* 全面戦争にならないのか(8割の確率で)
 私がアメリカ大統領だったら、今のうちに核施設に全面攻撃を加える。
ましてトランプなら、8割以上の可能性の説に真実味を感じるが、如何だろう。
やはり、日本は平和ボケをしている。習主席がトランプに、「全面攻撃を容認
する代わりに尖閣列島への侵攻を黙認する」裏契約をする可能性も充分ある。
現在でなくとも、来年中には? 週刊誌の売らんがための煽り記事としても、
現実は、全面戦争に向かって動いている。 〜その辺りから〜
≪ ■ 高陽市安全都市課の職員が語る。
「わが市は目と鼻の先が北朝鮮なので、すでに臨戦状態です。市民からの問い
合わせが殺到したため急遽、10万枚のパンフレットを作成して市民に配付した。
それでも市民からの問合わせが日々、大量に来て、生きた心地もしない日々です」
北朝鮮は4月9日、韓国国内の外国人に対しても、「韓国から至急離れないと
責任は取らない」という警告を発表した。これによって韓国では、ラーメンや
乾パンなどの非常食や、ミネラルウォーターの買い占めが起こっている。
韓国はまさに、「第2次朝鮮戦争開戦前夜」といった緊迫した状況なのである。
 そんな中、ケリー米国務長官が、4月12日から15日まで、韓国、中国、日本と
北朝鮮を取り巻く3ヵ国を回る、東アジア初外遊に出た。
  ■ アメリ国務省関係者が語る。
「わが国はいままさに、韓国と合同軍事演習の最中で、いつでも実戦に移す
準備はできています。今回のケリー国務長官の3ヵ国訪問で最重要だったのは、
中国訪問でした。新指導者の習近平は、金正恩を救おうとしているのか、
それとも滅ぼそうとしているのかを、しっかり見極めようとしたのです」
これまでの東アジア地図は、日米韓vs.中朝という対立の構図だった。
前世紀末に世界の冷戦構造が崩壊したが、東アジア地域だけはいまだに、
冷戦構造を引きずっているからだ。
  ■ 8割の確率で戦争が起きる
 だがこの伝統の図式に最近、異変が起こっているのが、中国の態度の変化。
習近平政権は、いまの大荒れの北朝鮮をどう見ているか。外交関係者が明かす。
<かつて毛沢東訒小平金日成を、朝鮮戦争を共に戦った"血を分けた誼"
と見なしていた。続く江沢民胡錦濤金正日を、兄弟国の"特別な弟分"と
見なしていた。金正日は計7回訪中したが、北京へ来れば必ず中国共産党
トップ9が全員揃って歓待する習慣があった。だが習近平金正恩を、単なる
"物騒な若造"としか見ていない。だから、北朝鮮のミサイル実験や核実験を
受けて、いともあっさりと、北朝鮮への重油・食糧・肥料の援助ストップを
決断したのだ。中国にとって絶対に看過できないのは、朝鮮戦争時代の悪夢
である米軍が北朝鮮に侵入してくることだけだ。それさえなければ、いつ
核兵器の矛先をわが国に向けてくるか知れない金正恩という狂った指導者が、
いつ失脚しても構わない。それが習近平新主席のホンネだ>
 4月10日には、中国共産党機関紙『人民日報』が発行する中国最大の国際
情報紙『環球時報』に、中国で最も有名な北朝鮮研究者の張瑰・中国共産党
中央党校教授が、次のような原稿を寄せた。
朝鮮半島に近く戦争が起こる確率は、7割から8割くらいあるだろう。
北朝鮮にとって武力統一は、昔からの既定路線だからだ。金正恩は、金日成
金正日が成し遂げられなかった祖国統一を、いまこそ果たそうとしているのだ>
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より ≫
▼ 首都ソウルから北朝鮮の距離は、東京と大宮の距離しかない。そこには
 2500万人が住んでいて、北の脅し文句が「ソウルを火の海にする」である。
それを二分した国家なら効果があるが、アメリカに向かって、「大陸間ミサイルで
核攻撃で火の海にする」と、実験を繰返せば、交戦好きのアメリカが見逃す
わけがない。白人優先主義を謳って当選して大統領にとって、東洋人の100万、
200万が生きようが死のうが、大した問題ではない。
 在日米軍と、二つの空母艦隊と、多くの原子力潜水艦に囲まれ、いつ何時、
攻撃を仕掛けらる可能性がある南北朝鮮の人たちと、平和ボケの日本人とは、
危機感が雲泥に違う。それでも何かしらしら危ないのは分かる。危機の察知の
早い株式市場と、為替の変動の兆候がないので、大丈夫? 
そうでもないだろうから…… 今月から来月にかけて目がはなせない。

・・・・・・
5510,閑話小題 〜魂の致命的な敵は、毎日の消耗である
2016年04月16日(土)
  * 『魂の致命的な敵は、毎日の消耗である』
 ロマンローラン『ジャン・クリストフ』の言葉である。 
リタイア後の最大の収穫は、毎日の消耗が大きく減ったこと。
何も期待されないし、誰にも気を使うことがない気楽さが、こんなに
よいとは思いもしなかった。WOWOWの「ドラマW」枠の「双葉荘の友人」
の中で、主人公の妻が、職場の御産で退社する上司の仕事を受継いだ後、
訪ねていった時の先輩の言葉、『辞めて、家事専門になって慣れると、
思いの外、これがいい』である。 これと同じ感覚を5年前から実感して
いた。 仕事のプレッシャーの累積は、実は魂の致命傷になっていた。
 いや、逆に 魂の消耗の果ててこそが人生じゃないか?  もある。
  * 負いかた一つで、重荷も軽い
 『負いかた一つで、重荷も軽い』 こんな、言葉があった。
傍からみたら、現在の自分が、重い荷物を負っていると見えるだろうが、
何故か羽根が生えているかのように軽い。 私より、一ランク上?の
人種の24時間のスケジュールをたて、こなしていることが、重荷?を軽く
している。これをこなしている限り、重荷になるはずの状況(環境)下で、
重荷も?軽くなって当然と実感。気を強く持ち、日々を真正面に過ごせば、
気持ちの揺らぎも、一時的で終わる。 生老病死などの四苦八苦の重荷は、
老いるほど肩に食いこんでくる。「負いかた」を「老いかた」と置き換えて、
『老いかた一つで、重荷も軽い』にしたいもの。
ルソーがエミールの中で、『もっとも長生きした人とは、最も多くの歳月を
生きた人でなく、もっとも「よく」人生を体験した人だ』と語っている。
「人生の重荷の負いかた」を知り、可能な限り、遊ぶ、学び、働くこと、
特に、遊びは、その重荷を軽くする。これでも、まだまだ、遊び足りない? 
 さて、今日は、何をして楽しみ、遊ぼうか?  
・・・・・・
5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る
2015年04月16日(木)
   * シネマは、漫画本を読む感覚で・・
 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて
『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館
で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、
大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、
その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人
位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週
金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の
進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに
劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 
平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? 
そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。
そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。
ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情
の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。
この文章を書く習慣も、その一つ。 
 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では
なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。
そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。  あれは、
恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。
その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋
や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。
 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、
振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、
ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。
人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる!
・・・・・・
4780,ぼんやりの時間 ー9
2014年04月16日(水)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * ぼんやり時間について ーつれづれに
 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? 
まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた
真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 
 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。
 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。
「?気がきかないさま。?利発でないさま。?どこか元気がなく、気持ちが
集中しない様子。?間が抜けているさま。?呆然としていたり、うかつで
あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な
意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように
否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で
ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も
ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に
とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を
忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、
ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し
説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの
場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた
のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に
対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では
実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、
「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」
的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、
生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか
大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを
考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。
「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や
「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」
もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、
私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、
「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは
ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」
であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする
ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。
ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる
ためにも必要なのだ。》
▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、
 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、
背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、
ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが
経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから
エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない
秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と
案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、
バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛
だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと
する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ 
・・・・・・
4413, 早起きの話
2013年04月16日(火)
 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。
父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると
決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。
40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書
の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。
それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり
就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。
その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を
目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜
4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。
早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、
「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か
ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く
時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間
に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった
時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が
農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 
朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた
という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を
思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。
早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、
独りで物思いにふける時間は至福である。
・・・・・
4039, 世界の旅行記101  ー1
2012年04月16日(月)
  ー 内容(アマゾンより)ー    「世界の旅行記101」 樺山 紘一著
 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に
読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に
うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ
旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 
異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の
歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ
ながら、旅行記の魅力に浸れます。
この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。
  ◎ アマゾン読者感想 
≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、
 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の
在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると
助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物
に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。
また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、
そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を
そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームゴーギャン
の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の
旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。
そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から
現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や
写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。
関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆
年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手
は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、
併せて、古今東西旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、
精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫
▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。
 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿
でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。
そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち
ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 
  次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。
・・・・・・
3673, 自己を見つめる −1
2011年04月16日(土)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように
受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 
その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を
してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が
自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを
していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 
自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー
《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェ
 ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き
締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」
と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」
「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と
  いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを
  忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の
  営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、
  人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で
  強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う
  あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の
  根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
  失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと
  気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った
  ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、
  ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、
  こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書
  『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした
  優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、
  しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  
  第五章  自己  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  
  第九章  愛  第十章  他者  第十一章 世間  十二章 運命 
  第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学
 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を
振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。
青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の
石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 
前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン
ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 
何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな
パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、
玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている
から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな
コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が
出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック
2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが
一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 
で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、
3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで
チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで
チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア
さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 
バイアグラ以外では、これが一番?  今さら、大して用がないか!

つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


  今日のYoutube

地元長岡の桜、今日が満開のようだ。
以前ほどの感慨が少ないのは、何故か? 

 北朝鮮、今朝のニュースでミサイルの打ち上げ失敗とあるが、
問題は核実験でなくて、ミサイル。 しかも、失敗ならアメリカの
面子も立つし、実験を断行した実績も残る。 で?・・・
 まあ、穿った仮説を立ててみると、政治は面白い!



・・・・・・
3673, 自己を見つめる -1
2011年04月16日(土)
   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように受けとめるか?」になる。
それは生きてきた「自己を見つめる」ことになる。 その「自己とは、そもそも何か?」
色々な場面で、多くの判断をし、決断をしてきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。
それらの自己の総合体が自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し
読みをしていたら、思わない拾物をしたのが、この本。 現在は、その「節目どき」。 
自分を見つめ直す機会である。
  まずは、  -アマゾンの説明書きよりー
 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェハイデッガーのことばを
まじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキスト
があったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。日本を代表する哲学者が
「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟というものと深く
関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔
のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも接続していることは確実である。
この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、人生の大事と考えて、
その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係する
ものであり、また、そのことに伴うあらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、
自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかない
うちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至ったことを理解する。
自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
  老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の
重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書『自己を見つめる』において、
語りかけたいと思っている読者は、そうした優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、
慰めもなく、苦しみながら、しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」 
 (「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  第五章  自己  
  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  第九章  愛  第十章 他者  
  第十一章 世間  十二章 運命 第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
――
これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」と共に注文をした。 
老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を振り返り、己を見つめ、考える時期に
来ている。 それが「節目を打つ」ことになる。青年期の挫折時には、これをチャンとして
いたから、躓きの石を踏み台の石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告や
ドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで
1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。で、二日間、一パックを飲んだ
ところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せて
いるような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。
酵素といえば、もう25年来、玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、
続いているから身体に適応しているのだろう。酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな
コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で
取り寄せるほどではなかった。 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。しかし
飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。通勤途上にある「マツキヨ」の
健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば
三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。
ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで
チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない
客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 
バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 
   今さら、大して用がないか!
・・・・・・・
2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の
経済雑誌の特集や著書を、多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のこと
ながら悲観論が主である。当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間
にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が定着したきた。1930年代の世界恐慌
より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。新潟駅前の宿泊現場の
センサーからみると、全体的にみて30~40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー
関連で、40~50パーセントダウン、それ以外が20~40パーセントのダウン。2001年の9・11事件
の時は、三年かかって30パーセントにダウンしていったが、今回は2~3ヶ月で、総じて
30~40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、駄目な会社は早々処理
するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、
お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上減
が始ってきた。これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、
ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。国家として3月末の大量倒産を避けることが
出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが
問題は、これからの経済社会の情勢。この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、
アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。韓国・台湾・シンガポールなどの
日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、大打撃になっている。
かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。
この7~8年、何とか輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは
崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
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2569, 閑話小題 
 2008年04月16日(水)
 *ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。そして
新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが
長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても
統一は不自然だという。こんなことをしているから消費者に嫌われるのを知らないのだ。
誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
 *呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
新潟のキャッチが古町も駅前も完全に姿を消したという。呼び込みは店の前というより
ドアの内外の辺りにいて、積極的に声をかけなくなった。外でタバコをすっている振りを
して、そこにいることを知らしめるだけで、自分からは声はかけないという。先々週、
長岡の殿町でキャッチに付きまとわれてトラブルになったが、その後はどうなったのか。
風俗の店はキャッチが禁止されれば、商売が成り立たない?。 ところで先週末の古町は
キャッチもいない代わりに、一般の客もいない状態で閑散としていたとか。少し猥雑の
雰囲気を客は求めているのか?。
 *ロシアのバレー事情の激変
先日、NHKのハイビジョン特集シベリア鉄道2008」の中でロシアのバレー学校
の事情を部分的だが、紹介していた。この番組、20年以上も前の番組と同じコースを
映しながら、その変化を紹介する内容。なかなか見ごたえがあった。 ソ連の時代は
バレーダンサーは優遇され、全国から殺到していたが、現在は素質のある生徒が集まらない。
学校のほうが全国にスカウトにまわっている始末。やっと、育て上げても海外の条件
の良いところに行ってしまうケースが多い。ダンサーの給料が激減、若者の希望は
実業者とか、銀行マンに移ってしまった。17年で価値観が変化したという。
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2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に
向かってギリギリのところまで迫ってくるあわや正面衝突!と、思わず目をそむけて
しまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに
衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への
移動の国道では誰も前の席に座りたがらない沢木耕太郎の「深夜特急」の中で、
インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の
砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。明らかに我われ日本人をカラカッタ運転。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている
人数が3人、4人、5人なのである。警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。
大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。よく見ていると、ギリギリの
ところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で
コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナム
オートバイは2000年で650万台、2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界の
オートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。自動車とオートバイ
の比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。そのため交通事故は2004年で年間
17,500件以上、死者数も14,000人を超えている。1990年に死者は2300人だというから、
14年間で6倍になってしまった。オートバイの数と丁度正比例していることになる。
日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、ベトナム戦争での年
間戦死者数より交通事故死者数が多いところから「交通戦争」と呼ばれた時代があった。 
(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ー1
     おはよ?!(*^ワ^*)i             ー読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
 ー著者からの内容紹介ー 
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」
の著者が、効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どう
やって読めばいいか? 大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 
一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには? インターネットの情報から、確かな
ものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
▼情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも
分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するための
ノウハウまで、今すぐ使えるテクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を
博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
  ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーは
把握できるはずであるが? 5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウが
そのまま書いてあったようだ。最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。
読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一。骨組みを知った上に、
仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!情報洪水に溺れないためのコツである。
情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、「わかりやすく理解する」ための
情報受信術をマスターすることだ。具体的には、人間が文章を読んで理解するまでの
カニズムと、脳の仕組みを理解して、それを利用することである。
(字数制限のためカット 2010年4月16日) 
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2005年04月16日(土)
1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也
汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の皮裘   汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき  汚れつちまつた悲しみに なすところなく日は暮れる
 ・・・・・
 河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、
深い癒しになるだろう。年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、
汚れたという言葉が自分を苛む。その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」
と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。
昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。一言一言の言葉の中に、
深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」
が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。
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2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から
学んだ教えの数々。すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに
少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に
与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、
修行で苦しみの極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ
為に今ここにいるのだ。それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。学ぶのだ、学ぶ
しかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」という、こころの大転換があった。
その時から視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。分厚いレンズー現実が目の前から
消えたようだった。この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く
魂の言葉の深さを感じ取った。
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 
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2003年04月16日(水)
 742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1      ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』
を買って読んだ。この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。何回も読んで金銭
感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかし
あいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。 お金は、ある
意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に
左に向かって間違いを犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、
右足だけで歩こうとしているようなものだ。そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、
たいていは一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを話してくれた。「飛行機の
ファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間に変わりのないことは私も知っている。
問題はそういうことではない。問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っ
ているかどうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか選択肢を持ってない」
「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは何か、私に言わせればそれは
『自由」であった。
  ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」「たいていの人は、
お金を稼いだあとそれをどうするかについて、貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。
金持ちは余った金でゲームをやるんだよ(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2002年04月16日(火)
 378,不況
 (字数制限のためカット 2011年4月16日)