* トランプと、ケネディの対談だとさ
神さん: おい寅さん、今度は御前さんが出番だよ。トランプにケネディじゃ、
  やはり大家さんにフォローしてもらわないとね。
寅: 何でトランプなんだよ。寅に「トラ」を掛けたジョークですか?
  それにしても民主主義の矛盾が出たね。悪いことに、北朝鮮だも。
ケネディ: おいおい、選りにもよって、トランプ大統領と私を組合わせ!
  敵国に情報操作を依頼してマサカの当選をした泡沫だろ! いくらなんでも
  嫌だね。神様とはいえ、沈黙しますよ。それに寅との組合せとはね。
トランプ: 何で悪いって決め付けるんだ。民主党何ぞ、それも黒人を大統領に
  するセンス。 当然、開国のインディアンの虐殺は、誰の目にも明らか。
  スペインは南米、イギリス、フランスは北米を分けあっただろう。で、虐殺。
  だから北朝鮮に、ドテッ腹にミサイルを突きつけられるだ。私の役割は、
  悪しき民主主義と、平等主義を正すことさ。まずは、北朝鮮からね…
大家: 民主主義国家アメリカの歴史は、先住民の大量虐殺の上に成り立っている
  のは事実ですよ。その数は 1000万人とも1500万人とも言われじゃないですか。
ケネディ: … 
トランプ: その上に、アフリカから奴隷を持ち込んできて、何を今さらだ。
  世界は、白、赤、黄色、黒色の人種的階層が現実にあるの。インドのカースト
  を見れは解るだろう…
大家さん: それを言っちゃお終いさ。理想を掲げ、矛盾を乗越えるのが人間よ。
寅: でも、現実社会は、差別社会、階級社会ですよ。長屋だって、そうさ。
  長屋でいえば、大家が一番で、次が八つぁん… 
大家: だからこそ、理想を掲げ、空に輝く北極星を目安に歩むしかない。
  それが、人間というものじゃないですか。
トランプ: 何を綺麗ごとを? ケネディは名門の出だろう。綺麗ごとをいって
  いられるのは親父が悪辣で、稼ぐだけ稼いだ元があるからじゃないか。
ケネディ: …
大家: いくら泡沫候補とはいえ、品位も何も無いじゃない。
トランプ: あんただって、あわや核戦争一歩手前までいったじゃないですか。
ケネディ: …
寅: そういう歴史の積重ねのアメリカの地盤を、根こそぎ叩き壊している
  のが分からないんだ
大家: アメリカ建国の精神を否定してるんだよ。
トランプ: アメリカは、国民の約80%がキリスト教徒で、かつプロテスタント
  の比率が高く、多数のプロテスタント教派が存立してるんだ。キリスト教
  弱者救済だけどね、ローマがキリスト教を国教にした時から、白人のための
  宗教に変わっていったのは歴史が証明しているじゃないか。 ケネディ
  そうだろう?
ケネディ: …
寅: この人、戦争おっぱじめるよ。 このままじゃ、弾劾もありうるしね。
大家: 神様、何とかならないですか。
神様: なるようになるしかないし、見守るしかない。 トバッチリを受ける
  のは、何時も弱者。これだけは確かですよ。神の私が言うんだから確かさ。
寅: 冗談じゃないよ。北朝鮮の原子炉が破壊されると、季節風放射能
  日本を覆うじゃないないか。それと、活動中の原子炉を狙われるよ。
トランプ: レッドラインを遥かに超えたのを見逃すわけがない。それに多くの
  疑惑が有耶無耶になるしね。黒人と女の言いなりの8年間の後始末さ。
ケネディ: いざ、ボタンを押すか押さないかの瀬戸際。独り震えたいましたよ。 
  押さないで済んだがね。 …ああ、独り言ですけどね。
寅: 北朝鮮がオリンピック開催の前日に、軍事訓練とは。それじゃ、終わった
  直後に、アメリカの出番になる。
トランプ: …  
寅: 途中ですが、仮想対談、これで終わります。

・・・・・・
5808,閑話小題 〜毎日が面白い! (後編)
2017年02月08日(水)
  * 毎日が面白い! ―まずは、ヨガ(後編)
 6年前に始めたが、何故か数度で止めてしまった。そして翌年、まず5回、
そして10回と意を決して再挑戦をして現在に至っている。平日・昼間コースの
ヨガの枠が5回ある。当初の週二の枠が、5回に増えたが、参加者も8割だった
のが、現在は、50人の定員が殆ぼ満タン状態。火・水は事前に予約チップを
数時間前に取りに行かなければならない。ヨガは、60〜90分で、1200〜1500円。
私の場合、月に18回として、一回千円とすると18000円になる計算。満タンに
なるわけ。慣れるほど、自分以外の人たちが気にならなくなる。5年になるので、
600〜700回は参加したことになる。ヨガは、心にも毒が溜まるのが自覚できる。
それを一刻の間に、少しでも吐出すことが出来る。最近、5年前とは体質が変化
した感がする。老いるとは、長年の心の毒が一人歩きをし、そのまま生老病死
の4苦として重く圧し掛かる。
 ポーズで、例えば『ガス抜きのポーズ』がある。仰向けになって曲げた両足
を両手で抱えるポーズとか。『ゴキブリのポーズ』で、仰向けで両手両足を
ゴキブリにように、ばたつかせるポーズとか。『立木(リツギ)のポース』で、
立ち木のように両手を頭の上に合わせて、ギリギリ上に伸ばすポーズとか、
顔をしかめたり、縦に伸ばしたり。犬や猫が背中を伸ばしたりするポーズが、
結構、面白い。これらを50人のポーズを一番後方から見ると、それは壮観。
――
2013/05/25
早朝座禅 
        「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
  * 座禅とヨガの呼吸法
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での
永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、禅室で独り座禅を組んだことも
あった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみれば
ド素人の野狐禅だが、青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考える
と、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ整理をしていた
ことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし
行き先を考えていた。雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸
の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 
基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、5秒間止め、10秒かけて吐き出す。
そして5秒止め… を繰り返す。 実際にやれば分かるが、この息が続かない。
これに対し著者の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。
それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、
 体の中の空気を全部吐きだす感じで、吐ききってください。吐ききれば、自然に
吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一〜十まで数える。
 ヒト〜で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ〜で長く深く吐き、ツで
吸います。これを、何回も繰り返すのです。呼く息は、自分の気海丹田に吐き
かけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、
少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、
 腹に空気を溜めて膨らませます。そして腹から空気を押しだすように、鼻から
 ゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐く
 イメージ。胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。
 ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。
30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、深呼吸は身にはついているが、
新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、
その必要もないが。
――
2013/05/16
ヨガと座禅の違い
 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回は超えているが、
回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に野狐禅だが、六日町
の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に広い禅室で独り座禅を
組んだことがあった。ただシーンとした中、「直ぐにでも止めようか」という気持
と戦いながらのたった独りの座禅は、永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に
叩かれる状況より辛い。誰もいないため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。
 ヨガで仰向けになり全身を弛緩する「死者のポーズ」があるが、これは座禅の
禅定に似ている。飛行機内の座席で、耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思い
を泡のように流していると、何かのゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間が
アッという間に過ぎてしまう。ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その
状況から仏の悟りに近づくことにある。
ーヨガと座禅の違いをネットで調た中で、納得にいった3つをコピーしてみるー
《人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら瞑想に
ふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと「軛(くびき)」という
ことで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが次第に神の力に人間を結びつける
ことを意味するようになり、その修行法として智慧、愛、行、瞑想が重視された。
一般にヨガと呼んでいるのは、このうちの瞑想による神人合一の方法である。
このヨガは紀元5世紀ごろには「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派
が独立してさかえ、完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。
このヨガの修行法が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながる。》
《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)を
 整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これによって
初めて超自然的な力が得られ、対し禅は「禅定」に深くかかわり、静けさを求める。
禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の悟りを追体験して
”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。禅は「無」を標誘し功徳や
利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をすること。ヨガは神人合一して
身心の健康を増進させる。》
《ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの哲学書
にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える事で、心の
動きを抑制する方法として古くから用いられた。 後に、ヨーガ学派という哲学
集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと言われています。
そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として用いられ、釈尊も、
瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」という修行法として
確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド独特の修行法をアレンジ
したものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は同じであると言える。
違いと言えば、仏教における修行は、さとりを目指す為の方法であり、現代の
ヨガは、心身の健康維持のためのもの、という点でしょうか。座禅とヨガとの
関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を盛り込んだ、精神統一の方法で
ありますし、「禅」といいますのは、「禅定」つまり精神統一をし、真理を観察
することであって、「座禅」は座法や呼吸法を用いた「禅定」一つの方法ですから、
根本的な部分で同じ要素を持つものと言える。》
▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法
 に対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。
腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。
私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガの中に多くある。
手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ーを
見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、
これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。
60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。
――
2013/02/18
閑話小題 ー因果一如
  * ヨガ・エアロの場にて
 週に二回、スポーツセンターの「ヨガ」に参加しているが、あと一月で一年。
欠席は4〜5回で、ほぼ皆勤に近い。週に三回、行われているが、火曜日と木曜日に
参加している。50人定員だが、毎回、ほぼ満員。幅60センチ、縦120センチの
ヨガマットを縦にして、その中で先生の指導の下、50分の間、マントラなどの音楽
を聴きながら、色いろなポーズをとる。室内はカーテンで暗く、大人数のヨガは何とも
不思議な気持ちになる。「マット内は、自分の宇宙で、周囲を無視してください。」
と何度も何度も繰り返す。9割は女性で、時間からして主婦が大部分。一年近く続けて
いたため、関節の硬さは、かなり取れてきた。「スローヨガ」と名うっているが、
だんだんハードになっていく。私にとって、医院での腰痛治療のようで、背骨、足腰
の骨の矯正をしていることになる。ヨガは、元もと座禅など瞑想をしている合間に、
足腰の矯正をするためのもの。とはいえ、これで腰痛が良くなったというより、
悪化防止という感覚。終わると、脳と身体がスッキリした感覚になる。
で、先日、私の近くでプッという音。 ガス抜きのポーズで、誰かが思わず・・ 
そこに、男は私ひとり。誰がみても・・ まあ、いいかで時間が過ぎていった。 
――
2012/03/16
閑話小題 ースローヨガなど
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、ある対談の中で
印象に残った言葉があった。「良い大学を出て、大企業かに入るか、公務員になり、
マンションを買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的価値から抜け出せない
で、苦しんでいる人が多い」という内容。 特に、団塊世代の親子、とりわけ子供の心に、
その断層があり、両者が、その葛藤に苦しんでいる、ということ。 ここで現役から
退いて一年、昭和的価値観に影響された、それまでの人生が見えてくる。学生時代の
専攻が社会学だったこともあり、卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を
突き放して鳥瞰したきたつもりだった。しかし振り返ると終戦後から高度成長期の
昭和的価値観に縛られていた自分に、あらためて気づいた次第。特に地方は、昭和的
というより戦前戦中の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。 それを良し
とするには、情報化が許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎて孤立化
傾向が強い。 それを絆というらしいが・・・ 大量生産、大量消費を目指した昭和
が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。
その昭和の価値から抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため経済は停滞、
少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に3回、
参加したことがあるが、腰にきつかったため、それ以降、参加するのを止めていた。 
イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私にとってベストになっていた。
ランニングマシーンのウォーキング30分に、イージーライン(25分)を連続二回に、
週二回のスローヨガ(50分)を加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワード
を決めて昨日で4回目。 この言葉を繰り返しながら通っている。
 腰痛改善のためのコースと思えるほど腰が軽くなる。 40坪位のエアロビの
スペースに30〜40人の参加舎。男の参加は4人。 殆どが常連で、最後列から
みると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
――
2012/07/14
ヨガ 
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちは少し厳しい。定員50人に、平均40人位が参加。
男性参加者が5〜6名で、最高齢は私で、片隅で目立たないようにしている。
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするため。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは
気にすることはない」という。なる程!いいことを言う。週二回、4ヶ月経った
印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた
体感はある。数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けているのがポーズの積み
重ねで実感する。  ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパ
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語と
して確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは、
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を
車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このこと
から「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」
「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教が
スタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して山野で六年間
修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、
断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きた
お釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる「ダンマパダ
(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。
「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。その道理を知りて、
ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するの知識
(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われて
います。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」
「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として発達してきた。
それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか? それは、
?身体と心をバランスよく結びつける。
?内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
?人と人をバランスよく結びつけることなのです。
仏教では、それを三宝と云って、?身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい?宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、?人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。 そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、
瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えて
きているのです。 ≫
▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と
心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん
でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」
が語源であり、意味は「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」
との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行と
いうこと。10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して
現在も話をしているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
――
2011/06/25
閑話小題 〜エアロビ・ヨガ
   * エアロビックス
 スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、
スタジオで色々なプログラムをこなしている。 15〜20分の休憩をおいて何かが
30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど
参加者が少ない。男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして
はずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。
 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング
・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、12人がステップ台とマシーン
を交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者
が冷たい?視線で、行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージー
ラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、この梅雨の
湿気で一回限りにしている。 
 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして
参加したが、意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」「バランスボール」
シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など10回以上は参加した。 
最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと
力の抜き方が分かる。 それにしても、あの熱気は凄い。時どき、それに参加している
自分が可笑しくなって笑いを堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに
参加するつもりだが、ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。
面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか?  
ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯
では、2〜3割位は減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。

    

つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

他のブログ
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今日のYoutube
 
 昨日も、駐車場前の除雪。
連日になるが、何故か腰痛が出てこない。

 ピークは、過ぎたようだが。
スポーツジムはさすがに閑散としていた。




・・・・・・
・・・・・・

5442,閑話小題 ー年収7百万を超えると、幸福度が下がる
2016年02月08日(月)

   * 年収7百万を超えると、幸福度が下がる
「日本では、年収7百万までは幸福度が上がっていくが、その後は下がる」
という研究結果が報告されている。収入による幸福度は7百万までは、正比例
に上がるが、それを超えると下がるのは実感で分かる? いや、よりあった
方の時も良かったか? その辺りが、お金を気にしないで生活できる分岐点。 
 1960年から現在に至るまで、日本の経済は6倍になったが、「生活満足度」
が変わらないという。お金、財産、名誉、地位など、あっても無くても、
大して変わらないというが、多くあるほど金の呪縛から解放されることも確か。
以前、お笑いタレントが、登校拒否の高校生に諭した言葉が頭にw残っている。
< あのね、何で、高校、大学に進学した方が良いかというと、中卒は
 中卒までの選択余地が狭められるの、高卒は高卒、大卒は大卒と
 可能性が広がっていくだろう。そのため誰も勉強するの。>
これと収入の増減と似ている。多くあったとしても、幸せとは限らないが、
世界の広がりと、そこの自由度は拡大する。当然、教養と素養が必要だが。
結局は本人次第、お金の使い方しだいになるが、10億、100億使い果すのと、
残すのと、果たしてどちらが良いか? 私は、使い切るほうが好きだが、
問題は何に使い切るか。その辺になると、価値観の問題。確かに、多くある
にこしたことはない。 あの世に持っていけるのは、使った金の行蔵の
お宝で、現物、現金、預金はおいておくしかない。愛する家族に残すなら、
それは、それで価値があるのか。
・・・・・・
5078,ツィッター、その雑念のゴミばこ ~3
2015年02月08日(日)
          『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾忠則(著)
   * 歯がボロボロ落ちる夢
 どうも歯医者が苦手で、朝晩に丁寧に歯磨きをしてきた。それでも4~5年
に一度は、虫歯の治療に行っていた。ところが二年前に、詰め歯がとれて、
5年ぶりに治療にいったが、4ヶ月間、毎週のように通院することになった。
ところで、この本に、歯周病についての呟きがあった。~その辺りを抜粋~
―― ぼくは60代まで歯医者知らずで来た。それが、2、3年前から肩がこると
 親知らずが時々痛む。今さら抜かなくてもいいでしょうと親しい歯医者に
言われているので助かっている。まだ抜歯の経験がないが、体内から頭蓋骨
の一部を抜きとるなんてこんな恐ろしいことはない。 :May6,201018・42
―― 以前、歯がボロボロ落ちる夢を何度か見た。身近の人が死ぬ予知夢だと
言った人がいたが誰も死ななかった。そういえばぼくの絵の女性は老婆みたいに
歯がボロボロに抜けている。なぜこんな絵を描いたのだろう。May6・201018;46
▼ 最近は、歯がボロボロ落ちる夢はみなくなったが、以前は、一年に一度は、
 みていたが、何か薄気味悪い夢であった。それが一般的にみられる夢と、
この書で初めて知ったが、歯周病のサインだったのだろう。~ネットによると、
≪ 歯周疾患の有病率は「歯周ポケットを有する人の割合」で示され、
この割合は年齢が上がるにつれて高くなる傾向にあり前期高齢者で53%、
後期高齢者で62%。「国民の8割が歯周病」というが、「健全」以外の割合を
言うのであって、診査した歯のすべてが「健全」と判定された場合のみを指す。
少しでも歯石がついている場合には、健全と評価されなく、「8割が歯周病
というのは、大げさな捉え方。≫ とある。
 二年前に、診療をしてもらった時、個々の歯の歯周病の進み度を2とか3
と看護師が記録をしていたが、2,3は、まだ許容範囲とか。
・・・・・・
4713,<つまずき>の事典 ~「男神話」  ー3
2014年02月08日(土)
                 <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 「男神話」のバイアス
 森林(俗世間)から、サバンナ(御隠居)に移り住んでみて、森林生活の
思い込みが如何に主観的過ぎたかを思い知る。「男神話」のバイアス
(思い込み)への疑問はサバンナに出て初めて気づいたこと。
 ー以下の文章は、その辺りを、鋭くついている。 
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの
 全般的な考え方は、憐れむべきもので、一生涯のあいだ寸法の合わない上着
を着ていなければならないことに、似ている。(対照的に、女性らしさとは裸身
を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」
という言い方にしても、侮辱的で、人を罵倒するような感じを受ける。
その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」エッセイ「男神話」
のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」
の追求がいかに男たちに抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。
何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇にカウボーイの
格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障を
きたす社会なのだ。物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが
故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、大酒飲みである
ことを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミング
ウェイのようにライオン狩りをしたり、といったように、これまで「血のにじむ
ような努力を重ねてきた」のだ。ついにはセルーが「男であることは、特権的で
あるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るを聞けば、
もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。
 しかし振り返ると、実際に男らしかっただろうか?どうだろう?「男神話」を
信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、
必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、
男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像
を演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人。 
信じて演じているが、コスプレ? その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?
そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
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4346, 暴力団  ー2
2013年02月08日(金)
           「暴力団 」溝口 敦 (著)
 世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。
それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をする
のだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、無くなったようだ。
悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
 ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。
 シノギについても、いろんなシノギがそれぞれどういう活動で、どういう
 歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、
 どれくらいの収益を上げているのかが、具体的に書かれています。
 また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
 どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の
 暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる
 動機、アメリカやイタリア、チャイナやタイワンのマフィア、香港の三合会、
 などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及
 してあります。また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法
 とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、
 また、それと関連して統制されなくなったアウトロー暴力団にかわる勢力
 (わかりやすく言えばオレオレ詐欺をやっている連中や、海老蔵の事件を
 起こした暴走族上がりのハングレ集団)として台頭の記述があります。≫
≪ 暴力団に会わずにすめば、それがベストだが、会うことになってしまった場合
 の対応などはとても参考になる。ICレコーダーなどの録音機をテーブル に置き、
 「録音させて頂きます」など相手の了解を得る。会っても暴力をふるまわれる
 可能性はほぼゼロ、警察に引張られるので暴力は振るってこないと安心していい。
 相手が脅してきた時は「私たちでは対応できないので警察官に立会って貰います」
 と対応、正面からぶつかることを恐れない、妥協しない相手と思わせること。
 「誰が、どの様な権利と名目を持って、主張しているのか」という点を
 見失わない様に努め、毅然と対応することが重要と。 ≫
▼ 不況の上に暴力団対策法、暴力団排除条例が次々に施行され、
 警察の取り締まりも厳しさを増す中、下っ端の生活は厳しく高齢化が進んでいる。
 台湾の「流氓」は20代前後が中心なのに、日本の広域団体の直系組長クラスは
 高齢化が進み、六代目山口組の「若頭補佐」で40代はゼロ、五代目時代は数名
 いるという。 台湾は若年化、日本は高齢化である。イタリアの「マフィア」は、
 「3名以上で構成され、危害を加える恐れのある者の集団」と人数まで、設定
 されているのに対して、日本の法律では人数などは言及がない。
 「半グレ」は暴力団とも対決できる新集団で、盛り場を変えている。
 暴走族上がりの半グレ集団の関東連合。かつては暴力団員の予備軍だったが、
 半グレは暴力団になろうとはしない。なっても稼げないからだ。
 新潟駅前には、得体の知れない若いグループが屯をし、酔い客や、若い女性に
 声をかけ、店やホステスの勧誘をしている。駅構内の新幹線のコンコースで
 5~6人が横に並んで声をかけている姿は、もはや司法国家とは思えない。
 警察の動きを携帯で連絡をし合って神出鬼没に姿を現す。逆に4~5人が
 若い警官二人を無言で取り囲み凄んでいる。荒んだ時代背景がある。
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3971, 閑話小題 
2012年02月08日(水)
  * 携帯とスマートフォン、複数所持7割
 TVの街頭アンケートで、携帯とスマートフォンの複数所持が7割とあった。
私自身、iPhoneのタッチ式の文字が小さくて相性が悪いこともあり、
普通の携帯に逆戻りをした経緯がある。しかし、流れはスマートフォンに雪崩
をうったように切り替わったようだ。街頭インタビューでは、携帯を電話専用に、
スマートフォンをパソコン代わりの情報収集に使い分けているケースが多かった。 
他に、会社用と個人用とか、二台にして使い分けた方がスマートフォン一台より
格安になるとか、色いろな使い分けがあるようだ。 私の場合、iPadを
簡易型パソコンと割り切って、使いこなしているので、携帯に変えたのが逆に
良かったことになる。若者達は、ネットゲームで互いに遊んだり、仲間同士、
ナビを使って現在いる位置を共有したり、テレビ電話をネットで繋げたりして
遊んでいる。 何度も書いているが、iPadで日常生活が変わってしまった。
暇さえあればiPadである。他にも多機能TVも、居間生活を変えた。 
数百の録画か、過去一週間の地上波のゴールデンタイムの面白そうな番組か、
WOWOWの中から選択できる為、面白いものばかり。家内がTVを見ている
時は、パソコンかiPad。横になってiPadで新聞、書籍が見れるのが、
カウチポテト族には有難い。
  * 三丁目の夕陽
 少し前になるが、「三丁目の夕陽」をみてきた。これで3回続けての
シネマ通いになった。こと話題になった映画に関して、外れと後悔したことは
殆どない。 所詮は、すべて夢幻。 現実も、映画も、小説も、全てが虚構。
そう割り切って楽しめばよい。世の流れを、そのまま受け入れればよい。 
ミーちゃん、ハーちゃんを楽しむ。これが家内から学んだこと。それも人生経験
を積んだ後でこそ、その味わいが深くなる。思い込み、先入観が世界を狭くする。 
高度成長期に向かって動き始めた昭和30年代半ばから後半が、時代背景。 
 団塊の世代向けにつくられた映画だが、当時は夢に向かって誰も必死に学び
働いていた、その頃の仄々とした空気が上手く映し出されていた。
そしてバブルと、バブル崩壊、そして右下がりの20年を経て現在に至っている。
暗く淀んだ不景気の中で、明るい未来の予兆が国全体に漂っていた時代を
懐かしむのも何とも複雑。
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3606, 大相撲八百長事件
2011年02月08日(火)
 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。
去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、一部親方衆から
八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を
消去をしてしまえば大丈夫!と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は
専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、十両の一勝の
相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士
との貸し借りにも融通されていたことである。「関取の互助会組織」が暗黙の
うちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。
勝ち星の貸し借りの噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し
見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めた
スポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、目くじらを立てる方がおかしい。 
ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰
にしたのか? 誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。
そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?暴力団が仕切って
いる賭博組織の摘発のため?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、
ウヤムヤになるのか? その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の
前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、
過去の関取の大部分は、何らかの形で八百長をしてきていると確信している。
最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団花柳界との出入りがあって当然。
芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。その異質の世界を、一般の常識で
縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良い。
やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
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2866, 大相撲が神事? 
2009年02月08日(日)
 大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが
「大相撲って実のところ何だ」というと、いかに曖昧である。「国技」?
法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権
のネタでしかない。  (字数制限のためカット 2012年2月日)
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3241, 中学同期会にて
2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」
を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人
が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が
「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの
輸入品に押され県全体が悪化している。それに従い、高齢化も含めて元気が
無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、
同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない(2)社会的役割の喪失(3) 貧困と孤独 
(4)生と死の間のさまよい(5)青春への希求ー自分に青春がなかった
 という疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失(7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  
(10)成熟と衰え、その一歩手前というところ? どれもこれも、これから
  誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。
  それ以外は、まだだが、いずれじわじわとくるのだろう。  
  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、
  その質が左右する。中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年の
  ように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。