* 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる、北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事には息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
・・・・・・
5509,閑話小題 〜今年の桜の総括
2016年04月15日(金)
   * 今年の桜の総括
 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、
飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の
こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、
「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の
ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大
イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車
で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に
なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の
『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の
裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、
そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。
なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ
になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、
週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、
この40年間で、数回かあった。
・・・・・・
2003/04/21
散る桜残る桜も散る桜ー2

 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、
満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に
なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。

 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、
悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ。
 
 花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・
2003/04/19
 「散る桜、残る桜は散る桜」
 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。
人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?

 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!
5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に
関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。

 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。
新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・
2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。
もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。

何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。

近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。
「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、
「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。
一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。

全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。
サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が
無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー

今週の長岡は、桜の週である。

庭の梅の花も散り始めてきた。

近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。
本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・
2006/04/20
1843, 桜の話
               才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。
「花」と言えば桜を意味するくらい、桜は日本人にとって特別な花である。
今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。
私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、
桜の花が多い。

長岡にも幾つかの桜の名所がある。
自宅から数分のところにある、福島江の桜と、悠久山の桜だ。
毎年、開花を楽しみにしている。
5年に一度は大当たりの年になるが、
今年はその年か如何か?

桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。
文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとってみても、
桜は大事な役割を果たしている。
日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。
春になると「桜前線」が、天気予報のように、
(今どこが満開かと)放送される位だ。

十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が
桜の散り際を待っていたように「自死」をした。
その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。
ゾクッとするような不思議な体験であった。
5月3日に、その法事に行くことになっている。

         (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
               
ー幾つかの花に関する和歌・俳句を
   HPからコピーしてみた。


世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし
                    在原業平

ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
                    細川ガラシャ

人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける
                     紀 貫之
こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな
                      紀 貫之

みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける
                      紀 友則

色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける
                     古今和歌集

願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ
                         西行
吉野山 こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき
                         西行
浮世には 留め置おかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり
                         西行
仏には 桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば
                         西行

吉野山 梢の花の色々に おどろかれぬる 雪のあけぼの
                     太閤秀吉

咲く花を ちらさじと思うみ吉野は 心あるべき春の山嵐
                     徳川家康

花咲くと 心にかけず 吉野山 またこむ春を 思いやるにも
                      前田利家

花にねて よしのや吉野の吉水の 枕の下に石走る音
                     後醍醐天皇

吉野山 陵ちかくなりぬらん ちりゆく花も うちしめりたる
                     昭憲皇太后

まだ咲かぬ 花のあかりや 蔵王堂     芭蕉
                 
古寺に 誰が植え捨てし 花一本
                     芭蕉

妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ
                     蕪村
そのくせに 花はくれない 人は武士
                    古川柳

難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花
                     古今集

こち吹かば 想いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ
                     菅原道真

さくら さくら やよいの空は 見渡す かぎり
    かすみか くもか におぞ いずる
          いざや いざや 見に ゆかん

 ーー
 桜は死の匂いがする。
 一瞬にして咲いて散るからである。
 それが、また良い! 
今朝は強風が吹いている。
 こういう日の強風は、
 何か腹立たしくなるものだ。               
                 ε(´',_c')зβyё☆βyё

・・・・・・
2005/04/22
1480, 桜咲くーつれづれに


昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。
もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。

何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。

近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。
特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。
「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、
「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。
一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。

全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。
サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が
無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー

今週の長岡は、桜の週である。

庭の梅の花も散り始めてきた。

近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。
本格的な散歩が、この時期から始まる。

・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
  *桜咲く
 今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と
自分の人生を開花の中にみる。毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。短時間
に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。
そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく
見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 

つれづれに

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  今日のYoutube

 今朝もポタリングへ。 4ヶ月の毒が少しずつ溶け出している。

 今になって雨が降ってきた。
桜は8分咲き。 庭の梅の花は半分、散っている。

 昨日のシネマは、『ゴースト・イン・ザ・シェル』を見てきた。
脳を移植された女の苦悩と戦いの物語。 内容は難しく、
乱闘シーンは、私の年齢では刺激過ぎる。



・・・・・・
5144,知の逆転 ~⑦
2015年04月15日(水)

   * 個人物語  ー知の逆転ー
              対談相手 オリバー・サックス
 14年近く、休むことなく毎日、この随想日記を書いている。これは私が、
「直近に読んだ書籍や、経験を個人の物語としてパッケージ化して保存」
する習慣で、それを毎年、同月同日に読み返す。何故に14年も続いたか
といえば、「私つくり」に有効と実感するため。「個人物語化」化である。
 ー以下は、まさに、それ! 私のフィルターを通した経験を、書き連ねる
ことで、経験を自分の中に、埋め込む重要な習慣である。
≪ 「個人の物語」化というのが、それぞれのアイデンティティを確立のため
にいかに重要か。生物学的あるいは生理学的に見て、われわれにはほとんど
違いはないが、各個人の物語は異なっている。それは、脳や免疫システムは、
ある程度以上のレベルになると、みなそれぞれ異なっているからです。
病気に向き合う際にも、落ち着いて対処する人もいれば、すっかり怖気づいて
しまう人もあるし、全く無関心な人もあるといったふうに、人によって物語も
違います。細胞組織レベルでは私たちはほとんど違いはありませんが、脳は、
たとえ一卵性双生児であっても、生まれたときから既に違っている。さらに、
生まれてから脳は、経験によって大きく左右されます。数学者の脳は音楽家
脳と異なるし、視覚芸術家や言語芸術家の脳も異なります。18世紀の科学者
ヘンリー・キャベンディッシュは、ほとんど他の人間との接触というものを
避けて生きていたそうです。裕福そうな人でしたが、使用人は家の別棟に
住んでいて、キャベンディッシュに話しかけることを禁じられていた。
想像も及ばない静寂と孤独の中で暮らしていたそうです。彼はたいへんな
知性とオリジナリティを備えており、地球の重量計測から始まって、
新元素の発見などを成し遂げているのですが、科学者によく見られる野心や
競争心とは全くかけ離れていたそうです。バートランド・ラッセル
「最も高い教育を受けた者たちのなかで、一番幸福なのは科学者である。
なぜなら、彼らの脳は仕事の内容でいっぱいで、感情面では非常にシンプル
でいられる。あまりにシンプルなので、食べることや結婚することなどに
楽しみを見出だせるほどだ(笑)」と言っていました。 ≫
▼ 個人物語は、自分が主役で、舞台と、配役が在って、観客がその物語を
 観ている。それを把握するのが主人公の「私」であり、総監督も兼ねる。
それを自覚する方法に「瞑想」や「散歩」がある。あるいは、映画や書籍に
没頭することで、自分を見つめなおし自分の物語を鳥瞰する。
「事業人生を決心して45年」の語り直しー50(2014/08/25)
 総括の総括 ー小さな物語のまとめー のシリーズを去年の夏、書いたが、
自分を物語を、冷静にみると、小さなエゴの塊の物語が見えてくる。
問題は、認識できるかどうか? ほぼ、出来てない。 程度の差?ですか。
・・・・・・
4779,閑話小題 ー勘違い
2014年04月15日(火)
   * 勘違い
「今回、Windows・XPのサービスの停止で、私のWindowsVistaも、その範囲」
と勝手に勘違いをしてしまい、新たに、Windows8のパソコンを買ってしまった。
実際のところVistaは、あと3年後であった。6年以上も使って買え時期だった
ので後悔はしてないが、その迂闊さには我ながら呆れ果てる。 検索で
Vistaのサービス停止」と入力すれば良かったが、思い込みは恐ろしい!
しかし、知人の言う「パソコンは進化を考えたら4年が買替え時」も事実。
   * 今年の桜は
 毎年恒例の桜のシーズンで、数日来、満開だが、それぞれの地域ごとに
素晴らしい桜並木があるもの。その中で、特に自分の気に入った桜の木を
決めて、毎年、再開するのも良いものである。個々も良し、並木も良しが桜。
シーズン中の、天候の良し悪しも大きく左右する。その点、今年は当り年。
明日あたりから、散り始めるが、これもまた良い。川辺などの桜が散る頃、
山辺の桜が満開になり、それも散ると、今度は八重桜が満開になる。
八重桜は八重咲きになるサクラの総称で、山桜のヤマのマがエの変化したもの。
何か歳とるごとに、桜の花が愛おしくなっていく。
 ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな (村上鬼城
 したたかに水をうちたる夕ざくら (久保田万太郎
 ゆふ空の暗澹(あんたん)たるにさくら咲き (山口誓子
 やどりして春の山辺に寝たる夜は夢の内にも花ぞ散りける (紀 貫之)
 すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり(岡野弘彦
 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子)
 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平
 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀 友則)
今日は、この数日来のコースを周り、明日からは悠久山のコースの予定。
・・・・・・
4412, 大丈夫、なんとかなるさ -2
2013年04月15日(月)                
 * 今を生きる女の強と、昔を生きる男の弱さ 
             ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 国が衰えてくると、俄然、女性の強さが浮かび上がってくる。その一つの
傾向として男は台所に女が外に働きに出る。定年をむかえ、男は仕事で消耗
してしまい家の中では粗大ゴミ扱い。そこで争いが。しかし強いのは女性。
ここで、その理由を明確に述べている。働きづめだった男こそ、「今を生きる」
ために与えられた時間なのに、過去の想いに囚れ今に生きることが出来ない。
≪ ある時期、男たちの間で女性の活躍がよく話題になった。おのずと話は
男女の一般的な比較諭になって、いざという時には女は強く、男は弱いという
意見や感想が目立った。彼らの話を聞きつつ、ずいぶん前に新聞で読んだ男女
の産み分けがなぜ可能かの記事をい出していた。ある大学医学部が明らかに
したもので、人聞の精子を分離すると、女の子つくるX精子は重く下にたまる
のに比べ、男の子をつくるY精子は軽くて浮くという。 
 そんな内容であったと記憶する。以来ぼくは男女比較論になると、その話
を引用しながら「つまり女はもともとどっしりと安定しているのに比べ、
男はふわふわと不安定なんだ」としたり顔で言ったものだ。 さらに近年は、
脳科学のこんな説にも注目してきた。芸術・感情脳の右脳と、言語機能を持つ
思考.論理脳の左脳を結ぷ脳梁などは、女性のほうが男性より太く、そのぶん
情報交換量や、情感も女性が豊かだという訳だ。これには異論、反論があるが、
男性よりよくしゃべり、よく泣き、よく笑う女性のリセット的特性を説明
しやすく、これまでも重宝してきた。 男より女佐が長生きするなども、
それらの特性でかなり説明がつくようにも思える。ところで人間のありよう
が遺伝学や脳科学とは別に日常の習慣性からとらえられるとすれば、前に紹介
加藤登紀子さんの話のとおり、炊事・洗濯・掃除といった短いサイクルで
毎日を生きている女性のしぶとさは男など問題外だろう。その場その場の
対応力や性を生きる強さ、男よりよく泣くにしても、泣いてすっきり、
ああご飯がおいしいとすぐに涙など吹っ切っている女性を見ると、事態への
能力において男の勝ち目は縛い。・・・ ≫
▼ 現在の状況を冷静にみると、身につまされる。比較的、今の時間を生きて
 いるつもりだが、家内の日常からすれば、全く劣っているのが現実。毎日、
毎週の習慣から抜け出せないのである。歳もあってか、既に世の中を見切って
しまい、映画か読書とか、過去の記述など頭の中の世界に生きようとしている。
それに比して、家内といえば、羽がはえたように「横世界の今・ここ」を
生きている。で、私は、早朝起きて独り部屋で、これを書いたり、ポタリング
をしている。猫(女)と犬(男)の生活を続けた差が、鮮明に出て当然である。
 ニャ~ンとワンが喧嘩して、毛をソバたてたフーとワンワンでは、
猫が勝つに決まっている。夫源病と妻源病か!
・・・・・
4038, 閑話小題 
2012年04月15日(日)
     * つれづれに
◎ 昨日、一昨日と二日続けてシネマを見てきた。全米の観客動員数が一位と、
 二位というから間違いないと判断。私の評価は、全米一位の「バトルシップ」、
 85点。 二位の「ジョン・カーター」、90点。一応、合格。
 昨日は土曜日のためかロビーは客で溢れていた。 シルバー割引千円で
 現実からトリップできるから価値は充分ある。ストレスを解消してくれそうな
 ものを、話題になった中から選んでいる。大不況の鬱憤を映画で晴らそうと
 いうのか、破壊と再生の物語が多い。 バーチャルの世界で鬱屈した?
 気持ちをスカッとさせ、ストレス発散をするようにできている。
◎ 現在、世界的にも、国内的にも大きな節目。 現実に私のケースのように
 過去10年間の売り上げの激減と、その結果の事態は、数年先の現実の前倒
 現象になる。 それで、悲観過ぎるのか?決して悲観過ぎるということはない。
 毎日毎日、同じようなことを飽きもせず書いているが、書くことで、気が付く
 ことが多い。ところで、このところ、この随想日記のスランプ期間に入った。
 テーマが出てこないのである。数ヶ月に一度くるが、これも慣れている。
◎ 「年齢に気持ちがついていけない!」 これが、人生を生きてきて常に
 感じてきたこと。歳をとればとるほど、その傾向が強くなる。未来より、
 過去を見つめる時間が長くなるためだろう。そこで、過去を否定しないこと。
◎ 米国の天然ガス価格が2ドル代の大台を割って、日本の輸入価格は18ドル。 
 日米格差は9倍である。米国は世界最大の資源国であり、世界一安い天然ガス
 を使える。これに対して日本企業は電力不足と、世界一高い法人税、そして
 社会保障費と人件費も高い。米国産原油価格優遇策となれば米国優位は
 ゆるぎない。これが宗主国と属国の力の差。ジワジワと、その影響が日本経済
 と社会に出てくる。日本は海洋国家と、水資源が豊富にある。それと島国の
 特性の中に、これからのヒントがあるはず。それにしても、東北大震災と、
 原発事故と、54の原発が使えないのが大きい。
・・・・・・・
3672, 節目どきに ー7
2011年04月15日(金)
  * つれづれに
△ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 
 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、収めたが丁度良く収まった。
 事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、
 それでも捨てがたいものが多くある。会社に置いてた本の半分ほどは処分して
 きたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省
 しきりである。逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。
△ 昨日、小学校5~6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?見舞いの
 葉書が届いた。現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の
美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、姉は、あまり
先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か
小学校の同期会に先生が出席され、その時に先生にお願いをして、新潟の私の
ホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。
もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長
までされた人で、定年時には、そのお祝いに300人が集まってくれたと
嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、
先日まで、会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。卒業まじかに、
半年間、虐め?で級長にされたことがあった。これはきつかったが、その時に
不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、
今でも鮮明の残っている。しかし人を導く不思議な力を持っていた。
先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間
見たのだろう。そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、
慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。喧嘩も、勉強も
ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに?
家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。