魂と霊は深いところで関係がある。魂といえば、全身全霊を対象に打込んだ
時に『魂を込める』という。意識・無意識の無意識の分野に夢の世界がある。
眠りの世界に永遠の眠りがある。我々は数限りない死者(霊)、永遠の眠りに
入った霊魂に囲まれて生きている。その上に、生霊も… 
【魂】のキーワードでHP内検索をすると、これまで多く書いていた。
これは知れば知るほど面白くて深い世界。世界は計りしれない、広く深い。
私たちは、その一端をなぞっているだけ。
 霊・魂から、外界(世界認識)の話になるが、
<『哲学人』ブライアン・マギー著>に…
《 果てしない時間と果てしない空間は、それゆえに所与のものではなく、
 経験される現実でもない。では、この二つはどんなものか? この疑問に
対して、カントーショーペンハウアーの考えでは、<私たちが経験する時間と
経験は私たちの感性の形式であり、時間と空間が経験の次元として現れるのは、
感性という能力の内においてである。経験がなければ、時間と空間には手がかり
になる、特徴づける対象になるものは何もない。これが、どれほど直感に反して
いるか私は承知している。… 》
 とすると、たびたび、事例に出す洞窟、外界は、私の感性の世界であり、
これが、私の範囲でしかないことが自覚できる。
心理の話から、急に哲学の話になってしまったが、ソクラテスの「無知の知」と、
「魂」に通じるためである。 通り過ぎた時間の中の、文章の中に、様々な心理
状態がべられている。私たちは、世界の一端さえも見ていないことを知るべきだ。
ほぼ何にも知らないで、何にもしないで死んでいく。所詮、限界がある!
 
 ◉ 追文:少々キツイが、書き残しておくと、我ながら面白いが、底の浅さと、
  限界に直面する。今さらだが… 私には必要条件。 それも必要悪!

・・・・・・
2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
2008年09月06日(土)
 何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きをリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロス、立花隆臨死体験などの本を読み、その経験
の意味を知った。ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発した
ゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、これ装着すると万人が体外離脱できる
という。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上やって
いて、その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激
すると、体外離脱がおこることを発見した。これで体外離脱した意識が、遠くの
ものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体をジャックしたイメージも
起こるという。これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気
で脳を刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。体外離脱とは、脳の中の幻覚
ではなく、アストラル体のような意識が、抜け出している状態ともいわれる。
実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。それまで
一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者
は誰にでも体験できるようにする。何年もしないうちに、家電店頭で並ぶかも。 
これを被って気が向いたら幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー
波を発生させる器械を買ったことがあった。またマリファナを吸ったと同じ気分に
なるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分の状態になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを
被っても、私の経験した幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。色いろな状況の
中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから神秘的なのであって、ヘッドギアの
器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。
前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。「自分の身体が突然に
フワフワ空に向かって上昇して、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。
夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、我に返った。ところが、そこは飛行機
の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、その遥か上を猛スピードで移動している。 
そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」
身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になる
のでは? 絶叫をしそうになったが、ギリギリ抑えることができた。
人間は大地の上で生きているのである。 死ぬと、大地から離れるのである。
幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、
自分が外に出ている間に、動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。 
オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、ヘッドギアをしている信者の
姿を見かけたが、あれがゴッドヘッドだったのか? 集団維持の手法や典型的カルト
の教え否定されるべきだが、宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、
なるほどと感心する。脳はまだまだ未知の世界である。脳は3?しか使われておらず、
10?も使えば天才になれるという。神様(自然)は何を脳にさせよとしたのだろう。
我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて5〜6?を使えるように
すればよい筈だが?

・・・・・・
2018/04/24
閑話小題 〜死のむこうには?
     <魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く
                         奥野 修司 (著)>
   * 霊的なものは身体や脳という物質を介さなければ…
 霊的な世界を簡潔に説明している個所である。霊感に関しては体質の問題で、
全く霊体験をしたり、持ったことのない人には、解りようがない。何度か経験
してきたが、現在は薄れている。私は父親の霊?が、10年近く体質化して心底に
あり、不思議な現象を度々、経験をしていた。孫のようにように幼児の頃から、
愛され育ったこともあり、元もと、脳内などに染み込んでいたことも…
それにしても、死ぬまでの、生への渇望のエネルギーには、驚いてしまった。
 丁度、27歳、起業へのジャンプ台から飛び出すに、このエネルギーが、その
まま原動力になっていた。 
以下は佐伯啓恩の『反・幸福論』のー死後の世界と生命についてーの一節。
≪ 実際、この宇宙にはまだとらえられてない、不可思議なエネルギーが存在
 するようで、それどころか、宇宙を構成している物質の殆は未知のエネルギー
とか、物質だか、正体を知りえないものだという。そこで仮にそうした霊的
エネルギーが存在するとしましょう。それでもそれが人間の精神を形つくると
するには、やはり人間の身体や脳という物質がなければなりません。そうで
なければ、この不定形で停泊場所をもたない宇宙的なエネルギーが我々の
意識や精神になるとは思えません。仮に人間のうちに霊的なもの、つまり、
「精神」と呼ぶようなものがあるとしても、それは、物的な身体性と不可視
の霊的エネルギーの結合というほかないでしょう。とすれば、身体が消えれば
意識も精神も消えてしまう。それは宇宙に拡散して存在するかも知れません。
しかし、それは「私の霊」ではないでしょう。「私」がないのだから「私の霊」
などというのはありません。
 …確かに死ねば何もなくなるかもしれないが、『魂でもいいから、そばにいて
─3・11後の霊体験を聞く』奥野 修司 (著)という本がある。東日本大震災
後に、多くの霊的現象や体験が報告されている。その聞き込み取材を行った
著者によって、多くの事例が紹介されている。… これらの全てが錯覚だと
いう勇気がないが、少なくとも、地震津波で身内を失った多くの人達が、
何か説明のつかない体験をしたと信じていることは事実であり、しかも、
多くの場合、その霊的体験によって、残された家族が多分に安らかになった
という事例を読めば、そのことに疑いをさしはさむ必要もありません。≫

▼ 具体的な霊的現象の記述を、ここで数限りなく書いてきた。霊体質とか、
 霊的経験のない人からみれば、『いい歳をして、馬鹿か?』でしかない。
脳内現象では割切れないことは、世界には現にある。
 兎にも角にも、以下の内容を… 

・・・・・・
[204] 霊体質ー3
 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、考えられない遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができ
  その下を通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」を
  したときの事。丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを
  趣味としていた。その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。

                      • -

S6201霊的体験
私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと
十日町の彼の家へおまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと
般若心経の話になりました。 そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さん
の顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さん
の話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確率で
彼女の家の前に車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を
“B”さんが通って知っていたのです。私がそこに“偶然”(?)車をとめて
しまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられ
ないという風でした。私自身またかというのが実感でした。 その日一日
“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとっていた。
ーーーー
霊的体験‐                 
平成4年7月
 20年近く前になるが、父の四九日の終わるまで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー
 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、再び書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。
ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、
その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが
虹が出たのは勿論はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる
従兄が自死した時のある現象。 納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の
花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が
偶然に一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。
地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

・・・・・・
H0511妙な夢―(?)  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団
に入る。ところが、ところが、自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)
である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と
音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数回してみたが、
しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象が
あるそうです。
・・・・・・
H0511妙な夢―(?)  
秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かのケハイに横を見ると
女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、
メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、
のっぺら美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと
憶えている。ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、
“それってみんな同じ顔をしているんだよね!“といわれた時、はじめて
ゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと
中断した。あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも
乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた
のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。

つれづれに

イメージ 1

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 他のブログ
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 ドラフト会議、見ていて面白かった。
現場に立ってないためか原監督、何か大きくづれている。
来年以降、このヅレが大変なことになる。

・・・・・・
・・・・・・

6070,閑話小題 ~割合で理解する法則 ~3
2017年10月26日(木)

   ● 自然界にある美しいデザインの法則
≪ 身の周りに存在する美しく普遍的なデザイン。そこには美しく感じさせる
 数学的法則「黄金比」の法則がある。この黄金比に基づいた形が最も美しいと
言われています。黄金比=1:1.618の比率がもっとも美しい比率といわれる。
 なぜ黄金比には美しいと感じさせるバランスがあるのでしょう?
一つの解釈としては、『自然界のDNAに組み込まれている比率』のようだ。
黄金比とは、2,000年以上の昔、紀元前3世紀頃に活躍した数学者、ユークリッド
が定義したとされる。この黄金比を自然界に存在する法則として数式化したのは、
イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチです。
 バランスのよい縦横比
デザイン的に「見やすい」または「美しい」とされる縦横比。
 ・1 : 1.4 日本建築やハガキ・用紙サイズに用いられる白銀比
 ・1 : 1.6(または5:8)名刺などに用いられる「最も美しい比」とされる比
 ・3 : 2 フィルムカメラで使われる伝統的な縦横比
 ・4:3 PC のディスプレイやアナログテレビの縦横比
 ・16:9 デジタルテレビのハイビジョン映像で使われる縦横比
 ・1:1 正方形  ≫

◎ 正方形、円形、球状など、自然の摂理、バランスの結果だろう。
 認識するかしないかもある… その自然界のことすら殆ど分かってない。
何をしに地球に遊びに来ていることさえも。<で、何しに来たんだ私は?>
――
  
   ●顔の黄金律
 顔の黄金比に必要なポイントのひとつは顔全体のバランス。
 このバランス比率は3つの条件で成り立ちつ。
1.「前髪の生え際から眉間まで」「眉間から鼻の下まで」
「鼻の下からアゴの先まで」 それぞれの比率が1:1:1
2.「目の横幅」の5倍が「顔の横幅」になる
3.「顔の横幅」と「顔の縦の長さ」が1:1.46になる
 
◎ 化ける方も必死。何ごともバランス。そのバランスをとるのが、化粧で
 あり、TPOSでの服飾のバランス。 人は自己満足でしか生きられない動物。
 「自己満足も、ほどほどに」だが、他に手立てはないから始末が悪い!
追)ブログ自体が、そう。 毎日毎日、自己満足で分かったふりをして…
 で、これも偶然、以下の文脈に続いていく。

・・・・・・
5703,つれづれに哲学 ~限界状況 
2016年10月26日(水)
  * ヤスパースの、『限界状況』
 人生には誰もが「山あり谷あり」「晴れの日も、雨の日」もある。
節目には極限を遥かに超えるような事象が嵐のように、押し寄せてくる。
そして、最期に、まさか自分にという『死』が、覆い被さってくる。
それまでの日常では有り得ないような、心の苦悩と、肉体的苦痛が・・ 
その前の猶予期間の極限状況に、孤独と挫折を味わうことになる。 
  ~ネットで、『限界状況』を検索すると~
ハイデッガーの”ライバル”の哲学者に、ドイツのカール・ヤスパース
(1883~1969年)がいる。精神病理学者・哲学者・政治評論家などの
さまざまな側面があった。 ヤスパースハイデッガー同様に”ナチス政権” 
に大きく影響された。 妻が”ユダヤ人”であったことや、ナチスに対する 
”反抗”で当時、教鞭をとっていたハイデルベルク大学を追われてしまう・・
その妻が 強制収容所”へ送致されることになり、夫妻は自宅に2人で立て
籠もって抵抗するが、”収容所移送”が決定されてしまい、もはや自殺する
直前まで追い詰められ、その移送予定日が あと数十日程度に迫った1945年
3月30日にアメリカ軍が彼の住むハイデルベルクを 占領したことで収容所
への移送を免れた。この戦争体験が彼の哲学に対して 大きな影響を与えた。
ヤスパースは、この経験から”限界状況”をテーマにした思想を構築した。 
 それは、人間には ”限界状況” というものがある。それは
”死” ・・・ 死んでしまう という状況 
”苦” ・・・ 苦しみの状況・ さまざまなことで 苦悩する状況
”争” ・・・ 争い・闘争・戦争の状況
”責” ・・・ 罪を責めること  ”人間の原罪”を責めること    
 これらは人間の”日常生活”を”粉砕” してしまう”人間の運命”と 
されるもの。これは、人間の力、科学の力で克服できない状況。
 ”限界状況”の典型例が”自己の死”である。
ヤスパースは、「人間は普段、”気晴らしなどにふける”ことによって、
すでに”限界状況”の内にあることを 忘れてしまっている・・」とした。
 人間は、その”現実”を”自覚”すると自分自身の“挫折”と”限界”を悟る。
そして なぜ人間には”限界”があるのか?・・ 等々、深く考えることになる。 
また、この状況を”誰にも頼れない”・・と自覚することになり、
それまで感じたことのない”孤独”と”絶望”に 陥る。
 そして、「人間とは 極めて”弱い存在”」と 自覚することになり、
そこで、「人間を”超えたもの”が存在するのではないか?」と考え始める。
それを”包越者”または”超越者”という表現で 表わそうする。
そして、「人間は、その”超越者”と”交わる”ことで「真実の生き方」
である”実存”に 目覚めてゆく」と主張した。 
さらに”交わる”とは”自己開示”を意味しており、各人が自分自身に、
”閉じこもる”ことなく”他者”へと向かい自己自身の存在に対する意識を 
”反省するべき”とも 説いた。 最終的には・・・
”超越的存在”に面することにより、自らの有限的な存在が”反省”させられ
その”超越的存在”に面している自己自身という自分の存在の”確信”が 
得られる。これを ヤスパースは”絶対的意識”と説いたのです。≫

▼ 「業火に焼かれる」とは、よくいったもの。まさに、限界状況の中で
 味わう苦悩。この苦悩を経て、絶対的意識に到達できる。弱い人間には
宗教が必要になる。死を前にして強い人間なぞは存在しない。人間の原罪を
それぞれが真正面から見つめること、そう、「正 中心 一点 無」で、
見続けることが、業火を少しでも和らげてくれる。人生には、四苦八苦、
四楽八楽、感動、感激、至高体験、激怒、業火の雨など、いろいろある。 
 どこ吹く風の少々の天然?が、現に存在している! 自分も?

・・・・・・
5338,構造主義ポスト構造主義 ~�
2015年10月26日(月)
   * 構造主義とは    ~『世界の哲学・思想』小須田健著
 19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロース文化人類学の領域から構造主義
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義ポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 ~その辺りから~
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
 言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
 構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学レヴィ・ストロース
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルトマルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
 また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
 ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
 未開人の神話的思考から、欧米の理性中心主義を疑った。これは、それまで
無批判だった欧米主義を根こそぎ、揺らがす出発点になった。その社会構造が、
ネット社会の到来で根こそぎ揺らいでいる。ネット社会の構造とは如何なる
ものか、どの方向に向かうのか? 面白そうだが、先は限られている。 
・・・・・・
4973,閑話小題 ーよい先生とは
2014年10月26日(日)
 * 「数学科」より「子ども科」へ!   
            ~『大丈夫、なんとかなるさ』近藤勝重著より
なかなか、示唆のある内容である。 ーまずは、その辺りから 
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
それは中学1年の英語リーダーで先生にニューヨークの地名の意味を質問した
ことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか!」と怒声を上げたと
いうのだ。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したこと
はない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある
学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが
自分の仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることでは」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を
教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがて子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子は、答える。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
『こころのチキンスープ』で知った話だが、その先生の言葉をぼくなりに
想像してみた。こんな感じではないか。「エディ正解まであと一歩よ。
公式はちゃんと使えているわ。あなたならきっとできる」 ≫
▼ 学生時代に「人事管理」「キリスト教倫理」「経営学」など、影響を
 受けた教授は、その科目を超えた、「青年学」だったようだ。 授業を通じ、
これからの人生を如何に生きるか、どうあらねばならないか、を教えていた。
そう、専門課程を通してベースになる教養の必要性を教えていたようだ。 
現在の私の学問は、一度、子どもにたち返って、原点から考え直すこと。
自分を子供に見立てた「子ども学」が、私の科目である。純真な気持ちで哲学や
文学を通して、どうしようもない自分を学び直す、学びとすれば、何かが見えて
きそうだ。現実に溺れたまま、この歳まで生きてきた男が、急にガンを宣告され、
それまでの生き方そのまま自分に問われる。そして、それまで生きてきた姿
そのままで、死んでいく。これは、全ての人に当てはまること。この数年来、
死ぬ時に、両親と手をつないで雲の彼方に上っていくイメージを作り上げてある。
とすると、「子供学」を通した「死生学」になる。「もっともっと楽しんで
おけば良かった」と、それでも後悔するはずだから、一日一日を大事にし、
楽しむことが、いま与えられた課題になる。「いま現在、実行している!」
という内なる声は、勘違い! それにしても、毎日が面白いが・・
 まだまだ、楽しみが足りない!ということ。 
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4606, 閑話小題 ージェネリック家電
2013年10月26日(土)
   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が
一定期間を経過したことによって特許切れになった薬品を、他社が格安で製造
販売できるようになった薬」。ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち
(一世代前)した製品の部品を集め半額から10分1の価格に抑えた専門メーカー
の商品。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加している
という。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、
家電チェーンの店先には、何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。
そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。半月前に
5年間使ったデジカメが壊れ、新たに買うことにした。当初からデジカメは
カシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後
だったが、今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が
800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の多機能付きか迷ったが、
ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。デジカメは、
日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それに
しても安い。20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セット
を買った。百万円以上はするような高級家具が、30万円。そこで、社長に
聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤ
から輸入したもの。デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、
本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」
の走りだろう。考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。
型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、使用目的に絞り込んで
トレードオフをしている点では同じ。5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 
韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、
格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
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4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
1886年アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」
 の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、頭痛薬「コカ・コーラ」として
売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があった。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつもの
ようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、あいにく手近なところに
水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客は
すっかり元気になり、効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、
シュワッと泡の出るコカ・コーラアメリカ中に広まっていった。
日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味
だったのか、あまり売れず、いったんは発売が中止になった歴史がある。
再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の
兵士や、その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に
輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。 
 しかしルーツは一つなのである。ではこれらのお茶は何が違うのかというと、
製造方法が違うのだ。 製造過程で、葉の発酵具合を変えることで、まったく
違う種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸して
もんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は半発酵させた茶で、青茶ともいう。
そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵
させる過程で、独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔かすに適していた。
6069,閑話小題 ~割合で理解する法則 ~2