* さらに、「公正世界仮説」について…
 この「公正世界仮説」を読んでいて奇妙な気持ちになっていた。
「上手くいったのは、やり方が正しくて、失敗したのはやり方が間違っていた」
と思っていた。ところが、これはあくまでも因縁の「因」で、間接原因の「縁」
が重なった「因縁」の結果、「運」が生じる。 私たちはえてして、因ばかり
目がいき、大事な「縁」を忘れがちになる。 事業が好転している時には、
<上手くいったのは、「公正世界仮説」でいうプラス要素の御蔭で、逆に
マイナスの「縁」の場合は如何であったか考えようとしない。たまたま、
順風の追い風の黄金色の大白鳥が到来した背中に辛うじて乗れただけ。 
 ルノーのゴーンからして、それを体現した人。現実社会は、この仮説を妄信
している人達で構成されている。 移民社会の資本主義のアメリカ社会で、
暴動が起きないのは、この「公正世界仮説」があるため、移民は、
<いつか俺だって、大当てをして金持層に入るんだ>という夢を持っている。
そのプロセスで、<いま、ここで、自分が存在している>と… 
そのサクセス物語の夢があるから、生きていられると。
 しかし現実は、これが妄想でしかないと、ここで大胆に暴いてしまう。
世界は、半径500m、直径1kmの世界の重なりをベースで構成されている。
この小さな世界の住民は、それが現実であり、その外界の実感が全くない。
旅の御人の世界は非現実世界でしかない。 裸の王様を揶揄をしているが、
実は己自身の姿。<上手くいっている人は正しい人で、全て許され、失敗した
のは悪い人で、リンチの対象の悪党。直径1kmの御池の岩に閉じこめられた
渦巻く鬱憤の世界で互いの首輪の紐を引張りあって、終生(余生)を過ごす。
 社会の何が公正? 平等と公平とは違う。<資本主義社会のルールに則て
正しく手順を踏んで無事、こうしている何処が悪い?」。嘘をつけ!
 何処かの大統領、ドン様、首相、書記長を、少し凝視すれば分かること。
で、そのチョッとした不公正の御蔭で何とか、面白可笑しく生きられて、
何をおっしゃるウサギさんが、私たちの実情?… 
 
(別記: ところで数日前、TVで様々な動物に小型カメラを装着し、
 それぞれの動物目線で、日常の内容を映しだす面白い番組を放映していた。
その一つに、羊の牧畜犬の首輪からの録画で、犬社会の面白い現実を垣間見る
ことが出来た。 首輪のせいか?仲間内の数匹から徹底的に攻撃され、命から
がら、隅に追い出された犬が、外から羊を狙って忍び寄る狼を気づき、恐怖の
ため、雄たけびをあげて、狼の存在を他の牧畜犬に知らしめた場面があった。
弱者には弱者の役割の存在を、生々しくレポートしていた。これこそ、
「公正世界」というのだろう。
< 老いて、傷つき、片隅で狼の影に怯え(笑) 早朝に、吠える代わりに、
これを書いている我姿とて自嘲している> と書けば、丁度よいオチになるが… 

・・・・・・
4635, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー4
2013年11月24日(日)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
 * パワーカップルの最たる医師同士と、法曹界の収入は?
    ー要所を抜粋するとー
《 現在、医師の女性の占める割合いは20%。50年前は10%。
 現在の医学部の女子学生は40%を占めている。とすると近い将来、半分
近くが女医になると読み取れる。今だ役所、企業での女性の位置が低いが、
医療現場では、さほど、その障害がないことが挙げられる。現在、一億以上の
高所得者のうち、7人に1人が医師である。特に、開業医の収入が多いことは、
巷に知られている。男性医師の4人に1人、女性医師の3分2が、医師と結婚。
男子が少ないのは、収入が多いので、専業主婦の相方でも困らないことがある。
医師以外に、36・5%が薬剤師、看護婦、医療技能職の医療従事者がいる。
ちなみに、学生時代知り合った場合、に妻の方が子供育てを考え、負担の
比較的軽い、精神科、眼科、皮膚科を選ぶケースが多いという。
開業医が2千5百万、勤務医が、その半分の1230万。
医師カップルは2千〜5千万。開業医で夫婦で運営すれば、一億超える
ことも珍しくない。医師夫婦こそ、スーパーカップルといえる。》
▼ 収入から見ると、医者は一種の特権階級の住人。医師のパワーカップル
 比べ、法曹界の収入は心もとない。女性が司法試験に合格し弁護士になる
プロセスが大変な割に収入が少ないこともあり適さないこともある。男性弁護士
からみて、弁護士の妻は6・6%にとどまり、医師の比率から見て6分の1になる。
それだけ医師の収入条件が良い。難関の司法試験に合格し、司法修行を終えても、
法曹職を得られない人が2割もいる。しかし、米国社会の後追いをする日本も、
訴訟社会になっていくので法曹職も、将来性がある。情報化、グローバル化社会
は、弱肉強食、一強多弱が更に進み、階級社会が固定化する。そこに生じてくる
のは激しい階級間闘争。とすると、第三次世界大戦が東西冷戦とすると、第四次
世界大戦は、民族間と、階級間の、果てしない戦争になる。それも、テロという
手段が頻繁に使われる不安定な社会が現れ出る。その反面、パワー階級は、
今もだが・・ 特別区という別世界に住むようになる。まあ、あまり明るくない
殺伐とした近未来が待っている。TPPは、アメリカ社会に右ならいということ。
厳しい階級社会が、本格的に来るということ! 第二次大戦から20年余の社会
主義化した、あれは、むしろ奇跡?地元の病院の眼科の先生が夫妻と聞いたこと
があった。歯医者はドクターではないが・・収入は似たようなもの?

・・・・・・
6099,閑話小題 〜チョイト哲学、「死」について
2017年11月24日(金)
                 <反・幸福論 佐伯啓思
     * 「老いとは、死に至る重篤な病」だってさ!
 人生の一大事の「死」について、数多く引用し考えてきた。知識を持った
人間は、身近な人の死から自らにもやがてやってくる死の恐怖の予感に恐れる。
しかし、それは誰も自ら経験をしたことがない故、どれもこれもいい加減である。
死の問題を真正面に捉えると、深くニヒリズムに迷い込むことになる。その最たる
ことが、人生など「永遠の無=死」を前にして、無意味だという「生」に対する
否定な考えである。しかし、その真逆の「生」への極限の追及の本質を考える
足場が、そこに見てとれる。 永遠の無の中の、確かな「いま、ここ、私」…
――
≪ 終末の迎え方、「死に方」は、知恵や努力やカネやコネで人為的に操作できる
が、「死」そのものは、まったく人間を超えたものなのです。人は、「死」を前
にして、まったく無力であり、ただ頭を垂れるほかない。ここでは、全ての人間
の営みも文明も一気にすべての意味を失ってしまう。どれほど、人間が壮大な
建造物を建て、富を築き上げても、「死」を目の前にしたら何の意味もない。
近代人が理想とする「自由」も「幸福追求」もすべてが死を目の当たりにすると、
色あせてしまう。あらゆる存在を無意味化してしまうという点で、「死」は
「絶対的無意味」というしかありません。われわれは、しばしば「死を恐れる」
とか「死が怖い」といいますが、それは、「死に方が怖い」ということでしょう。
普通われわれは、「生」から「死」へと一挙に相転移するわけではありません。
「生」と「死」の間には、「生」でも「死」でもないような「病」と「老」がある。
「生」は徐々に力を失い、意味を薄めていき、世界は色あせていき、あげくに
「死」に至る。そのプロセスが苦しく、つらく、想像を絶するようなものであり、
屈辱的でさえあるのです。「死」に至るには、もはや「生」ともいえない「生」
を送りざるをえない。それに比べれば「死」は救済とさえいえるでしょう。
「生」の究極の時間からの解放であり、苦をもたらす物理的身体からの解放です。
「絶対的無意味」である「死」に対し、怖いも恐ろしいもありません。怖ろしさや
恐ろしさは、何かある意味を持った存在や事態についていえることだからです。
… 「死」は恐怖どころか救済であるのです。
しかし、この「絶対的無意味」は、こちら側でまだ生きているわれわれにとって、
何かある種の妙な感じを与えることも事実でしょう。≫
――
▼ <老いは死に至る重篤な病> とは、言い得て妙だが、現実である。
 死は、どうにもならない、ただ、ひたすら受け入れるしかないのです。
私も健康寿命の平均年齢に至り、いつ何時、介護に入っても不思議でない時節に
入っている。「老いていく」とは、「老いというの病の進行」とは、知らなんだ。
スポーツジムで、私の病の進行度は、これ如何に? と俯瞰すると、成るほどと。
「人生、良いところは還暦まで!」と曽野綾子女史が宣っていたが、その通り!
そして、12年近く経過したが、思いの外、「良いこと」が数多あった。それは、
「長年続けていたからこそ」の中の刹那な一瞬にあった。生きてきたように「老い」、
「病になり」、最後は「のた打ち回って死んでいく」。それで「良いんじゃない」
タップリと「麻薬」?を盛ってもらい、天国の階段を… 実際は真逆だろうが。

・・・・・・
5367,世間、社会、会社の意味とは ー?
2015年11月24日(火)
          ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門
   * 西欧生まれの「社会」と、日本の「世間」はどう違うのか
 「社会」と、「世間」の違いは、日本社会と欧米社会の違いが起因する。
 欧米社会は一神教キリスト教などの上に成り立っており、日本の
「世間」は、多神教のような無宗教的要素が作り上げた自然成立した
人間関係から出発している。 〜その辺りから〜
≪・「社会」と「会社」の二つの単語の元になった英語の「ソサエティ
と「カンパニー」は、単語の形こそ違え、その語源は大変似ているのです。
カンパニーの本来の意味は「つきあい」といったところでしょう。語源は
「カメラ」で、今の日本語では写真機の意味になりますが、古いイタリア語の
「部屋」の意味です。古い英語で、同じ船に乗りあわせている船員の集団も
カンパニーです。これは当人たちのありようとは別に、一緒に企業を作る、
船を運行する、といった人間関係です。ここでは個人が仲間を裏切って、
勝手な行動を取ることを許さない厳しさがあります。
・「ソサエティ」もこの単語の語源のラテン語で、「仲間」とか「同盟」
といった意味です。「カンパニー」と同じような意味ですが、この場合は、
個人差やあり方に幅を認めている感じがあります。たとえば「同盟休校」
というのは、一人一人の学生は専攻も思想も違うが、その違いを超えて
何らかの要求を掲げ、申し合わせて一斉に学校を休むことです。
英語の「ソサエティ」の訳語である「社会」の構成メンバーは、さまざまの
個人が所属していることを承認しているのです。社会学の原型となる思想に
よって、後世に影響を与えたオーギュスト・コント(フランスの社会学者、
哲学者、数学者。一七九八~一八五七)は十九世紀前半に活躍した学者です。
彼は当時のヨーロッパの無政府状態を眺め、それを再統一するために、
実証主義(実際の状況から、そこに原理を見出そうとする考え)によって
何らかの原理、一定のルールを見出そうとしました。
実証主義は「ポジティヴィズム」と言いますが、ポジティブは「確かな」
というのが本来の意味です。よけいなことを書いたような気がします。
しかし、それというのも、新しい単語である「社会」と日本の古い言葉である
「世間」との間に、かなりの距離があることを言いたかったのです。
ですから「社会性がないぞ」と言われると、何言ってやがる、という気が
しても、「そんなこと、世間には通用しないぞ」と言われると、ふと、
たじろぐものがあるのではないでしょうか。人間の集まりを示す言葉には、
西欧の近代社会が規定した、現実の事物から導きだした具象的に説明できる
理論を根拠にした「社会」なるものと、日本の「世間」のような、人が生活
してゆくうえで自然発生的に生まれた対人関係を意識することの二種類が
あるように思えます。≫
▼ 一神教は、神と僕(しもべ)との契約がベースにある。そこは、
 契約の原理が存在するのに対し、「世間」の世界は、曖昧な世界である。
だから曖昧な噂が、常に漂い、それに互いに怯えることになる。個々が
自立していることを前提にした社会に対し、曖昧な私の集まりの「世間」は、
不確かな事実の上で、ものごとが判断されている。そして「集団馬鹿」の
一員として、一生を終えていく。
・・・・・・
5002,閑話小題 ーつれづれに独り思うことー1
2014年11月24日(月)
   * 早朝、独り思うこと 
 現在の毎日の課題は、「既に残された時間は少なくなった分、
生きる面白さを味い尽くさないと!」になる。
 生きる面白さは充分に味わってきた。そして、あと何年、
生きるか分からないが、これからも、その余白に生きる面白さを
味わい付け加えることになる。生きる面白さには、味気ないことが
背後に膨大にあるが、それはそれで充分、価値があること。
 
 暇もあってか、過去をジックリ思い出すことが多くなった。
その度に多くの現象を改めて多面的にみることができる。
面白かった!という記憶が、非常に多いが、知らぬ間に、
面白くない記憶を消し、目をそむけてきた。
 とにかく、読書時間を持っていたことと、行動してきたのが
良かったのだろう。両親の影響も、あまりに大きい。

 「何事も取り組んだことが面白く楽しくなるまで、集中し続ける」
が、両親から学んだこと。そのために、世の中の流れをつかみ、
無駄を見極め、そのエネルギーは最小にすること。
一般の価値観は、娑婆の価値観。自分の価値観を見据えること。
そのためには、俗にいう「C」さん達と、距離を置くこと。
要するに「世間」を見切ること。それを20代から実践したため、
『色即是空、空即是空』の心持ちに少しでも近づけた?
早朝の時間の活用が、それを手助けてくれた? そうでもないか。

 ランチに週二回いっていたのが、今では週一である。
<昼飯は本来、ジャンクフードで、抜いても良いのでは!>
と思い立ってからだ。スナックとバナナ一本で充分と思えば、
それでもよい。実際のところ、惣菜売り場のパックの『つけ麺』か、
インスタントのカレーライスで、腹持ちがする。年齢もあるが・・ 

つれづれに

イメージ 1

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 今朝、晴れたので早朝のポタリングへ。
寒さがキツイため、天気の割には人影が少ない。

 午後から再び、同じコースを周る予定。
もう、年内は10回ほど機会があるかどうか。

 昨日は、シネマ館で映画鑑賞の日だったが、
祭日で混むだろうと月曜日に延期。





・・・・・・
・・・・・・

5732,閑話小題 ~サプリメント
2016年11月24日(木)
   * サプリメント
 数ヶ月前にもテーマにしたが、再び。
季節の変り目のためか、例年のとおり、腰中心に全身が重く怠い。
それに老化を日々、実感していることもあって、健康サプリの広告に目がいく。
その広告効果?の結果、幾つかを追加し飲み続ける日々。 サプリの対象は、
年代によって変遷してきた。現在、飲んでいるサプリは、10数年続いている
起床直後に飲む生姜湯と、朝食直前の「飲むヨーグルト」をコップに半分。 
更にスポーツジム内でビタミンCのノド飴を二つ。それと就寝直前に胃の疲労
防止にキャべジンを一錠を飲む。更に半年前から「セサミンEX」の格安セール
に応じたのを切っ掛けに今では愛飲者。 これは、気持ちまで前向きにする
即効性がある。更に1ヶ月前からお菓子のブルーベリーを追加。 
以上からして、立派なサプリ愛好者。健康食品は、30歳後半~40歳前半にかけ、
玄米酵素、パイ・ウォーターと、ロイヤルゼリーを。50歳代後半からは万田酵素
を常用していた。老いの身には、以前とは違った「身体に染みこむ実感」が強い。
御隠居の身で、一日、2~3時間も運動をすれば、サプリとの相乗効果があるのは
当然。半年前に飲んでいた「ノコギリヤシ」は、何故か今では飲んでない。
 追)かって書いた内容の方が遥かに良いのは、書いた後に、ブログ内
検索をかけたため。これらを読んでからでは、違った内容のはず。
以前、サントリーセサミンを飲んでいたなど、遥か忘却の彼方である。
――
2016/06/03
閑話小題 ~サプリメント効果
   * サプリメント効果
サントリーサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人
 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。
効果は2~3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、
夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。
 他に、サントリーの別広告で、『セサミンEX』の格安広告を見て注文し、
先のものと共に飲んでいる。それもあってか、気持ちが前向きに?。
・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、
飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。ところが、年々、
体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。
・これを飲み始めると、身体の方が待ってましたという感覚。還暦から10年、
明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。
50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢
になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の
ノコギリヤシサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。
老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。
それより節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因かも。
――
2011/02/28
3626, デトックス
  ーまず「デトックス」を、ネット辞書で調べるとー
【「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、
 余分なミネラルなどを取り除く健康法。 体調がよくなる、肌が若返る、
生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。
従来の健康法はサプリメントなどによって足りない栄養素を補うという
足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。
人間の体内には、食品や水道水などを通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが
細胞のタンパク質などとくっついて蓄積されており、これらはわずかな量でも
体に悪影響を及ぼすことが、最近の研究でわかっている。 脂肪を分解する
酵素の働きを妨げるため、ダイエットがしにくくなることも指摘されており、
これらを体内にためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要が
あるという。ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラル
が体内に取り込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー
ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。
肝臓の解毒力を高める亜鉛やセレンを含む緑黄色野菜などを組み合わせて、
取り込まれた毒素を排出するのが効果的である。また、不要な成分を取り除く
デトックスサプリメント」も発売されている。 】
 ー以上だが、これと別の話になるが、活性酸素が人間に溜まると、病気を
誘発する。冬を除いて毎日散歩を続けているが、雨などで数日休んだ後に、
久々に歩くと身体全体に溜まった毒素が体外に排出していく感じする。
これが身体に溜まった活性酸素の排出か?と思ったことしばしば。 
 身体に新鮮な酸素を入れると血液が洗われる。またストレスも毒素になる。
知らないうちに溜込むと病気を誘導する。毒を入れないことと、溜めないこと。
 インスタントや冷凍食品の防腐剤、そして米や野菜にふりかけられた防虫剤
などが長年にかけ我々の身体に蓄積されている。体内の毒素のデットストック
デトックスするということ。私もデトックスサブリメントとして二種類の
酵素を飲み続けている。 とはいえ、毒はたっぷり溜まっているのだろう。
子供時代はインスタント食品や、防虫剤がふりかけられた米・野菜は無かった
ので 良かったが、団塊世代の後の世代の人たちは、これから後遺症が出て
くるはず。だから、この言葉が注目されているのである。

――
2007/06/15
2264, 閑話小題
 ー都銀の地方攻勢が始まったー
 ーまた、中学校の同級会?-
   
  ーサプリメント依存症ー
依存症に「サプリメント依存症」というのもあるという。
私の場合、数種類のサプリメントを飲んでいる。
20年以上続けているのが、「ハイ・ゲンキ」(粒状の玄米酵素)と、
「ヤクルト」をベースに、他に一種類を意識的に替えて飲んでいる。
今は「酵素元」というもので、その前がアガリスク、そしてプロポリスなど。
次は、もう買ってあるが、サントリーの「セサミン」で二周り目。
したがって、常に三種類のサプリメントを飲んでいることになる。
サプリメントを飲む習慣も一種の依存症になるのだろうが、
確かに体内の毒消しになっている。
普段、節制ある食生活を送っていれば別に飲む必要はないが・・・