< スマイルズの「自助論」 今度こそ読み通せる名著
                    | サミュエル・スマイルズ著 >
   * 情報倉庫とは?
 ブログの活用が、そのまま、以下の抜粋部分に合致する。
大したことがない浅い知識と脳を公開して16年半になる。上から目線の
三者からみれば、「恥ずかしくないのか!」だが、私にとっては非常に
有効な「情報倉庫」になっている。今では「倉庫」というより、「情報基地」。
これを始めると、1〜2時間は、「あっという間」に経過する。面白いのである。
で、「あっという間」に16年半も経過した。その間に、世界は情報化社会に
変わっていた。  〜その辺りから〜 
≪・最良の教育とは、自分自身に与える教育。他人から押しつけられた教育は、
 自分で熱心に努力して得たものほど身につかない。自らの汗と涙で勝ち取った
 知識だけが、完全に自分の所有物となる。
・「知識は、物を売って金儲けするための店舗ではなく、人間を救済するための
 豊かな倉庫」(ベーコン)。人生の成功は、知識ではなく勤勉によって得られる。
ベーコンは『何かに役立つと思って示す覚え書き』とタイトルをつけた記述を
沢山残している。
神学者のパイ・スミスは父が営んでいた製本業の見習いをしていた時、読んだ
あらゆる本に関してメモをとっていた。そこには注釈や批評も、多く書き込まれ
ていた。
・同じようなメモは習慣は、有名な解剖医のジョン・ハンターももっていた。
メモを記憶の助けにする、という目的も大きかったが、思い付きをメモにする
ことの利点を、次のように述べている。「商売をする人が在庫を調べるような
ものさ。そうしないと、何を持っていて何が不足しているか、わからなくなって
しまうからね」 … 実は、彼は20歳になるまで、殆ど教育を受けてなかった。
だから読み書きを覚えるのも、そうとう苦労したといいます。彼は生涯の多くの
時間を、「明白にわかりきっていること」に費やしました。つまり、「取るに
足りないもの」を集積したのです。… 多くの独創的な人と同じように、地道に
地面を掘り続け、基礎固めをするような努力を続けたのです。 その孤高の
やり方は、あまり理解されなかったかもしれません。他人からの称賛ではなく、
自身の内側から生まれる喜びによって、満足のいく人生を歩むことができました。
この喜びは、全精力をもって己の役割を果たす人間であれば、必ず手にできる
ものなのです。≫

▼ ブログ生活の時間が経過するにつれ、その効用が非常に大きいことを実感
していた。しかし、真正面から取り上げると、上から目線の自慢話になる上に、
全神経を集中しなければ続行困難を実感していたため、お勧めを控えていた。
歴史に残る偉人を例に上げること自体に問題ありだが、内なる中で、1万5千時間
の集中効果が魂に届くほと実感していることも事実。反面、17年分の知恵足らず
の文章が、毎日、目の前に突きつけられるため、何だろう、この男は、ったくと、
自虐傾向になるのは、これ。毎日、同月同日の知識の棚卸をしていると思えば
よいが。それよりも、捻くれが、更に捻じれていく。御(おん)歳もあるが…
  〜で、地底から〜  【で、どうした?】 【どうもしません!】の声。

・・・・・・
5711,閑話小題 〜2016/11/03 5:55
2016年11月03日(木)
  * つれづれなるままに
☆ 日常の行動範囲が、早朝のチャリ散歩と、スポーツジム、図書館、
 シネマへの5キロ四方に限られている。市外に出るのは、年数回だけ。
年齢からして丁度よいのだろうが、息苦しさは否めないこの頃。
このブログに集中出来る時間があるため、何とか精神のバランスが保ってるが。
 5年半前までは、平日の半径が新潟市への70キロだったが、今では10分の1。
早朝の信濃川のチャリ散歩が無ければ、500mが行動範囲。
冬場、心が冴えないのは、それもある。地方では通り相場も、
慣れれば慣れたで、住めば都?

☆ 11月の初旬と、5月の連休辺りに腰痛が出るのが通り相場。季節の変り目
 で、冷えなどが、微妙に影響を及ぼす。ゴールデンウィーク明けは、腰痛
ベルトを外した結果。 秋口は、朝冷えの中のチャリ乗りが、腰痛バンドを
着けろというサイン。四年半のヨガ修行でも、腰痛の重さが半減しただけ。
それでも良しとしなければならない。昨夜、NHKの『試してガッテン』で、
「腰痛の革命的治し方」をテーマにしていた。「寝返りを多くすることで
自然治癒を促す」のがガッテンであった。以前、「寝返りは昼間の身体の歪み
を矯正する自然運動、積極的に寝返りをすべし」と、聞いたことがあるが、
全く忘れていた。

☆ アメリカ大統領選挙が何やら雲行きが怪しくなってきた。クリントン女子
 では、現状の延長でしかない。とはいえ、内向きの白人至上主義者の大統領
もお先は真っ暗。変化からすると、共和党大統領が良いかもしれない。
「まさか」が起るのが政治の世界。オバマの綺麗ごと政治に白人たちの鬱憤は、
予想以上に大きかったのかも? 本音のトランプの劇場型政治も面白い?

・・・・・・
5346,貧乏生活で友だちもいません 〜身の下相談
2015年11月03日(火)
        ー身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
  * できる事と、できない事の腑分けを!
 人生に恵まれず、ひたすら流されて生きてきた人は意外と多い。
これからの日本人の大部分が下流になるというが、グローバルにみれば、
恵まれた環境に住んでいる。貧乏と、どう折り合いをつけるか、その中で、
充実した日々を送れるかの知恵が必要ということか。
   ●質問: 貧乏生活で友だちもいません 相談者OL39歳
 39歳、入社20年目の貧乏OLです。辞めたい辞めたいと思いながら勤めて
きました。会社の業績も厳しく、正社員とはいえ手取り月16万2千円の
ボーナスなしです。親元から片道1時間40分かけて通勤しています。
 貧乏なので毎日の通勤服も着たきりすずめです。だからロッカールームで
着替えるのが苦痛でたまりません。のびきったブラジャーにすり切れパンツ
を見られるのがイヤで、人気のない時間帯を狙って着替えるありさまです。
冬場はコートの下は制服を着て通勤します。 昼の弁当も粗末です。
おかずのない日の丸弁当を見られるのがイヤで、休憩室でも自分の席でも
食べられず、晴れた日は真夏でも真冬でも外で、スズメを相手に、雨の日は
欠食します。 どんな境遇になっても自分を見失わず、明るく元気に生きて
いきたいのですが、こんな生活を続けていると自分が壊れていきそうで
(もう壊れているかも)こわいです。貧乏くさいケチケチ生活をしているから、
いいご縁にも恵まれず、毎日が楽しくないのでしょうか。もちろん友だちも
いません。他人になんと言われても平気な強い精神力を持つべきでしょうか。
やはり他人の目を気にして、こじゃれた服を身につけて人並みのお弁当を
作ったり買ったりして、他人ともっとコミュニケーションをとるように
したほうがいいのでしょうか。
   ●回答: 「壊れず」にきた自分をほめて!
 あなたはちっとも「壊れて」なんかいません。
辞めたいと思うような会社に長い通勤時間をかけて20年間も通いつづけ、
質素な暮らしをして衣服にも食べ物にもおカネを使わず、まじめに忍耐強く
生きているあなたは、今どき珍しいりっぱなひとです。高度成長期以前の
日本なら、あなたのようなひとはけっして珍しくなかったでしょう。
 格差が拡大し、『蟹工船』がブームの昨今。あなたの反時代的な生き方は、
一周遅れのトップランナーかもしれませんよ。 給料が悪くても正社員なら、
派遣切りのように突然職を失うこともないでしょう。 夜勤・残業なしで
手取り16万あまりは介護職の労働条件よりまし。親にペラサイトできるなら、
母子家庭のシングルマザーより有利。自分より下を見て現状で満足しなさい、
とお説教しているわけではありません。
 あなたの本当のお悩みはいったい何? 貧乏なこと? 人並みでないこと?
仕事がつまらないこと? 毎日が楽しくないこと?結婚できないこと?
他人とコミェニケーションがとれないこと? ご自分で「こじゃれた服を身に
つけて人並みのお弁当を…買ったり」したほうがとありますが、「貧乏」なら
その選択肢はないはず。それともその気になれば使えるおカネがあるのに、
ケチヶチ暮らして貯金でもしているのですか? 
 できることとできないこととを腑分けして考えましょう。
 オシャレがしたかったらリサイクルでもファストファッションでも工夫次第
チープシックは可能です。今どき梅干と個の日の丸弁当とは驚きましたが、
晩のおかずを詰めたり、いくらでも工夫できるでしょう。
 あなたは他入の目を気にしながら、その他人に合わせる気祷ちがないのです
からすでに十分に「強い精神力」の持ち主です。他人とコミュニケーション
する手段は服装や弁当ではありませんから、きっと本気でコミュニケーション
したいとは思っていないのでしょう。コミュニケーションしなくてもすんで
きた職場なら、あなたにうってつけ、と思えます。仕事はやりがいのためでは
なく収入のため。今より有利な転職がなければ、いやがられても職場にしがみ
つきましょう。20年間「壊れず」に続けてきた自分をほめてやりましょう。
▼ ここには書いてないが、収入から考えて下流の女性の典型のアラフォー
 の典型的な悩み。人生設計にセンスがないと言えばそれまでだが。
できる事と、できない事を腑分けする必要が、これまでの人生にあったが、
それができずに、ここまで来た人は意外と多い。

・・・・・・
4981,瞬間説得 ー2
2014年11月03日(月)
      「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  ー前回の瞬間説得の問いの答えの内容はー
★ < 電車は五分ほど途中停車しました。車内は満員で、しかもさらに
 五分間停車するというアナウンス。すると、ジョギングウェアを着た男が
いきなりタバコを取りだして火をつけました。車内は不愉快そうな沈黙に
包まれましたが、誰もが黙っています。あなたなら、トラブルもなく
一発でやめさせるには? >
ー>人々の顔がそれを雄弁に物語っていたが、誰もが、こうした場合ありがちな
ように黙っていた。そのとき突然ピンストライプのスーツ男が禁を破りました。
「失礼」とタバコを持って男に身を寄せ、「ちょっと火を貸していただけませんか」 
これがきっかけになりました。 堪忍袋の緒が切れたのです。すぐに別の乗客が
止めに入りました。「あんた方、禁煙だってこと知ってるだろう?」と彼は
言いました。スーツの男は禁煙の表示に、突然"気づき"ました。
「悪かった。気づかなかったんだ」それから彼はジョギングウェアの男をふり
返りました。「これは消した方がよいみたいだね」 ・・禁止区域で平然と
タバコに火をつけるような人物は、おとなしくしていないのが普通で、必ず
抵抗します。 これに対処した乗客はどうしたでしょう? 真正面から対決する
のではなく、まったく反対の方向へ行きました。》
 ▽ 逆に二人になって、ますます黙りざるを得なくなる可能性もある? 
★《 =赤ちゃんには逆らえない=ヒューストンのある女性から聞いた話。
昨夜友達が自宅のポーチで赤ん坊の泣き声がするので、気味が悪くなら警察に
通報したそうだ。警察が彼女に言った。「とにかくドアを開けないでください」
するとその女性は心配し訴えた。もしも赤ん坊が窓のぞぱを這っていて、道に
出だりしたら車に轢かれてしまうかもしれないと。
 警察は言った。「すでに警官のチームがそちらに向かっています。
何があろうとドアを開けないでください」警察は連続殺人鬼が録音した赤ん坊の
泣き声を流し、誰かが赤ん坊を捨てていったのだと思わせて、女性たちを外にも
びきだそうとしているのだと言った。絶対とは言いきれないが、夜中に女性が
一人でいる家の外で赤ん坊の泣き声がしたという通報を数件受けているのだと…。
人間の赤ん坊の無力な泣き声は、か弱くもないし、無能でも、原始的なもの
でもない。それは自然界でもっとも深遠かつ強力なものだ。父親と母親はそれを
聞いて初めて、親としての自覚が生まれる。「幼児の」泣き声は、宇宙に
放たれるのではなく、人間の愛と慈悲の深みへ降りていく。それを強盗が
利用しようというのだ。》
 ▽ 子供の泣き声こそ、瞬間説得になるが、実際にあったことだから、
説得力があるし、この程度の細工はするのだろう。 初めての創業で、小さな
テナント商業ビルの一角に、養老乃滝をオープンした。ところが、居酒屋などの
経験が無かったため、2〜3ヶ月に一度は、酔っ払いの絡みに対応できなかった。
そこで考えたのが、相方や、手伝いのパートさんと事前に打合せておいて、
彼らを怒鳴りつけることで、酔払いの気勢を削ぐ方法を思い至り、何度か
きりぬけた事があった。 ・・で、女性が頻繁に使うのは、涙。瞬間説得の
最たるもの。 もう一つ、謝罪会見の後の、10〜20秒間の最敬礼! 
彼らは、下を向きながら 1,2,3と数えているらしい!
・・・・・・
4614, 2000年前のポンペイー6
2013年11月03日(日)
 イタリアのポンペイの遺跡には三度行っているが、行くほどに、その魅力に
惹かれる。また何度か、ここでも書いてきた。TVでは、『NHKBS歴史館』
などで、多くの特集を組んでいる。また、図書館には写真集がある。AC79年に、
ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山 が大噴火すると、南東10キロに位置した
ポンペイの町は火山灰に埋もれたが、1748年から発掘調査が行われ、それが
現在も続いている。ローマ人が創り上げた古代都市が徐々に姿を現しているが、
今でも半分も、発掘されてない。 舗装された道路、神殿、住宅、商店街などが
20Mの火山灰に、2千年の間、保存されている。人骨などは、その熱で溶けて、
それを覆って出来た空洞に石膏を流し込んだものが発見された現場近くに展示
されている。 ところが最近、ある地下室で、54人が噴火後、生埋めになって
折り重なった生々しい遺骨が発見された。そこで、彼らのDNAや、装飾品
・衣服などから新たに多くの事実が分かってきた。そこは大きな商家で、
その主人と思われる人の身の周りから金銀が。エメラルドを身につけた
男女の遺骨には、人骨が青く同化。小銭を多く持っている人は近くで商いを
していた人。妊婦は胎児の骨がお腹の辺りあったことから推察される。
噴火から火山灰がポンペイまで到達するに19時間かかったというから、
留まった人は、大金持で金銀の財産を失うのを恐れ、妊婦は身重で、商人は
店に未練があったため、等々が推察される。ポンペイには下水道が完備、
都市計画があって、商店街、大広場、神殿などあり、現代の都市にひけを
とってない。古代ローマの都市は、中世のルネサンスまで、それを凌駕した
時代は一度も無かった。その古代都市を、大噴火の20Mの火山灰が石膏
代りに、都市全体を保存し、私たちの目の前に再現し見せてくれるのだから、
奇跡である。石の文化は、後々まで残るからよい。彼らは午前中だけ働き、
あとは浴場や、劇場などで、生活を楽しんでいた。
瀬戸内海周辺は、農作物などが豊富で、物流が盛ん。それが万遍無く
市民に行き届いていたようだ。 世界は広く、深い!
・・・・・・
2004/11/29
1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。
落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分。
2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、
エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに,兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人女ガイドの説明が面白い。
その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに向いているのだ。
当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。
いつの時代でも、そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を
超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
  ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレター
 を置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーション
 をしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。 
 家計簿的なメモもあった。
果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
 メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来る。当時のローマ帝国
 政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場が
 つくられていた)を庶民に与えることであった。AD・54に17歳で皇帝に
 なったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
 そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
 その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。
 それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。
〔あの男に災いあれ!」当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で
多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。試合を見ていた同士が喧嘩に
なって殺しあう事件が起こったのだ。普段の生活が、火山で時がそのまま
密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
  −この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー
・・・・・・
2004/11/26
1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま
閉じ込めて現在に提示してくれている。このグラビアの本を開いているだけで、
気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、
驚きざるをえない。それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの
高さを知ることができる。この内容が、2000年前の事実がそのままドキュメント
風に記載されているから迫力があるのだ。人間の変わらない感動、恐怖、そして
生活がそのまま伝わってくる。街全体が、当時のまま残っているから、
更にこの手紙の内容が生々しい。18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られた
ことが、当時のままの姿を残すことにもなった。35年前の日記を昨日のように
感じるのは何ら不思議ではない。全て昨日のようなものである。
数ヶ月前のTVドキュメントは、この手紙を忠実に映像化をしていた。
そして、爆発が起きてからポンペイが埋まるまでの19時間も、当時の遺体の
様子から想像をしたドキュメントが生々しく時系列で構成されていた。
ー6月20日の手紙
私は先に、あなたの求めに応じて、伯父の死についての手紙を書き送りました。
手紙を読で、ミセヌムに残されたこの私がいったいどんな恐怖を味わい、そして
どんな危険にあったかぜひ知りたいと貴兄はおっしゃいます。実は、先の手紙
ではそれを書こうとしていて、筆を置いてしまったのです。「思い出すのも
つらく、悲しみは深いけれど、とにかくやってみましょう」
 伯父が出発した後、私はずっと勉強をして過ごしました。そのために残った
のですから当然です。それから入浴と食事をし、そして短く途切れがちな睡眠
をとりました。それまでも、前ぶれのような地震が幾日も続いていましたが、
カンパニア地方では珍しいことではなかったので、さほど恐ろしくはありません
でした。しかし、その晩起こった地震はあまりに激しく、もはや揺れていると
いう程度ではなく、すべてがひっくり返ってしまったかのようでした。  
母が急いで私の部屋にやってきました。私の方ももう起き上がっていて、
母がまだ眠っていたら起こそうと考えていたところでした。私たちは中庭に
避難し、腰を下ろしました。そこは海と建物を隔てる格好の空間でした。
当時17歳だった私は、落ち着いていたというか、無分別だったというか、
ティトゥス=リウィウス(訳注:古代ローマの歴史家、『ローマ建国論の著者)
の本を持って来させ、いかにも暇を持て余しているかのようにその本を読み、
やりかけのレジュメを続けていました。そこへ伯父の友人がやって来ました。
伯父に会いにスペインから戻ったばかりだというその友人は、私が母と一緒に
座って本を読んでいるのを見て、私の無気力と不注意を責めました。
それでもなお私は、熱心に読書を続けようとしていたのです。 もう昼の第1時だ
というのに、光はなおもぼんやりとして、まるで病人のように弱々しいまま。
すでに建物には亀裂が入っていました。私たちは屋外にいたのですが、
建物が崩れ落ちたときのことを考えると、その狭い場所では安全とは言えません
でした。ついに私たちは町を出る決心をしました。私たちの後には茫然となった
群衆が続きました。人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の
決断に従う方が賢明だと考えるらしいのです。   
(字数の関係でカット 2013年11月3日)

つれづれに

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 今日のYoutube

 今日のシネマは、祭日も有り、明日か、月曜日に!
6年前に書いた書評を読返すと、なかなか面白い。
いくら精神と言っても、膨大の経験の裏づけの無いのは、
直に表立ってしまうが、問題は、倒れ方だが、これが難しい。
 しかし、若い時の挑戦には、神は寛大で、立ち上がる時に、
何かを握らせてくれる。 明日のネタ? 




・・・・・・
・・・・・・

3904, 精神力ーその偉大な力  ー5
2011年12月03日(土)
  * 決意の力は魔力のよう
 何かをなすに、まず決意が最重要になる。決意が出来ないため、乱れた心や、乱れた事態
が身の回りに起こるのです。そのためには、熟慮を早々して合理的前提から決意をすること。
エマソンの言うとおり「人間は生命を受けた宇宙の一片」である。人間は己にめざめ、己を自覚
する宇宙の一片である。その一片が、大生命力を表現したいのである。… 
<人は、どんな事態にも正しい抜け道がある><どんな事態にも解決がある> そう信念として
持ち、行動すればよい。そのためには、何が正しく、何が正しくないかを見極め、一度見極めたら、
決意をすることである。ソクラテスは「善き人に起きることは、常に善きことです」
「善き人には悪は来ない」と言い、ダビデ王は「正しき人は見捨てられない」と言った。… もし
私たちの知るよりも、いっそう高い水準の正直さと高潔さを持って行動し、自分の側だけでなく、
相手の側も考えるなら――そして正しい決意や、積極的信念や、同情や、愛を経て、大生命力が
善のみを渡してくれると知るならば――その時は必ず正しい結果のみが続いて起こってくるものです。
  * 成功も失敗も、精神がつくる
 精神ー信念の、あの無限の素質を使うことができる唯一の場所は、私たちが思考するところである。
その思考の力は、マイナスに働く傾向が強い。そこで、自分を深くみて、その奥の無限の素質や能力
や泉を見い出せば、マイナスを乗り越えることが可能になる。そのためには、正しさを見極め決意
すること。マイナスの雑草を抜き取り、新しいタネを蒔かなければなりません。
▼ 迷いに迷っていたことが、最後の最後に決意した時に、それまでの迷いがス~ッと消え去っていく
 経験は誰も持っている。決意をしてしまえば、後は、それまで障害と思っていた事態の解決の
ための手段を探す手順になっていく。それでも、その見極めが甘く間違った方向に踏み出すことがある。
その時、結果が悪魔のように襲ってくる。  それでも考え尽くした後で、自分の勘の命じる決意の
通り歩むしかない。決意の成否の重要さを知るほど、事前の調査など準備の必要性が分かってくる。
決意のためには考え尽くさねばならない。そのことが重要になる。それでも失敗がある。
・・・・・・・
3539, 価値観の中心の書き換え
2010年12月03日(金)
   * 人生の転機
 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに
人生の早い段階で気づいて、転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もある
のだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・
【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨む
 ような多額の報酬を得ていた。広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな
男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。偶然、ある村の小学校を訪ね、
図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。
子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身に
つまされ、先生と子どもたちに今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。
 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら
好ぎなだけ眠れるから」と、自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。
これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど稼げるということだけが。僕は企業戦士の特殊部隊
として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。本物の戦士は週末も働き、航空会社の
マイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。
忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。
     『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス
 ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。
やりがいを覚えるようにもなった。一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに
帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。
鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らしてお経を唱えはじめた。 
暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。
二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの
生活に戻らなけれぽならない。でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。
数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月ウィンドウズが何本売れるかということが、
本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、
香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドは
マイクロソフトを辞めて、この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。
・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。人によって価値観の中心に置かれたものは
さまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が「成功」から
「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。
(字数制限のためカット 2011年12月3日)
 ・・・・・・・
3164,「物語」と「小説」
2009年12月03日(木)
  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺など
 のなさまざまな形式などの“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現
に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
 一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いたかは忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」
 とある。「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部
の現実を語ってはいない。その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、
端的な人生の要約もある。 一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな
話」にしてしまう装置である≫と述べている。我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章
にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは微妙に違ってくる。誰にもそれぞれの人生があるからだ。
そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、
《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを死なせたこと。医院から死んだばかりの背負った
 赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
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2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色
が綺麗だわ。みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる弱よわ
しいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことが
できるようになるはずだ。                      ニール・サイモン          
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 -1
〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」の
中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
   ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の
鐘の音のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。まだ絞首台の上に
立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどい
コーヒーのような灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 -2          才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁が
ないだろうが、一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまで
いってしまう人もいる。書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実
社会を忘れさせてくれる。一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。
その中味を解る人は解る。 解らない人には、ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけ
の素養がなければならない。ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! 
ということである。対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからない。
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか?あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
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2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10パーセント!
 一昨日の読売新聞一面の『家族』-国際化時代のきずな・1ーの見出しに 
ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」   -読書日記-2
 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
  まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋ー
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと
大酒飲みで仕事をしながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。
突然部屋の中にキツネが見えたそうです。それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、
部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。
その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいで
をしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。
ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
 (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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2003年12月03日(水)
 973, 「永平寺
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2002年12月03日(火)
 599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。そのゲームでとにかく
酒を飲ませるのがミソの様だ。そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 
お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。
昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。とにかく
若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。急性アルコールで入院した人もいる。 
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。過去に書いた文章をコピーしておきます。
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0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。たまたま
その年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜は開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、
何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、
指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き
銀行全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったから。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、
学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の
話になると目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら
払うものを払えばと思った。それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。
何事も経験だ!私の家内の叔父さんが国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、
自分がね!というところだ。
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ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は
行けない」とか。
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)