* 世間を『3:10:60:27の法則』で分析すると
 数日前の『3:10:60:27の法則』から、世間という妄想を分解する。世間度数
 は、下位にいくほど影響度が高くなる。それは法則それ自体が語っている。

《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、
・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人
・60%の人が、知っているけど、行動しない人
・10%の人は、知ったことを、出来るようにした人
・そして3%の人は、無意識に出来てしまう人です。
この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、
13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、
87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。》

▼ 以前に、私と家内との会話を事例に「世間話のでき方」のテーマを書いた。
ただ流されるまま生きてきた87%が、何気ない会話や、親元や学校で、知らず
に感化された分厚い固定観念。それに様々な環境が、本人を世人に育て上げる。
知識と経験を積むにしたがい、そのカラクリに気づくことになる。だから、まず
手軽な読書習慣と、読書録の作成が必要になる。それがないと、考えない世人と
して蔑視され、無意識のうちに自身を分類することになる。 会話は出来るが、
対話が出来ない層が87%。当然、13%にも存在するが、その比率は低くなる。
そこに長年かけたライフワークがあるかどうか。後にコピーするが、やはり、
5歳までの基盤構築が必要ではなかろうか。逆に基底欠損の人が多い。

【熊:おれは27%で、寅は60%、八ぁんは10%、大家は3%かい。
 寅:いや、俺は40%さ。八ぁんは世間をシリアスに貶しているからな。
  でも歳をとるたび、人嫌いになってるからね。
大家:私が3%ですか。5〜6%辺りじゃないか。それにしても、
  この法則を世間度数に当てはめるとは流石。世間、現実に埋没するほど、
 危険なことはないことは確かだよ。 今日から、『終わった人』という
 映画が上映されるというけどね。東大出の銀行マンでも、ライフワークを
 持たないと、こうなるんだ。
八:このブログを読める層は、ライフワークの必要性を気付いているだろうが…
 仲間内のゴルフか、カラオケが、それじゃあ、節目がつくれないよ。
寅:10年前にさ、映画室が10ある映画が郊外に出来た際に、八つぁんに
 勧められて月に1〜2度通いを始めてさ。御蔭で、少しは世界は広まったよ。
八:まだまだ、私は毎週だよ、毎週。それに寝室で、連日、4時間近くは、映画
 とドラマ三昧さ。それが飽きないの。
熊:世間話の功罪、何時も聞かされているので、注意して他人様の話を聞くとさ、
 あれってヤバイよ。この御蔭で、最下層より上層の35%と思ってるんだ。
大家:そのとおり、馬鹿な中傷を言わなくなったしね。
八:バカは死ななきゃ治らないというけど! 人の粗探しより、自分の好きな
 ことをしろよ。 そう誰も自分は違うと思ってるらしいが…。  

世人:何にも考えず、何もしないで、周りの気だけをつかい、楽しそうに諂って
 生きてきたが、ちっとも面白くなかったよ。だから、他人に腹が立つんだよ!
 「上を見れば腹が立ち、横をみれば腹が立ち、下を見れば底がなし、さ」 
 誰か私の人生を慰めて欲しいけれど、今さらか! 若い時節の私が、今の私を
 嘲笑しているようだし、何か大きい穴がポッカリ空いている苦痛を誰ぞ知る!
 『基底欠損』と一言でいうが、それは、両親の質の問題だろう。それと時代。
寅:世人の生き方も良いじゃないですか。それも良しと、心の底からいえるかだ。
 ただ自分がバカだと自覚はしているがね。一番、立腹すべきは、あんた自身さ。
 泣いて、喚いて、七転八倒し、全身で感動し、感涙しなかったことは、アンタ
 自身の問題。おれ、これでも、してきたさ。だから、ここで実存しているんだよ。
熊:俺だってそうだよ。尤も何も知らない、持たないことで、逆に実存してるけど。

・・・・・・
5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2015年06月05日(金)
   * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま
した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重
 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など
してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、
禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、
この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空

・・・・・・
2016/06/04
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
 
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるをえず、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
2016/06/05
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?

   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!

2016/06/06
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?

 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 昨日は、『万引き家族』をみてきた。
カンヌ映画祭の受賞作品のためか、広い館内に200人位の観客がいた。
明日の「随想日記」のテーマになるが… 評価90点。





・・・・・・
・・・・・・

5929,ネットの未来 ② ~リア充と、非リア
2017年06月09日(金)
        <「鈴木さんにも分かるネットの未来」川上量生著>
   * ネット原住民とは
 この本を読みながら、リタイア後の私は、ネット原住民の仲間入りと、
ほくそ笑んでいたが、彼らは、そんな甘くないコテコテの引籠りの人種。
ネット原住民というより、ネット先住民といった方が正しい。
今では、スマフォが普及して、ネット社会という新世界に大量になだれ込ん
でいる。先住民にとって新大陸で、非常に迷惑という。カメラ機能を使い、
現実世界の楽しみを公開、先住民のプライドも、ズタズタに壊される。
 ~その辺を要約すると
≪世には「リア充」という言葉がある。これは、リアル(現実の生活)が充実
している人で、具体的にいうと、友人や彼女と日々楽しんでいる人をいう。
逆にリア充でない人を「非リア」と呼ぶ。ネット住民は、自らを基本的には
非リアと認識している。非リアに認定される条件は、もともと、もっと厳しく、
彼女がいるかどうか、それも人生の中で一度も彼女がいない、風俗経験すら
ない位でないと、非リアと認定されなかった。ネット上では、自分がリア充
ないと主張することが重要になる。リア充は、ネット社会で憎悪の対象であり、
迫害の対象になる。
 ネット住民が誰かリア充を呼ぶとき、基本的にはその言葉に敵意が込められ
いる。ネットでよくみる言い回しに「リア充、氏ね」とか、「リア充、爆発しろ」
という。ちなみに、「氏ね」というのは、「死ね」という意味がある。
住民には、複雑な優劣等感が入り混じっている。
 ▽ ネット住民の劣等感の例
・現実社会で友達が少ない
・彼女・彼氏がいない
・学校でいじめられた経験がある
・自分の趣味の理解者がいない 話すと相手がひく。
 ▽ 優越感の例
・PC、ネットの使い方に詳しい
・新しい情報をネットを通じて調べる能力がある
・ネットリテラシー(何をすると炎上するか)に詳しい。
リア充は、最近では、肯定的な意味で使われることが多くなった。
リア充」と同じぐらい重要な言葉が、「情報強者」「情報弱者」。
つまり、ネット検索で最新の情報、正しい知識を手に入れ得をしている人達。
今では、情報強者とは、賢い人、情報弱者は馬鹿、というニュアンスがある。≫

▼ 一日、16年以上、3~4時間はパソコンの前に座っている私は、先住民と
 思い込んでいたが、後続の流民の一人、地続きの二つの世界に住む、大部分
の人たちでしかない。新しネット住民は、現実世界を楽しむ「リア充」で、
占められている。先住民は、その居場所を追いやられ、怒りに満ちている。
新大陸に居場所をつくってしまえば、これほど面白いところはない。流民の
私の実感は、<とにもかくにも、落ち着き、充実感があり、面白い!>

・・・・・・
5564,閑話小題 ~にほん縦断こころ旅 ~②
2016年06月09日(木)
   * 自転車に乗ってとうとう6年目  火野正平
 「文芸春秋・4月号」に火野正平の『自転車に乗ってとうとう6年目』があった。
私自身が、8年目になるので、これに触発され始めたのではない。兎にも角にも、
直に川辺の自然の中を電動アシストの力を借りて、疾走するのは、この上なく
気持ちがよい。 車輪付のグライダーに乗ったようである。
 数年前から、NHK/BSで、朝食を食べながら、この番組を観るのが
日常になっている。あの目線で、土手を突っ走った直後のため、何か延長上
にいるような錯覚をすることシバシバ。 人懐こい火野の生の声が聞こえて
きそうな文章である。  ~全文を2回に分けて紹介する。
【 最初にNHKプロデューサーの企画を聞いた時、「アホちゃうか」と思ったよ。
普通、火野正平にこんなの頼まないでしょ(笑)。俺が自転車に乗って日本全国を
旅する番組『にっぽん縦断こころ旅』(NHKBSプレミアム)も、今年の三日からの
放送でとうとう六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で百日は
自転車に乗っている。六十六歳でこれだけ乗っている人は、なかなかいないだろ。
確かに自転車は子どものころは好きやった。12歳からこの仕事をやっているけど、
子役で稼いだギャラの大半を自転車につぎ込んでいた。中学・高校では毎日
乗っていたし、サイクリングクラブにも入っていた。大阪の豊中に住んでいた
から、六甲山にもよう上ったな。
 だから番組で久々に自転車に乗ったときも、段差があるとこでは必ず尻を
浮かせていたし、体重移動も自然に出来ていた。スタッフはお尻が痛いって
言っていたけど、俺は痛くなったことはない。俺のケツが凄いのか?って思った
けど、体が覚えていたからなんだろうな。もちろん坂道はしんどい。大山の
鍵掛峠なんて「行くとこやない」って、スタッフもみんな愚痴っていたもの。
 自慢できるのは、これだけ乗っていてコケたことがないこと。昔はかなり
危ない運転をしていたけど、いまコケたら大怪我するかもしれないから、だいぶ
気をつけてる。若い頃はスピードが出すぎて、このまま行くと崖から落ちちやう
から、わざとコケて止める、なんてこともしていた。いま考えると恐ろしなるな。
自転車だと車じゃ見えないものが見える。風も、気温も、雨も感じることが
出来る。道端に虫がいたらそれも分かる。この番組は視聴者から貰ったお便りに
書かれている「こころの風景」を探しに行くのがメインテーマだけど、自転車
だからこそ見つけられる場所もある。たまに「何これ?」っていう場所もある
けどな。単なる路地の曲一がり角とか(笑)。   ~次回に続く~ 】 
▼ 最近、いやに同月同日分の内容が偶然にして出来すぎではと思えるほど、
テーマが同じか、続きものとして被ることが多い。恐らく、脳には自覚できない
何かがあるのだろう。 なんだろう、これは? それと、あの「布置」という
偶然。人生の節目で、己の心の血を、私の傷口に直接的にぬり付けてきた、
大部分の、当人か家族に、病気か事故が生じるのは?
 この年齢になれば、家庭内に、病気や事故の一つ二つはあって然るべきだが。
 数日以内に、「復讐するは我にあり」のテーマを書いてみる。
それにしても、ここまでシリアスの偶然の一致は、我ながら気持ちが悪い?
 いや、気持ちが良い! ですか。
・・・・・・
5199,閑話小題 ~にほん縦断こころ旅 
2015年06月09日(火)
 4月~11月までの8ヶ月間、雨天以外の毎朝6時半から7時半まで
ポタリング(自転車散歩)を続けて、はや、6年数ヶ月になる。
家に帰った直後、NHK:BS『にほん縦断こころ旅』を見るのが日課である。
通りすがりの車の中から、『いつも見てますよ!』と声が掛けられる。
NHKの印籠を持った『水戸黄門』一行様の行列が、親しみをふりまいて
通り過ぎていく。火野正平は人懐こい風貌、性格が特徴。 町、村の小さな
食堂の食事の場面が地域性があってよい。また、それぞれの地区の人の暖かい
触れ合いも色を添えている。 先日、一人家さきで、休んでいる火野の隣に、
何気なく座って話しかけてきた80歳過ぎ?の老人との会話がよい。
 話の切欠に、老人が、『私の歳が幾つにみえますか?』に対し、
火野が、『そういうには、見た目より、遥かに歳をくっているでしょう』に、
『91歳です』と。確かに10歳は若く見えた・・ 老人は気なく人生を語る。
『戦争で、満州に4年間、抑留され、昭和24年、24歳の時に帰国した。
マイナス30~40℃には・・』 火野は、『昭和24年は、丁度、自分が
産まれた年だ』と答えていた。 人に歴史ありで、何とも印象に残った会話。
 ーところで、NHKのHPから、この番組の案内をコピーしてみたー
≪  目指すのは、あなただけの「こころの風景」
 俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を走ります!
その日の旅の目的地を決めるのは、みなさんから寄せられたお手紙です。
「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との出会いの場所」
「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの景色」など、
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある
「こころの風景」を訪ねます。 たくさんの人々と出会い、上り坂にあえぎ、
下り坂に笑う、ぶっつけ本番の旅。(時にはチャリオをつれて、電車やバス、
船、軽トラック!?にも乗ります。)そして1日の旅の終わりには、どんな
「こころの風景」が待っているのか?これまで4年で8,188kmを走破し、
404日間(※)旅してきました。5年目の春は和歌山をスタートし、東海、
そして関東へ。東北の太平洋側を通って北海道を目指す14週間の旅です。≫
▼ 『世界まち歩き』という番組があるが、これは、世界の街を気ままに
 歩いた現場感覚を大事にした内容だが、火野正平・目線の自転車の道路から
みた光景がよい。自分の代わりに、自転車で、各地を見て廻ってくれる感覚が、
親しみを感じさせる。自転車で完走するのではなく、ところどころ、バスや
電車で繋ぐことも抵抗感が全くない。伴走の4人を含めて5台の自転車一行。
他に、地元のNHKのワゴンが、別目線で一行を遠めで撮影している。
 毎朝の一時間の自転車散歩、実感は、あんなもの。ただ違うのは、
早朝であること、毎日、同じ風景であること、そして独りということ。
長距離用サイクリング自転車に対し、私のは、電動アシストクロス自転車。
iPodで音楽を聴いていること。 同じことは、独りごとを言っていること。
 自然を楽しみ、味わっていること! 
・・・・・・
4834,つれづれに ーミニ物語の効用
2014年06月09日(月)
   * ミニ物語の効用
 連日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に考え事を
楽しめるようになった。人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、
サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、その言葉の羅列を繰返す。
一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマはー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を
 醒ますと、そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察
すると、やはり当時の部屋。これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実の
ような感じもする。すると、私は誰かの居住部分に無断で寝ていることになる。
まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、何時の
間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして夢からさめ、ウトウト
した後、覚醒した。現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年、の語り直し」
を書いているが、過去の折折を思い出すに、当時の具体的イメージの細部を
引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出されるのでは!と思い至った。
これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思う
だろうが、目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの
花子とアン』のハナが、想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面
が度々、出てくるが、それを自分でも身に着ければ、より心が豊かになる。
度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナー
だが、22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、
実際には、その層には、受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、
殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ自転車を乗せ、近隣の山や海辺で
ミニサイクリングが可能なことが決めてになった。納車後に、初めて乗ったが、
やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに行って
乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラ
1・5倍の距離を走るが・・ 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 
もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。その辺の陰口?まで吟味
すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、
「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、どちらがきついか」
の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活
の厳しさ、さてどちらか? 前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。
後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、
各質問が下ネタなどエゲツナイ。 -要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 
 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 
 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、これが、
 あと二年も続くと思った時と、夜半に死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。
 何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?
  の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が
 良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、
 「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどでは
 ないが、やはり白眼の中、甘くない日々。失意平然としているつもりだが、
頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリング
とスポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々と
コナスことで、むしろ健康的であるが、やはり特異体験である。
それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・
・・・・・・
4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で
田中慎弥芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、トップに取り上げていた論文を
見逃してしまった。最初は最近書かれた内容と思っていた。その内容が的を
得ているので冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された
論文と知り衝撃を受けてしまった。今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り
上げた主筆が瞠目したという内容。著者は「共同執筆・グループ1984年」。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは
高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘をならす
ものだった。それから37年、朝日新聞若宮啓文主筆が1月10日朝刊の一面で、
この論文に注目し、「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」
と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 
敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、精神的には、ほとんど
敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然
自失の状態である。次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。
「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、身に覚えの
あることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。
欧米が主導してきた文明とは何だったのか。