* 日産とルノーの合併話が遠因?
 家内が昨日の朝、「昨夜のTVで、日産とルノーの合併話があって、それを阻止
するためのクーデターと報じていたよ!」と宣う。そこでネット検索をすると、
以下なるネットニュースがあった。
≪  ☆ ゴーン会長が日産・ルノーの合併を検討 FT報道
英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は20日日産自動車会長と仏ルノー会長
最高経営責任者(CEO)を務めるカルロス・ゴーン容疑者が両社の経営統合
計画していたと報じた。日産側の経営陣は強く反対していたといい、ゴーン会長
の逮捕劇の背景に日産の経営を巡る内部闘争があったと示唆した。
 複数の関係者がFTに対して明らかにしたとしている統合は、ゴーン会長が強く
推進し、反対する日産経営陣は「数カ月以内」に実現する可能性があるとみて
いたという。相互に株式を持ち合う日産とルノーの統合は、日産を影響下に置き
たい仏政府がかねて望んでいたとされる。 三菱自動車を含む3社連合の形を
ゴーン会長に頼らない体制にするためだ。ゴーン会長も6月のルノー株主総会
「私の任期終了までに企業連合の持続性に疑問が出ないようにする」などと
発言していた。これに対して日産側は仏政府による経営介入などを警戒し、独立
したままの資本関係の維持を望んでおり、水面下の駆け引きが続いていた。≫

▼ ルノーの経営会議で、ゴーンの解任は延期されたが、この事情であれば然り。
 水面下ではフランスと激しい遣り取りがあったのだろう。世界を揺るがす御家
騒動になるが… ドロドロした内情が噴きだしてきた。ゴーンのスキャンダルも
事実で、合併が差し迫った現在、自分たちの身分が危なくなる現経営者の策謀も
事実としたら、さて如何なることか?ルノーが43%の日産株を所持に対し、
日産は15%というから、資本の論理からすると、絶対的にルノーが有利になる
のは周知のはず。 その後のルノーの臨時取締役会で解任されなかった、という
ことは、フランス政府がゴーン解任に反対したため?とすると、早々、日産の
現社長の辞任? フランスから猛抗議を受けた政府の圧力で、検察が、ゴーンを
釈放し、合併を推し進めるのか、映画を地にいくバトルに? ここにアメ車の
フォード、GMの要請を受けたトランプがアメリカ第一主義から、ルノーの力を
削ぐため、日本に圧力をかけるだろうから、日仏米間の政治問題も絡んで何とも
複雑な問題。 レバノンの難民の父を持って、世界を渡り歩いた中で、学び、
働き、勝抜いてきた筋金入りのゴーン。このまま、済むわけがない。
 まさに生中継のハリウッド映画のようで、見もの。フリーのライターが
色いろホジクリ返すのだろうが… 検察に対して、弱みを持つ?安倍首相。
何を思って夜を過ごしているのやら! 私が日産の社長で、免責条件で、
ゴーンの不正告発を突きつけられたら、連犯の逮捕より、寝返るしかない! 
 やはり、何処かで死人が出るほどの、生々しい事件とみてよいのでは!
フランスの秘密警察は、陰湿で強力という。

・・・・・・
5365,世間、社会、会社の意味とは ー�
2015年11月22日(日)
         ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門
   * 世間の中で、もまれて大人になる日本人
 学生時代の専攻が社会学。それに影響されてか、社会科学に興味を持って、
以来40数年、その系統の本を読み続けてきた。そこに当然、身近な『世間』
なるものの正体に興味を持つことになり、手当り次第に読んできた。
その世間、社会の色取りが面白いからこそ、続けてこられた。特に日本人は、
『世間教』たる宗教めいた神様が存在して、それに大きく左右されて、
『世間馬鹿』(いま、思いついた言葉)になってしまい、人生の黄昏頃に、
その壁に気づき、自ら涙する。その世間を、否定をしないで、真正面から
捉えたのが、この本である。ーはじめにーの、「世間」「社会」「会社」
の定義が、的を得ている。まずは、その辺りを抜粋。  
≪ 日本には昔から「世間」という言葉がありました。
 「世間知らず」
 「世間の笑い者になるぞ」
 「世間は広い」
・世間とは個々の人が作った集団ですが、それは具象的というか、私たちが
日常接する人々とつくるつきあい、そして、その延長である知人のまた知人、
というふうに範囲を広めていった未知の人をも含めた集団といえる。
あくまでも、現実の人間関係の延長がつくる人間関係です。
 人は成長するに従って次第に複雑な人間関係を持つようになり、やがて
未知の人をも含めた集まりが存在していることを知るようになります。
 それが世間であり、大人になるということは、そういう世間で生きるための
常識が備わってくること、いや、積極的に世間を知ろうとすることが成長する
ことの意味なのでしょう。世間を前にすると、個々の人間は弱い存在です。
そのルールには従わなければならないし、ルールの担い手になることさえ、
周囲の人々に期待される場面もあります。世間の掟というのは、法律のように
個人を強制するものではないにしても、世間の暗黙のルールを破ると、物事が
スムーズに運びません。
 「世間知らず」とは、そういう世間の暗黙のルールが身についていない人の
ことであり、「世間は広い」という言葉には、暗黙のルールだと信じていたもの
のほかに意外なルールがあって、それに従って生きている人々がいることを
知った驚きが込められています。
・「世間」によく似た言葉に「社会」があります。学生のころ、社会学の講義
で、明治のはじめに英語の「ソサエティ」を訳すに当たり、当初、「会社」と
した場合もあったが、やがて「社会」に落ちついたと教えられました。
しめすへん「社」という漢字の左側の部分は「示偏」で、これは神を祭る祭壇を
表すと聞いた覚えがあります。そして、右側の部分をなす土という字です。
つまり、「社」という字は土の上に神を祭る祭壇を作ることで、「会」という
字は人々が集まることです。「社会」という単語には、まず祭壇があって、
そこに集まる人々がいる。つまり、共通の神があり、それを承認する人の集団
が社会なのです。
・そして、「会社」は、「社会」の漢字の順序を変えただけ。しかし日本語の
「会社」の場合は、まずある目的があり、それを達成するために人々が作った
かなり人為的な組織ということになります。たとえば紡績会社なら、織物の
生産を目的に、金と技術と意欲を提供して集まった人たちの組織ということに
なります。それに対して「社会」は、自然発生的で人間が知的にその存在を
認めた組織ということになりましょう。そうやって考えると、「社会」と
いう言葉は、あくまでも知的な認識というか、人にとっての個々の知人関係
などがつくる人間関係とは、一応は無縁な言葉ということになるでしょう。≫
▼ ウィキペディアによると、{社会とは、人間と人間のあらゆる関係を指す。
 社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括
する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する
社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を
観察する。}とある。「世間」が身近な人間関係の広がりに対して、「社会」は
その範囲が広く、社会契約を含めた、構造と、その構成要素をいう。人生を
考えるとき、「世間」たる化け物を、見据えておかないと、その一員に陥る
はめになる。それを避けるには、長年かけた教養が必要になる。

・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして
なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として
ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの
パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの
出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」
と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、
はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に
なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。   ーまずは初回からー
・・・・・・
6097,閑話小題 〜先日、信濃川土手の公園で
2017年11月22日(水)
   * 早朝の土手の公園にて
 10日程前になるが、8年以上続けている早朝のポタリング(チャリ散歩)の
信濃川の土手でのこと。年齢が20〜60歳位の男10数人と、若い女性が集まって、
それぞれ押し黙ってスマートフォンを見ている。異様といえば異様だ。通り
過ぎてから、これが流行りの「ポケモンGO」かと。早朝の寒空の中で、何か
しら違和感があった。そこで、HPの『Pokémon GO』を開くと、何が何だか? 
参加する前に、ガラケイからスマフォに切替える必要があるか。私には、そこ
まで興味がわかない。嵌りこんだら、面白いのだろうが。
――
  * 晩秋の土日・祭日は「スポーツ観戦」漬け
 スポーツの秋の時節。相撲が開幕すると、土日、祭日は「スポーツ観戦」
漬けになる。実際の運動はジム、試合はTV観戦が主だが。先週の日曜から
「大相撲・九州場所」が始まり、月初には同時間帯に「全日本極真空手道大会」
と、「全日本柔道体重別選手権」が行われたため、3つ同時のTV観戦に相成った。
年に一度の日本一をかけた一発勝負が何とも新鮮。土日は、録り溜の300本前後
の中から厳選をした数本を見るため、寝室のTV前で終日、過ごすことに。
それが、全く飽きがこないから、始末が悪い完全オタク。ブルーレイの録画枠が
一杯になったため、最近始めたのが、記憶媒体へのダビングの移行。一枚40円の
ブルーレイに4〜5本が可能。 世界の自然紀行モノや、美術館モノをダビングし、
新たな録画用の枠を空けている。が、面白そうな映画が次々に放映され、録画に
相成る。 これに書斎コーナーのPCのデスクに4時間は座る。居間は気分転換
の場で、家内の敵陣?にキマリワルソウに鎮座。ガラス戸の向こうから、唯一
味方のインコが、親しげに鳴きかけてくる。そして日々が稲妻のごとく、瞬く間
に過ぎ去っていく。この凡々の生活も悪くはないが! 際モノ生活?はもういい。
・・・・・・
5730,閑話小題 〜トランプ劇場の憂鬱
2016年11月22日(火)
   *トランプに、ハネムーン期間はなし
 アメリカ新大統領の政権移管期に報道の「ハネムーン期間」
があったはずと、ネット検索をすると・・
【「ハネムーン期間」とは、近代の民主主義政治において、政権交代後の
 新政権の最初の100日間のことを指す。発足直後の新政権は一般的に高い
支持率を示す傾向があり、新政権の最初の100日と国民・マスメディアの関係
を新婚期(蜜月)の夫婦になぞらえて名付けられた。アメリカ合衆国では
報道機関のみならず野党も、この100日間は新政権に対する批判や性急な評価を
避ける紳士協定がある。】とあった。
 
―今回の選挙は、売名のための実業家泡沫候補が捨身で、人口の66%を
占める白人、特に中下層白人の不満を煽った結果の前代未聞の勝利だった。
これがアメリカの本音である。
 選挙終了直後から、デモが頻発することなど、考えられない事態である。
それも、趣味の悪い悪役スターとしか思えない家族も露出した。これでは、
スキャンダルが絶えなく続くことになる。 韓国現大統領の末路と、近未来の
トランプの先行きを重ねみることが出来る。
 マスコミも、国民も、「ハネムーン期間」を祝う空気は全くない。
米国内の経済シンジケートは、組しやすいと踏んだようだが、ゲルマン人の、
有色人種への差別は想像を絶するほどである。まず、隷属国家の日本の扱い。
仮想敵国の中国との取引材料として、どう扱ってくるか。
 中国が常々、アメリカに提案していた、<アジアは中国に、アメリカ大陸は
アメリカに!>の、裏の秘密協定を結ばない保障ない。逆に言えば、日本が
真の独立を果たす機会である。
 この状況は20世紀初頭から中ばの情勢に酷似している。平和憲法をあてがわれ
70年余り、最小のトラブルで、何とかきたが、大統領選の思わないフロックで、
それも終わろうとしている。天気晴朗なれど波高し。その先には暴風の可能性
がある。まずはオリンピック開催と、トランプの引退まで、安倍で?何とか!
 歴史は繰り返す。このミュージアムが、もしか私の終末の心象風景? 娑婆!
――
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7〜8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は
23000歩 は歩く。気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、
呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。趣味をとうりすぎてライフ
ワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、
上には上があるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。−>
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)�早朝(4時半〜5時半)起床 
�近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事�風呂
と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経を
となえる。この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦
してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年5月】

つれづれに

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 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
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 この時節には、必ず重い腰痛が出るが、11月の当初、少し重くなり
かけたが、何とか持ちこたえた。一番悪いのが冷え。7年近くヨガの
ストレッチで、何とか騙し騙し、持ちこたえている。






・・・・・・
・・・・・・

3528, 死に至る地球経済  ー3
2010年11月22日(月)

  * トリフィンのジレンマ
 この著書で基軸通貨国のジレンマを紹介している。 ロバート.トリフィンというベルギー人の学者が、
流動性ジレンマ」と名づけ、以下のようなジレンマ「トリフィンのジレンマ」を見事に例えている。
 ーその内容は次の通りだ。
≪「基軸通貨というものは、世界で幅広く使われるのであるから、潤沢に出回ってもらわなければ困る。
供給不足は禁物だ。だが、あまり出回り過ぎると値打ちが落ちる。基軸通貨たるもの、値打ちが下がった
のでは、そもそも基軸通貨としての基盤が揺らぐから、これも禁物だ。要するに基軸通貨は希少価値がある
と同時に流動性が十分でなければならない。希少性と流動性を同時に満足させることは極めて難しい。
これがブレトンウッズ体制下のドルにつきまとうジレンマだ。」 トリフィンはこのジレンマを
ブレトンウッズ体制の構造欠陥だと批判したのである。トルフィン流に考えれば、基軸通貨とは要するに
人気歌手のようなものだ。人気があるという人気が高いということは、希少価値が高いということだ。
だが、人気に任せて彼方此方に出すぎると、飽きられ人気が落ちる。さりとて、あまり希少価値にこだわって
自重していると、出し惜しみで顰蹙を買う。人気稼業の難しさは人も通貨も変わりない。希少価値と流動性
同時たっせい。基軸通貨国には、この至難の技が義務付けられる。この両立不可能なことの両立を求められる、
これぞまさしく基軸通貨国家に課せられた呪いに他ならない。≫
 ~ とはいえ、基軸通貨国だけで、紙切れの紙幣を刷っただけで世界中のモノが入ってくるのだから、
維持のためには何でもするのは当然である。そのアメリカのドルによる基軸通貨体制が崩れようとして
いるのが現在の世界。冷戦の終了と同時に共産圏が自由貿易圏に変わり、その広がりが増えたことが、
20年近くドル基軸を保つことができた。しかし、リーマン・ショック以降、それが崩壊を始まり、
混迷を深めている。
 
  ・・・・・・・・・
3153, ラ行の受身形 ー2
2009年11月22日(日)
 ー まずは前回の続きの部分より ー
妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。私の鳩尾(みぞうち)から喉に
向かって稲妻のように熱いものが走ったかと思うと、それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は
言葉では譬えようのない至福感の中にいた。あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた
気持ちであの世へ向かっています 」という妻からのメッセージではなかったかと、今になってそう思う
のである。もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。
「 がんに殺されたと思う? 」、「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを
学ばしていただきました。ありがとうございます 」  「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応える
かもしれない。そして最後に「あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、
微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。
 ~~
こういうのは、本人しかできない不思議な体験。「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」
というのが、チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。
身近な故人とは、色いろの魂の邂逅があるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。
 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、
あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅と、似ている。 思いは、言葉で作られ、
そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。
気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。
〔こん畜生め!〕は、やめとこう。 言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、
ありがとう」を加えれば、気が楽になる。  歳をとった暗い顔だけは、なりたくないもの。 
・・・・・・・・
2788, 平心庵日記
2008年11月22日(土)
「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で
読んでいる。これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考え
させられる内容である。明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)
の心の交流を、大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本。
当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がもの静かに書かれている。
「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者
だが、政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、
現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評に
あるが、成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、茶の湯や美術関係の人
には、よく知られているという。両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、
茶席に同席させられたこともあり、何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 
これを読んでいて気づいたが、両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、
現在も近寄れない。しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 
    ーーーー    
   「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生
 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。
   「大正14年  元旦」
 ・・・五時頃より国民年中行事正月のところをよみ 六時頃若水をくみ洗面仏前にて礼拝 
再建のわが家にもはじめて年を迎ふることとてうれしく勇む心しきりなり 長女千蔭 十二歳
次女みゆき 十歳 長男道生(筆者)六歳となる 道生をつれて海岸に初日の出拝みにゆく
今しがた水平線を倣なれて一、二尺、開運をいのるよりも安穏をいのる心先なるがこの頃の傾きなり 銀盃
にて屠蘇いはひ 雑煮いはふ 列席者塾生を含めて十三名と震災後迷ひ込みし三毛猫一匹昨年より着手したる
漢文学選中国の部大略終りたれば昨日より年表をつくりつつあり今日も百科大辞典みてすこし調べたる後、
二宮神社に参詣 小峯公園に遊びて皆と別かれ益田邸に御年首に行く邸内にて御主人の迎へに来たらるるに
遇ひ静江(平心庵の妻ー筆者註)をも 自動車にて呼ばれ茶と御料理賜はる お手製の茶碗 珍品そろひの
御料理うどの生など結構なりき」「大正14年  6月8日」
 五時半起床 便所掃除 朝礼。朝食。文学史万葉の歌例のところ講義。外来患者60人許。
益田大人より朝 お使ひあり。四時半頃自動車のお迎へいただき五時頃行く。わびたる田舎家風の
寄り付き。為楽庵にて初座。敦盛草とえぞまんてんの花の下にて懐石。後座 大燈国師の手紙,茶碗ととや 
濃茶銘 松の華…」 真摯な開業医としの生き方が淡々とした日記のなかクッキリと浮かんでくる。 
 ーー
 これを読んでいて、やはり両親の趣味だった、茶道を30歳辺りから入るべきだった。それなりの子供の時
からの下地があったのだから。 私が求めるのは、それだったのである。何か人生で足りないものは、求道
だったようだ。しかし、ある程度の金と、教養がないと出来ない遊びの世界。昔の社交の場だったのだろう。
 ・・・・・・・・・
 2007年11月22日(木)
2423, 夢のようなホントの話                           
 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
週刊誌を何気なく読んでいたら面白い話があったので、紹介しよう。作家の高橋三千綱のミニ・エッセー
だが、引き込まれる内容である。こういうことが実際にあるのだろうし、また逆のこともあるはずだ。 
その分岐点は、その人が持っている人間性である。
 ーまずは、その部分から
南カリフォルニアのラ.コスタに滞在していた、ある年の夏のことである。
・・ホテルのラウンジバーで飲んでいると、いつのまにか人の輪の中に紛れ込んでいた。
話題がラスベガスの話になったので、その頃人気のあったマジックショーを見たいものと私が言った。
時刻は午前一時を回っていた。どうやらホテルのマネージャーを呼び出しているらしい。
相当酔っているな、と私はあきれていたのだが、四日後にはラスベガス空港に降り立っていて、しかも
リムジンが待っていた。それから私は、夢のような3日間を過ごした。部屋はスイートで寝室がふたつあり、
バーも広い談話室もついていた。最前列で見るマジッグショーは迫力満点で、目の前で巨大な像が消えた。
ホテルでは私専用の女性秘書をつけてくれて、あらゆる用事を彼女がやってくれた。その全でが大男の招待
だった。カジノでも私はつきについた。一体、あの男は何者なのだ、と秘書に訊くと、ニューヨークの
大富豪で、有名なプロデューサーでもあるという。何も知らなかったの?と驚く彼女を見ながら、こんな話
をしても誰も信じないだろうな、と私は思っていた。
ーー
大金持の酔っ払い世界に紛れ込んだということだ。その大男からみたら「気分が良かったのでしてあげた」
だけのこと。2~300万の宝クジに当たったレベルの話でしかないが、それでも庶民感覚とは、
かけ離れた世界の一端を、垣間みた話である。       ☆bye-bye☆ε(*゜ω^*)
・・・・・・・・
2006年11月22日(水)
2059, あたりまえなことばかり -13
    (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
ここでは、深い哲学のサワリを解りやすく書いてある。我われは「観念としての死」に、今まで取り
付かれてきた。そして物理的な時間軸を生から死へと一直線の前方に向け生きてきた。ところがそれは
違うというから、面食らってしまう。「永遠として直感される瞬間とは、それ自体で生死を越えて、生死を
飲み込んで今ーこの瞬間に立ち上がる!」ということは、人生の深い経験をしてこそ実感できるのである。
経験の裏づけがないと、言葉の言い回し位としてしか理解できないだろう。 いや、鋭いのは解るか?
その瞬間の「永遠」は、死後にあるのではない、生の真っ只中に垂直に立ち上がる。
(感動、歓喜の中で)著者の池田晶子の、その瞬間が以下の文章に立ち上がっている。
仏教でいう、悟り、覚醒感がそのまま伝わってくる内容だ。
 --------ーーーー
*死ぬのは不幸なことなのか ー?
 ------------
死は、恐るべき避けるべき事柄と、深く思い込んでいる。転倒した生存本能としての死の恐怖は、人生の孝、
不幸を量るわかりやすい目安とも化し、観念と現実からも判然としないまま、今も岩のように人類を縛り
付けている。死は、恐れるべきものではなく、あるいは祝福すべきこと、喜ばしきことなのかも知れない、
という可能性である。これは死は恐ろしいもの、と言う可能性と同じく、その論拠は無い。それを恐れと
して、喜びとしての「死後」を提示することで答えようとする宗教とは哲学は違う。あくまでも「死後」を
語っているのは、生きている人だけである。永遠として直感される瞬間とは、そのこと自体で生死を越えている。
あるいは、すべての生死を飲み込んで、今である。考える精神として、一直線に前方へと流れる物理的時間塾
から垂直に立ち上がる時、人は自分が肉体として生き死ぬ自分でない存在であることを知る。生きているか
死んでいるかが、なぜ今さら問題であり得るのだろうか。すべては永遠に存在し、永遠に生成する。
今この瞬間に直感されるそれは、したがって、「死後」ではない。死後などない。死後は死後に存在する
のではない。 生の真っ只中においてこそ、それは永遠の時間として知られるものなのである。ギリシャ
たちが、肉体を墓場であると呼んだことの背後には、このような確信が存在している。精神でありながら、
同時に肉体である我われが、永遠の存在であると同時に死するべき存在である。しかし、死への恐怖に衝き
動かされながら、直線時間軸上をよろめきながら歩いているという惨めな表象が錯覚であるとしたら,逆に
肉体こそ死後であろう。 したがって、肉体が死ぬということは、本来の「生」、すなわち永遠的存在への
開放に他ならない。死ぬということは、精神の再びの誕生として、祝福すべきことでなかろうか。 
だからと言って、死すべき肉体を粗末に扱うということにはならない。摂食、生殖、快楽の意味、幸福の
源泉であることで不幸の源泉でもあるところの肉体を、精神がどのように扱うか、それが肉体によるこの生を、
われわれが経験していることの意味だからである。この生で幸福になるのでなければ、どの生で幸福に
なることができるのだろう。
(字数の関係でカット 2010年11月22日)
・・・・・・・・
2005年11月22日(火)
1694, 「官から民への流れ」の一現象
 選挙の自民大勝を受けて本格的に小さな政府に向けての動きが本格的になってきた。
まずは政府系の金融機関の大鉈がふるわれることになった。中小・零細企業は大きな岐路に立たされる。    
ところで身近でも、面白い動きが出てきた。求人を出していたところ、『財団法人・雇用能力開発機構
センター』という所より連絡が入った。国から、雇用を促進するために委託をうけた独立行政法人という。
雇用保険を受けている人で、ある職業を希望している人の仕事を
・三ヶ月間、希望先で実習・訓練して、互いに合格すれば入社をする。お互いに不一致でも、
 本人の職業訓練になる。   
・その期間、求人側は採用不採用に関わらず約2万5千円を補助してもらえる。    
 求職者も雇用保険を貰いながら、一日500円の日当が支払われる。
・パート、準社員の求人でも雇用保険社会保険が支払われれば適用範囲になる。         
 解りやすくいえば、今までの丸抱えの職業訓練を、「一日500円払うから、就職の適正を互いに
見合うという条件で現場で教えてくれないか」という仕組みである。よく考えたものだ。採用する方も
三ヶ月という期間、雇用保険社会保険を支払わないで済むというメリットがある。 三者両得という
理屈に合った仕組みである。現在、職安に行くと30台ほどのパソコンが並んでいて、求職者で満杯で、
一昔前の様子と様変わりという。全く求人する方も求職する方も、世知辛い世の中になったものである。
考えてみれば当たり前のことでしかない!  
                          ーつづく        
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 2004年11月22日(月)
1329, 教養と自由とバカの壁
「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、昨日の読書日記で書いた。
そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー)
そこでは、自由について
・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、
・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。教養とは、
「真に自分がやりたいことを見つけ実施していくために蓄積し、知識、経験を芸にまで高めておくこと」
である。また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。
「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が「バカの壁」と名づけたが、情報を遮断
している小さな固定観念を一つずつクリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。
自由とは、選択の自由である。多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。これは非常
に難しいことである。そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。 
そこに哲学が必要になってくる。教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、
その壁を土台にすること、そして乗り越えるのに必要になる。話は少し変わるが、「英語をマスターする
ことも教養のうちか?」と、問われれば勿論教養のうちだ。英語を話せる分、読める分、それだけ自由の
枠が広がる。特に英語は、現在世界の標準語になっているから。
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2004/05/17
1140, 自由についてー1
学生時代より『自由とは何』を考えてきた。そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のしたいことをみつけ、それを追及することであった。
自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている状態を理想としてきた。
調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。手の自由といっても、所詮は人間の体の一部と
しての腕の範囲内の自由でしかない。といって使い方は自由である。また自由には、当然の責任がともなって
くる。アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという意味での自由」
ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」と捉えられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
 (字数の関係でカット 2009年11月22日)
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2004/05/19
1142, 自由について -2
 (字数の関係でカット 2007年11月22日)
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ある時間の断片
11月22日(金) ー1968年
・8時起床  今日は人事管理に出席。 ゼミの同期の外山君と食事。彼は新潟の三条市の同郷だ。
 おとなしく誠実な男だ。彼と行きつけの喫茶店の‘ウイーン’に行く。田島のグループがいる。
 彼らと口泡を飛ばして話し合う。奥野君も来る、彼は先日突然部屋に訪ねてきた男だ。
・13時にゼミに参加。 ゼミの先輩で社会人になっている人が二人がきて、社会人になった実感を語る。
 その後マクレガー「企業の人間的側面」という本の内容について、読後感を各自発表する。15時に終了。
 その後、16時まで明日のゼミのOB会のネームのバッジつくりをする。
・帰寮後、大妻大の宮本さんから電話で昨日の件で1人いい人を紹介するという。
 かなりの美人だとか。 冗談だったのに、まあいいや、なるようになるだろう。
・その後、市川さんと飲みにいく。 夜半の2時に就寝する。