* 霊的なものは身体や脳という物質を介さなければ…
 霊的な世界を簡潔に説明している個所である。霊感に関しては体質の問題で、
全く霊体験をしたり、持ったことのない人には、解りようがない。何度か経験
してきたが、現在は薄れている。私は父親の霊?が、10年近く体質化して心底に
あり、不思議な現象を度々、経験をしていた。孫のようにように幼児の頃から、
愛され育ったこともあり、元もと、脳内などに染み込んでいたことも…
それにしても、死ぬまでの、生への渇望のエネルギーには、驚いてしまった。
 丁度、27歳、起業へのジャンプ台から飛び出すに、このエネルギーが、その
まま原動力になっていた。 以下は佐伯啓恩の『反・幸福論』のー死後の世界
と生命についてー の一節である。

≪ 実際、この宇宙にはまだとらえられてない、不可思議なエネルギーが存在
するようで、それどころか、宇宙を構成している物質の殆どは未知のエネルギー
とか、物質だか、正体を知りえないものだという。 そこで仮にそうした霊的
エネルギーが存在するとしましょう。それでもそれが人間の精神を形つくると
するには、やはり人間の身体や脳という物質がなければなりません。そうで
なければ、この不定形で停泊場所をもたない宇宙的なエネルギーが我々の
意識や精神になるとは思えません。仮に人間のうちに霊的なもの、つまり、
「精神」と呼ぶようなものがあるとしても、それは、物的な身体性と不可視
の霊的エネルギーの結合というほかないでしょう。とすれば、身体が消えれば
意識も精神も消えてしまう。それは宇宙に拡散して存在するかも知れません。
しかし、それは「私の霊」ではないでしょう。「私」がないのだから「私の霊」
などというのはありません。
 …確かに死ねば何もなくなるかもしれないが、『魂でもいいから、そばにいて
─3・11後の霊体験を聞く』奥野 修司 (著)という本がある。東日本大震災
後に、多くの霊的現象や体験が報告されている。その聞き込み取材を行った
著者によって、多くの事例が紹介されている。… これらの全てが錯覚だと
いう勇気がないが、少なくとも、地震津波で身内を失った多くの人達が、
何か説明のつかない体験をしたと信じていることは事実であり、しかも、
多くの場合、その霊的体験によって、残された家族が多分に安らかになった
という事例を読めば、そのことに疑いをさしはさむ必要もありません。≫


▼ 具体的な霊的現象の記述を、ここで数限りなく書いてきた。霊体質とか、
 霊的経験のない人からみれば、『いい歳をして、馬鹿か?』でしかない。
脳内現象では割切れないことは、世界には現にある。
 兎にも角にも、以下の内容を… 

・・・・・・
2001/12/19
[138] 夢についてー8

  (今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみる)
海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい
谷の間を飛行している夢ー最高の気分
お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ
白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ
長岡の大手ドウリの店ー子供のころの3階の部屋の夢
どこかの町でトイレを探している夢
大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢
5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢
母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿で、
もう亡くなった不運の一生だった叔母が見ている夢
ー母の生前の10年前の頃
あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢
お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、
その池が幻想的である夢
・・・・・・
[204] 霊体質ー3
 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、考えられない遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができ
  その下を通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」を
  したときの事。丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。 
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを
  趣味としていた。その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。

                                          • -

S6201霊的体験
私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと
十日町の彼の家へおまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと
般若心経の話になりました。
そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さん
の顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さん
の話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確率で
彼女の家の前に車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を
“B”さんが通って知っていたのです。私がそこに“偶然”(?)車をとめて
しまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられ
ないという風でした。私自身またかというのが実感でした。 その日一日
“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとっていた。

ーーーー
霊的体験‐                 
平成4年 7月

20年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・
2014/06/14
「事業人生を決心して45年」の語り直しー14
  * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!
ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から
《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より
 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な
体験をした。死後数日後に妙な夢で、私自身が父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の
妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!
という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父そのものであるし、父と一年
身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。夢よりさめた自分の
魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからない。
更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。
その時は、父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。
その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ち
あがりトイレに行った。全身汗びっしょり。まだまだ不思議な事が多くあった… 
あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》
 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立の根は、父と姉夫婦に
根があった。父親は、典型的明治生まれの、質素倹約が基本にあるが、派手に
湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては
義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時
に私を二度、仕入れに同行させていた。将来のための実学のため。それと、子供
時代より実家の転業と、商売の現場で体感していた。これが急遽、本店を任され、
何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起
して私に成り代わったようでもあった。まず産地を歩き、情報を集めること!が、
コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの過程を
見れば、姉夫婦が不安になって当然。
 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、
母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、その上、白紙委任状を送りつけてきた。
父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に
するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に
姉夫婦への対決を決意する。千葉での相方(親戚筋)から、気を許して話した
本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する
陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の
総スカンが露骨の針のムシロの中、怒りの電話を何度も私にしてきた。 
父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 

・・・・・・
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。
ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も
次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる
従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。
死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。
晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。
地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

・・・・・・
H0511妙な夢―(?)  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団
に入る。ところが、ところが、自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)
である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と
音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数回してみたが、
しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象が
あるそうです。

・・・・・・
H0511妙な夢―(?)  秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、
何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが
痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の
27〜28才位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事も
なかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に
その話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”
といわれた時、はじめてゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと
中断した。あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも
乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた
のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。

つれづれに

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  今日のYoutube

今朝は雨で、ポタリングが出来ずしまい。
何か気分がすっきりしないのは、このせいか。

TV朝日のセクハラ問題。事務次官事務次官だが、
騒げば騒ぐほど薄気味悪い疑念も残る。

新潟県知事の「女子大生買春問題」、財務省事務次官
セクハラ事件で、殆どマスコミで扱われなくなった。
不幸中の幸いだが… 何処の誰かは、どうなる。




・・・・・・
・・・・・・

5883,本物の教養 ー2
2017年04月24日(月)

   * ネット上にあった「教養」とは
 いつものように、ネット検索で調べると、以下の通り。
「博識と教養とは違う」とあったが、経験や、知識を重ねる中で養われた
人間性というところ。私に言われているだろう「人間性に問題あり」とか
いうのは、「猫に小判」で、何ら意味(価値)を齎さないのか… 
でも、この年齢でも、好奇心を持ってワクワクして過ごせるだけでも充分。
 
《 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることでなく、
 心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、
全部忘れても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、
生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真に
カルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。  
 『正義と微笑』/太宰治 》

《 僕を動かす原動力は、やはり好奇心であると思います。知的な好奇心、
 フィジカルな好奇心、少しでも意識を広げていきたいという思い。
                 『 村上さんのところ』/村上春樹 》
《 …ところで教養という言葉も、やはり何か定まった対象に関する知識の
 修得を意味しているではあろうが、その対象が何であるかはむしろ従であって、
 知識の修得によって、個々の知識以外に何かよきものを得る、自分自身の中に
 よき変化をもたらし得るというところに主眼点があるのであろう。(p115)
                 『目に見えないもの』 湯川秀樹 》
 「よきもの」「よき変化」は、上記の黒田先生のいう「砂金」と同じ。

《 ・一般に知ることというのは知識を増やすことと考えられています。
 しかしもちろんそうではありません。私はよく学生に、自分が癌の告知を
 されたときのことを考えてみなさいといいます。
 …あと半年を宣告されてそれを納得した瞬間から、自分が変わります。
 ですから、知るというのは、実は自分が変わることだと私は思うわけです。
・自分が変わるとはどういうことかと言いますと、それ以前の自分が部分的に
 せよ死んで生まれ変わっているということです。しょっちゅう死んでは生まれ
 変わっているのだから、朝そういう体験をして、夜になって本当に死んだと
 しても、別に驚くにはあたらないだろうというのが、有名な「朝に道聞かば
 夕に死すとも可なり」の意味ではないかと、私なりの解釈でそう思っています。
 『養老孟史特別講義 手入れという思想』 養老孟史 》
――
▼ 教養は目的であって、手段ではない。繰返し書いてきたが、
『個々人は孤独な存在。己の知っている範囲の中でしか、外と内(心)の世界
を知りようがない。だから、まず博識を目指し経験と知識の獲得を自分自身で
追求するしかない。その為には、触媒を可能な限りするしかない。「今さら」
を乗越えた先にしか、砂金は見つからない。好奇心と驚きと、感激、感動する
心(感情)に、カギが隠されている。それを見失ったゾンビが、『世間人』。
 その『世間』が、神様と日本中の大部分が敬っているから始末が悪い。
南無阿弥陀仏」の代わりに、「ねえねえ、知ってる!」 
「和して同ぜず」は、個個が確立してないのが、共同幻想に埋没するしかない
人たちを戒めた言葉。その為に、まず博識、そして教養が必要になる。娑婆!

・・・・・・
5518,閑話小題 ~‘つれづれに’哲学について ー①
2016年04月24日(日)

世界を席捲してきた米国もピークを過ぎようとしているが、まだまだ
その力は侮れない。その文化風土の中で生まれた実用主義たるプラグマティズム
とは、如何なるものか、改めて調べてみた。{参考:「山川哲学」小寺聡編集}
   * プラグマティズムの成立
《 プラグマティズム(実用主義・有用主義)は「行為」「行動」を意味する
 ギリシア語pragmaに由来する。19世紀後半から20世紀にかけて,資本主義を
確立し,工業生産力を急速に増大させつつあった米国の文化風土のもとに
形成されしべんた哲学。
 従来の形而上学的・思弁的哲学に反対し,思想と日常生活とを密接に関連
させる経験論の伝統を受け継いだ米国的な哲学である。この立場は,具体的
経験の中に科学的方法を生かし,知識や観念を行動のもたらす結果によって
絶えず検証しようとする点に特徴がある。当時の発展するアメリカ社会の
雰囲気を反映して,人間生活の未来への楽天的信頼感を基礎にもつ。
この思想の代表者は,米国のデューイ,イギリスのシラーなどである。
パースは,すべての観念の源泉は行動にあるとして,その立場をプラグマ
ティズムと名づけた。》
  まずはでデューイの根本思想から
道具主義: デューイの哲学の根本思想。学問や知識は,人間が行動する時
 にその行動に役立つ道具である,という考え方。デューイによれば,知識・
 概念・理論は,人間の生活実践から離れて実在する永遠不変のものではなく,
 生活過程での矛盾や困難を解決するための「道具」にほかならない。
 したがって,知識や理論などは使用することを通じて絶えず改善されるべき
「仮説」としての性格をもつ。ある知識・理論の価値は,他の道具と同様,それ
 自体の中にあるのではなく,実際に使用された場合の結果の有用性にあるという。
:創造的知性: (実験的知性)デューイの重視した知性のあり方。
 人間が日常生活の中で様々な困難にぶつかる場合,はっきりとした見通しを
 たて問題解決を図り,未来を展望する能力。人間は,この知性の働きによって,
 過去の習慣の修正を遂行し,新たな人間性を発展させていく,とされている。
:デューイの言葉: 概念・理論・思想体系は,道具である。すべての道具の
 場合と同じように,その価値はそれ自身の内にあるのではなく,それを使用
 した結果にあらわれる作業能力の内、にある。『哲学の改造』 
▼「概念・思想・思想体系は道具」とは、プラグマティズムを一言で言い
 表している。創造的知性の背景に、実用主義があったとは。 日本人が、
プラグマティズムに大きく影響されていたことを改めて知った。経済、
経営とは、そもそも、そういうものだとしても。ドラッガーの思想は、その
典型。デューイの課題は、個人の自由・平等・幸福を最高の価値とする
自由民主主義を、時代の要請に合わせて立直すことにあった。その点は、
日本国内の政党も同じだが。問題は、それを実現する能力の格差。
 米国大統領選のトランプ候補の発言を聞いていて、プラグマティズム
限界が、そのまま現われ出ているようだ。 面白には面白いが・・

・・・・・・
5153,知の逆転 ~⑩
2015年04月24日(金)
           ー知の逆転ー 対談相手~マービン・ミンスキー
   * 感情とは思考の単純形だ ー感情機械としての人間
 感情で動く多くの人からみたら、元もと感情が単純形と思うのは当然。
逆に、心理学者や哲学者からみれば、感情は複雑で底がしれない泥沼の
ようなものと考えているため、改めて考えることになる。考えつくした
末の感情であれば、決して単純形ではないが・・ ~その辺り~より
≪ ミンスキー: 何干年もの間、人々は、「思考」すなわち理性的で論理的
 で機械的なものと、「感情」すなわち自然で論理的でないもの、というふう
に区別してきたわけです。従来の心理学は、自然な行動というものは二種類に
分けられるという考え方に基づいていました。 ちなみに私に言わせれば、
何にせよ世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違いです。
そうすると、全てを「これ」か「あれ」であると言わなければならず、両者の
間に位置するものに対して、橋をかけられない。私の発見の大半は、少なく
とも三つの事柄があるという考え方に基づいたものです。ですから、「ここ」
から「あそこ」へ行うとしたときに、障害(三つ目のことがら)があれば、
それを迂回するという考えが出てくる。 
 本来「思考」と「感情」を分けて考えるべきではないと思います。「思考」
というのは非常に複雑で、われわれは実に多様な物事の理解の仕方をする。
一方、わずか10~20くらいの別のやり方でも物事を理解していて、これらを
「感情」と呼んでいるわけです。従来、「思考」というのはシンプルで論理的
であるのに対し、感情は非常に複雑で強力で神秘的だと考えられてきたわけ
ですが、これが大間違いなんですね。
 「感情」というのは非常に単純な動物でも持っている。ある状態では
とてもお腹がすいているから、食物がほしいと思ってそれが行動を独占する。
別の状態では危険を感じる、だから即逃げる。そしてまた別の状態では――
というふうに、単純な動物は、こういった反応の仕方をするわけです。
 これに対して、哺乳類や鳥類の一部、タコなどの複雑な動物は、状況に応じて
実にさまざまな反応の仕方をするわけで、これらを「思考」と呼んでいるのです。
従来の考え方とは逆に、「感情」というのは単純かつ機械的であり、「思考」は
実にさまざまな状況の判断や反応の仕方をするものだというふうに、見方を変える
必要があると思います。・・・(略) P194 ≫
 ▼ 「思考」が単純で論理的プロセスであると考えるのは全くの間違えで、
単純で、機械的なのは、怒っているとか、恋をしているとか、腹が減っている
とかの「感情」の方であるという。感情的になって事業停止をしたのではなく、
考えつくした上で、決断する。あくまで、感情は思考の単純形というのは、
自分の経験からみて至極当たり前のこと。一時的恋愛感情だけで結婚、その結果、
冷静に互いを見つめて、考えた結果の離婚の多さが、それを物語る。 熱病に
でもなければ結婚など出来ないが! まずは一息、入れろ!さらに、もう一息!
・・・・・・
4788,「道徳」を疑え! ~2
2014年04月24日(木)
       「道徳」を疑え! ~自分の頭で考えるための哲学講義~        
 * 自分の頭で考えるための哲学講義 ー大抵のことは嘘を見抜くこと
   ーまずは、その辺りを抜粋ー
《 哲学の第一歩は疑うことである。なぜ本質や真理に到達するために疑う
 ことが必要かというと、本当のことは常に隠れているからです。私たちは
ついつい人から聞いたことや、実際に見たものをそのまま本当のことと信じ
込んでしまいがちです。でも、たいてい、それは嘘なのです。これには人間の
弱さや未熟さが関係しています。イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、
それを「イドラ」と呼びました。本当のことを隠してしまう臆見(おっけん)
のことです。 彼によると、人間には四つのイドラがあるといいます。
・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じます。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できないのです。
・二つ目は「洞窟のイドラ」です。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んで
 しまったかのように、個人の狭い事情により生じる思い込みです。
 その人の受けた教育、影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い
 考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込み。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いもの。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因になる?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。あたかも劇場で観たものに強い影響を受ける
 ように、すでに完成した塊のストーリーを目の前に提示されると、人は容易に
 信じてしまうものです。バトルゲームに影響されて犯罪に走る若者がいるように。
 このように、人間は弱い存在であることから、なかなか本当のことが見えなく
 なってしまっているのです。したがって、本当のことを知るにはあえて
 見たまま、聞いたままのものを疑うことが必要になってきます。
 しかもそれを根源にまでさかのぼって徹底してやらなければなりません。
 そうして初めて、答えに到達することができるというわけです。批判的・
 根源的に考える哲学という学問が、出来合いの「正しさ」を植えつけよう
 とする現行の「道徳」とは正反対の営みだということが、これでご理解
 いただけましたでしょうか。・・・ 》
▼ 私が40歳過ぎから還暦まで年に二回以上、秘境・異郷を中心にした
 ツアーに参加して気づいたのが、逆照射の視線である。極北のアイスランド
の地から見れば、日本は極東である。アフリカの最南端のケープタウンから
みても同じで、日本で思いつくのは、空手、忍者、侍、ソニーぐらい。
そこからみた、常識とか、道徳を分解すると、上記の四つのイドラになる。
地球を象に例えると、我々は、その皮膚のヒダに棲むダニかシラミになる。
その視線が行く回数を重ねる度に、強くなっていった。装置産業もあって、
あまり人と接する必要もなかったため、強固な小さな視線しか持ち得ない人
との接点を最小に保つことが出来たことが、人生最良の環境と思っている。
 他人からみたら、変人そのものだろう。それも、人間関係工学(造語?)
を40年以上も独学を続けているのだから、やはりオカシな人間だろう。
おまけに、創業を20歳の時点で決心したため、視線が現状、現象の先を
見つめることが優先となれば、言動は誰から見ても変? それでも変な
創業事業者という隠れ蓑があったが、それが無くなった今!?
・・・・・・
4421, さっさと不況を終わらせろ
2013年04月24日(水)         
 * アベノミックスの理論的背景は、こんなもの!  
    「さっさと不況を終わらせろ」ポール・クルーグマン (著)
 安部政権の経済政策の大元が、この本ではないか? しかし非常に危険と
思うのは私だけでないはず。国力が無い国が、これを実行したらハイパー
インフレになり国家破綻になってしまう。強者の手法ならよいが。
そこで、日本は強者か、弱者なのか? 腐っても鯛(資源、軍事、金融、
世界共通言語、農業などが出揃っている)のアメリカとは立ち居地が違うと
懸念するが。まあ、ジャブジャブの結果、どうなるか見物である。
   ーアマゾン内容紹介ー
 いま最も信頼できるノーベル賞経済学者がついに叩きつけた不況打破への
最終解答!  リーマンショック以降、いまだに好転の兆しを見せない世界経済。
では、各国政府と中央銀行、そしてわれわれが本当になすべきこととは――? 
いま最も信頼できるノーベル賞経済学者が、ついに叩きつけた最終解答。
(本書「訳者解説」より)ー日経「エコノミストが選ぶ」2012年経済図書第2位
≪ 本書の主張はきわめて単純明快。いま(2012年)はまだ、りーマンショック
 以後の不景気が続いていて回復していない。そして失業者の技能や労働市場
の価値の低下から、その害が一時的なものではなく、長期的被害になりつつある。
だから景気回復策をきちんとやろうということだ。そしてその手法も明快。
【 前書きよりー 昔ながらのケインズ的な財政出動をやろう。
 赤字国債を出して、大ものを一気にやるべきだ。そして中央銀行はそれを
金融緩和で徹底的に支援すべきだ。それに伴う財政破綻だの金利上昇だのは、
悪しき固定為替制度の下にある、ユーロ圏のスペインやイタリアのような
かわいそうな国以外は、全く心配する必要はない。以上のきわめてシンプル
な主張をまとめたのが本書となる。】 ・・・(略)
【 あとがきよりー 本書を読んで、一人でも多くの人が現状の各種政策の
 愚かさに気づけばとは思う。財政出動しようよ。かなり手遅れとはいえ、
復興まともにやって、教育やインフラ補修にどんどん予算だそうよ。そして
予算つけるだけでなく、ちゃんと消化しようよ。必要なら予算執行の細かい
基準とか緩めようよ。日銀は、すでにやっている国債引き受けをもっと
認められた枠いっぱいにやろうよ。それ以外にも、自分たちの保身だけでなく、
日本の人々のことももっと考えてよ。そして増税なんて今やることじゃない
でしょうに! そういうことを理解してくれる人が、少しでも増えてくれれば─ 
 こう書きながらも、それがどれほどはかない望みかは、知らないわけじゃない。
それでも、一人でもそうしたごく基本的な部分を理解できる人が増えることで、
日本経済の未来はすこしはよくなるはずだ、とぼくは信じている。報われない
信仰かもしれないけど…そのために、本書がごくわずかでも役立つことが
あれば、大いなる幸せだ。―山形浩生(訳者) ≫
▼ これで不況が終わるのだろうか?本当に!ハイパーインフレになった時、
 銀行閉鎖かデノミを実施すればよいのは分かっている。現状がすでに待った
なしの事態からみれば、それでよいのか? PIIGSとは違い、自国通貨で
インフレを起すから大丈夫とかは、このグローバルの金融の世界で果たして
通用するのか? そのツケは、社会的弱者にまわってくるので、現在の
選挙システムでは、政権そのものが持たない一年内閣が、続く。
ということは、ハイパーによる自滅が4^5年先と見るのが道理だが。
顔色だけは良い麻薬漬患者?あっそう、アベグロ劇場の始まり!
・・・・・・・
4047, 一時停止 ー5
2012年04月24日(火)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955~2010
  * 魂という言葉
≪ フランスのアランという哲学者は、「一つの身体の運命に結びつけられた
 精神が魂(AME)というものである」と定義した。同じフランスの現代の
前衛的文学者たちの中には、魂などという語はもう使えないと言っている人たち
もいるらしい。彼とって人間は魂という言葉ではとらえることが不可能なほど、
細分化され抽象化された存在なのだろうか、だがぼくにとっては、魂という言葉
はまだ或る現実的な手ごたえをもってる。 肉体なしでも成立するかのように
使われる精神という言葉とちがって、魂には人間の肌のぬくみが感じられるんだ。
精神はたしかに個人の肉体を離れて、その死後もかずかずの書物や芸術によって
伝えられてゆく。だが魂は、個人の肉体の死後むしろゆきどころを失って
宙にただようもののように思える。「詩人の魂」という歌があったっけ。
たしか歌の歌詞は忘れられても、そのメロディは人々に口ずさまれて残ってゆく
というような歌だった。自分はいったいどこから来て、どこへゆくのか、自分が
たかだか百年に満たぬ人生を、この無限の宇宙の中の地球と呼ばれる星の上で
過すことに、どんな意味があるのか、そんな疑問にとらえられたことのない人間
はいないだろうか、そして決して本当の答を得ることができないそんな疑問に、
精神は或る仮の答えを出すことが出来る。たとえば、いまのぼくは、自分に
こだわるより、むしろ我を忘れて自分を超えた他人の世界にかかわってゆく
ことに、あるべき生きがいを見出そうとしていると言えるかもしれない。・・≫
▼ アランの魂について、「一つの身体の運命に結びつけられた精神が魂」
 という定義が分かりやすい。 キリスト教徒は、「魂は人間の不滅の本質
であり、魂は死後に 報酬か懲罰を受ける」と信じている。 私の魂の解釈は、
「心は毎日変わるが、魂は、その心を支えている生まれてから死ぬまで一貫した
幹である。感激は心の響きだが、感動は魂の振動」である。秘境の大自然の中で
何度も魂の振動を経験した。それが感動である。全身全霊で何かに没頭した
ときに魂が現れ出てくる。