『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著
   * 騙されと思って、この器で飲んでみてくれ
 もう10数年も経とうか、ラジウム岩盤浴が持て囃された時期があった。
知人の2人が実際に<ラジウム岩盤施設をオープンしたが、一人は倒産、他の
一人は?… 成功したという話は入っていない。一時期、ホテル内にと考えた
ときもあったが、止めてよかった。 結局はブームと共に殆ど話題にならなく
なっていった。 しかし、玉川温泉は定期的にマスコミに取上げられている。
末期ガンの最期の聖地? 同病相憐れむ癒しも兼ねている。 
著者が『騙されと思って、この器で飲んでみてくれ』とは… 。

≪ …さて今宵は何を持ってきてくれるかわくわくしていると、冷い風と同時に
 山岡さんが現われた。
・「マスターの好きなボート・エレンを持ってきましたよ。魔法の器とね。」… 
「この陶器は、名古屋の陶芸家、中村公之さんとのコラボで制作したウィスキー
専用の器。地球を思い起こらせるやや球形のフォルムと、ビートなどの土の
ニュアンスに絡めて『アース』と命名したんだ。これだけ薄く繊細に焼くのは
至難の業で、このボート・エレンに、まずいいつものグラスで飲み、その後
この器に入れ替えて飲んでみてください」
・「たしかにまろやかになった気する。ビートの香りも立ってくるね」
・「この器はお茶を飲む茶碗と一緒で土でできている。常滑焼で有名な愛知県の
常滑の土でしてね。土の性質、焼成の仕方で化学変化を起こしているかもしれ
ないし、とにかく肉眼ではみえないけれど、底が網の目のようになっていて、
そこで濾過されているようです」
・「マイケル・ジャクソンが考案したので飲んだことがあるが、こんな変化は
はじめてだ。」 … ≫

▼ 一時期、ラジウム岩石でつくられた「コーヒーカップ」と「盃」を使用
 していたが、破損などで消失した。確かに味は一ランク美味しくなっていた。 
現在も毎夜、ピンポン球の大きさのラジウム石を左手薬指に括り付け寝ている。
(数年ごとに始めたり、止めたりを繰返し)現在は左手薬指輪ゴム巻き健康法
を実施したのを切っ掛けに再び開始している。枕元のベッドボードに吊るして、
深夜に目が覚めた時に握ると、その後の寝入りが早くなる。 著者の器も
ラジウムを含んだ上位のものか… 。

・・・・・・
6064,閑話小題 〜負と、正のエネルギー
2017年10月20日(金)
  * 負のエネルギーと、正のエネルギー
 何処の社会にも、より「負のエネルギー」を背負った人と、「正のエネルギ―」
を背負った人が存在する。「負のエネルギー」を背負った人は、負に呼応して
近づいてくる。己の負を他の負にチューニングをする技術は高度? 人生一般に
恵まれなかったダークなればこそ…。逆に「正のエネルギー」の強い人が存在する。
 NHKTV「グローズアップ現代」で、3人の高校野球スラッガーを特集していた。
彼らに見てとれたのが、強力な「正のエネルギー」。〜NHKのブログによると…
【・清原和博の大会最多本塁打記録を塗り替えた広陵高校の中村奨成選手。
・甲子園出場は逃したものの、高校通算最多とされる本塁打数を更新した
 早稲田実業清宮幸太郎選手と、
・通算65号で清原の記録を超えた履正社・安田尚憲内野手
3人の超高校級スラッガーたちに見えてきたのは、親がかりの、たぐいまれなる
素質と努力がある。現代高校野球の劇的な「進化」。他に、両親や監督
の連携もあるが、「正のエネルギー」に満ちている。】
 素直で、前向きで、明るく、健康的な心身。「正のアドバンテージ」がベース
にある。 (幸福優位7つの法則ショーン・エイカー著)によると、
【 ハーバード大の優秀な一群への調査で、「ハピネス・アドバンテージ
(幸福優位性)は、「成功が幸せの周りを回るのであって、幸せの周りを成功が
回るのではないことを示すという「ロサダライン」の法則がある。
<心理学者であり、ビジネスコンサルタントであるマルシャル・ロサダが発見した
重要な数字。「2・90対1」。「メンバー間のポジティブな相互作用とネガティブ
な相互作用の比率」が最低でも「約3対1」の割合が必要。このライン以下だと、
チームの仕事ぶりは一気に落ち込む。調査では「6対1」が理想。ポジティブな
フィードバックとやり取りが、職場の生産性を上げ、業績を上げてくれる。】

▼ この生活習慣や行動パターンが、豊かな人生への道になる。通ってるジムで、
 3月に一度は不快な事象で休みたくなる。 その時、内語で「少なくとも3倍は
プラス要素があるはず」と思い考えると、全く、その通り。何か判断を迫られ
たとき、この「3対1の法則」を当てはめると良い。とにかく、決断は先延ばし
にしたくなるが、後になるほど、数倍のエネルギーを要する。
 動物は狩るもの、狩られるものの両面がある。前者は失敗しても、次の機会が
あるが、後者は、そこで終わる。だから負の最悪事態にとらわれる。しかし、
何事も、より正のエネルギーを増やそうとすれば、より多くの負の危険を乗越え
なければ。 歪んだ老人や病的後ろ向きの人の歪んだヘドロのような視線。
その人自身と先祖が積重ねてきた「負の遺産」そのもの。 老いるにつれ、
この負の遺産である毒が溜まってくる。 このドブ掃除には、知らないこと、
面白そうなこと、好きなことをみつけ、自分に注ぎ込み続ける必要がある。
老いるとは無念だが避けて通れない独り道。だが宵の独り宴会?も、工夫で、
楽しくなるもの。 今の私は、スケジュールの御蔭で何とか、「6対1」を維持。
時々、3月に一度は大揺れ? になるが、せいぜい全治3日間。 この程度は、
平凡な日々のストレスに、丁度良い按配。
 〜追い書き〜
これも偶然だが、面白いことに、文脈として去年の文章に丁度よく続く。
かくいう私も愚痴をつぶやく哀れな老人。
 
<恋はやさしい 野辺の花よ>から、<老いは悲し 野辺の愚痴よ>ですか。
――――
5697,閑話小題 〜愚痴言う老人
2016年10月20日(木)
  
   * 愚痴言う老人
 とある法事に出席する度に、いつも聞こえてくるのが、✖の愚痴と小言。
 不快だったこともあり、その幾つかを 記憶している。
・「後期高齢者の名前が気にくわない。」
 「免許証の返納も、私たちには嫌味としか聞こえない。」
  私も、あと4年になると解らないでもないが。
・「最近の若者はなってない。」 
 この言葉、数千年前のエジプトのピラミッドに書いてあった
 人類永遠のテーマの事実を知らないためか、平気で人前で言う。
 永遠のテーマといえば、旧約聖書の「カインとアベル」の、長男カインと
 父アダムとの親子対立。 最近、飲み会で、「長男と二世帯同居をしたが、
 これが大きな誤りだった。」と愚痴るから、「それ、旧約聖書にも出てくる、
 人類永遠のテーマで、タブーは元もと分かっていたこと。」と諭すと、
 「全く知らなかった!」と宣う。
・「昔は、本当に良かった。それにしても、生きづらい世の中だ。」
 この言葉は、老化状況をはかる物差の言葉、これを言いだしたら、
 認知症の初期?現象。
・今回の通夜では、「あの人、リタイアをして威張れなくなったので、
 その怒りを周囲にぶつけている。」これは、一線から退いた万人にいえる
 ため、誰も良い気持ちがしない。 特に私には?
そうこう、書きだしてみると、さほど酷い愚痴でもない? しかし70〜80歳を
超えた愚痴は、毒を含んで生なましく語るため、聞こえた人の心に黒く残る。
 読書習慣なしで、「世間話」に明け暮れしてきた人生がうかがえる。
もしかして、ここで書いてきた怒りの籠った内容、こんなものでない?
老化は日々進んでいく。 問題は、その自覚と対策。今さら遅いか?
つくづく老いて思うことは、長年かけた教養の程度。下は見えても、上から
視線は見えないから始末が悪い。「・・ったく」と思うことが、あまりに多い。
こうして他者を批判するのは、所詮は、内なる己を、自分の仮身を語っている
に過ぎない。 4年前に、「老いの鬱屈」についての書評があった。
故人の家の法事で、この人の愚痴を聞いたことや、多くの半ボケ老人を
目の当たりにして、以下の本を図書館で見つけて、テーマにしたようだ。
―ー―
2012/06/04
老いの見本帳ーダークサイト −8
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いと鬱屈
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と
視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、
そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで一生
何も出来ないで死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 
その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。
だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとで動じない」
人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするような
ことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、
避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、
とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの
喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだった。 
 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々
の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属
のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 
だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら
難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても
鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには事欠かない。遅かれ早かれ、
この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである・・≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺する
 のに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則。」
は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、
ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。
これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと初め
から割り切って孤立していた方が良い?

・・・・・・
5332,閑話小題 〜人生のリハビリ
2015年10月20日(火)
   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
  * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う〜?  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉学問のすすめ
および『福翁自伝』、山川菊栄武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
  * つれづれに ー青竹エアロ
スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにある
ステップ台をインストラクターの誘導で12人が一同にするエアロを連続二回と、
週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われて
いるが、どうも30〜50人の合同でやるのは苦手である。ところが、
先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。
ヨガ用マット上に青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり
下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。これまで何度
か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。このプログラム、まだ
始まって三回目だが、30人の定員は満員。「初めての人は挙手を」に対し、
何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、その両側に
一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。
その三箇所を交互に音楽に合わせて乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢
出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのが
よい。ジムも競争が激しいようで、改善していないと、他のジムに客を取られる。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は
充分ある。私は二時間滞在しているので一日につき千円、20日で二万円の価値
の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 
その割に軽い腰痛は治らないが、それでも足腰が軽くなっている。 
ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我家にきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けて
あるが、時々、狂ったように攻撃する。しかし錘で、その都度、棒を一回転し
元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転する
ようになった。 また籠から離れようとすると、回転を何度もし、傍にいて
欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示
が、棒を回転する芸で注意を引くことが加わった。一年前に飼っていた中型の
コガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、オウム科で最小
(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。幼鳥のうちは
大人しかったが、最近になり、その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと
何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いして
いた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・
インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。それもあり冬に向かって、
このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬
する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、
起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、インコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は
壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、籠の中を狂ったように
飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、
私が車で帰ってくると、感知する。駐車場を一台貸しているが、それには全く
反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ」が面白い。

つれづれに

イメージ 1

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 セリーグは広島に決まったが、パリーグは、まだまだ混沌としている。
何か、広島が強そうだが。これから巨人の監督が原辰徳に決まりそうだが。
あいも変わらず、今までの延長で、これでは巨人ファンに愛想がつかされる。
何を考えているのでしょうか。



・・・・・・
・・・・・・

4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
  * つれづれに ー青竹エアロ
スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにある
ステップ台をインストラクターの誘導で12人が一同にするエアロを連続二回と、
週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われて
いるが、どうも30~50人の合同でやるのは苦手である。ところが、
先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。
ヨガ用マット上に青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり
下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。これまで何度
か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。このプログラム、まだ
始まって三回目だが、30人の定員は満員。「初めての人は挙手を」に対し、
何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、その両側に
一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。
その三箇所を交互に音楽に合わせて乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢
出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのが
よい。ジムも競争が激しいようで、改善していないと、他のジムに客を取られる。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は
充分ある。私は二時間滞在しているので一日につき千円、20日で二万円の価値
の実感がある。ヨガは月に7~8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 
その割に軽い腰痛は治らないが、それでも足腰が軽くなっている。 
ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我家にきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けて
あるが、時々、狂ったように攻撃する。しかし錘で、その都度、棒を一回転し
元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転する
ようになった。 また籠から離れようとすると、回転を何度もし、傍にいて
欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示
が、棒を回転する芸で注意を引くことが加わった。一年前に飼っていた中型の
コガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、オウム科で最小
(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。幼鳥のうちは
大人しかったが、最近になり、その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと
何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いして
いた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・
インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。それもあり冬に向かって、
このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬
する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、
起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、インコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は
壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、籠の中を狂ったように
飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、
私が車で帰ってくると、感知する。駐車場を一台貸しているが、それには全く
反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ」が面白い。

     


3495, お金の教養
2010年10月20日(水)

  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。 学校では「学問教育」と「職業教育」は教えるが、
その取り扱い方は教えてくれない。日本は「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、
お金について教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮があるのが日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」を受け取ることはない。
実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。金に対する能力とは、「貯め方」「(小さなお金の)使い方」
「(大きなお金の)使い方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、「与えること」。
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
 1、お金の管理する仕組みを作る  
 2、6:2:2の法則  
 3、領収書の分類
  2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、
 そして最後に残りを使う法則をたてよ、である

 領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれをスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら
良かっただろう。
 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に使わないと、それは通帳の数字
でしかない。そこで、40歳から60歳まで、年間に???万は使い切ることを決めた。 そうすると使える
のである。贅沢をできる金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、
こういう時代になり、かつ歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。気力、体力、金力、時代背景、環境
などが揃ってないと、そうそう続けることは出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。最近は、こういう
類の本が書店に多く並んでいる。しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか難しい!
やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
 ・・・・・・・・・
3120, 再び、読書について  2009年10月20日(火)
  * 書斎は未来の図書館
  森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて本棚に飾ることと確信して
いる。実際に本を読むのはいつかでいいのだ。書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。≫
 ー 全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で過ごしたはずである。 
本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。
書斎を、そのように位置づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、充分に幸せのはずである。
開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的を
たてることなく歩いていても、たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」という
が、そうして買った本を書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 あまり本を読まない人
にとって、読書をするのが勉強をすることと勝手に思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、
集めた本棚の本を、独りで早朝や深夜に読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの安住の場、
かつ別世界に浸る時間になるのである。
 ショウペンハウェルは、彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければ
その価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
何か一つのことを知り、一つの真理をものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し
比較する必要があり、この手続きを経て初めて、自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を
自由に駆使することができるからである。」と語っているが、それも独り、書斎の中で考えてこそ可能。
選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、その一連で読書は成り立っている。
旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
  その中でも、読書は必要欠くべからざることである。
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2755, 閑話小題
 2008年10月20日(月)
 *一昨日は高校の同級会
高校の同級会が一昨日あったが、25年間ほぼ毎年開かれている。大体、20人位があつまるが、この10年
近くで4人が亡くなった。他のクラスの人が参加をしたりの入れ替わりはあるが、7割は固定メンバーで、
和気藹々と時間を忘れる一ときになる。最近の話題は年金と、病気と、不景気と、孫と定年の話が中心。
「今回は年末は金融恐慌のため深刻になるだろうから早く開いた」と冗談ともいえない幹事の挨拶があった。
ギリギリまで出席しようか止めておこうか迷ったが、この年齢になれば一年後に無事でいられるかどうか、
目先のことは積極的に参加することと出席した。まあ、面白かった!
 *今年の旅行は?
さてと、今年の旅行と思った途端に、この金融恐慌である。何があっても一度は海外に行くと決めているが、
歴史的な重大な状況に気合が入らない。最後にとっておいたアメリカ西海岸の国立公園巡りか、英国辺り
かの最終判断の段階。この20年近く憑かれたように旅行に行ってきたが、今後10年の大不況を考える
と良かった。数年後からはロングステーも考えていたが、どうなることか!
 *我が家の庭
最近、早朝のウォーキングの帰宅後に我が家の庭で時間を過ごす習慣がついたが、そこで庭が生きている
ことに気づいた。両親が魂を入れた庭が、二人とも亡くなっても、そのまま生きているのである。それも
時間とともに変化している。父が石と木、母が花を入れたが、それが四季と共に変化をし、段々と深みを
増しているのである。それに気づきだしたのは両親が庭をつくった年頃に、私が到達したということか。
母が亡くなった時に、この家を処分をして新潟市に移動しようかと考えたが、決断できなかった。
このまま家にいて本当に良かったと思えるようになった。 春夏秋と、両親が植えた草木の花が、何処か
で咲いている。 家には、それぞれ家霊がいるというが、庭をみていると合点がいく。
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2007年10月20日(土)
 2391, 哲学と心の病
                   (っ´Ι`)っ { おはよう
 図書館から度々、月刊誌「新潮45」を借りてくる。月刊誌としては人気があって最近の本は殆どが貸し
出されているが、時にタイミング良く借りることが出来ることもある。お目当ては中島義道「哲学者と
いうならず者がいる」のコーナーと、ご存知、中村うさぎ「セックスという教養」。これに、あと一つ
中味が濃い特集などの中に面白い記事が必ずある。たまに読むには良いが、毎月というと毒が強すぎる。
今回の中島義道のテーマ「哲学と心の病」が、これまた面白い! いま問題になっている「ひきこもり」
の問題の根本を鋭く解いている。
  ー面白そうな部分をコピーをしてみる
 ーー
「哲学と心の病」というテーマで講演会の講師をしたおりのこと。
 …初老の紳士が手を挙げた。引きこもっている息子に対する相談である。
「どうしたら生きがいを見つけてやれるのでしょうか?」という質問であった。私は「生きがいなんて、
みな嘘っぱちです。人生は凄まじい修羅場ですし、そのあげく、どうせ死んでしまうんですから」と
思わず叫んでいたが、こういう父親にこそ、言いたいことが山のようにある。 彼は知的で温厚そうな
紳士であり、自分のごまかしを、汚さを、ずるさを微塵も恥じている風には見えなかった。そこが問題
なのである。 その言いようもない鈍感さに、息子は全身で抗議しているのである。
・社会のルールに従って、仕事において評価され結婚して家庭を守ることが そんなに立派なこと
なのか? それがあんたの「生きがい」なのか?それに何の恥も覚えないのか!
・想像力をたくましくして、自分は極悪人かもしれない、と思うことが入生において一隣でもなかったのか! 
それほどあんたはおめでたいのか!そのえらい顔を引っさげてこの俺を「導きたい」のか!息子が思って
いるのはこのこと。私は誤解しては困るが、こういう青年達が掛け値なしに「正しい」と、思っているわけ
ではない。哲学に身体の芯までボロボロに侵食された者が、単純きわまる人生観をもっているはずがない。
私は、そういう両親を攻撃している息子もまたずるいと思う。そんな、反吐が出るほど軽蔑する奴の庇護の
下にひきこもっているのだから、同じ穴の狢である。そう叫んで家を出、放浪の旅に出てこそ、彼の言葉
は輝いてくる。だが、ひきこもりの青年はそうしない。勇気がないのか? それだけではない。 
ひきこもりとは両親に対する復讐にほかならないからだ。両親がおろおろすればするほどおもしろい。 
途方にくれるほど、喜びがくみ上げてくる。彼は、じわじわと相手のの心身を滅ぼしていく復讐の喜びを
もって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ。
・・・
 ーー
 中島自身のことを書いているから、この辺の洞察は鋭い!彼の文を読んでいると、家庭円満ではない。
息子の、そして自分の、その辺の狡さをチャンと見ているから、これだけ抉るように書けるのである。
引きこもりの息子など叩き出せばよいだけなのである。ただ、それが出来ない弱点を息子が見抜いている
だけでしかない。マイナスの循環の時は、そう理屈のようにならないものだが。浪人生活をすると逆に
独りで部屋に引き込まなければならない。自分が招いた日陰の身である。引きこもりは社会に適応できない
のが理由。そこで如何に意欲を持ちえるかどうかだが・・・ 敵が身近な人の場合は、それを打ち破る
のは膨大なエネルギーを要する。いずれにしても生きるのは大変なことです。はい! 
それを肌で体験させる戸塚スクールの肯定派です。それが無理なら、せめて見学でもさせろ!親子して!              
                     (。´・ェ・`。)Bye            ーつづく
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2006年10月20日(金)
2026, 戦後生まれが 80パー弱に        
「戦後生まれが80?」と新聞にあった。
私より年上は全体からみて二割弱しか存在してないことになる。世界からみれば一割もいないという
ことだ。私が終戦の半年後に生まれたので、戦後生まれの境目の年代になる。 10年の区切りごとに
「戦後生まれが何?」と発表されるので、それがそのまま、自分より歳下の比率になる。
ある統計値を調べてみたら
 ー私より歳下が
 ・10歳時点で  25パーセント      ・20歳で    40パーセント
 ・30歳で    50           ・48歳で    66パーセント(三分の二)
 ・60歳の現在は 78           ・75歳で    
 ・90パーセントが歳下になる。
それにしては地方のせいか、老年が多く目立つ。 齢を重ねるとともに、当然のことながら年上の人が
少なくなり、そして自分も消滅していく順番になる、それが人生というもの。現在の平均年齢は38歳。
新幹線で通勤していても、背広を着ている同年輩は少なくなった。いつの間にか、歳を重ねてしまった。
歳を重ねるにしたがい、世の中が澄んで見える反面、新鮮な感覚が少なくなっているのに気づく。
人生二度無いと何時も口癖にして、その時々にやれることを 最大限実行してきたつもりだが、
まだまだやり残していることが無限にある。 誰もだろうが・・・        \(^▽^*)!
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2005年10月20日(木)
1661, 腰痛ー3
過去に何回か腰痛について書いたことを思い出し、HP内の検索で調べたら一昨年と三年前に書いてあった。
家内からは、去年の10月に腰痛になっていたといわれたので、毎年一度は腰痛になっていることになる。
例年、5月の連休前後か11月になる。今年は、イタリア旅行でなってしまった。軽い時で、二週間。
重い時は一ヶ月近くかかる。今回の腰痛は全治三週間である。痛みのピークは一昨日で、昨日の夕方から
反転して時間ごとに良くなり始めた。しかし、油断をすると直ぐに元に戻る。腰痛はきつい、そして気力が
失われる。季節要因と内臓の問題もある。特に寒さに弱い。そういえば5~6年前に、深い腰痛があった。
横になっても立っても何をしても痛いのだ。脂汗が滲み出て、うなっているしかない。一回も医者にいった
ことが無いのが、腰痛に対する私の態度である。しかし、その時だけは一人で救急車を呼ぼうとした。
ホッカイロを腰に当てて、時間を稼げば半月もすれば直る経験則がある。だから、ただ耐えるしかない。
  
 2003/11/13  953, 腰痛ー2
腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私の場合は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。いま一つ
は、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
(以下、字数制限の関係でカット)
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2004年10月20日(水)
 1296, 新潟市官製談合
昨日の全国紙が数社、一面トップで「『新潟市官製談合』で強制調査」を取りあげていた。
今朝の新聞では「新潟市役所の幹部を逮捕!」と出ていた。やらないよりよいが、今さら何をやって
いるのかの感がする。自民党の(土建たかり派閥の)衰退が背景にあるのだろう。このコーナーで、
当初より何度か、政治家を含めた国家的犯罪を指摘してきた。かなり、偏った見方ではないかと思われた人
が多かっただろうが、こうして、スコミに出る様になった。現在の日本は、自民党の土建族議員を金目とした
ゼネコン・マフィアシステムが全国津々浦々まで張り巡らされいるのだ。巧く見積もりを出したつもりでも、
設備屋とか、鉄骨業者から全てが筒抜けになる。彼等は薄ら笑いしながら、談合をしているのだ。 
ちなみに仕切りは新潟県では、
・箱物は大成建設
・土木は鹿島建設 というのは、その筋では公然の秘密?である。末端の市の幹部本人にとって、
 マフィア・システムに沿って前の上司の談合汚職の手順を、ただ受け継いだだけだ。そこで今までの
流れに反することをすれば、直に左遷される。
  ー以下字数の関係でカットー2009年10月20日
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2003年10月20日(月)
929, 忘れられない「悲しい話」
 昨夜は知人の父親が亡くなり、その通夜であった。87歳の大往生であったが、親の死は傍目で見ている
よりずっときつい。死は直視できない。死に関しての悲しい話を書いてみる。我家の分家は二軒ある。
父が長男で、弟が二人いたためである。長岡にその一軒がある。母の7回忌にオバが来てくれた。86歳で
影が薄かったのが印象的であった。その半年後にあっさり亡くなってしまった。母の法事で「こういう会
に出れるのは最期では」というのが、もの悲しい。その時の酒席で、「人生で色いろ多くのことがあった!」
と言っていた。その数年前に溺愛していた長男が自死をしていた。そして、その数年前には近くに嫁いだ
長女が癌で亡くなっていた。そのうえに、長男の葬式を取り仕切っていた長女の亭主も数ヵ月後に自死
してしまった。その時「自死する気持ちが良くわかる!」といっていたのが気になっていた。
また叔父は40年前に亡くなっていた。 そのことは触れず、ある子供の死のことを打ち明けていた。
「赤ちゃんを病気で死なせてしまった。今の技術では助かっていたのだが、当時は仕方がなかった。
病院から死んだ子供を家に一人で背負って帰る時、段々子供が冷たくなって死後硬直をしていくのが背中
を通して感じた時は、本当に悲しかった!」とシミジミ言っていた。 最後、私にその悲しみを言い残して
おきたいのだろうと思った。聞いているだけで、その時の悲しみが、そのまま直に伝わってくるようだった。 
叔母は天理教の熱心な信者になることで、その苦しみの数々を乗り切った。最期の最期は、宗教しか人間
の苦しみを救うことが出来ないのだろう。「神はあるかないかでなく、あらねばならない」という言葉が、
こういう話を聞くと納得できる。
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555, 針と糸
2002年10月20日(日)
 先日、25年来の知人と酒を飲んだ。大手の支店長をしていたが、請われて奥さんの実家の専務に
3年前に納まった。地元の中堅の会社である。義弟が社長で大変だろというと、糸と針の喩えで自分が
糸に割り切ってしまえば問題がないといっていた。面白く、ずばり本質をついた喩えにいやに納得。 
社長業を針というのも上手い喩えだ。時代に対して一点集中で鋭く縫いこむのが社長業だ。
何か耳が痛いが、もっと痛い人が今は多いだろう。この針と糸の喩えを社長専務の関係だけでなくいくら
でも云える。このテーマ随想日記もそうだ。テーマが針、それに対しての随想記が糸である。なかなか
良い針が見つからない。糸なら経験がたっぷりあるから?いくらでも材料はある。戦略と戦術の関係も
そうだし、頭脳と心の関係も、夫婦の関係もいえるだろう。夫婦では最近はどっちが針か糸かハッキリ
しないが。それを使い分けるのはあくまで主体の自己ある。最近は布ー服の流行が激しく変わっていく
ので大変だ。デザインの選定と工賃も厳しくなっているし、本当!

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「192」 種銭ー2
         2001/10/20
物覚えのついた4~5歳のころから、年末の31日にお年玉を姉兄揃って貰った。それが楽しみだった事を
思い出す。一旦渡しておいて、次の日に全額取り上げられるのだ。そして貯金通帳に入れられてしまう。
高校になるまでそれが続いた。そして高校に入って暫くすると、なにか株を自分で考えて決めろと言う。
そしてある株を買った。その日から株式のコナーを目を凝らしてみるようになった。子供のころから、
両親に玩具を一回も買って貰った憶えがない。友達の家に行くと、箱に玩具が一杯入っているのを見て、
信じられなかった事を今でもありありと憶えている。といってお年玉は自分で稼いだ金でないことも確か。
株の上達の本を読んだとき、「まずは種銭をつくれ、それも強い金でなくてはならない。それは自分が
汗水を流した芯のある金でなくてはならない。そういう金でなくては株で利益は絶対にあげることは不可能」
これは事業でも当たり前だ。しかしこの強い金を創るのが一番大変なのである。 父は子供たちに、我慢
をしてまず種銭つくりを教えたかったのだ。お金に対してシビアなのは、実際のこういう教育があったから。
実際のところ、金に対してみるところあまりにも甘い。