* 事例で見ると…
・『エジプト・トルコ10日の旅』が、その最たる事例。 
 ローマで乗り継ぎ、カイロから、ナイル川沿岸にある3千数百年前の遺跡群を
周り、カイロに戻り、ピラミッドをみた後、トルコのイスタンプールへ。そして
アンカラからカッパドキアの地下都市を早朝から深夜までの過酷なコース。
 その過酷の日程を何とも思わせないのが、遺跡が物語る歴史の広がりと、深み。
エジプトといえば、ナポレオンのエジプト遠征で「兵士諸君4000年の歴史が
見下ろしている」の演説。1798年、ナポレオンが行ったエジプト遠征の翌年八月、
ナイル河口のロゼッタという町の近くで塹壕を掘っていた工兵が黒石の断片、
ロゼッタ・ストーンを発見。 この断片には、BC196年に発布された
プトレマイオス五世を讃える諸行事の規定が、二種の書体のエジプト文字と
ギリシア文字の三書体で繰り返し記されており、これを手掛かりに、フランスの
シャンポリオン(1790〜1832)が、エジプト文字の解読を成功させた。
ナポレオンの戦略は失敗に終わったが、石の発見は大きな功績となった。
・エジプトから息をつかさず、トルコのイスタンプールへ。世界で最も美しい
モスクと評され、トルコを代表するブルームスク寺院は、オスマン帝国時代1616年
に建造されたもの。そして、アンカラから、カッパドキアの地下都市群へ。異教徒
の侵略から逃れるためにキリスト教徒が、奇岩群に隠れるように造られた地下都市。
この旅行で初めて、その存在を知ったが、宗教間の争いの過酷さが垣間見えた
信じ難い光景。ピラミッドに、ラムセス?のミイラ、アスワンからルクソール
までのナイル川沿岸に点在する古代遺跡、そしてトルコの遺跡。 僅か10日で、
背中に重い歴史を背負いこんだ感覚になってしまった。ツアーなればこそ可能
にしてくれた事例。世界は広い上に、深い歴史が、地下深く埋ずもれている。 

 ネットサーフィンの、このコースのコピー。
私はエジプトからトルコの逆の10日間のコース。観光内容は全く同じ。

 ――――
≪ 阪急交通社(トラピックス)の「エジプト・トルコ 周遊11日間」、
 まずはエジプト編です。

(1日目)
21:25 中部国際空港よりエティハド航空アブダビへ。(所要時間約12時間30分)
 ※北京で約1時間駐機  (機内泊)

(2日目)
06:20 アブダビ到着。
09:30 乗り継ぎ空路、イスタンブールへ。(所要時間約4時間45分)
13:15 イスタンブール到着後、バスでチャナッカレへ。(320km6時間)
 ダーダネルス海峡は、フェリーで移動。
20:30 ホテル到着。   (チャナッカレで宿泊)

(3日目)
07:30 古代都市トロイへバス移動。(約20km1時間)トロイ遺跡観光(1時間) 
 観光後、ベルガマへ。(約230km約4時間) アスクレピオン観光 トルコ石の店
 で監禁 クシャダスへバス移動。(約205km3時間)
19:30 ホテル到着。 (クシャダス宿泊)

4日目
7:30 ホテルを出発、エフェソスへ。(約20km/約1時間)エフェソス遺跡観光 
 革製品のお店で監禁 その後、パムッカレへ。(約185km約3時間)
 ヒエラポリス遺跡、石灰棚観光後、アフィヨンへバス移動。(225km3時間30分)
20:30 ホテル到着。 (アフィヨン宿泊)

5日目
07:30 ホテルを出発し、コンヤへ。(約223km約3時間30分)
 メブラーナ博物館観光  ※入場観光 インジェミナーレ神学校観光後、
 カッパドキアへバス移動。(約230km約3時間)
 途中☆陶器のお店で監禁。18:30 ホテル到着。 (カッパドキア宿泊)

6日目
05:30 バルーンツアー又は4WDサファリ カイマクル地下都市観光 
 ギョレメ野外博物館観光 ※入場観光
 ウチヒサール パシャパー デヴレント エセンテペ トルコ絨毯の店
 観光後、アンカラへ。(約280km約3時間30分)
19:30 ホテル到着。(アンカラ宿泊)

7日目
07:30 ホテルを出発し、イスタンブールへ。(約450km約6時間30分)
 トプカプ宮殿 ※入場観光 アヤソフィア ※外観のみ グランドバザール
20:00 ホテル到着。(イスタンブール宿泊)

8日目 08:00 ホテル出発。ボスポラス海峡クルーズ ブルーモスク※入場観光
 アヤソフィア ※ 外 観 の み !!!!!
14:00頃 イスタンブールより空路、カイロへ。(所要時間約2時間)
14:30  機内食が本日の 夕 食 ! :
 ここまでトルコ編
http://4travel.jp/traveler/masa00394/album/10764996/

                                        • -

 ↓ここから エジプト編

16:00 到着後、ホテルへ。途中、パピルスのお店で監禁
17:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)

9日目
08:30 ホテル出発。
 クフ王のピラミッド ※入場観光
 スフィンクス カフラー王のピラミッド メンカフラー王のピラミッド
 金製品のお店 メンフィス遺跡 ※入場観光 サッカラの階段ピラミッド
 ダハシュールの屈折ピラミッド 赤のピラミッド
 観光後、カイロへ。(約80km約1時間30分)
21:00 ホテル到着。(カイロ宿泊)

10日目 08:00 ホテル出発。エジプト考古学博物館観光 ※入場観光 
 観光後、空港へ。
13:50 カイロより空路、アブダビへ。(所要時間約3時間10分)
19:00 アブダビ到着。
21:30 乗り継ぎ空路、エティハド航空にて帰国の途へ。
 (所要時間約10時間25分)※北京経由。(機中泊)

11日目
13:55 中部国際空港到着後、解散

――――
エリア: カイロ(エジプト)
同行者 一人旅 一人あたり費用 25万円 - 30万円 交通手段 観光バス
利用旅行会社 ツアー(添乗員同行あり) 旅行の満足度 4.0
 観光 4.0 ホテル 3.0 グルメ 3.5 ショッピング 2.5 交通 3.0 ≫

ーー
▼ これを見ているだけで多くの刺激的逸話が次々と想いだされる。
 字面からすれば何とことはないが、現実は早朝から目覚まし時計換わりに
聞えてくる奇妙な祈りの声。それに、レストランでは食器を投げるように差し
出すボーイ。西欧・キリスト教圏と、イスラム圏の常識は全く違っていた。
 深夜、カイロに到着した時、現地ガイドになりたての若い女性が、興奮した
口調で、『恐らく、イスラム圏に入るのは初めてと思いますが、今までの常識
の全てを横においてください。一度、ホテル外に出たら、釣り銭は、シツコク、
間違いを言わない限りマトモに戻ってきません。親切にされたらタカリの類です。
交通事故も、轢くより轢かれる方が悪いのです。サービスの観念は、ここには
ありません。有るモノが、ないモノに施すのは当然のことで、感謝も何もない
のがイスラムの考えです。怒るだけエネルギーの損失です。ここは異国です!』

追記: 異国体験といえば、日々、経験する城下町異界が面白くなってきた。
   異界を異界として認知すれば、良いだけ。何処も凝視すれば異界だが… 
  たった10日間で、これだけ重厚な世界を知ることが出来る! 知らないのも
 悪くないが、知ることも良い。異様が実は、異様でも何でもない。異様なのは
己の頭の内側。問題は、そのことを早々に気づくこと。 〜北アフリカ・中近東
の三点は、ここと、『イスラエル』と『ヨルダン、シリア、レバノン』にした。

―――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。 “まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
   ーH0805 エジプト・トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩を
くり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。まさにSF映画やアニメ漫画に
出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と
息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の
秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下の
マンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、
信仰の深淵さをみた思いであった。そして、その帰りのバスの中より夕景の
“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン
サライ”も非常に印象的なものであった。十二列×八mの列柱が336本
整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの
石首が土台になっているのが神秘的。バック・グランド・ミュージックに
ベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったり。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中
より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットの
ダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、
四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も
圧倒された。私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれ
たのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか
触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 
 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると
逆に面白いものばかりであった。殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。(1996年.1月30日〜2月8日)

・・・・・・
2016/04/28
ピラミッドという衝撃を体験しろ
             〜『人生の教科書』 なかにし礼
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。

・・・・・・
2016/04/29
若者よ、外に出よ! ー? トルコ編
            〜『人生の教科書』 なかにし礼
 トルコは日本人にとって何か懐かしいような馴染深い感じがする。
東西の境目の地勢的位置がトルコという国を特徴付けている。それと、
極東アジアの小国が、敵国・ロシアのバルチック艦隊を撃破したことも、
彼らにとって大きな衝撃として今でも残っている。
  * トルコで自分の中の神秘を知る
≪ トルコのイスタンブールという街は紀元前からずっと途絶えることなく
 現在も生き続けている街だ。そんな街はイスタンブール以外にない。
パリなんて街として始まったのは12世紀からだ。ニューヨーク、ロンドン、
東京、みんなまだ新しい街と言っていい。 紀元前から栄えていまだに続く
大きな街はイスタンブールだけなのだ。ボスポラス海峡を挟んで2キロ先に
アジアがあり、手前がヨーロッパという風景の素晴らしさ、東洋と西洋の文化
が交差し、融合し、新たなものを生み出してきた街。人類の歴史が濃縮された
街が今もなお残って生きている。そこに飛び込んでいくことは計り知れない
刺激を与えてくれるはずだ。コンヤという街がある、「スーフィー」という
イスラムの愛の神秘主義者たちの街だ。高い帽子をかぶり、白いスカート状の
服を身につけてクルクルと無限に回って踊る。セマー(旋回舞踏)という
踊りだ。これが素晴らしい。彼らは踊ることによって自分の中の奥底にある
愛に達する。その恍惚によって踊っている人は皆笑っている。すべての
雑念を捨て去った美しい舞踏は、スーフィーという愛の哲学者たちによる
人類の神秘の領域を垣間見せてくれる。イスタンブールとコンヤを旅したら、
もう「夢がない」なんて言っていられない。 ≫
▼ 「今までの旅行で、何処が一番よかった?」と、ツアー仲間から、度々、
 聞かれることがある。しかし、その都度、答えに窮し、「3分の2は優劣を
つけがたい」と答えるが、「それでは3つ挙げて」と、決まったような質問。
そこで、その都度、相手をみて変えるが、文化的カルチャーショックの
大きいのは、「エジプト・トルコの旅」と、初回の「欧州30日間の旅」である。
イスラム圏のエゴ丸出しの文化も想像の域を遥かに超えたもの。至極当然だが、
世界は広く、深い。そして濃厚。 現在、欧州では「トルコに近づくな!」
が合言葉だそうだ。テロだが、今ではパリと、ベルギーが、次の要注意国。
こうして過去の文章を読んでみて、憑かれて行ったものと我ながら感心する。
行蔵として、残るから良い。「行きたいうち、行けるうち、元気なうち」だ。
若者だけでなく、壮年も同じ。 壮年のうちだったからこそ、行けたからだ。
老年は? 高めなら、いくらでもある。少々の勇気と、金と、元気があれば。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 巨人がCSシリーズで二連勝をして勝利した。
高橋の辞任で、主力選手たちが責任を感じて奮起したため。
広島に、せめて一勝でもして敗退が順当だろうが。

 写真は、3千数百年以前の王座のイス。
それにしても、豪華絢爛のセンス抜群! 
どうして、これほどのイスをつくることが出来なのだろう?





・・・・・・
・・・・・・

6059,閑話小題 ~人生を変える切っ掛けの書
2017年10月15日(日)
 
   * カズオ・イシグロノーベル文学賞
 『日の名残り』を読んで、はや20年以上も経ったことに驚いている。
当時、母親を看取ったばかり51歳。主人公と同年代もあってか、この一節
がそれまでの「生き方」を変えてくれ、ハッピー還暦に導いてくれた個所!

《 なあ、あんた、わしはあんたのいうことが全部理解できているかどうか
 わからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。いいかい、
いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が
滅入るんだよ。何だって?昔ほどうまく仕事ができない?みんな同じさ。
いつかは休むときが来るんだよ。わしをみてごらん。隠退してから、楽しくて
仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとはいえんが、それ
でも前を向き続けなくちゃいかん…
人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日で一番いい時間なんだ。足を伸ばして、
のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねて
ごらんよ。夕方が一日で一番いい時間だって言うよ。⦆

 そこで『還暦までの9年間で、30年分を圧縮して生きる』を決心する切っ掛け
になっていた。20年近く経過した現在、この決心のお陰で、充実感と、達成感が
残っている。 それもあって、少しハードな着陸?にも、平然としていられる。
  ~ネット検索から~
≪ ことしのノーベル文学賞に日系イギリス人で世界的ベストセラー作家の
 カズオ・ イシグロが選ばれた。 1989年に出版された「日の名残り」は、
第2次世界大 戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、
そこで働く執事の回顧録風物語。...日本では翌年7月に翻訳出版された作品。
 【あらすじ】
< 時は1956年、アメリカ人の主人の下で屋敷の運営がうまくいかず悩んで
いる執事スティーヴンズのもとに、かつて女中頭であったミス・ケントン
(現在はミセス・ベンになっているが、スティーヴンズにとってはいつまでも
ミス・ケントンなのである)から手紙が届く。彼は行間にミス・ケントンの
復職の願望を読取り、主人のはからいで彼女の住む南西イングランドのコーン
ウォールへの旅に出発する。
執事としての仕事における成功?と、もはや取り戻しようのないはずの元同僚
への想い。そのふたつのことが再び成就するのだろうかという淡い期待。
伝統的でありながらも徐々に翳りつつある英国と重ね合わせ ながらも、独特
の展開は我々を著者のみが知る世界へと引き込む。 ≫

▼ 20歳で、創業を決意し、プログラムに沿って生きてきたが、
 それに匹敵する生き方の節目の切っ掛けになった著書である。
<隠退してから、楽しくて仕方がない。…人生、楽しまなくっちゃ。
 夕方が一日で一番いい時間なんだ。>
6年前のリタイア後、その感がさらに高まっている。
<どれでも前を向かなきゃいかん> が人生に最も重要なこと。
 読書や、TVで名作映画を見ることも。感動する心を育てることが可能。
感激、感動の心を萎めないこと。そのためには、まず孤独を味わうこと。
死の字は ―の下に、タヒと書く。
 ~で、偶然だが、去年の文章に文脈が続いていく。

・・・・・・
5692,近くに住む従兄の死
2016年10月15日(土)
   * 近くに住む従兄の死
・一昨日の夕刻、近くの父方の従兄が早朝に逝去した知らせがあった。去年の盆
にお参りにきた時に、あまりの激瘠せに驚いたが、『ガンの手術で10数キロ
も瘠せた。その後の抗がん剤治療を拒否、自然死を選ぶことにした。』と言って
いたので、余命一年と、推測していた。今年の盆のお参りには奥さんが来られて
お参りをしていったが、あまり詳細を語らず帰っていった。 
 ところで、亡くなられの朝、玄関前を通り過ぎようとしたときに人の気配が
したので見ると、ガラス戸の横に、白い人影が立っていた。よく見ると、錯覚
だったが、今までなかった経験である。因縁めいたこともなし、忘れていたが、
奇妙な偶然としては出来すぎか。何でわが家に?、いや私のところに?
・この夏にも、母の実家を継いでいた従兄が亡くなった。長岡駅前で、『煮込み
専門店・山小屋』を40年間、経営していた。 生涯独身だったが、店には二才
年上の実姉も手伝っていた。店も終った夜半、後かたずけ直後、その場で脳溢血
で倒れ、こと切れていたのを、翌朝、店にきた姉が発見したという。あっさり、
人生を生きとおし、あっさりと亡くなっていった。
・それと、去年の秋に、私の一番上の姉の連添いが、亡くなった。その二年前に
市内に住む従姉も亡くなった。半回り、一回り、上の世代の順番がまわってきて
いるようだ。これが、70歳代に入った風景。
・同期の年代は、既に3割近く亡くなったが、やはり、元気で長生きが望ましい。
これだけの激変する娑婆を生きる経験は、生きるに充分、値する。
 さて、今日の夕刻、『通夜』。明日の昼には、『葬式』に参列予定。

・・・・・・
5327, 孤立のどこが悪い! ~グー・チョキ・パー
2015年10月15日(木)
   * 孤独、孤立の暗いイメージ
 人が信念に従って生きていくには、自分を閉めて目標達成のための知識と経験、
そのための挑戦、闘いを続け、基礎になる富と技能を洗練しなければならない。
だからまず自分を閉めて孤立も恐れない信念が必要になる。
そして、そこで熟練した技と、エネルギーを一点に集中して新たな創造を成す。
それも時間とともに陳腐化していまう。そこで、いま一度、自分を閉めて
孤立化する。その繰返しで、人は、ここまできた。それが、常に開くことが、
良いことになっている。いつの間にか、洗脳されたのである。だから欧州では
長期休暇をとって何もしないバカンスを取っていた。
「おひとりさま、生涯未婚、無縁社会とか、村八分、一人ぼっち」。
そういうのは、レッテル張りの言葉。孤立についても、本来、人は孤独な存在。
無理に世間に合わせ、社会とつながろうとするから変になる。絵描とか、庭師とか、
大工職人は、その世界に閉じこもった世界に住んでいる。 接客業と、どちらが
良いかは、一概に言えないが、やはり、長年の歴史のある閉めた世界には、
それなりの重みと深さがある。 
 ふと、このことを考えていた時に「グー・チョキ・パー」が思いついた。
グーは、閉めた孤立の状態。パーで開いて放出したエネルギーが尽きようと
するとき、チョキが、それを切りとり終わりにする役割ということ。
<順境には、枝を張れ、逆境には根を張れ>が、「パーと、グー」に似ている。
 事業整理から4年半になるが、あのままの延長だったら、今頃は、パー。
歳を重ねていくと同時に、すべての人は、孤立化した孤独の老人になる。
「その何が悪い!」という開き直りも必要だが、趣味を持って日々を楽しく
過ごせることが必要である。
・・・・・・
4962,閑話小題 -アベノミクスへの疑問、再び!
2014年10月15日(水)
 去年の同月同日のテーマが「アフォミクス」であった。その数ヶ月前にも、
同じテーマが幾つかあった。その後、東京オリンピック誘致に成功したことも
あり、このところ批判の声が低くなっている。デフレ基調の中でのインフレ
の誘導には、必ず無理が出ることは必定。欧米各国は、先行きが不透明の中で、
オリンピック立候補を避けたが、何を血迷ったのか2020年のオリンピックに
立候補、選出された。 国家予算の半分も収入がないボロボロの借金体質の
国家が、これでは、地獄の蓋をあけて自ら飛び込む行為になる。
それも、この惨状の責任者の元首相が二人が、現在の首相と、副首相という
から、お笑い! 日本は、70年近くの実質アメリ占領政策で、狂った!と、
言わざるをえない。近い将来の国家の行く末は、惨たんたる状態は必定。 
恐ろしいが、これが現実。それを横目で見ながら、私も地上から消え去る頃。
その前に株式の暴落が起こる、それは前触れもなく、ある日、突然に起こる。 
もう一線から退いたため、その先行きが、より鮮明に見える。
 以前、同調した論説は間違いなく正しい! このバブルに乗って泡踊りを
したら、20年前の私のように、大きな失敗を犯すことになる。 アメリカは、
リーマンショック前の3倍、EUは2倍の通貨量になった。 その結果、
ドル為替が半値、3分の1になって然るべきだが、殆ど下落はしていない。
この矛盾は、遅かれ早かれ、必ず、株価か、国債の暴落につながる。
その時、誰が被害を被るか? 弱者である。この、生暖かい空気に迷わされる
ことなく、以下の内容を、いま一度、読み解くことだ・・
・・・・・・
4595, 閑話小題 ーアフォノミクス
2013年10月15日(火)
  * アフォノミックス ーアフォが、三本の矢のミックスといっても!
 安倍内閣の経済政策に否定的で、先行き悲観論の経済学者・浜規子が、
久々にTVに出演、アベノミクスを批判。こんなバブルは直ぐに崩壊するのは
自明のこと。 アベノミクスに対する街のインタビューで、20、30歳代の
17%に対し、40歳以上の74%がバブルを望んでいる結果であった。
バブル経験者の多くが、その恩恵の味が分かって期待するが、未経験の年代層は
いずれ弾けるバブルに期待していない、と冷け気味。
 浜規子は、「1980年後半のバブルは4年数ヶ月つづいたが、今度は、
そこまで続かない。前のバブルは、中産階級の風船が膨んだが、今回は、
その萎んだ風船に再びガスを入れるのでなく、別の風船を膨らませ、萎んだ風船
に紐を加え、空に上げようという代物。全くの見当違い!」と、一刀両断。
これも、当たり前。元女子アスリートが、「周囲が家を買いたいという人が多い
ので、家を買うか、迷っている」に対し、「周りが浮かれ始めた時に何を馬鹿
なことを! 家は投資の一つ。直ぐに弾けるのが目に見えている。
『周りが買うから自分も』という考えが、バブル犠牲者の発想。止めなさい!」
と、ハギレはよい。安倍内閣が発足、現在の日銀総裁が立候補をした時、
日銀総裁になりたいポチが尾っぽを振っているだけ」と切って捨てた。 
FRBバーナンキンが無制限に札を刷って、目先のアメリカ経済の崩壊を
引き延ばしたのと、日本とは違う。彼らは世界の制空権を持ち、海軍力も世界一、
言語も世界共通語の英語。その上、基軸通貨の発行国。ドルを幾らでも刷って、
それを米国債で回収するか、暴落に誘導すれば借金はチャラ。それと、
デフォルトの手がある。その米国を真似れば、待っているのは破滅。 
米国予算が議会で否決、デフォルトをすれば、世界経済は大混乱になる。
『ひょっとすると、隠れた世界戦略』で、やってくる可能性が充分ある。
リーマンショックで、世界の金融機関に隠された不良債権ともども、焼き払う
ために?金融の世界大戦と割切ってくる可能性は充分にある。数年内に火の海?
日本は米国債を4~500兆円も持っている? ・・ 世界が火の海になろう
という時、東京オリンピック誘致に成功!と、浮かれている。景気浮揚より、
国民の目を逸らすため? 阿部の横で、麻生が「アフォ違うねん、パーなんで」
とフザけているパロディのイメージが、浮かんできた。悲しいかなA・B層の
質の低下、特にB層が国を滅ぼす。
ーーー
2013/06/19
アベノミクスへの疑問
 アベノミクスの危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、
肌で感じ取っていた。再び、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は真逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者が、アベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立ってない。 先日、図書館で借りてきた文藝春秋4月号に、
 ー神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。 
ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
★ ~ブログにゃんとま~ ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
                  文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗り
 一儲けしたい投機家ばかり。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の
 大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場には金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけ
 ではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。(中略) 
 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、
 国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが
  行なった不況対策は、
 *「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 *「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。
 しかし、この政策は完璧に破綻。 
「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くの妄想、
「国際的に価格競争力を失ったのは円高のせいだ」というのもの妄想。 
競争力を失った理由は、同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、
製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど、大きな破綻を日本に
もたらし、その時はもう復活不可能な致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関が目先の
プラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
二ヶ月前の地元の高校の同級会で、当初からのメンバー12~3名のうち、
この1~2年で私を含めて6人が倒産、廃業、経営責任の辞任、自殺に追い
込まれた。過半数近くである。そう遠くないある日、中国かアメリカの
投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 
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013/04/01  
閑話小題 ー要は、アベノミクスとは?
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。
「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。その二人が偶発的に首相と
副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗した
ところで、政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの
付けは国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、銀行を通して国債
買わせることで周りまわって戻ってくる。一度、ハイパーインフレにし、銀行
閉鎖するなどの荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。世界は
通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、一より出直すべし」
ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。
そして、責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
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2013/03/07  
閑話小題 ーアフォノミックスとは
  * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったもの。
経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの内容を問われ、「アフォノミックス
そのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようで気持ちが悪い。
今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。
 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、
当を得たりと納得をした。この事態を招いた戦犯達の主犯格の安部と麻生が、
首相、副首相とは漫画の世界。殆ど、それを知っているから恐ろしい。
7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界か。しかし見渡す限り阿部
しかいないのが現実。一度チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも手か。
この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。円安も効いて、あの元気にみえていた
経済も崩壊過程。輸出依存度を見ると、日本14% 、中国26%、アメリカ10%に
対し、韓国は50%。日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。
それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響
を直撃し、急激に悪化。世界的動乱は、国力がある方が有利。資源があり、
海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードするしかない。
体力を疲弊をした日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、
TPPの参加は当然のこと。 明治維新も、太平洋戦争敗戦も、今回もアメリカに
屈した更なる開国。アメリカにとって、どれも世界戦略の一つでしかない。
韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。
中国も北朝鮮を庭先の番犬で飼っている。ここにロシアが絡んでくると、
1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の安部と
麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」。