん: 何かマンジリしなかったが、数ヶ月の猶予期間を稼げただけでも
   良しじゃないかい。ただ間延びをしただけだと思うけどね。
八つぁん: どうも私たちの心の底には、最悪の事態を期待する悪魔が存在
   しているところがあるね。アメリカ人なら、まさか大陸間核ミサイル
   が飛んでくるとは思わないから、今のうちにヤッチマエと。
熊さん: どうも朝鮮半島問題は暗くなるから、大相撲の話題にしましょうや。
   といっても、これはモンゴル人問題になるか。 …でも気が晴れるね。
大家さん: 朝青龍白鵬が長年かけてつくり上げた「横綱アドバンティジ・
   システム」が、露わになり、使えなくなったから、今までとは違うよ。
   これは八つぁんが創った造語だけど、ズバリ言当てているね。
八つぁん: それでもやってくる可能性があるね。貴乃花の母親に手紙でも
   出して、バラエティで10回、このキーワードを繰返せば、ポチとはいえ、
   立合いの張り手を禁止条項にせざるを得なくなるね。
熊さん: 「横綱アドバンティジ」の実情を聞いて、白鵬と遠藤の立合いを
   見てから、白鵬への見方が全く変わったよ。 大陸と島国の考え方、
   体質の問題になるよ。開放したのだから…云々か、日本の国技だから、
   島国用に合わせなければならないとか…。確かに難しいのは解るけど。
大家さん: 白鵬への大横綱とかいう特別視が無くなったのは大きいね。
   新弟子からして誰も偉大な力士と思わなくなってしまったのは、本人に
   とって衝撃さ。でも、その孤独こそ、最も大事なことだが、その自覚は、
   逆上せガエルになった当人には、土台、無理だろうね。
八つぁん: 今場所は、色いろな面で面白いだろうね。大鵬の孫もデビュー
   するしね。ところで、先日、元・琴欧州が開いた小部屋のブルガリア
   の新弟子のドキュメントを見たけど、一人の新弟子の稽古の激しさが
   直接、伝わってきたね。土俵の中でのド突きあい、殴りあいだね。
   あれじゃあ、強くなるわけだ。
大家さん: 私も見ていたが… 他の部屋の幕下力士が「御前は気が弱い!」と
   注意していたのが、本人には堪えたようだね。「自分は東欧から遠来して
   いるだけでも気が強いはず。何で気が弱いと言わなければならないのか!」
   と…。 幕下力士は、「気が弱い」と、「気が優しい」の言い違いを 
   していただけ。気が優しいのは、気が弱いとは、違うのさ。
熊さん: こういう問題があるからこそ、面白いんだよ。白人、赤、茶色の
   人種が肌の色を超えて戦うからさ。俺も、哲学的になってきたね。

・・・・・・
4687, エッセイ力は人生力 ー2
2014年01月13日(月)
              「60代からのエッセイ教室」木村治美
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く
 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、
おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って
エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく
なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは
十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心
の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。
きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識
されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身
がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように
客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ
にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分
以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、
もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に
なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、
ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも
(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」
しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり
えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の
 メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い
ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。
だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容
こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」
に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、
そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的
であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・・
5052,生と死をめぐる断想  ー5
2015年01月13日(火)
            『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著)
  *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久
而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。
 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。
成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。
瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。
  ーその辺りから抜粋ー  〜P90
≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。
而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。
たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、
次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは
常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。
暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 
 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと
などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」
の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。
 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。
「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。
なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、
その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命
の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、
相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。
植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、
それこそ知性によってとらえられるものだろうと。
 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、
そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。
が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、
「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ 
それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい
ことを感じるようになってきた。・・ ≫
▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション
 でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、
自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。
地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。
その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき
宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。
・・・・・・
5417,人生で最も大切な技術 ー?
2016年01月13日(水)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、
24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。
 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教
ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を
行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を
任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。
 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの
言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介〜
≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。
 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の
指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の
道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世
フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望
された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。
現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果
に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として
人道的プロジェクトに従事する。 ≫  
  〜リチャード ギアの内容紹介より〜
≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い
 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、
これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ
ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も
叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫   
▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の
 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見
を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に
一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を
惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。
挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。
パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された
ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に
戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に
なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを
見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。
 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる
議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、
インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか!
 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。
・・・・・・
5782,多国籍タウンで夢を追う
2017年01月13日(金)      
    < にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム
     〜東京大久保 多国籍タウンで夢を追う〜>
            2017年1月9日放送(18:10〜18:45NHK総合)
  * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で
 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。
その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。
世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、
アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に
なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム
NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。
≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ
 など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を
求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街
では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。
外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。
パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で
アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに
新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。
アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。
★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に
やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、
5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ
のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。
彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。
メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。
ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト
教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の
人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが
気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを
見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの
妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。
ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら
している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の
危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を
勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で
アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円
前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。
チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。
★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、
中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。
高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ
仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも
は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、
仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具
が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で
車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。
高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫
―――
▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは
 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。
難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。
自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、
何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを
支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。
アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている
から絶対格差に耐えられるという。 

つれづれに

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 昨日より、相撲が始まったが、幕下から、打ち出しまでの全取組
をみてしまった。過って初めてである。 特に初日が新鮮で面白い!
 
 明日が誕生日で、73歳。古希を超えた頃から、一年一年の経過が
重くなるのが実感できる。







・・・・・・
・・・・・・

4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2 
2013年01月14日(月)
            「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
    * 医者のマジック
  この本の題名からして、「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」ということになる。
 医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。この情報化により、医者の特権意識も
 薄れてきたが、まだまだ、好き放題のところがある。  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一の場合を考えてるため)8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1~2年と思っても三年というケースが多いのは、短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応しすぎになる。 過剰反応する患者に
 薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しのノボセや目まいの症状は、歳を
 とれば当たり前と思って病院には行かなかったが、TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。
 そして薬を貰って安心。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年の永遠の課題。
 まして歳をとれば大方の人が経験する。 タミフルという風邪薬の服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、
 インフルエンザでの異常行動は以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪だ。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の働きが悪くなっているだけ。
 ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな
 誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」 すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。特に、うつ病や、ガン
 治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越えるのが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが
 長期的には毒薬の場合が多い。
・ 生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品の特許が切れた後に、
 別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、
 この先発薬と同等の有効成分 。「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは
 大きな差。ドラッグストアで薬を買うのも同じ。

・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)  終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 
  * 陸と海のたたかい  「 
 「 ヴァスコ・ダ・ガマコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップ
が述べたが、19~20世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、「地理的・
物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、米国は「電子・金融空間」を高レバレッジ
無限に膨張させようと試みた。そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。その後、「大きな物語」を「電子・金融空間」
をつくることで近代は延命したが、リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立っているのだから、膨張が
止まれば、その危機が起きて当然である。・・・その中で、第一次石油ショックと、第二次石油ショック
乗り越えた日本も、バブル崩壊の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、日本も、それを見習えと
主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とか
なると思っていることにある。その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている
という考え方である。
9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、
 民のほとんどは貧しいまま。その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。その新たな空間の象徴が、あの二つ
のビルであった。そこに飛行機をミサイルとして攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」
である。それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って攻撃をしたのだから、
著者の、この戦いの縮図とみることができる。

・・・・・・・・
3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解しようとしない」ということ。
そんなことさえ知らなかったのである。恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える力が以前に比べ少しついた。
毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返していると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。
そこで、その範囲でしか理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を深めて
おかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶することになる。 どんなに深耕した
と思っていても、振り返ると、その浅さに唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、
それに見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが普及、進化を始めると
更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。知っていることが財産でなくなり、即座に、知識
を入手出来て、自分の頭で消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、無ければ、
情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案を真面目にか、ふざけてか、
提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、
可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島に一隻。 
これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は広大な海洋国家。こと何かがあれば、
三隻が船団を組んで対処できる。今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも
結べば、中国に対しても大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰されるか!

・・・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変
だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったような
ミニブログで、ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え文章を書くが、
ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。キーワードはネット上で選んでくれる。 
 私のブログのテーマは、殆ど「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付けは可能だが、分類の仕分けは
出来ない。 世界のツブヤキが地域を越えて行き交うとは面白い時代である。ブログから『ツイッター
へ多くの人が移行しているというが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。どこからも
発信できるので、現場の臨場感ある映像が瞬時に発信される。自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)

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2841, 雲頓庵 -2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊主が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。我慢で時おり襲ってくる
恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた
話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。大声を出し、
逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、
懐中電灯と棒を各々持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。再び四人で棒を持ってその獣物の正体を
たしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、途中から
反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いた。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、九十
近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時
だけに、その迫力にショック。結局武道も禅よりみると枝葉でしかない?等々。禅師の一面をみた事件でした。
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 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網のようになり、
多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
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-1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで
「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって
座禅をくむが、何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると
小さなイタチみたいだ。皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず
戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が
昨日の動物を退治しようと長い棒を持ってやってくる。そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合。
よく見るとイタチでなくモモンガであった。顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。昼飯後、
住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。相変わらず、読書のペースが遅い。
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 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。

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2008年01月14日(月)
2476, 閑話小題                ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、
有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一~二年後に三役間違いない力士が4~5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。そのうち、
半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)

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2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る -2      才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しく
 みえるのは解る。国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
 しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が
 出来ているかどうかもある。
*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 
  果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。使い捨てだと思えば、その人の一番
   いいところがどこだと考えて使います。権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」
   なのです。この頃の政治家は面白くないという議論は、20歳そこそこの若い女性が
「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  (字数制限のためカット 2010年01月14日)
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2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!      オッハヨ~
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:       
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
(字数の関係でカット2012年1月14日)
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2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)
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2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り
度々この言葉の書き方を迷うことが多い。私の場合は、状況から「疎外感を持っている状態」を
「独り」と書き、数名の一人の場合を「一人」と書いていた。独りは、独身や孤独などの置かれた状況を
いい、一人は、一が人についている状態で孤立とは違う。したがって独りという言葉とは少し意味が違って
くる。数字で言うと一人は「一」で、独りは「ゼロ」ということか。
 辞書で調べると
・ 独り ー単独、孤独「独りになりたい」
・一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。凍りつくような独身生活と青春を謳歌している独身生活とは同じ独りでも、
また意味が違ってくる。老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。生涯を
通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、それでも
カバーできない場合がある。この随想日記も早朝、独り居間で書いている。全く寂しいとか、辛くて書いて
はいない。どちらかというと面白い。「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。
ー以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。ー
 ー「独りって…」ある人が言ってたよ。 一人と独りは違うとね。私はその言葉にうなずくよ。
  私は独りだけど独りじゃない。私には、友達も仲間もお母さんもいる。でも、私は独りです。
  どんなに幸せな時間が流れても さっきまで、仲間と笑ってる時間があっても独りの寂しさは
  やってきます。 人間、しょせん独りなんです。
 -ひとりでいるのは寂しくない?-
   (字数の関係でカット2011年1月14日)
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2003年01月14日(火)
 646, 教育を考えてみた
昨日は成人式だった。少し硬い教育を考えてみよう。
過疎の学校の生徒の成績は普通の学校の生徒よりかなり落ちるという。
(字数の関係でカット2013年1月14日)
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2002年01月14日(月)
 300、「心と合理化」
「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。しかし心構えとして必要なことは、
最大の努力で最小の効果である」
(字数の関係でカット2013年1月14日)
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1月14日 1969年
11時過ぎに起床。 食後、卒論の最後の仕上げだ。 16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
(字数の関係でカット2013年1月14日)