* たまには下ネタを… 
 下ネタと、旅の話は、なかなか難しい。生々しい話を、あっさりしたした
内容にしなくてはならないため。下ネタについて、母親から「具体的な話を
してはならない」と硬く禁じられてきた。それを欧米人が、一度、ブラック
ジョークの架空の話として楽しむ文化があった。そこには知的センスが必要。
 過って若い娘たちが、彼氏との関係の深さを暴露しあう?言葉の隠語として、
『ABCの、どこまでいった?』の言葉をドラマなどで聞いてから30年程経過する。
面白そうなので、<下ネタABC>で検索すると、これがなかなか。
 さらにDEFがあるそうな! いやzまで…。 
 ――
≪ 恋愛のABCは、「彼とどこまで行ったか?」という男女の関係性の深さを表す
 隠語のようなもの。 最もスタンダードな恋愛のABCは下記のような意味がある。
  A:キスをすること
  B:ペッティング(エッチの前段階までの行為)
  C:エッチ
・下ネタなので、それを分かりやすく、話しやすくすることができる恋愛ABCは、
1980年代に生まれており、徐々に世の中(当時の若者を中心に)広がっていきた。
80年代は不良用語が流行った時期でもあったので、不良の少年少女が用いる言葉
としてABCで恋人との関係を表すことが流行ります。
 その後、アイドルの沖田浩之『E気持ち』という流行曲がヒットしたことで、
一般にも広まるようになりました。隠語とはいえ、世の中に広く知れ渡ったのは
ネットもない時代にスゴいなぁ…という感じですね。
 ただ、今ではABCやペッティングの意味を知らない人がほとんどではないか。
恋愛観も世代によって変わるので、ずっと語り継がれる言葉ではなかったことが
わかります。

・ABCの純粋な続きとしては、下記のようなものがあります。
  D:妊娠すること
  E:結婚すること
  F:家族になること
 地方によってDEFの意味や順番が違うこともあるようですが、おおよそ上記
のような意味で通っています。また、「Z」はアルファベットの終わりなので、
何かしらの「終わり」を表す言葉が意味としてついたようです。    ≫
ーー
▼ 考えてみれば、手っ取り早く「H」、いや「C」から入る…のが自然?
 遣り逃げ?があるから… 問題は相手の見定め。家庭内離婚を含め9割は破綻し、
緩やかな不幸が生涯続くのが実態? でも、しないより遥かに良い?のが結婚。
今では男女別なく「B」だけを好む傾向があるとネットにあったが、成るほど。
早々に結婚し『君を愛す』より、「B」を広く遊んだ方が楽しい? 性格と相手
によりますが?<もうぞう同士が、妄想で結婚、夢破れて9割になる>で、… 
                              ー終わり
 〜次回は、「恋のHIJKとは?」に続く…   

・・・・・・
017年11月30日(木)
6105,閑話小題 〜夕陽は‘日の名残り’色
   * 「夕景の美しさ」について
 カズオイシグロの『日の名残り』で、
<夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。
 夕方が一日で一番いい時間だって言うよ。>の言葉が印象的だった。
暗闇色の漆黒と残照の赤褐色の色合いが、生と死、そのままを現している。
 夕景といえば、世界各地の日没の輝きを目の当たりにしてきた。
その感激と感動そのままを描写した幾つかの文章と、夕映えの写真も数多く
見てきた。 学生時代に読んだ船舶王・オナシスの自伝に一場面。 
 死期を悟ったオナシスが、ギリシャエーゲ海にある故郷で、夕景の中、
幼馴染と酒を飲みながら昔を偲び邂逅し、涙ながらに踊る場面が今でも強く
心に残っている。最期は、愛人のマリヤカラスでなく、妻のジャクリーン
でもなく、幼馴染との魂の邂逅に涙を流す… 
 エーゲ海の夕景といば、サントリー二島と、ミコノス島の夕景が絶品。
夕陽が大自然自身の魂そのものを写しだす瞬間である。魂の故郷とは、
『幼児期の想い出』と『両親の温みの感触の想い出』である。 
  
   夕陽の詩では、八木重吉の詩が良い!
 
  ゆう焼をあび 手をふり 手をふり 胸には ちさい夢をとぼし 
 手をにぎりあわせてふりながら このゆうやけをあびていたいよ  
                         〜『夕焼』より
  あの夕焼のしたに 妻や桃子たちも待っているだろうと 
 明るんだ道をたのしく帰ってきた         〜『夕焼』より

  ゆうぐれの陽のなかを 三人の児が ななめの畑をのぼってゆく 
 みていれば なきたい            〜『ことば』より
  
  私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。
 この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、
 私を、あなたの友にしてください。      〜『「序」秋の瞳』より 

☆ 孤独の際から叫び出ている愛と孤独の絶叫の詩。 夕景は切ない!
 死と生の刹那そのままが、景色に反射するからである。八木重吉だったか、
は忘れ、かつ不正確だが、
<夕陽に向かって手が千切れるほど いつまでも手をふっていたいよ>
 の詩が頭によぎる。

【 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、
   進むことのできなくなった人です。      〜(八木重吉) 】
 …それでも這ってでも進まなければならない時が、人生に何度もある…
 それも、夕暮れ時には、身につまされる言葉。

・・・・・・
2012年11月30日(金)
4276, 100の思考実験 ー2
「100の思考実験:あなたはどこまで考えられるか」ジュリアンバジーニ(著)
   * ギュゲースの指輪
 印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。
  〜ウィキペィデアに次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき
 地震にあった。地震の後に畜群を放している山の手に洞窟を見つけた。
入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。その遺体は金の指輪をしており、
ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけて
あれこれと探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、
外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを思いついた。
家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に近づいて姦通、
密謀してカンダウレース王を殺し、位を簒奪した。豪富で知られるクロイソス王
はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。
プラトンは「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して
「人は知られなければ悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンのこれに反対
する形で「悪事は知られなければ構わないという考えは良心を腐らせ悪しき
結果となる」と述べている。≫
▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。 
 人にさえ知られなければ、誰も誘惑に駆られ多くの悪事をするが、他人に
なると声高に非難をする。もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、
恐らく何をしでかすか分からない。見せかけの自分と、本性の自分は全く違う
ことは、自分の心を考えれば分かること。「指輪物語」は、これをヒントに
つくられたという。ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も昔に、この
人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 
若い時には純粋で理想に燃えて社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、
何時の間にか良心を腐らた世俗人になってしまう。それを他人には見えるが、
自身には見えないから、その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。
その結果、精神分裂になり、自分の壁をつくって篭ることになる。
それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、
定言命法」である。仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。
道徳律においても、「人から信用されたいのならば、嘘をついてはいけない」
「早起きは三文の得」などがそれ。それに対して、条件なしに「…すべきだ」
とだけ命ずることを定言命法(無上命法)。 人間、良心に反する行為は、
すべきでないということ。しかし、・・  この「しかし」が、人間を
迷わせる内語になる。悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。で、! 
・・・・・・
2015年11月30日(月)
5373,楽しむことを人生の目標に 〜�
   * シリアスで、面白い格言
 自虐的な格言ばかりだが、鋭く心の弱点を指摘しているものばかりを、
選んである「面白い格言」集があった。 老いるとは、神の視線で、己の
生涯を振り返る視線を持つこと。そこから目を背け、他人に対して、悪魔の
目線で批判をしたがる。それが老いの厭らしさである。ある時は、神様。
ある時は検事に。ある時は、優しい天使に変身、漂う老境は、寂しい。
≪ ・馬鹿には会いたくないというのなら、まず自分の鏡を壊すことだ。
   〜フランソワ・ラブレー(フランスの人文主義者、作家/1483〜1553)
・もし神様を笑わせたいのなら、君の将来の計画を神様に話してごらんなさい。
 〜ウディ・アレン(米国の映画監督、俳優、脚本家 / 1935〜)
・我々は、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるため四苦八苦する。
 〜ラ・ロシュフコー(フランスの貴族、モラリスト文学者/1613〜1680)
・人は自分の友に秘密を話すが、その人にもまた友がいるのだ。
 〜トルストイ(ロシアの小説家、思想家 / 1828〜1910)
・母親は子供を男に育て上げるのに20年かかるというのに、他の女性は20分で
 男をバカにしてしまう。〜ロバート・フロスト(米国の詩人/1874〜1963)
・見て見ぬふりして下さい、先生、何年かたてば笑い話ですから。(マーシー
 人生って買い物カートみたいなものなの!私たちひとりひとりカートを
 もってる、そして世界はスーパーなの!世界はすばらしい物でいっぱい…
 あなたのカートを押して行くのよ、チャーリー・ブラウン! (ルーシー)
 〜チャールズ・M・シュルツ(米国の漫画家、スヌーピーの作者/1922〜2000)
・私を会員にするようなクラブには入りたくない。
 〜ウディ・アレン(米国の映画監督、俳優、脚本家 / 1935〜)
・いとしい女にはあんな長所、こんな長所があると君が信じて疑わないのは、
 ひとえに想像力のなせるわざである。
 〜スタンダール(フランスの小説家『赤と黒』著者/1783〜1842)
・お世辞を言うには金がかからないが、大多数の者はお世辞に対して大金を
 支払っている。 〜トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家/1608〜1661)
・私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。
 〜モハメド・アリ(米国の元プロボクサー /1942〜)
・医者は人間を弱いもの、
 弁護士は人間を悪いもの、
 牧師は人間を愚かなものと見る。
 〜ショーペンハウアー(ドイツの哲学者 / 1788〜1860)
・勇敢の誉れ高い人のなかには、ただ逃げるのが怖かっただけの人もいる。
 〜トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家 / 1608〜1661) ≫
▼ 「お世辞」を、いかに巧妙に言えるかどうかが、知性? そうじゃない?
  ー世界はすばらしい物でいっぱいのスーパーなのー も良い。
 こういうのはどうだろう。《世界は、大都会なの。コンビにも、スーパーも、
百貨店も、高級専門店もある。逆に、下町には貧民街もある。世界は、喜びも、
悲しみも、いっぱい詰まっているの。別に買わなくてもいいから、チャンとした
身なりの服装と、身すぼらしい服装を二着と、少々のお金を持っていれば、
何処に行けるの。良くないのは、少々の金と、一着しか、持ってないことよ!
その世界しか知らないのは、不幸と幸福が裏腹ということが知りえないからよ!》
・・・・・・
2013年11月30日(土)
4641, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪
 朝日新聞の‘論壇時評’で、作家の高橋源太郎がー暗い未来「考えないこと」
こそ罪ー をテーマに書いていた。「馬鹿な考え休むに似たり!」としても、
社会の常識を疑い、逆照射をしたり、哲学書を生半可とても、融かすように
学び続けるしかない。だから、考えようとしない人は直ぐに分る。まともな
順にA,B,Cと分け割り切っている。その全ては過去の自分の行蔵に含まれており、
険しい山道の道標の自分の姿でもある。死刑囚の『無知の涙永山則夫
という書があるが、「考えないこと」からくる罪は、無知から生まれ出る。 
過去の記憶のフラッシュは、B,Cの自分の行蔵が殆ど。他人の評価は別として、
私自身としてAに到着したのは、還暦辺りか、それとも65歳の辺り。
いや、Cのまま? ABCが混在しているのが人間だから人生は面白い。 
経済震災と自然震災もあって? この結果に終わり、あたかもオセロの白駒が、
黒駒に変わったような経験をしてから、更に考えざるを得なくなっている?
筆者は「日々の暮らしに目を奪われ、考えないことが、如何に罪を積み上げて
いくことを知るべき」という。   ーその辺りの一部よりー
《「憎悪の差別語をまき散らして憎悪をかき立てる『凡庸な悪』と、社会は
如何に向かい合うべきか」の座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の
朝鮮人は死ね」といったヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレント
ユダヤ人虐殺の中心人物であったアイヒマンについて語った「凡庸な悪」を
見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、底無しに広がってゆく
可能性があると指摘。彼らは特殊なのではない。
 私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会
とそれを支持している人たちだけなのだろうか。アーレントは、アイヒマン裁判
を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけた。
彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを
考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。
私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について
考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、
日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのか「考えない」
でいたのではないか。だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」
の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席。
 学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が間引きされ?少なくなる。それが、
その場の空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも
考えない。その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガス
で脳が侵され、噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の担い手、無知の涙に浮かぶ
シラミ。で、どの会にも一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」
という問いかけは哲学の問題。「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪。
だから、人は学び続けるしかない。その結果、我が内なる(過去・現在)B・C
に出会う。その姿を見ている視線が、Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2014年11月30日(日)
5008,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜4
         『人は死ぬとき何を後悔するのか』小野寺時夫(著)
  * 治療を後悔する人が多すぎ
 読むにつれ憂鬱になるのが、病院経営の利潤が優先され患者はグチャグチャ
にされる実態?である。父が亡くなる直前にポツリといった一言、「あんなに
苦しむなら、手術をしなければよかった!」 死を覚悟した時、「どのみち
助からないのに、あの激痛を長時間も耐えなければならなかったか?」
の疑問が生じるのは当然。 ー治療に対する後悔する原因を要約するとー
・ここで外科医だった当事者の著者が、末期ガン者の手術のやり過ぎの実態に
 強い疑問を投げかける。 転移している場合、根こそぎの切除は不可能に
かかわらず、大掛かりな手術をするケースがあまりに多い、と。 食道ガンの
名医が、転移している膵臓ガンも切るため、その方が好い加減な手術になる。 
・日本では、「手術して直る可能性が高いのか」「再発する可能性が高いのか」
「再発するならどれ位生きれるのか」などを、医者が説明せず、患者の方も医師
に質問しないのが普通だが、欧米人には考えられないことという。
抗がん剤が効くのは、ある種の白血病悪性リンパ腫、睾丸ガン、小児ガン、
7割位の人に有効で、5年生存率も6割を超えている。問題は、それ以外のガン。
延命効果があるのは10人に1人。著者が外科医だった頃、試みた中で殆ど
効果はなかった。新薬治験という誘惑があるが、これも薬品会社のモルモット
かわりか、法外の費用になる。新薬治験効果があった話はほぼ聞かないという。
・また民間療法も、あまりの法外の費用面で、「一千万単位の借金を背負った」
 という話があまりに多いとか。家族が苦し紛れで、自宅を抵当に入れケース。
これなど、少し冷静に考えれば、効果などある訳がないが、溺れるもの藁をも
すがるで、家族全体が破滅に向かう。代替治療という‘無法地帯’が、世の中
にはある。岩盤浴低周波装置、ガン免疫療法などなど、幾らでもある。
しかし、著者の知る限り、全て効果は無かったという。
▼ 高齢の転移したガンの手術は考えた方がよいことになる。治療の後悔も、
 情報と知識不足が原因。それで目先は助かっても、長期間の苦しみが待ってる。
人生の晩年は、厳しい『生老病死』が待つ。やはり「手遅れで余命半年」が、
一番良い? その瞬間から地獄のような日々になるが、これも人生。同年代の
4人に1人は、そうして逝った!どうしたら良い?今を充実させ、楽しむしかない。
「死んで花実が咲くものか」で、死にかける前に、元気なうちでなければ、再び
よい目に会えない。さて今日は何を楽しもうか?面白そうなことは幾らもある・・ 
・・・・・・
2016年11月30日(水)
5738,閑話小題 〜2016/11/30 今年も、あと
    * つれづれに年末
☆  今年も、あと一月になるが、早いもの。リタイア直後にたてた
  スケジュールそのまま、毎日を過ごしている。毎週金曜日のシネマ通いは、
  これまで3週、休んだだけで合計44回、通っていた。一週だけ二日続け
  行ったこともあった。2年に1回あるかなしかの百点評価はなかったが、
  95点が2つあった。あと残り5週あるが・・

☆ ニュースとしては、英国のEU離脱と、米国のトランプが大統領選で勝利。
  これは日本、アメリカ、世界各国にとっての大転換を意味する歴史的一大事。
  アメリカがグローバル化政策を止める決断をしたことになり、欧米の凋落の
  道標になる。 それに勢いづいた欧州のテロは、とまることなく続く。

☆ 体調は、すこぶる元気。サントリーの販売戦略に乗せられ、「セサミンEX」
  「ロコモア」を常用するようになった。これが体調にプラスに働いている。
  両方とも、一日の目安の半分にして合わせ飲んでいる。腰痛も、腰痛ベルト
  を新調したことと、夜半の寝返りを意識的にしていることもあって調子がよい。
   何はともあれ、無事健康が一番。

☆ この随想日記も5700のテーマを超えている。時どきスランプになるが、
  精神のバランスを保つプラス要素になっている。

☆ 去年に一番上の姉の連れあいが亡くなったのに続き、今年は長岡駅近くに
  住む父方と、母方の従兄が2人亡くなった。ついに、身近な親族の順番が
  まわってきたようだ。平均年齢が80歳なら、何の病気で亡くなったかは
  問題はなくなる。老衰による三大疾患の何れかでしかない。

☆ 世界的大規模の天変地異は、無かったが、国内では熊本と鳥取で発生した。
  200年〜300年スパンの大地震の周期に入ったようで、不気味だが。

☆ 今年は会社整理の関する弁護士からの連絡は一切なし。 
  この激変の時代、6年近く前の問題なぞ遥か彼方の問題ということか。
  元もと銀行債権以外、一切無いのだから、当然といえば当然か。

☆ 去年の今時分、寝室のTVにブルーレイを加えたのを切欠に、WoWoWの二台目
  契約をした。そこは居間とは違って、映画、ドラマを見るには最適空間。
  一年間、面白そうな映画を次々と入れていたところ、最近、「制限一杯に
  近づいています」の表示。数えてみたら300本。一日、一本見ても一年は
  かかる。それでも、番組表に面白そうなのが次次と出てくる。そこで、
  過去分を消去するが、これが惜しいくて堪らない。これは完全に映画御宅。
   ネットとブログ御宅に、映画御宅に、スポーツジム御宅に、チャリ御宅。
  そして近い将来、プツン!といきたいが、その前に色いろイベントもある
  ようだ。 としても、まあ、幸せなことで。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 今日のシネマは、何にするか? このところ当たりが多いが…
 そろそろ木枯らしがふく晩秋になってきた感がする。

 




・・・・・・
・・・・・・
2016年11月30日(水)
5738,閑話小題 ~2016/11/30 今年も、あと
    * つれづれに年末
☆  今年も、あと一月になるが、早いもの。リタイア直後にたてた
  スケジュールそのまま、毎日を過ごしている。毎週金曜日のシネマ通いは、
  これまで3週、休んだだけで合計44回、通っていた。一週だけ二日続け
  行ったこともあった。2年に1回あるかなしかの百点評価はなかったが、
  95点が2つあった。あと残り5週あるが・・

☆ ニュースとしては、英国のEU離脱と、米国のトランプが大統領選で勝利。
  これは日本、アメリカ、世界各国にとっての大転換を意味する歴史的一大事。
  アメリカがグローバル化政策を止める決断をしたことになり、欧米の凋落の
  道標になる。 それに勢いづいた欧州のテロは、とまることなく続く。

☆ 体調は、すこぶる元気。サントリーの販売戦略に乗せられ、「セサミンEX」
  「ロコモア」を常用するようになった。これが体調にプラスに働いている。
  両方とも、一日の目安の半分にして合わせ飲んでいる。腰痛も、腰痛ベルト
  を新調したことと、夜半の寝返りを意識的にしていることもあって調子がよい。
   何はともあれ、無事健康が一番。

☆ この随想日記も5700のテーマを超えている。時どきスランプになるが、
  精神のバランスを保つプラス要素になっている。

☆ 去年に一番上の姉の連れあいが亡くなったのに続き、今年は長岡駅近くに
  住む父方と、母方の従兄が2人亡くなった。ついに、身近な親族の順番が
  まわってきたようだ。平均年齢が80歳なら、何の病気で亡くなったかは
  問題はなくなる。老衰による三大疾患の何れかでしかない。

☆ 世界的大規模の天変地異は、無かったが、国内では熊本と鳥取で発生した。
  200年~300年スパンの大地震の周期に入ったようで、不気味だが。

☆ 今年は会社整理の関する弁護士からの連絡は一切なし。 
  この激変の時代、6年近く前の問題なぞ遥か彼方の問題ということか。
  元もと銀行債権以外、一切無いのだから、当然といえば当然か。

☆ 去年の今時分、寝室のTVにブルーレイを加えたのを切欠に、WoWoWの二台目
  契約をした。そこは居間とは違って、映画、ドラマを見るには最適空間。
  一年間、面白そうな映画を次々と入れていたところ、最近、「制限一杯に
  近づいています」の表示。数えてみたら300本。一日、一本見ても一年は
  かかる。それでも、番組表に面白そうなのが次次と出てくる。そこで、
  過去分を消去するが、これが惜しいくて堪らない。これは完全に映画御宅。
   ネットとブログ御宅に、映画御宅に、スポーツジム御宅に、チャリ御宅。
  そして近い将来、プツン!といきたいが、その前に色いろイベントもある
  ようだ。 としても、まあ、幸せなことで。

・・・・・・

3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
2011年11月30日(水)

  ▼ 世界でもっとも重要なもの
 著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず実現する。成すべきことを成し
遂げれば、何事にも光がさし込む」ということ。精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した
努力をすれば、その努力が信念になっていく。そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには必ず対策がある。
そう信じることが信念。ここで、エマソンの次の言葉を引用。「すべての個人には共通の一つの心がある。
各人は、同じものの一つ一つの、また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存する
もの、あるいは、行われうることすべてへの仲間入りをした人である。これこそ唯一の、そして最高の力だから
である」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。
それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
  ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 
 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出した。
  ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。 人は大生命力のなかの、自覚を持つポイントです。
 精神は大生命力の法則、生命が作用する方法、創造のための大生命力の要具です。それを使いなさい!」
 そのためのドアは、本人が開けなければならない。不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことを
 していない結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っていることを忠告しているに過ぎない。
 その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和は、正しく考え、正しく行なっていることに報いる
 自然界一流の方法です。 ホランドの詩に次のようなものがある。
  「 天国は、ひと跳びに行けるところではない   登るはしごを建造するのだ
    低い地上から、まる天井の空まで――     はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ 」
  いかに思うべきかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。しかし信念の
 在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それができるかを教える人は、非常に少ない。
  ・・・・・・・
2010年11月30日(火)
3536、沈黙せよ!
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 -チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、
 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
  ーまずは、以下の文と詩からー
【チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・
思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期を代表するチュッチェフ初期の代表作の一つ、ロシア人なら
誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、
これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、
しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。
  ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ           自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは                 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい     それに見惚れ、沈黙せよ!

心はどうしたら自分を言い表すことができるのか   他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか       心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう      ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!

自分自身の中で生きることだけができればよい    お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある       その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう               それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! ……
 ~~
「・・・」この詩について、何かを語れといっても・・「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。
 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。
                                          ーつづく
 ・・・・・・・
2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。年末に
向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか
中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラル
による不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。この上に円高というから、救いようがない。 
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、
この小説に大きく感化された。筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と
時代背景を書いている。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 ・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
 「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されて
いるから、仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が
少なくても、わずかなチャンスを確実につかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこでも入っていく。
それでいて、空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それが
ルフトメンシュである。)      
   ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない
 ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」ユダヤ人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」  ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム
・・・・・・・・・
2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
ネット君臨」-毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)        -読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にした
ものだが、この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。
私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには
驚いてしまう。特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめる
ほどの内容に満ちている。毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、
ネット社会の規制を考える面で、良いこと。*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
 ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率を
もたらす一方、さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々は
ネット社会をどう築けばいいのか。ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨
の書籍化。本書では、国内最大のネット掲示板2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の
暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏に
インタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人のマネーゲームを生んでいる
実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。難病の上田さくら
ちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円)を賄うために
さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。
(字数制限のためカット、09年11月30日)
・・・・・・・・・
2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり -18            (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性
がいて、その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1~2年ごとに
クラス会を開いていた。担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰って
きて、延々と夜半まで三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を
開いていた。そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。
経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わい
深くなる。人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、
その時々を真正面から生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。
        ( ^3)~♪よ~よ~それが一番、難しいんじゃないかい!        
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  -? 
 ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきた
のかと訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外
何もしてこなかった。刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、
したがって老いることを拒む。動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。
老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は
美しい。 鏡を内側に持っているからだ。外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。
若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。
内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が
判然としなくなるが、面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということ
。自分の人生を振り返ってその視野に、自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前
のように入ってくるようになる。内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映って
いるからだ。過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。
それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
 ーー  
母親が80歳の時に「私の生きた5~6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」
といった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と
家康の生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を
持っていえる自分がいる。それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、
ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。
いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも以下でもない男。 そしてまだ、その娘が
馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた時間の中で、自虐の自分を
鑑にしてみるからだろう。 (-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。
 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて
加齢した自分を自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。
それは現時点でも言えることである。 
・・・・・・・・
2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 -2      nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、40数年ぶりの幼馴染に会い感じた
ことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?)上手くいった
という人はそれでよし、上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
 要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。
どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か?
誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いの
ではないか? そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果
として自然の笑いが出てくればよい」ということになる。♪~(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に
恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。めでたい席で暗い顔もしていられないのだ
ろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」
というのが、偽らざる気持ちだったろう。年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 
人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
 ・・・・・・
 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」   ー読書日記 -1
  齋藤スタイル―自分を活かす極意   齋藤 孝 (著)           
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。いや一度、この著者の本を
図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読を
したところ、内容が濃厚である。斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、
子ども…。多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェストといえる。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。特に「三色ボールペンで読む日本語」
のダイジェストの章がよい。赤ペンチェックの言葉が多い。「図化と文章化」「具体的かつ本質的」
「エネルギーを出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」などもよい。 著者は、「勉強でも
スポーツ仕事でも、自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、技化しなければならない」
といっている。齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。ー今回は、まずは三色ペンについて
書いてみる。数年前に、「三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、ほとんど
読まないで返してしまった。 
( 以下、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
・・・・・・・・
2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。
当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から5万通以上の作品が寄せられたという。
せいぜい2000~3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。そこで
急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、「遺言川柳」がちょっと
したブームになっているという。遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。
遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。母が亡くなったときは、
さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」というものを重んじていたのだ。
両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、末っ子という特殊要因もあった。
 相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。
そして生々しい。
ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
 -------
ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
  ーーーー
以下は、字数の関係でカット
 2007年11月30日
・・・・・・・・・・
2002年11月30日(土) (2)
 596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。日経流通新聞の広告でFC募集の
内容に興味を持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?と思うのは当然である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた職人の世界である。
そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに会うと聞いていた。
誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。 
場所貸し業と捉えたのである。スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。

 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )