『ロボットだって心を持てる 達人対談
           前野隆司vs・ビートたけし新潮45:2017・10月号』

   * 「意識』はすべて「錯覚」というけれど…
 図書館から数ヶ月前の‘新潮45’を借りてきて流し読みをし、ここで
テーマとして取り上げること屡々。たけしとロボット博士の幸福論が面白い。
<ありがとうと感謝の念をもって、ありのままで、やってみよう。
そうすれば、なんとかなる。その積み重ねが、幸せをもたらす!>
 これは、創業の基本理念にもつながる。 幸せな人とは、
《夢や希望や強みを持ち、つながりと感謝を持ち、前向きかつ楽観的に、
自分らしく生きる人。あるいは自分を信じ、他人を信じて生きている人》になる。
    〜要所を抜粋〜
≪ たけし: ロボットに心を持たせるにどうしたらよいか研究や考察をしたら、
 人間には主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認する「受動意識」
 しかないという仮説を唱えているという。…
前野: …その「受動意識仮説」とは、私たちは嬉しいとか悲しいとか、この
  ギャグを言おうかとか、意思で決めているような気でいるが、それは全て
 無意識のうちの処理が先にあって、その結果にすぎないということ。
 私たちは自由意志があるようにような気がするけれど、自由意志などは本当は
 ない。脳の背後で動いているプログラムがあって、それが出した結果を自分が
 やっているように錯覚しているにすぎないというのが、「受動意識仮説」です。
 例えば、「コーヒーを飲もう」と決める。自分がコーヒーを飲もうと決めた
 気がするけれど、本当は脳の中に小人がたくさんいて、それらが、色いろ
 検討をして決めた結果を自分が決めたように感じている。
前野: だいたいコンピューターは10年で100倍、20年で一万倍賢くなる。
 何十年後には人間の頭脳を超えてしまう。幸せな人は、利他的で、性格が
 良いという結果が出ている。ロボットが賢かったら、幸せになりたいと思う
 じゃないですか。幸せになるためには良い人でなければいけないと気付くから、
 嫌な奴にならないと思うんです。
たけし: 先生の幸せの研究は、人々がどのようなときに幸せを感じるかの
 アンケートをとって、その中から要因を取りだして、共通要素を分析して
 いく手法ですよね。
前野: 幸せの4つの因子とそれを現す言葉として、
  やってみよう:自己実現と成長の因子
  ありがとう :つながりと感謝の因子
  なんとかなる:前向きと楽観の因子
  ありのままに:独立と自分らしさの因子があります。
たけし: なぜ人は生きているのか? この世を風呂屋に例えると、
  いい温度の風呂につかっていることが幸せ」だとすれば、熱すぎず、
  温すぎない丁度いい温度に水で薄める努力をしないとね。
前野: 何故生きるかという問いに対し、西洋では神の存在を説いて、
  天国に行くために生きるということになる。ところが仏教では、
  「欲は本当はない」と説く。何のためにいきる、といった目的は徹底的に
  ないと説きます。…私の考えは仏教徒と同じ。「人には全く自由意志がない。
  要するに、自分が感じている欲もないし、生きる意味もない本当はない。
  自分が感じているものは全て脳がつくり出した錯覚にすぎない。何もないん
  だから、幸せに生きた方がいいんじゃないか。風呂の話と同じで、何で
  風呂に入るか分からないけど、どうせ入るならあ適温がいい。だから、
  最近やってるのが幸福学なんです。でも、なぜ生きるかとなると決定的
  理由は見つかりません。
たけし: 「阿波踊り」じゃないけど、「同じバカなら、踊らにゃ損、損」と。
――
▼ コンピューターの能力は、「ムーアの法則からして、10年で100倍、20年で
一万倍、賢くなるが、実生活で、スマートフォンタブレットPCの進化からみて、
決してオーバーと思えない。20年前といえば私が52歳の頃に、中高生時代の同級生
が数人、亡くなったが、生き残った身として、一万倍のコンピューター社会の進化
を目の当たりに出来た彼らとの差の実感は、あまりに大きい。(比べること自体が
おかしいが…)
 成るほど、中村天風の説く「積極一貫」の精神こそ、幸せをもたらしてくれる。
同じ人生、踊らな損だよ。元幕臣でありながら、新政府に仕えたことなどを
「痩我慢の説」で批判した、福沢諭吉に対して、勝海舟が答えた言葉
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」
幸せも同じ。意味も何もありゃしない。まず、やってみて、それを楽しむこと。
 ・・・・・・
4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7
2013年04月21日(日)                
 * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲
 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、
十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して
分かりやすく説明している。
≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが
 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、
統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 
ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌
『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは
資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む
ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、
ケニアタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し
をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような
大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。
もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと
したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、
極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。
マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで
暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、
その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 
 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも
不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。
彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより
過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。
もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件
ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に
こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。
ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件
のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。
日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった
ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って
いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、
お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで
一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 
幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと
に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。
買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに
気づくのだ。 ・・・ ≫
▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて
 いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」
して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は
先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の
先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。
中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。
東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て
もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。
豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを
見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの?
でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、
今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」
など感じようもない。
・・・・・・
4044, 一時停止 ー4
2012年04月21日(土)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長
に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは
どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、
考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも
が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから
私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、
すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と
同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、
子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、
いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって
最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど
の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人
として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね
あてはまるだろう。 ≫
▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。
 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。
それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に
見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が
でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡
となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。
 ・・・・・・
3678, 自己を見つめる −5
2011年04月21日(木)
  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  ー 境遇 ー
【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、
 自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の
 過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的
 歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。
 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール
 (旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で
 あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに
 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・
  遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。
 格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、
 他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、
 私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の
 過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。
 こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、
 裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの
 すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的
 経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる
 人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型
 である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、
そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に
出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ
初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は
大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは
異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
・・・・・・
5150,知の逆転 〜?
2015年04月21日(火)
         ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス
   * 没頭している「平和の時間」こそが
 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン
に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している
ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、
落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、
何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。
 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・
この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。
 ーその箇所を抜粋ー p149 
≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、
 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症うつ病
消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。
われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイト精神分析
では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて
いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける
と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな
平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では
ないでしょうか。≫
▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、
 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も
「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる
自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に
なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」
に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。
それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様!
ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。
・・・・・・
5880,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜2
2017年04月21日(金)
   『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
              池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
 21世紀の初年度が始まった2001年の9・11テロかで時世界が様変りをした。
ユダヤキリスト教イスラム教の対立の鮮明化である。これに中国の躍進と、
時代かかった北朝鮮が絡んだ複雑な様相が現在時点である。その結果、強者は
より強く、弱者はより搾り取られる様相になっている。当然、お金のない国家
対金持国家の対立が浮き彫りになっている。北朝鮮アメリカ、欧州対中東、
中東の内乱、IS国家の設立がテロなどを誘因する原因となっている。
 それそのままが、以下の数値で物語っている。
≪ ・2000年、世界のGDPは、ドルになおすと33兆ドル
   2015年は 73兆ドル。増えた富は、一番豊かな人びとの元に貯まった。
 ・世界を100人の村に例えると、世界の富のうち
   49%は、1人のいちばんの大金持のもとに
   39%は、9人のお金持ちのもとに、
   11%は、40人の、わりと豊かな人のもとに貯まりました。
  50人の貧しい人のもとにあるのは、たった1%です。
 100人の村では1人の大金持ちの富と99人の富がだいたい同じです。

・インターネットを使う人は28億人増えて 32億人。大よそ10倍に。
・中国では自家用車が300万台から1億2400万台に増えた。40倍である。
・世界の通貨、その国だけでなく、世界中で使われている。
  44%がアメリカドル
  16%がユーロ
  11%が日本円
  6%がイギリスポンド
  3%がオーストラリアドル
・世界の株の値打ちは、この15年で二倍近く増え、もうすぐに
 世界のGDPと同じになります。 ≫
――
▼ 21世紀は、ネット環境が進化し、世界の半数近くが、情報端末を
 持つようになった。今まで権力の乱用は、ネット上で一瞬で表沙汰になり、
権力者は、その座を追われる時代でもある。チャンスとリスクは裏腹だが、
そのバックグランドが、地域社会、国家内から世界に広がってしまった。
しかし、その基盤ルールのコントロールが、全くできてない。あるのは、
「弱肉強食」のルールのみ。そしてテロを含めた新たな戦い。

・・・・・・
5515,閑話小題 〜「はてな」のブログ、100万人超え
2016年04月21日(木)
    * 「はてな」のブログ、100万人を超えた!
はてな」ブログのビュアーの数が、昨日で延べで100万人を超えた。
開設以来、9年4ヶ月、一日あたり300弱になる。現在も、月当たり
を均すと、同じ300人になる。 月の4分の3が、250前後だが、
月に一週間ほど、その2〜5倍のウネリがある。なぜか、内容に力が入った
ときにビュアーが増える。
 当初からの個人HP「えんぴつ」が、ちょうど丸15年。この「えんぴつ」
のブログは一日40人前後。当初から増えも減りもしない。旧来からの知人を
中心にしたビュアーが見ているようだ。 内容が「はてな」と同じため、二つ
とも見る人もいないから、合計で一日330人が見ていることになる。
 一つにしないのは、万一の炎上したときのリスク分散のため。 
それにしても100万人とは驚き。それと15年と、9年4ヶ月も。
  * ああ、お金ですか
 誰かの言葉に、『 人々は、お金では貴いものは買えないという。
そういうきまり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠なのだ 』
がある。学生時代から社会に出だしの頃、自分のお金が手元になかった。
誰ものことだが、金が無いと、希望も夢も、遥か彼方にしか見えてこない。
そして10年、20年経ち、それなりの金額が、資本として見えてきた時、
自分の言葉と、目の前の具体的な夢と自信が見えてきた。貴いものも、貴く
ないものも、具体的な自由を現前に現してくれるのが、お金。問題は、それを
生き金か、死に金にするかである。 それもこれも妄想でしかないなら、
持った上で妄想をみたいもの。
・・・・・・
4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜?
2014年04月21日(月)
   * 倒産よもやま話(三年目の実感) 〜?
「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、
弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。
苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して
いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。
この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった
ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」
という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』
と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ
変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。
10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震
柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 
経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、
その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、
「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、
排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。
 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット
社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化
これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。
その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、
国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり
明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、
飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、
事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。
で、近く避難先で、町を見下ろしている。  

つれづれに

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イメージ 2

イメージ 3

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=BlTCXShunpI


昨日のシネマは、「レディ・プレイヤー」をみてきた。
物語云々より、3D画面が美しい。これまで見たこともない立体的な画面が次々と出てくる。
数年前にみた、『アバター』や、『2020』の壮大な画面に吃驚して以来である。
 私の評価は、95点。


  解説 (レディ・プレイヤー)
≪ スティーブン・スピルバーグ監督が、アーネスト・クラインによる小説「ゲームウォーズ」を映画化した
 SFアクション。貧富の格差が激化し、多くの人々が荒廃した街に暮らす2045年。世界中の人々がアクセスする
VRの世界「OASIS(オアシス)」に入り、理想の人生を楽しむことが若者たちの唯一の希望だった。
 そんなある日、オアシスの開発によって巨万の富を築いた大富豪のジェームズ・ハリデーが死去し、
オアシスの隠された3つの謎を解明した者に、莫大な遺産とオアシスの運営権を明け渡すというメッセージが
発信される。それ以降、世界中の人々が謎解きに躍起になり、17歳の孤独な青年ウェイドもそれに参加していた。
そしてある時、謎めいた美女アルテミスと出会ったウェイドは、1つ目の謎を解き明かすことに成功。
一躍オアシスの有名人となるが、ハリデーの遺産を狙う巨大企業IOI社の魔の手が迫り…。作中のゲーム世界
には、アメリカはもとより日本のアニメやゲームに由来するキャラクターやアイテムなどが多数登場する。


・・・・・・
・・・・・・

5515,閑話小題 ~「はてな」のブログ、100万人超え
2016年04月21日(木)
    * 「はてな」のブログ、100万人を超えた!
はてな」ブログのビュアーの数が、昨日で延べで100万人を超えた。
開設以来、9年4ヶ月、一日あたり300弱になる。現在も、月当たり
を均すと、同じ300人になる。 月の4分の3が、250前後だが、
月に一週間ほど、その2~5倍のウネリがある。なぜか、内容に力が入った
ときにビュアーが増える。
 当初からの個人HP「えんぴつ」が、ちょうど丸15年。この「えんぴつ」
のブログは一日40人前後。当初から増えも減りもしない。旧来からの知人を
中心にしたビュアーが見ているようだ。 内容が「はてな」と同じため、二つ
とも見る人もいないから、合計で一日330人が見ていることになる。
 一つにしないのは、万一の炎上したときのリスク分散のため。 
それにしても100万人とは驚き。それと15年と、9年4ヶ月も。
  * ああ、お金ですか
 誰かの言葉に、『 人々は、お金では貴いものは買えないという。
そういうきまり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠なのだ 』
がある。学生時代から社会に出だしの頃、自分のお金が手元になかった。
誰ものことだが、金が無いと、希望も夢も、遥か彼方にしか見えてこない。
そして10年、20年経ち、それなりの金額が、資本として見えてきた時、
自分の言葉と、目の前の具体的な夢と自信が見えてきた。貴いものも、貴く
ないものも、具体的な自由を現前に現してくれるのが、お金。問題は、それを
生き金か、死に金にするかである。 それもこれも妄想でしかないなら、
持った上で妄想をみたいもの。
・・・・・・
4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 ~②
2014年04月21日(月)
   * 倒産よもやま話(三年目の実感) ~②
「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、
弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。
苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して
いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。
この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった
ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」
という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』
と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ
変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。
10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震
柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 
経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、
その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、
「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、
排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。
 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット
社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化
これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。
その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、
国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり
明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、
飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、
事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。
で、近く避難先で、町を見下ろしている。  


・・・・・・
2938, イエスマン
2009年04月21日(火)
 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。
 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを
自分に課したことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」
と言われ、半年間、“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。
スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。
「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。
楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。パスしていたら始まらない」
と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
人生は毎日がYESかNOかの選択の連続。面倒なことや厄介なことはできれば回避したいし、
まったく興味のないことや絶対に無理なことにはNOと言うのが賢明な選択ーなのかもしれないけれど。
でも、もし、それらのすべてにYESと答えたとしたら?  
その結果、全てが好転し始めたとき、思わぬどんでん返しが待っていた・・
全てに“YES”と言ったらどうなるのか、を実際に試してみたBBCラジオのディレクターの体験実話が原作の
イエスマン “YES”は人生のパスワード』。全米では08年12月に封切られ、初登場1位の大ヒットを記録した。
 ーー
 これを読んだだけでも、是非とも観たくなったが。数ヶ月もすればDVDが発売されるので楽しみにしている。
オバマが選挙キャンペーンに使った言葉、「イエス、ウィ、キャン」に通じるところがある。
「ノウマン」の本当に多いのに驚かされる。「ノウ、ウィ、キャンノット」である。
誰に頼まれて、ノウばかりいっているのだろうかと?  ○○が強度のノウマン。
必ず、秘境旅行の行き先を決定する時は「絶対に、そんなところは行かない!絶対に」から始る。
仕方がないので、一人で行くと手続きをとる瞬間に、しぶしぶ「仕方がないので行く」とのたまう。
何時ものことだが、不安が人生の枠をはめてしまう。強固に反対した旅先ほど、よい結果が待っている。

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2574, 我々は 井伏鱒二山椒魚?
2008年04月21日(月)

山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、
頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。 ?『山椒魚』本文より?
岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ蛙を
閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった
現実(生活レベルの環境)ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から
出れなくなった悲哀である。人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。
身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。家業に縛られた長男、長女の立場も
岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!
しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が
大きくなって出れなくなって云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。
といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、
同じことかもしれないが。 その後人生を重ねて自分を振り返ると、自分も同じである。
これを読んで、ピンとこないのは鈍い?山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、最近は岩屋には餌が
激減しているようだが。それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため、岩屋でもけっこう面白か!
 
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2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 ?4
   U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
「反時代的毒虫」ー河野多恵子奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から

P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
 P-156
車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、
   ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。
   そういう人たちの顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものを
   はっきり意識していた。」
車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、浮浪者というかホームレスという
   形になっていくと思いますね。比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。
   じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。
   ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。なぜ水商売に行くかといったら、
   この日本社会では保証人になってくれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
   私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
   そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
(09年04月21日 字数制限のためにカット)

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解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。
 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」
 という言葉が深く染みる。私自身も父親の影響を受けたため、金に関してシビアの方だ。
 父は「人間の金に対する建前と本音」の乖離を冷たくみていた。特にひ弱な教養人と自認している人間の、
 腰の弱さ、底の浅さ、うそと安っぽさを見抜ききっていた。問題は、それを直視するかどうかである。
 世の中は、やはり8割は金で解決できるのだろうか?まあ「猫に小判」という言葉もある!   
 馬鹿に金を持たせても、ただ見ているだけのヤツ多いね、ホント!
   m(_ _)m       使い切るヤツよりいいか? どっち?

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2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見える?4
                       ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
 第二章 かくしてローマは誕生した。
  
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
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ー建国伝承ー
 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。
この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。
シルウィアは双子を産み落とすが、怒った叔父の王は双子を川に流した。
双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、
王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて
移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家
囲まれた小さな「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」
であり、人口が増えないことには、自衛のための兵力すら維持できないからであった。
さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として王の選出を含む国家最高議決機関である
民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に共和政の歴史を古くに
求めるために作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、
この民会の選挙で選出(この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。
王の任期は終身。しかし原則として世襲制はとらない。王の最大の責務はローマの防衛であり、
そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤めるローマ軍全軍の指揮を担当した。
(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)  (。・・)_且~~ お茶どうぞ
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以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
ローマの王は市民全員が参加する市民集会での投票で決められる。
王は終身制であったが、他国と違って王の子孫や血縁者が自動的に王になるのではない。
あくまでもローマ市民の同意がなければいけないということにした。
さらに、市民集会は王の政策に承認を与えるという権能も持っていた。
このように王の権利はかなり制限されたものになっていた。その王の政策の助言として元老院が創設された。
現代の民主政体では国家権力を司法、行政、立法の三権にわけ、それらがお互いにチェックしあうことで、
権力の暴走を防ごうとしている。ローマの制度は現代式の民主制度ではないにしても国家権力の三分割と
いう点で似ている。形式上は王政であっても、その王は市民集会によって選出されるので、ローマ市民の意識は
「王の国」ではなくて「我らが国」であった。だからこそ彼らは戦争の連続にも耐えられたし戦意も衰えなかった。
現在の日本より政治体制と大して変わりはないでないか?いや、皇族ー王政が選挙という面でローマのほうが?
人間性という面で、千年経っても変わっていない?             ー つづく
                    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
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 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』?1

クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。
「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。
むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。
ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、音楽の世界に急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、
先ず知りたいのが歴史と分野の体系であるから、この本はタイミング的にみてもベストであった。
これまでに、知識としてクラシック、ポピュラー、世界の民族音楽の三分類と、
・クラシックではバロック、古典派
・ポピュラーではブルース、ジャズ、フォーク、ロック
・世界の民族・地域音楽として、アルゼンチンタンゴ、スペインのフラメンコ、ロシア民謡、イタリア民謡、
・・・位のものであった。それが、この本では解りやすく、時系列と分類を鳥瞰できるように纏めてあった。
=以下は検索で調べた概要である。
 ー知的生きかた文庫  三枝成彰監修
 この一冊で‘音楽通`になれる!
バロック、古典派、ロマン派・・・どんな音楽?代表的な作曲家は?
・「ソナタ形式」「交響曲」の定義は?
・バッハ、モーツァルトベートーヴェン・・・これだけは知っておきたい!
・どんなオペラが有名で、何から観ればいい?
・ジャズは、いつどこでどうして生まれた?
・「スウィング、ビバップ、ハード・バップ」ってどんなもの?
・ブルースが生んだ重要な音階「ブルーノート」って何?
プレスリーブームからフォーク・ロック、ハード・ロック、パンク、そして90年代グランジ・ロックまで
・歌舞伎に欠かせない音楽の知識とは?
ー目次
1 クラシック音楽(中世・ルネサンスの音楽 バロックの音楽 古典派の音楽 ほか)
2 ポピュラー音楽(ジャズ ロック 世界のポピュラー音楽 日本のポピュラー音楽)
3 世界の民族音楽 (ラテン・アメリカの音楽 アジアの音楽  アフリカの音楽)
4 知っておきたい日本の伝統音楽(邦楽の世界)
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次回から具体的に、それぞれの音楽の言葉の意味(ジャズとは?クラシックとは?とか)をまとめてみる。
                        つづく
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2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー

・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。
 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。
 どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
 一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
 世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
 真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。
 いま与えられているものに対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、
 自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。
 自己の唯一無二性への感謝。?たとえいまから100万年経ったとしても
 自分とまったく同じ人間は現れない。 自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。 「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
ー感想
 力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。しかし考えてみれば、内奥の力は
 今あるものに対する感謝・気づきから出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
 毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。

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2003年04月21日(月)
747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
 
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。もう50年も前のことだ。
 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。

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2002年04月21日(日)
383,チンパンジー

TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。
人間そのものである。 まずはその社会、ボス争いが面白い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。
特にボス争いが熾烈である。また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。
鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。 嫁いびりや集団リンチなどもある。
京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。
アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。