* 実存哲学について再び
 14年前の今頃に、キルケゴールについて書いていた。 実存哲学といえば、
サルトル」が代名詞だが、他にハイデッガーウィトゲンシュタインにも
大きな影響を与えた。実存主義のルーツは、キルケゴールである。
そこで、改めて手持ちの入門書を探すと、解りやすい解釈があった。

ヘーゲル哲学の抽象性や全体主義的傾向と、審美主義的態度に反対し、また、
現実のキリスト教、教会を批判、ひたすら自己の精神に純粋な生き方を追及し、
普遍的理性に尽くされない「実存としての人間」に注目。単独者、主体性、
絶望、実存的思准の意義を強調して、後の実存哲学に大きな影響を与えた。
これまでの世界・自然・社会など普遍的な問題を中心課題にしてきたのに対し、
人間、とりわけ個人「この私」として採り上げた。
これも、ある牧師がこの思想に対して傾倒し、独力でドイツ語に翻訳することで
後世に残ることになった。スピノザが全体性と要素の関係論と対比するならば、
キルケゴールは、全体性を担う神と、単独者としての自分の実在的な関係を
問うたということが出来る。>(「哲学で自分をつくる」瀧本往人著・引用)

<私たちは、自分がなぜこの世に生れたかを知ることなく、孤独な単独者として
自分の存在に向合い、どう生きていくかを自分の責任で決断していかなくては
なりません。キルケゴールは、この意味での主体的実存こそが、哲学の主題だと
主張する。これ以外の、理性的、ないし普遍的真理など、どれだけ手に入れても、
無意味に過ぎないことを知るべきという。数の論理に個人のかけがえなさが押し
流される当時の風潮を感じ取り、それに対して批判をしたのが実存主義である。
彼に言わせれば、「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために
生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが肝要」です。>
               (「世界の哲学・思想」小須田健著・引用)

▼ 還暦・古希を過ぎ、同世代の数が減るにつけ、単独者としての自我が強く
なる上に、孤老の問題が出てくる。否が応でも、実存的傾向が強くなる。
老い先が短くなると、過去への眼差し、「この私」に向かう傾向が強くなり、
それは普遍的理性が脇に追いやることに…。全体としての神より、内なる神、
両親の、故郷の温もりの実存的感覚が優先的になる。全身の五感で感動し、
感涙し、実際に存在してきた感覚こそが、生きている証になる。老いて、消え
去ろうとするときに、「自分は世界の一部に過ぎないが、かけがえのない<私>
という実存、「他の誰とも違う自分」という実存を、認識するのである。
個人HP内の検索で「キルケゴール」と検索すると、以下の内容が出てきた。
弱い人間には、『ありがとう』の他に、『大丈夫だよ』の言葉の内語が必要!
 いま一つ、『今を愉しめ』がある。
… …
追記: 不安といえば、ムンク「叫び」がある。 〜ネット検索によると…
《 ムンクといえば誰しも、「叫び」と題された一点の絵を思い浮かべるだろう。
 真赤に染まった空を背景にして、一人の男が橋を渡ってこちらに向かっている。
男の顔は大きくゆがみ、両手を耳のあたりに当てている。その表情には恐怖が
読み取れる。男が恐怖のあまりに叫んでいる、そういう切迫感がある作品だ。
この「叫び」に限らず、ムンクの絵は人間の精神の現れを感じさせるものが多い。
絵におけるそういう傾向は、二十世紀に入ってから、表現主義の運動などを中心
にして高まってきたのだが、ムンクはすでに19世紀中にそのような作品を作って
いたわけだ。》 
 いま何時に、余命宣言をされても不思議でない年齢に入った。
そして、この絵の人のような心情に陥り、孤老の灼熱地獄に入るのだろうが!
――――
2004/07/06
1190, 大丈夫!−2 
 * 哲学について−13
    ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返すことで、漠然とした不安感が半減すると前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生
しか生きてない人? 不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と
可能性を考えているか、生きているからだ。
大丈夫!を繰り返すことは、単純だが、毒消しに絶大の効果がある。

《 単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。
 人間の不安の90数?は、考えすぎの影でしかない。
 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」
人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えているのだ。
その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90?の影を消す効果がある。

不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな
可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。そして「不安は
たとえてみれば目眩のようなものである。… 自由がいまや自身の可能性を
のぞきこんだとき、めまいがおこるのである」といっている。》

▼ ・若いときには、多くの自由と、有り余る可能性があったが、その分、
 大きな不安が自分を支配しており、絶望感と不安が舟底の下に漂っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があった。不安感が絶望への
プロセスを生むことになる。不安から「絶対的な何か」が欠けているという
絶望感に陥ってしまうのだ。「どうしようもならないもんな〜」という言葉が
口癖だった。そしてお決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界
入っていく。これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての
基本的な姿としてとらえてキルケゴールは「単独者」と呼んだのだ。
真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。しかし、人はさまざまな
現世的価値観の中で生きている。しかも、その価値観は全て有限なもの。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなると彼は考えた。
・大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。
キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを(心の中の)
「大地震」といっている。それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。
ここで、最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見
された逸話を紹介してある。そこに、数億あったという。この人は不安感に
さい悩まされていたのだろう。
大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したり
して明日の生活に困るのが問題になるのが人生だが。

・・・・・・
5960,閑話小題 〜居候は肩身が狭い
2017年07月10日(月)
   * つれづれに 〜居候は肩身が狭い
・さて、今日より大相撲。一年のうち4分の1が興業している。
大相撲のある日々と、開かれてない日という位な感覚?である。
今場所は、若手の有望な力士が上位に集中。 昨日の初日だけで3大関
横綱が負けてしまった。荒れる名古屋場所の言葉とおり面白くなりそうだ。

・梅雨の大山は越えたようだが、何か鬱陶しいと、気分までふさぐ。
一昨日、スポーツジムで、キーの電池切れのためエンジンがかからず、
充電してあるスペアキーを取りに自宅へと歩きかけると、目前に、タクシー
がいたため事情を話し、家とSCの往復を頼むと、「自分がなおせるのでは」
と 見てもらった結果、程なく、エンジンがかり、ことなきを得た。その後、
バッテリーもあがり気味のため、わざわざ見附まで昼飯をかねて行ってきた。

・居間のTVが完全に寿命。7年3ヶ月になるが。家内共々、平均10時間は
みていたためか、諦めがついた。東芝の『レグザ』だが、これが大当たり。
去年暮れには、寝室のTVを入替えたが、これも満足出来るもの… 
 このレグザと、有機TVの買え替えには、メーカーの販促?の5万円の
更なる値引きがあり、ネット通販で一番安いのを目安に掛け合ったところ、
49万8千が、税込みで35万円まで大幅ダウンに、こち方が呆気にとられた。
息子が先日、新潟駅前の「ヨドバシ」で交渉したが、新型のため値引きなしと
言われたとか。
 昨年暮れは、長岡市内と新潟駅前と10回以上、見て回り、最後に、
ジョーシン」に、そのプロセスを話して、「今までの20年近くのTVと
冷蔵庫、洗濯機の全て、この店で買っている」と殺し文句の実績を根拠に交渉
すると、思惑通りに最安値で終わった。 問題は、そのプロセスを楽しむこと。
 資金を出す家内は当初、不満顔だったが、思いの外の大幅値引きと、鮮明な
画面に、その後はダンマリ。 寝室が私の専用TV、居間は家内が優先の棲み
分け、というところ。 としても大きい出費の度には居候は肩身が狭い。
 〜で、再び偶然、以下の文脈に続いていく。

・・・・・・
5595,閑話小題 〜貧しさだけは
2016年07月10日(日)
 最近、老人の貧困問題が取り上げられている。そういえば以前、経営していた
会社で、辞めていった女子社員の家庭内問題について、書いたことを思い出し、
ブログ内検索をしたところ、10年ほど前のテーマにあった。(下にコピー)
そこに出てきた母娘以外は、年齢からして殆ど亡くなっている?のだろう。
 嫁・小姑・姑・舅問題などが絡まった複雑な問題だが、その背景は貧困。
豊かさは一瞬で崩れさるが、それを築くには、長年の、何世代の労苦が必要。
情報化社会で、豊かな者は、より豊かに。貧しい人の人は、より貧しくなる
傾向にある。他人事ではない。何とかセフティーネット で事なきを得ているが。
10年前とはいえ、よく、こんな文章を書いていたものと・・ 
 本人には「白馬の騎士」が必要なのだろうが。 先日、読んだ本に、
<「玉の輿」は、元もと幻想。その相手と苦労した結果、豊かそうになること
 なら、有りうるが。>とあった。その結果、貧しくなる事例は有りうるのか。
 適齢期の決断で、何とか、踏みとどまった中で、一番の理由は、バランス。
短期適応、長期不適応の惨状を、あまりに多く見せられていた。
  〜そのコピーから
――――
2006/10/18
2024, ある家庭の事情
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。(本人の同意なくして
書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてください!」
とのこと・・)
そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題
(嫁・小姑など家に存在する)不条理と貧困である。
Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話。
どこの家にも、このような問題はあるが、あまりにも気の毒な構図である。
それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
        〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー  (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻る。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD
 (80歳代前半)がいる。 家は、それほど大きな家でない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
 そしてAは女子短大を卒業、新潟(私の会社)に就職して5年目になる。
 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。
 去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが
 崩れてしまった。子供二人が家を出ていったことと、母親Fが働けないため
 収入が途絶えたことで、弱い立場の陥り、その結果、鬱病になりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は
 重度の鬱病になり廃人になってしまう。A一人の収入では母親を引き取れない。
 そこが地獄絵図の世界としても、その家に帰らないと母は間違いなく潰れる。
――――
という内容である。 露骨に言ってしまえば、
 ・「行かず後家」と、
 ・その実家に「出戻ってきた母」と、
 ・嫁の立場の「お祖母さん」と、
 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな
‘葛藤ドラマ’である。
Aは華やかではないが、キリッとした美形で、浮いた話は全く無い。
この実家4人の関係の、それぞれの立場が「針のむしろ」。
・「叔母E」にしても、頼るのは弟のBしかいない、
・「家長B」も連れ合いのCと、姉Dと、娘Fとの間で神経をすり減らし
・「嫁の立場C」も、小姑Dとの同居自体が地獄である上に、
  旦那Bと娘Fとの間に立って神経はボロボロのはず。
  小姑Dが生きている限り、80歳近くになっても嫁の立場は変わらない。
・母親Fは家をでて、娘か息子の元にいくと、お婆ちゃんCと小姑Dの
 バランスが崩れる。

聞いているだけで、小説のような深い煉獄のような世界が見えてくる。
おまけに、「長生きの家系で年寄り三人は10年は最低生きそうだ」という。
更に、Bは‘独身?で外にいる息子’を呼び寄せるつもりだという。

結局は、本人Aは会社を辞め、新潟を引き上げ実家に帰って働く決断をした。
感心するのは、本人はアパートで質素な生活をしながら、母親に仕送りして、
短大時代の奨学金を5年かけて全て返したことだ。
赤貧の生活だったのではなかろうか?

その上に、その実家に母親を助けるために帰るという心情である。
若い女性でなければ手を貸してやりたい位である。
現在彼女にとって必要なのは、「白馬の騎士」である。
その姿勢を貫いていれば、必ず現れるはずだが・・・
田舎に引っ込んでしまうとチャンスは狭まるだろう・・・

私が当人だったら、どうするだろうか?
生きの良いうち?に、理解してくれる伴侶を探すだろう・・必ずいるはず!
「今どき家に縛られるのはどうか?」などとかいう問題ではない。
それか難しいだろうが、母親の結婚相手を探すのも一案である。

先日、一家を惨殺して投身自殺をした主婦の事件があったが、
永年の蓄積したドロドロしたものがガス爆発したのだろう?
あまりにも気の毒なFさんに心をこめて、「明るく生き抜いて欲しい」と
願うばかりである。この状況で明るく生きるのは難しいだろうが・・
それより、「生きているだけでも幸せである」ことに気がついて欲しい。

どこの家庭にも、このような話は親戚筋の中に幾つかあるが、
あまりに設定が・・・・
   
そのために宗教がある。「生長の家」「天理教」あたりを勧める。
天の理や、仏教の教えを噛み砕いて教えてくれるからだ。
苦しみが深いほど、救いも大きくなる。
こういう場合に、「何で既存の仏教の寺は勧められないのだろう?」
坊様には、それが解ってない!
                (*^ワ^*)i バイバイ
――――
▼ 当時は、当主のお祖父さんに問題ありと思っていたが、古希も過ぎ、
 改めて考えみるに、この状況で、身内が何とか助けあう当主の姿勢は、
人間として、崇高ではないかと、思えるようになっている。小さな家に、
本人が帰った上に、叔父が同居となると、6人は、やはり過剰になるか。

・・・・・・
2014/02/27
閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 
 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続く。
年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、今さら欲しいモノも、してみたいコトもない。
還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、日々、面白、
可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入があるかないかだが、
自然に適応するから不思議。同世代が、二ヶ月後から古希になる。
残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要、
というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、ここにきて、
周辺が寒々とした空気になってきた。貧困問題である。以前も書いたが、世界と
比較した相対的貧困問題である。この東北震災の影響が今後、さらに深刻になり、
日本は貧乏国になることは避けられない。 以前にも少し取り上げたが、
 ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、
 日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査された中では、イスラエル21%、
トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。同年調査された
韓国(15.3%)よりも高い率である。2009年には調査されなかったが、かねて
貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、メキシコが20.4%(2010年)。 
日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれもOECDには加盟しているが、
先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国の中でイスラエル
アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。逆に西欧諸国は大半が10%以下、
全調査国中最も低いスウェーデンデンマーク5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。
 厚生労働省の調査では、日本の相対的貧困は2009年の時点で16.0%は、データが
存在する1985年以降で最も高い数値。2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年
可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象
となる。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、
3人世帯で224万円、4人世帯で254万円に相当。日本は、かっての調査では北欧諸国
並みの水準で「一億総中流」と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて
貧富格差が拡大し相対的貧困が増大した。なお、ジニ係数相対的貧困率
定義が異るので一概に比較は出来ないが、単身世帯を含めたすべての世帯に
おける年間可処分所得(等価可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本は
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、
フランス・ドイツとほぼ同程度の格差であった。相対的貧困率は、1980年代半ば
から上昇している。この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつ収入は年金しか
ない「高齢化」や「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」
が影響を与えている。「勤労者層の格差拡大」を詳しくみると、正規労働者に
おける格差が拡大していない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者
が増加、また非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の
格差拡大」の主要因。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い
 年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。リーマンショックによる静かな
恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。我われ
世代は「良い時代」を生きてきたが、これからは「悪い時代」に生きることに。 
良い時代を知らないから、それが当り前?

・・・・・・
5230,閑話小題 〜古希を過ぎると!
2015年07月10日(金)
   * 中国が変と言われてきたが、ついに? 〜?
 知らなかったが、一昨日の中国の株式市場で、半数近くの銘柄が、商い
ストップになった。暴落しそうな会社が、それを阻止するために、自主的に、
売買を停止する権利があり、それを実施したため、半数の商いがなかったため。
こういう狼狽の投げ売りには、目先は有効に働くが、大きなウネリを止めることは
不可能である。それにしても一年で株価が2・5倍の方が、よほど異常であり、
その反動があって当然。株主の8割が一般投資家(日本は2割強)というから、
大暴落が起きたら、国家そのものが大揺れになる。また、信用取引が三倍まで
可能で、当り前のように行われているという。当面は腕力で抑えるだろうが、
次のステージが、どうなるか。 昨日は、世界中が固唾をのんだ一日だった。
   * 古希を過ぎると・・
 一昨日、スポーツジムの行くため、車に乗ろうとしたがドアが開かない。 
さて、どうしようか?と迷った。バッテリーがあがったようだ。
・ カード会社の「ロードサービス」か、
・ 自動車保険に電話をしようか、
・ 購入会社トヨペットのサービス部門か?  と迷ったあげく、
何を血迷ったか? トヨペットに、「どうも、バッテリーが切れたようで・・」
と、電話をしたのが間違いの元。早速、サービスが新しいバッテリーを持ってきて、
既存のものが寿命かどうかも確認なしで新しいのに交換し、「2万5千円」の請求。
電話で「バッテリーが変」といえば、相手は商売。交換依頼と解釈して当然?
「まだ、年金受給者の自覚が足りない」と、家内に嫌味をいわれ・・
「一年点検時」にバッテリー交換の時期といわれていたような? その辺りの記憶
は曖昧だが・・ まあ、緩んでいるということ! 年金暮し、こういうのが効く!
・・・・・・
4865,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー33
2014年07月10日(木)
  * つれづれに 〜事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが
深く沈んでいた時、内なる声が浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。
順調で満足しているより、この事態こそが学びではないか。こんな惨めな状態は
二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスになるはず。
そんなことも分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って
見えてきた。逆境は学び、順境は遊びと、割り切ればよいということか。
3年前も、そのことを思い出し、「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に
成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、内なる声にしたがい
冷静?に取組めた。これは、節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ 
それをみていた、月次経理監査で30年、来社をしていた税理事務所のJさん
曰く、「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか
分かっていない?」と、呆れ顔。 それに「分かっていないのは彼方!」とも
言えない。偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで起承転結の全てを経験
できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」
の気持ちが、身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、
こころ根まで折ることはない。痩せ我慢としても、冷たい視線?に対し、
逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、
その視線で、面白おかしく中傷している自分の姿が分からないのが、ブラック
ジョーク。 他人には、隠れた45年が見えないし、見ることもない。学び、
遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、の4分類で考えると、人生が
鳥瞰して見えてくる。 「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が真逆に
見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。失敗も、遊びで
括ると、ケセラセラ!に、思える。「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中
だから・・になる。全てが意味(価値)づけが可能ということ。この3つの
括りも、宇宙的括りの解き放された自由な切口で、包み込めばよい。
死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。
 人生の鳥瞰は面白い!

つれづれに

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  今日のYoutube

中国地区の大雨災害。平成で最大の規模。
何処かで台風被害、地震、噴火と続くため、地元以外は、
他所の出来事という感覚になってしまう。
死者、行方不明が200人規模といえば、大災害だが、
これが日常的自然災害の一つという現象に思えるところが異常。




・・・・・・
・・・・・・

2014/02/27
閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 
 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続く。
年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、今さら欲しいモノも、してみたいコトもない。
還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、日々、面白、
可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入があるかないかだが、
自然に適応するから不思議。同世代が、二ヶ月後から古希になる。
残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要、
というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、ここにきて、
周辺が寒々とした空気になってきた。貧困問題である。以前も書いたが、世界と
比較した相対的貧困問題である。この東北震災の影響が今後、さらに深刻になり、
日本は貧乏国になることは避けられない。 以前にも少し取り上げたが、
 ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、
 日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査された中では、イスラエル21%、
トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。同年調査された
韓国(15.3%)よりも高い率である。2009年には調査されなかったが、かねて
貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、メキシコが20.4%(2010年)。 
日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれもOECDには加盟しているが、
先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国の中でイスラエル
アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。逆に西欧諸国は大半が10%以下、
全調査国中最も低いスウェーデンデンマーク5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。
 厚生労働省の調査では、日本の相対的貧困は2009年の時点で16.0%は、データが
存在する1985年以降で最も高い数値。2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年
可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象
となる。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、
3人世帯で224万円、4人世帯で254万円に相当。日本は、かっての調査では北欧諸国
並みの水準で「一億総中流」と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて
貧富格差が拡大し相対的貧困が増大した。なお、ジニ係数相対的貧困率
定義が異るので一概に比較は出来ないが、単身世帯を含めたすべての世帯に
おける年間可処分所得(等価可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本は
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、
フランス・ドイツとほぼ同程度の格差であった。相対的貧困率は、1980年代半ば
から上昇している。この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつ収入は年金しか
ない「高齢化」や「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」
が影響を与えている。「勤労者層の格差拡大」を詳しくみると、正規労働者に
おける格差が拡大していない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者
が増加、また非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の
格差拡大」の主要因。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い
 年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。リーマンショックによる静かな
恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。我われ
世代は「良い時代」を生きてきたが、これからは「悪い時代」に生きることに。 
良い時代を知らないから、それが当り前?

・・・・・・
5230,閑話小題 ~古希を過ぎると!
2015年07月10日(金)
   * 中国が変と言われてきたが、ついに? ~②
 知らなかったが、一昨日の中国の株式市場で、半数近くの銘柄が、商い
ストップになった。暴落しそうな会社が、それを阻止するために、自主的に、
売買を停止する権利があり、それを実施したため、半数の商いがなかったため。
こういう狼狽の投げ売りには、目先は有効に働くが、大きなウネリを止めることは
不可能である。それにしても一年で株価が2・5倍の方が、よほど異常であり、
その反動があって当然。株主の8割が一般投資家(日本は2割強)というから、
大暴落が起きたら、国家そのものが大揺れになる。また、信用取引が三倍まで
可能で、当り前のように行われているという。当面は腕力で抑えるだろうが、
次のステージが、どうなるか。 昨日は、世界中が固唾をのんだ一日だった。
   * 古希を過ぎると・・
 一昨日、スポーツジムの行くため、車に乗ろうとしたがドアが開かない。 
さて、どうしようか?と迷った。バッテリーがあがったようだ。
・ カード会社の「ロードサービス」か、
・ 自動車保険に電話をしようか、
・ 購入会社トヨペットのサービス部門か?  と迷ったあげく、
何を血迷ったか? トヨペットに、「どうも、バッテリーが切れたようで・・」
と、電話をしたのが間違いの元。早速、サービスが新しいバッテリーを持ってきて、
既存のものが寿命かどうかも確認なしで新しいのに交換し、「2万5千円」の請求。
電話で「バッテリーが変」といえば、相手は商売。交換依頼と解釈して当然?
「まだ、年金受給者の自覚が足りない」と、家内に嫌味をいわれ・・
「一年点検時」にバッテリー交換の時期といわれていたような? その辺りの記憶
は曖昧だが・・ まあ、緩んでいるということ! 年金暮し、こういうのが効く!

・・・・・・
4865,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー33
2014年07月10日(木)
  * つれづれに ~事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが
深く沈んでいた時、内なる声が浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。
順調で満足しているより、この事態こそが学びではないか。こんな惨めな状態は
二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスになるはず。
そんなことも分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って
見えてきた。逆境は学び、順境は遊びと、割り切ればよいということか。
3年前も、そのことを思い出し、「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に
成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、内なる声にしたがい
冷静?に取組めた。これは、節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ 
それをみていた、月次経理監査で30年、来社をしていた税理事務所のJさん
曰く、「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか
分かっていない?」と、呆れ顔。 それに「分かっていないのは彼方!」とも
言えない。偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで起承転結の全てを経験
できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」
の気持ちが、身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、
こころ根まで折ることはない。痩せ我慢としても、冷たい視線?に対し、
逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、
その視線で、面白おかしく中傷している自分の姿が分からないのが、ブラック
ジョーク。 他人には、隠れた45年が見えないし、見ることもない。学び、
遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、の4分類で考えると、人生が
鳥瞰して見えてくる。 「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が真逆に
見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。失敗も、遊びで
括ると、ケセラセラ!に、思える。「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中
だから・・になる。全てが意味(価値)づけが可能ということ。この3つの
括りも、宇宙的括りの解き放された自由な切口で、包み込めばよい。
死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。
 人生の鳥瞰は面白い!

・・・・・・
3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  
   * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知って
いるかいうと疑問? その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 
金があれば世界の9割が自由になるし、無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 
1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って1千円の買い物をするとでは気持ちの
余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。
環境=条件が人をつくる典型的事例である。逆の話しは幾らでもある。 だから、
その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
   * 再びユーチュウブについて考えてみる!
 昼休みをYoutubeタイムにしている。見ていると次から次へと面白いものが出てくる。これまでは
マスコミがチョイスしたものが、今度はキーワードで、あらゆるジャンルから選ぶことができる。 
思いもよらない映像で、その都度、噴出したり真面目にみたり・・ これからはTV局が壊滅する
のは当然と思えてくる。 私のブログで毎日のように面白いものを紹介しているが、色いろのサイトが、
それを元もとしていた。 これではダラダラ見のTVが売りの総合局は廃れて当然である。
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通して
みる年寄りは機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった
老人の何割かは、明らかに不機嫌とイライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は
自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。
あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。なるほど人生は
60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの
出来ない事態と割り切って、人に見せないようにカモフラージュすべきである。自分もそうであるように、
同年代の知人も老化現象が起こっている。 他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、
待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。先のことを考えられなくなると、
過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、ニヤニヤ
したり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
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018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
   * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
 ―子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむず
しなくなるよ」といったものだ。年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、と言われたものだ。
いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、その病は治るよ」といわれた。いま58歳だが、これだけ歳
をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
 解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
  * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。
ひとり電車に乗って行ったあの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだった
かもしれない。「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山
を登る途中、テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と
声をかけられ、泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りると
そのまま東京に戻ってしまった。「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、
その時は、誰かが親切にしてくれた場合、それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》
  私を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、半年間は放心状態であった。
 日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。
 その翌年に、北海道の一人旅や、そして九州、紀州能登と一人旅をした。
 一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く器量はなかった。
 もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。
 あの21歳の時の旅行は、私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
  ・世界は広いこと 
  ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
  ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである。
 
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653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
2008年07月10日(木)
 
 あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛りがりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく
書いてあった。 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチ
ということか。 サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。
現在では、世界共通の集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。そう思ってみると、また
サッカーが面白く見えてくる!
ー (哲学ワンダーランド・貫成人著)より
 ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、ある種崇高とも見えるよう
な事柄には収まりきらない複雑な事情がある。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズ
リバープレートという二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる
同一フランチャイズのチームだ。
・・・・Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、ダービーマッチの対決でも、
その応援は、ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。・ポカ・ジュニアーズは
ブエノスアイレスの低地、港湾地域のひとびとをサポーターとし、・リバープレートはより高台のブルジョワ
階級のチームである。前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、後者は裕福な
イギリス系移民の住むところだ。両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う
単純なスポーツ試合ではない。それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を
異にするふたつのエスニック・グループ同士の「戦い」なのだ。低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、
常日頃自分たちを見下し、こき使っている富裕層に対して、自分たち労働者が勝利することであり、高地の人
たちの敗戦は革命に等しい。だからこそ、それぞれのサボーターは「たかがサッカー試合」なのに両チームの
プレイのひとつひとつに熱狂するのである。
ー(字数の関係で中間カット2010年7月10日)

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007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ー2
                        才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
ーヨゴレ自慢女ー
 この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどで
ある。 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、
露悪主義女。「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
 本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。それがまた、面白いところであ
る。他人を子供扱いをし、エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。自らを貶め、その場の人々に
対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が彼女の彼女たる所以である。
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
  ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
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2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。試合はフランス優位
であったが、1対1で終了。PK戦の結果,イタリアが優勝した。PKを外したフランスの選手は一生ハンデ
を持つだろう。 フランスのジダンが後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして
退場になったのも印象的であった。 開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、
イングランド、アルゼンチンが、次の候補に挙げられていた。私の予測は「ドイツが開催国の勢いに
乗ってもしかしたら?しかし、ブラジル」と、思っていた。
イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。これだけは、終わってみなければ解らないことだ。
サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と
歴史の差はいた仕方がない。私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。
勝戦は、家内がフランス。私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援
した方が盛り上がる。 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・
   n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-)    バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚
 ーーー                    
2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが
特に面白い。優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
   =字数の関係上カットしてます。   タタタタッッ≡≡≡≡≡ 

・・・・・・・
2005年07月10日(日)
 1559、つれづれに
 ー新潟駅連続立体交差ー
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが
見込める。三年前までの4年間は、朱鷺メッセ東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き
立つだろう。「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、
それに近い状態が期待できる。たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか
出せないからだ。 4棟を建てた辻褄があってくる。
 ー梅雨、真っ只中ー
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。
カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。また巣立ちした
ばかりの雀の雛が、まだ人間の怖れをしらないのが可愛い。
 ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。
・・・・・・・・・
2004年07月10日(土)
 1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられ
ない不快な現実であっても、ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、
人生そのものを目的として、それ以外の見返りを求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。
当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。これは儒教とほとんど
同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、
指導者としての力を最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。反面、彼の思想は
ファシズムにも大きな影響を与えた。ファシズム創始者ムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、
ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェの作品を贈呈している。そのため彼の思想は
大きく誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義
軽蔑していた。19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。その一人
バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすため
の計略なのだ。我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち
合わせていたのが特徴といってよい。多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に
見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。格言や聖書のように短く区切られていた。
新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。彼の主張は暗示的であり、
喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
  ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
 彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的??何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていた
 もの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて いたものを新しいもののように観察すること
 が真に独創的な頭脳の証拠である。
  ー「人間的な、あまりに人間的な」ー
・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」?
・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放して
 いくことであるー「華やかな知識」ー
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
        (字数の関係で中間カット2009年7月10日)
・・・・・・・・・・
2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2
ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。デナリ
国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、
山岳羊、雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが
印象的であった。なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。ツアー客の
全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、その20?に当ったのが幸運であった。
更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼で
あった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに
渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。「アラスカン・ハイ」という
言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られる
という。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの
特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。 
イスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。
自己承認を求めているのだろう。色いろな人生があるものだとつくづく思う。彼は星野道夫の友人で、
彼とのエピソードを色いろ話してくれた。NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズで
やっていた。また地球シンフォニーという映画にも出ていた。『旅をする木』『森と氷河と鯨』など
何冊かを読んでいた。数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの一言一言
が胸に突き刺さるようであった。 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風
で飛ばされたといわれている。 
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だ
ーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間
の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と
話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。ガイドと猟師が本人の職業で、
好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。
                                 ー続く
・・・・・・・・
2002年07月10日 スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月10 北欧旅行中


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