<『マスタリー』 ロバート・グリーン著>
    * 天才の育て方
 イチロウ、大谷選手、将棋の藤井聡太などにはマスタリーという親が存在して
いて、幼児の頃から、この本のような基礎教育を施してきたはず。その意味で
教育ママ・パパの手引書でもある。彼らほどの天才は無理としても、親として、
子供に対して、あるいは自己マスタリーが可能というのが、言わんとするところ。
としても、非常に難しい問題を含む。 中学の担任の悩み、<両親とも教師で、
定年を向かえても、共に90歳過ぎで矍鑠。両親に同じ道を歩くように誘導され… 
『これでは自分の人生が無かった!』>という深い苦悩を聞かされた。初老性
欝病の典型だが…  天才音楽家とうたわれているモーツアルト
オーストリアザルツブルクに生まれる。父は宮廷音楽家のレオポルト
モーツァルト。幼いころから才覚を現し神童と称され、4歳でグラビィーア
(ピアノの前身)を習い始めると、5歳の頃には小品を作曲するようになり、
父レオポルトも自分の教育だけでは不足と感じてか、ヨーロッパ各地に演奏旅行
に連れていきました。 実に人生の3分の1の期間におよんだ旅の中で、次々と
新しい作風を取り入れていき、交響曲、協奏曲、室内楽ピアノ曲、オペラなど
あらゆる分野に傑作を残した。> 彼も父親の天才教育のベースがあった。
それらを分析し、教育プログラムにしてプロセスを踏めば、天才に…
   
  ーAmazonの内容より
人生でなすべきことを見つけ、経験を積み、仕事と生き方に熟達した“究極の境地
(マスタリー)”に到達する ―ひと握りの天才にしか達成できないと思われがちな
そのような成功には、じつは誰にでも実践可能な方法がある。 平凡な私たちが、
自分の人生をより良く生きるために、“熟達・精通の状態”を少しでも長く維持し、
自在にコントロールして、“人生の主人公になる”ための方法が示される。

   ートップカスタマーレビュー
● 黒子: 5つ星のうち5.0
 学生時代に何か特別な職業に就きたかったが、その方法が分からなかったと
言う人も多いと思う。オートバイのレーサー、戦闘機のパイロット、船舶の設計、
テレビのレポーターなど、心引かれる物があったが、その道筋が学校と家庭生活
では全く手掛かりが掴めず、自動的に進学し就職したケースが大勢であったので
はないかと思う。本書は、あこがれの職業・専門知識で才能を開花させたい人に、
その可能性を広る基本的な手順や考え方を説明している。天職発見の可能性を示し、
また興味の対象に対する能力の伸ばし方を、アインシュタインキーツなど先人
の実例を挙げながら語っている。また、能力の開発は本人の努力だけでは効率的
ではなく、取り巻く環境やメンターの係わり方とかも説明している。高校時代に
読みたかった本である。憧れを現実にできる可能性を高めてくれる本。

――
▼ 分類される直前の小・中学の最終年のメンバーをみると、両親、特に母親の
 存在が 見え隠れする。成績下位組を新めてみると、継母だったり、戦災孤児
養子や、○○の養女だったり、水商売の子供だったり。家庭環境の決して良くない
人は、成績も悪く、その後の人生も恵まれてなかった。逆に成績上位の人は、性格
が穏やかで、真面目で、独りの世界を持っており、それは家庭環境から生じていた。
さすがに天才は存在してなかったが、それでも一応は、秀才?コースの人生。
  何が幸せかは別として、それぞれの親が子供に対し 
<人生でなすべきことを見つけさせ、それぞれの経験を積み、仕事と生き方に熟達
した“究極の境地(マスタリー)”に到達するよう指導していた> 存在があった。
人生の質は、両親の質で既に決まっていた。 それも、所詮は砂利と同じ。
それぞれの条件、環境下で楽しめば同じこと。朝起きて「さて何を愉しもうか?」と
呟き、就寝時に「ああ良かった、楽しかった!」と安らかに思えれば、それで充分。
 そう言わしめるのは、晩年なればこそ、言えること!  ということは、
晩年の口癖に「ああ、良かった!面白かった!」を擦込めば良いということですか。

・・・・・・
4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
   * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 
ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も
   預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、
   あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラー。
 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で
聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で
一世帯の預金高について書いたが、平均預金1150万を 鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値
 (答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。
・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。
  ー40世帯に一世帯になる。
・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で
 月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べ
「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら
 0の人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表
 した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を
 育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 
平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上
クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。
推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。
日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどり
の馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 
(本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、
使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方
イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い? 何は使える時に使うもの!
森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。 

・・・・・・
5670,【賢者の言葉】?  〜ショーン・スティーブンソンの言葉 ーD
2016年09月23日(金)
   * 自分の才能を発揮する6つのレッスン          
  ショーン・スティーブンソンは、
『自分の限界を超えてさらに前進するにはどうすればよいか、自分に与えられた
才能を存分に発揮して人々と分ち合うには何をすればよいか』の6つの方法を説く。
≪ 1:心を通わせる
 人とだけでなく自分自身とも心を通わせる。恥ずかしいという気持ちは、
 自分自身のことを考え始めた瞬間にわいてくる。周りの人に手を差し伸べよう
 として無私無欲で考えたり行動したりし始めると、恥ずかしさは消えていく。
☆ ブログを書き続けていると、以前の自分に同調したり、逆に間違った考え
 だったことに気づき反省させられることが多い。それ自体が自分に心を通わ
 せる行為になる。心を通わせるには言葉と握手などボディタッチが有効。
 ――
  2:自分に対する言葉に注意する
 優しい言葉は人を素敵な気分にすることができる。人を傷つける言葉は害を
 及ぼす。想像してみるといい。毎日ずっと毒のある言葉ばかりを浴びていたら、
 いつか病気になってしまうだろう。
☆ ブログは、何を書いても、自慢話に陥るのは否めない。
 だから自嘲気味に書いて丁度よい。人の考える7割がマイナスのこと。
 だが、せめて自分にはプラスの言葉を投げかけないと。
 ――
  3:身体で自信を表現する
 心と身体は別々の存在だと思われているかも知れない。でも本当は、心と身体
 は一体である。身体を変えることによって心の状態も変えることができる。
☆ 早朝の、信濃川一周の自転車乗りは、土手川原の緑と川面の空気を吸込む
 ことで、心身とも洗われる。途中、大橋を牽きチャリをしながら、地球の芯と
 会話をする。これが気力を充実させる。 球芯が、自分に仮身したような。
――
  4:意識のフォーカスを定める
 自分の望まないもの、自分にはないもの、世の中は不公平だと思うこと、そう
 いった部分ばかりに意識を向けている人は、その後もずっと悩み苦しんでいる。
☆ 内語に気をつけなければ。自分を自分で大切にすれば、悩みは半減するはず。
 そのために、読書習慣をつくらないと。毎日毎日、マイナス要因を濾さないと!
――
  5:ピットクルー(仲間)は慎重に選ぶ
 現状を変えるために何も行動しようとしない人は、その後も何も変わらない。
☆ 仲間の最たる人は、連れ合い。だから神様は一番、相性の悪いのを選ばせる。
 距離を置くため。相性の良いより、悪いほうが、人生、豊かになることが多い?
――
  6:自分の人生は自分で所有する
 自分の問題を人のせいにしたり何かのせいにしたりして責任転嫁し、言い訳を
 続けている人はどんどん弱くなっていく。
☆ 「自分の人生とは何ぞや?」という疑問が残るが、「自我を押通した人生」
 ということ?「志を持って、突進んだ人生」「自問自答を、独り続けた人生」
 「自分の人生で良かったことは、なにひとつ無かった」の愚痴こそ、自分の
 人生を自分で所有できなかった有様である。
▼ 上記の6つのレッスン、毎日、心をこめた日記を書き続ければ、ほぼカバー
 出来ること。 「日記御宅も、如何なものか」は、私の自問自答になる! 
・・・・・・
4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会
2014年09月23日(火)
   * 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。会場は長岡の奥座敷
といわる蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。
出席者が西澤先生をふくめ25名。 前回より数人少なかったが・・ 
18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、
22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。
その4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会
であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ
帰ってきた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 
10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして良かった。私のクラスの
担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。
奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人で
こなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいる
ため、一人暮らしの心配は無いという。ガタがきている私たちとは、出来が
違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会
にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
・・・・・・
5305,全球凍結(スノーボールアース) 〜?
2015年09月23日(水)
 『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 穏やかでなかった地球環境
 わずか20年前まで、地球は比較的穏やかな、生物が進化するに都合のよい
環境と考えられていた。三度も、地表が凍りついた氷の惑星だった時期がある
など想像すらされてなかった。ところが赤道域で、氷河の痕跡が発見された
ことで、全球凍結説が出てきた。これで生命が全滅する可能性があったが、
これを乗越えるべく、真核細胞が生まれ出てきた。危機が、革命的進化を
生み出したのである。  ーその辺りからー (『新潮45』、280‐281頁)
≪ ・たけし:そもそも、なぜ全球凍結したかは分かっていないんですか。
・田近:考え方としては温室効果が急になくなったからと推察できます。
 原因としては、火山活動が弱くなったからではないかと私は考えています。
火山から排出される二酸化炭素が少なくなると、(二酸化炭素温室効果ガス
であるので)温室効果が弱まります。その結果、気温が下がって、
地表を覆う氷河の面積が増えていくことになります。
・たけし:寒くなって氷河が増えると、地球上の白い部分が増えて、ますます
 太陽光線を反射していってしまう。
・田近 そうです。それを惑星アルベド(太陽放射を反射する割合)といいます。
 氷で覆われる面積が広がると、惑星アルベドが増加して寒くなり、さらに氷の
面積が増えて…と、正のフィードバックが起き、全球凍結に至ったと考えられる。
氷河堆積物を調べていくと、約二十二億年前と、約七億年前、約六億五千万年
前の三回、全球凍結が起きていた証拠が発見されています。
・たけし では、少なくとも三回、地球は氷の星だった可能性があるわけですね。
・田近:そうです。ただ、この説には、地球が全て凍りついてしまうと、全ての
 生物が消滅してしまわないかという疑問が生じました。そうしたら、私たちも
存在しないことになってしまうので、そんなことはありえないというわけです。
研究者のイメージの中では、地球は金星や火星といった他の惑星とは違って、
今のような穏やかな環境がずっと維持されてきたと思われてきました。
ですから、海の水が全て蒸発してしまうとか、全て凍ってしまうとか、
そんな極端なことは地球では起こらなかったと信じられていました。
スノーボールアース仮説は、これまでの考えを覆す説だったので、
学界からの反発も大きかったんです。
・たけし:地動説を唱えたガリレオみたいなものですね。
・田近 私が学生の頃、そんな説はもちろんありませんでした。
 地球は穏やかな環境が続いてきたのだと考えられていました。
それが何故なのかが、実は私の研究テーマだったんです。
・たけし: まったく今とは逆の研究だったんですね。
・田近: 気候が変動することは、誰もが知っています。しかし、それは
 小さな変動だから、私たちは生きていけるわけです。しかし、大きな変動が
起こったら、生きていけないですよね。では、どうして地球上で大きな変動が
起こらないのか。「それを説明しなさい」と言われたら、誰も説明できない。
ですから、それを解き明かそうとしていました。
・たけし:その穏やかな環境で、生命は進化してきたと考えられてたわけ。
・田近:そうです。だからこそ、スノーボールアース仮説は、それまでの
 考えを覆すような説でした。科学では、こうした考え方が大きく転換する
ことが時々あります。八〇年代に、恐竜が絶滅したのは、地球と小惑星
衝突が原因だと提唱されましたが、あれも当初、相当な反発がありました。
今でこそ定説ですが、当時はそんな天変地異で恐竜の絶滅を説明するのは、
とんでもないという意見が根強くありました。・・・≫
▼ ネット上で、氷河時代の迷い石の写真の幾つかをみつけヤフーのブログに
 掲載したが、その多くは二万年前の氷河期のもの。どれが20億年、7億年
前のものか、私には分からないが、自然の力のなせるわざ。現在の海の深さが
平均四千m弱と富士山と同じ位だが、当時と現在は違うとしても、その大部分
が凍り付いたという。しかしアイスランドのように、北極でも、火山で地熱が
あって温泉が沸いている場所もある。また、海底でも地熱で細菌が生きていた
可能性があったから現在の我々が存在している。面白い惑星に生まれたもの。
この地球の旅で、多くの知識を得て、面白い経験をさせて貰った。
 現世のことも大切だが、宇宙からの逆照射の視線も必要である。 

6037,閑話小題 〜今度は携帯とタブレットが…
2017年09月23日(土)
   * 6年前のタブレット
 6年使用してきたタブレットPCが不調。またガラケイの携帯電話も、リタイア
もあって使用頻度が激減。しかしiPadはパソコンがあるので別に必要が無いが、
これまで非常に重宝してきた。スマートフォンもデジカメ機能など新しいアプリ
も気になる。そこで一昨日、ドコモショップに、昨日は PCデポ で事情を話し、
説明を受けてきた。ドコモで、iPadの新機種と、ガラケイ二台のiPhoneの買替え
の見積もりをしたところ、2台分で、月額8千〜1万円もコストがアップとの結果。
以前なら迷わず切替えたが、年金暮しもあり躊躇した。ならば現状のままか、
中古か、他メーカーで探すしかないと PCデポで、他の可能性を聞いてみた… 
 当然だが、コストそのままに正比例して値段が設定されている。WiFiの環境
があるので、中古iPadか、格安の他メーカー? 今さらだが、「年金暮しは、
こういうことか」と。 他に朝鮮情勢もある。購買意欲が明らかに減少する。
身軽で、気楽な身分としても、これは危ない!
 ―
   * 第二次朝鮮戦争の可能性は?
 ここまでいうか、やるかの御二人のやりとり、品位も何もありはしない。
こんどの締付けは、北にとって厳しいはず。ファジーなテロを仕掛けてくる
可能性がある。 私がアメリカのトップブレーンと仮説した脳で考えると、
<数百万?の死傷者も致し方ない! クリントン政権時の危機の時に数十万の
 犠牲者で、処理をしておくべきだった。その先延ばしの結果が、これなら。
 当然、ロシアのプーチンの思惑通りとしてもだ。>
安倍首相には、その時期が知らされてはないが、10月中は無いが、自民党不利
なら、選挙戦最中にやるだろう。アメリカには安定した安倍政権が必要条件。
韓国では、57%の国民が「開戦無し」と見ているようだが、「狼少年化?」。
やはり、注意しておかなければならない異常事態。「韓国のソウルが危ないが、
日本も同じくらい危ない。」が、現実。 
 … 「東京オリンピック開催確率」の数値を問うことは、絶対にタブー?
・・・・・・
4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部(著)
 10年前にスマートフォンタブレットPCが、ここまで普及すると誰が
想像できただろうか。まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の
姿の予測など不可能である。せめて10年先の情報技術の成果の一端を見て
みたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを
目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。
それより、それぞれ持っている脳機能にPCが連動するような機能も出てくる。
  * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理
 されるデーター量は指数関数的な割で 増えているので、経済、
 社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、
 発見、知識の共有を拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多
 がわたしたちの時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の
 成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセント
 の伸びで成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりが
 できるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社
 が各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより
 相対化 されていく。
マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワーク
 コンピューター化するユビキタスネットワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが
 集められるようになり、社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての
 自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できる
 ソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、
 それにかかる時間はどんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入
 されて大衆化するまでに三五年かかった。一九九一年のウェブの誕生から
 アメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけ。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも
 及ばない。二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な
 命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる
 神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。
 その魅力に惹かれて、毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。
これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末
(スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの二極化は、
ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
 今朝は、濃霧の中のポタリング
6時前の信濃川土手は幻想的であった。

 大相撲は白鵬が優勝。終わってみれば、
こんなものか! 

 一昨日のシネマは『スカイクスクレバー』。
これが思いの外、面白い。  評価は90点。





・・・・・・
4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 ~英『エコノミスト』編集部(著)
 10年前にスマートフォンタブレットPCが、ここまで普及すると誰が想像できただろうか。
まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の姿の予測など不可能である。せめて10年先の
情報技術の成果の一端を見てみたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを
目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。それより、それぞれ持って
いる脳機能にPCが連動するような機能も出てくる。
  * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理 されるデーター量は
指数関数的な割で 増えているので、経済、社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、
 発見、知識の共有を拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多がわたしたちの時代の
ごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の
速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセント の伸びで成長していたが、
二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりが できるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化
された電話会社が各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより相対化されていく。
マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワークコンピューター化するユビキタス
ネットワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが集められるようになり、社会、経済
ともに変容する。たとえば、すべての自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できる
 ソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、それにかかる時間はどんどん短く
なっている。電話は一八七六年に導入されて大衆化するまでに三五年かかった。一九九一年のウェブの
誕生からアメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけ。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも及ばない。二〇一〇年の時点の
世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に
発生させる神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。
 その魅力に惹かれて、毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。
これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末(スマートTV)になりつつある。
大衆と一部エリートの二極化は、ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。

・・・・・・
3833, 閑話小題
2011年09月23日(金)

  * 病上手の、死に下手
「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか?
用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。
 ネット辞書では、
【 “よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で言われけてきた 】。
病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、
「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」と
いう意味と同時に、「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」ということ。 身近の人の死に際は
須らく苦悶の末に亡くなっていく。これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」
というのがあった。 なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が
頷ける?。「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。
   ーー
 * パソコン・ゲーム
 iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが
有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドル
になってフロントからみえる道路を疾走する。左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、
ある程度の運転をフォローもしてくれる。(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレー
した映像を写し出してくれ奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ 
フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルとブレーキで
コントロールする。これも面白い。他にも幾つかフリーのゲームを使っている。とにかく始めたら止められない
で2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を
見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、
底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。
 ・・・・・・・
3468. 閑話小題
2010年09月23日(木)
   * 検察の特捜主任検事を逮捕
 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかった
ことが不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された
何人かの手記を読んだことがある。彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。
そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るというのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。
これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、
出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。 今回、逮捕された検事もまさか
自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、雑誌などで、
多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、
 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが
検察、末端が警察。
~~
  * 尖閣漁船衝突問題について
産経新聞産経抄が面白い。まずは、その内容からー
 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、
目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。
お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。
▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」
と語る。すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言っては
いけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。
▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。
何事か起きると、日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と
「私」の精神の違いだろう。
▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海で
あるとか、国際社会の秩序に
  従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす
「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。
▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の
招待で予定されていたが、中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。
楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。
▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思え
ない。
  事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】
―以上だが、中国頼みの日本は、米中の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。
  「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。
  中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 

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3093,久々にジョーク -1
2009年09月23日(水)
 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。ところが、
ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、
それなりの素養が無いと笑いが生じない。周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間
にか、酒席でも話すのを止めてしまった。先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。
下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 
それにしても久々にニヤリとした。
  * 神の思し召し
 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が
浮かばない。出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。
医師はひら
めいた。
「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられた
が、女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時に
おこない、神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」
「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。
幸い赤ちゃんは元気です」「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしが
この手で取り上げたんですから、間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い
神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。
それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、
わたしは真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」
「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」
「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」
▼ 解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで
 入っている。最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、
次のものが面白い。
《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。
「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。
あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」
「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」
「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」        ーつづく
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 -3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」-3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。 以下は、この本の
一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、いってよいほど。この天才的な
弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その
準備を楽しまなければならない。
                 Pー195
   *私が百戦百勝している最大の秘訣
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。本当の準備は労働などでは
ないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
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2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
        Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しに
なってしまう。色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。
「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。この「私」とは
何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? 
このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。
他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。ここに
メルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。 カントの言う「経験を可能にする条件」とは、
「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸
でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚め
そして話す人間のことである」(『眼と精神』)。「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということ。
そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。
というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。どんな場合でも、周囲世界に埋没
していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、つまり、
「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、人が
驚かないことに驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが
(私は地下鉄サロン事件にもアメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに
驚き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」
がないためかもしれない。少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した
女性にお目にかかったことがない。 勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。
しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声を
あげている、という女性に遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、
「いまとは何か?」と考えていることを想像するのは難しい。それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異
であるように思われる。女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。ふっと抱くかもしれない。
しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界は崩れるかもしれない、という不安感がない。
彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。それは、彼女たちが
生物体として劣っているからではなく、優れているからである。男性の不安定性と哲学とは直結している。
犯罪者も、自殺者も、精神病者も、性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に女性より男性のほうが多い。
哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。(哲学釣な)男たちよ真夏の海岸で身を焦が
したら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。
ーーー
評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかった
 ことがない。」 中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。
池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、
池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。          ヽ(★>з<)バイバイ
・・・・・・・
2006年09月23日(土)
1999, 「私」のための現代思想  -3   (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ~ ヨウ
 第一章 「私」を縛るものは何か ー
  ー《価値》についてー
<価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。
道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。私たちが社会から学ぶものです。 
多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。道徳そのものに本来は
論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、キリスト教の価値観の
問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると
 ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。
 ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。
 ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。
 ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。
 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは
ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。
  (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2005年09月23日(金)
 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集
今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、
生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、
個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。
 対談者ー今西錦司ー創造とは何か?
ー父性原理と母性原理ー
 ー今西
西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。そこからもう一つ切り
とって、その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。デカルトですけど、「我思う、故に我あり」
に当たらん。
 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日)
 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。
  (2009年9月23日)
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2004年09月23日(木)
1269, 否定的想念の恐怖
 人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を
持てば、肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は
圧倒的に強い。周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要と
するし、否定的想念は感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方
になるのは、その知識を持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に
否定的人生を強いることになる。「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として
ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。
  ーその内容とは、
ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に
協力してもらえないかと持ちかけられた。 人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、
われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2003年09月23日(火)
902, 「守護霊との対話 」
 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」と
いっていた。母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた
小林正観と中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容。
   (字数制限のためカット 2010年9月23日)
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 貧すれば鈍する
  2002年09月23日(月)
 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 
 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話
である。  彼らの共通項とは
・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。
・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘
絡み合っている。
暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。
・言い訳だけを常に考え行動しようとする。
・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、
 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。
・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の
 身近から始めている。
最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。
2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)