閑話小題 ~あと二月足らずで76歳ですと!

 

   * 自らの75歳寿命説を公言して…
 自ら75歳が寿命を公言して10年以上も経過したが、ギア・ダウン現象が全くない。
2年前の今頃に酷い腰痛に陥り、これが予兆かと思ったが、その後の病がない。…
こういう外れは良いが…あの異常な腰痛は何だったのだろうか…? 執行猶予の
アチェンジのサインとしても、それでは行動、態度が変わっていない。
瀬戸際に立つと、心にオーラが立上りオーラの虹越しに現象色が変化してみえる。
やはり75歳の峠越えは、肉体的、精神的に大きな心境の変化が感じとられる。
 …軽い老人性鬱傾向になると、
< 宇宙は10の500乗存在する?ストリング理論 『新・天文学事典』講談社ブルー
バックス 「最近では万物の理論の候補とされるストリング理論の研究において、
 この宇宙が10^500種類も存在する!>を想いうかべると、些細な引っ掛りは吹っ
飛んでしまう。『空即是色 色即是空』に近い心の風景である。
 ―
   * 先場所で引退した白鵬が初解説に
 白鵬の引退際の躊躇に、大陸的大らかさで割切れない怒りさえを感じていた。
ところが一昨日、TV解説に初出演。その解説の明快さに驚いてしまった。
解説はNHKの『北の富士』の解説が群を抜いていた。現理事長が孫弟子が故に、
自由奔放で、その分析はなかなかなもの。何やら隠れスキャンダル…?故に、
引退後には部屋持ちにならず、解説にまわっていった。しかし白鵬の解説は、
直近の相撲取りなるが故に、非常に的を得たもの。他の解説を寄付けなかった
白鵬舞の海も真っ青!> というところ! あの優勝回数も、伊達ではない。
 ―
   * オリンピック、衆院総選挙も終わり…
 中国の習主席が追い詰められて、台湾併合の功績を焦ってる様相が怖ろしい。
コロナ禍で経済成長も鈍化、右上がり経済なればこそ、問題にされてなかった
不動産バブルも破壊直前。香港併合の勢いを借りて台湾併合の勢い。
さすがに国際世論を敵にまわしてしまった。ならば、経済恐慌を引き起こす、
第二の矢… 中国の得意の業! 後ろにはプーチンが控えて、アメリカ国内の
波乱要素の大統領選挙を利用する構え! 一度、戦端が広がると、徹底した
破壊が始まる。とすると、来年と再来年の中国が危ない! アメリカも、
その為、76年間、日本を最優先に特権を与えてきた。中近東化されない保証は、
現在の日本には皆無。

・・・・・・
7194,閑話小題 ~人生総括の時節に -7(10歳~18歳歳) 
2020年11月23日(月)
    * 両親から受け継いだこと
 自営業は、極端な潔癖症と、苦難を逆手にとって消化して飲む込む図太さが
必要と…両親の後ろ姿から学んだこと。2,3代目になるにつれて、これが希薄に
なっていく。この20,30年だけでも、
・バブルと、その崩壊から始まり、
・2001年の9・11テロ・ショックによる世界経済の落込み、
・2度にわたる、中越地震と、柏崎・刈羽地震
・2008年のリーマンショック、と、
・2011年の東北大震災が続き 

 とどめが、2020年の、コロナ禍のパンデミックである。
生れた時が、長岡空襲の廃墟の中から立ち上ろうとしていた時節。
父親の口癖が、<太平洋戦争と長岡空襲で、全てが変わってしまった。
時代の変化は、個々人の事情に関係なく、襲ってくる。万一の備えは、
常日頃から長年かけて具えておくこと。最後の最後は、万一の備え。
知識と、別立て長期的資金は積み立てておくこと。> 
家内も小さな建材屋の長女、実家の教えの基本は、同じ。
 教えというより、商家とかの自由業の基本は、皆、同じ。
それと、仕事を遊びまで高めることも然り。 10年前の事業清算が、
軟着陸できたのも、別だての家内の別口が、可能にしてくれた。

 としても、このコロナ禍のパンデミックは、そう簡単に乘り切れない事態。
全治5年とは云われているが、10年はかかる大参事。この後には、経済戦争と、
新たな?? が、控えている。群れの習性を事業に、都市造りに、最大限に
利用してきたのが、このコロナ禍で、否定されつつある。この事態にAI化と、
科学化を駆使して、ゼロから対応し生き延びる知恵こそが人類に求められている。
 創業に時代ということ! 良き時代は、パンデミック禍を区切りとして終った!

・・・・・・
6827,閑話小題 ~とにかく‘毎日’書く習慣 
2019年11月23日(土)
   * とにかく全部、書け ―3
「とにかく全部、書け!」は、私にとって「とにかく‘毎日’書け」になる…
これが慣れると、さほど苦痛でなくなるのは継続の効果である。書き続けると、
日々、新しいい発見があるが、ほぼ同じことを書いていることに気づかなくなる。
  ~書き続けることは
・脳内の外部化の作業であり、可視化にもなる。
・18年半が経過したテーマ日記。過去の同月同日分を数年分読み返す習慣と、
 過って書いた内容を、キーワードでブログ内検索で引出せるのが便利。
・外部化することで、書いた瞬間に安心して忘却できる。
・また過去に入れたエネルギーが、検索で、そのまま湧出する感覚になる。
・書上げた達成感と充実感が蓄積していく喜びも何ものにも変え難い。
 知れば知る程、その周辺の知らないことが見えてくる。
・言い残すことが、ほぼ無い実感が何とも有難い。

これを続けることは、膨大なエネルギーと根気を要するが、慣れると充実感が
満ちてくる。で、どうした? どうもしないがシリアスな内容だけに、他人様
から恨まれ疎んじられる反面、少しは何かを与えることが出来たか。生半可な
知識・情報を在庫として書き残し、数年にわたり、読み返すうちに理解する
ことがある。 
 
 去年の秋口に書いた中で、並列して飛ぶ2機の戦闘乗組員の無線のセリフ…、
《 ・ダニー:「 何事だ?無線は緊急用だぞ 」
 ・新人:「 すみません、ちょっと質問が… 飛行日誌についてですが、
  無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも… 」
・ダニー:「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」》
 ―
 この言葉を若い時分に読んでいたら、人生は大きく変わっていただろう。
書き残してない人生の空白部分があまりに多い。私にとって あれだけ面白い
経験をしてきたのに、全くといってよいほど書いてない時節があった。
あの現場の感情や場面を克明に書き残していたらと思うと実に残念である。
 それでも22歳~25歳にかけて、その時の気持ちを日記に書き留めていたし、
50歳半ばから18年半の間、このテーマ日記を書き続けてきた。それでも20代
後半から高度成長時代の濁流の中での心象風景を、そのまま書いていたらと
思うと… 後悔先に立たず。
 ソクラテスは何も書き残してなかったが、弟子プラトンが、彼の言葉を詳
しく記録し、後世に残していた。書き残こす意義は非常に大きい。
<今日、此処で、私が書いたテーマと内容>は、生半可としても、毎年、読み
返すことで改めてわかることが多々ある。それは、改めて考えることに。 
 ソクラテスの最たる言葉が、『私は何と無知か!』。その理解から第一歩が
始まる。「無知の知」の言葉が己を慰める。そして、次に娑婆のシタリ顔の
面々の人たちの言葉が湧きあがり、「深く考えない人生は生きるに値しない」
の言葉に納得する。湧きあがるのは、その時々の内なる無知蒙昧。
  ソクラテスの言葉に…
<それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると思うか? 
 ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいいと言って、帰って
いくことでしょう。>がある。 時どき、冷たい視線に出会い狼狽えるが、
「カタチが違えど、御前さんと大同小異だろう。」の言葉で、一瞬で不快さが
なくなる。無知とは、それぞれに不快感を与えるものよと。
 
 ~過ってテーマにしたのを、コピペをする…
・・・・・・
6389,心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~1 
2018年09月10日(月)
   * 未来とは、今である。
         ーマーガレット・ミード―
 この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、
数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい
からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を
入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月
同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が
出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の
テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」
として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。
ネットサーフィンで、ある名言集のブログに「未来とは、今である」があった。
毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と
明確に示した内容である。

≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、
 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。
一方で、まだ将来の目標が定まらず、
いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。

わたしのまわりでも、
「今後のために いま何をすべきなのかわからない」
という話を聞くことがあります。
そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。

メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と
した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機メンフィス・ベル」は、これまで
唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る
ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。

最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは
初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。
その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。

新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」
ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」
新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、
   無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」
ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」
新人「 どうも、お邪魔を 」

このシーンが今でも気になるのは、ダニーの
『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。
それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫


▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

・・・・・・
2018/09/11 
心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~2 

「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に向けて垂直に立ち
上がる。 一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく
書いた内容を読返す度に違った視点に変化する。 自ずから何もかもを書きだす
プラス、マイナス面がある。
 22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分が心底で
共鳴できる一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を
呼び出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する
文章を書きつづける!」のが、目標。 旅行中は、前もって書き下ろしたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。 「とにかく毎日書きつづけろ!」 
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。
――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
 ――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >


▼ 孤老化した使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分のテーマ日記
の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけてきて良かったと
実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いてはいるが、やはり、
公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、偽善の内容になって
いくところが絶妙である。公開すると、それが即、見抜かれるため、シリアス
かつ、露悪に成りざるを得ないのである。エゴまるだしの「このバカが!」
と思われてこそ、面白い筋立てになる。 

 

閑話小題 ~読書日記―『サル化する世界』

                 『サル化する世界』 内田樹・著
   * 時代の境目は、何事も本質化する
 思いもよらね『パンデミック禍』と、中国の台頭で、世界は激変の過程にある。
そこに出てくるのが卑しい独裁者の出現。その事例そのままが、百年前に、その
ままあった。人間は猿そのもの。世界は、自然破壊でオゾン層を起因した危機に
陥っている。時の権力者は、己の権力維持を最優先して、その問題を後送りする。
 Amazonのビュアには、この説の要約が纏められてある。
≪冒頭のサル化の話、時間意識と関連づけた批判について大きく共感するところが
 ありました。 本質的な喩えは、サルでなくても、他の動物、ブタでも良いとは
思いますが、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい、という人間が
多数派を占める」と、確かにそうでしょう。しかし、著者の思い込みで、単純化
したロジックで物事を展開しているように受け止められるところも多々見受け
られます。一例、P56、中国モデルを模倣による心理的な抑制の流れから、韓国に
ついて「嫌韓嫌中言説はこの二つの成功モデルに対して、競争劣位を味わっている
日本人の嫉妬から生まれたものだと私は見ている」と、それ以下に展開され、唖然!
「安倍政権は、無意識にではあるけれども」云々、無意識って!それで批判されて
もね。評者は、所謂右でも左でもなく、ストレートに言えば双方の極端な思い込み
にうんざりさせられますが、嫌韓の理由は、決して競争劣位ではありません。
評者はビジネスの最前線で韓国人や中国人とも交流があり、いわゆる切った張ったの
世界から見れば、著者の主張は個人的に矮小化された物言いに映ります(嫌韓雑誌の
思い込み主張と変わらない)。主観的な、言いっ放しが許されるアカデミックに
いる人の主張といえばそれまでですが、具体的なエビデンスは無くても良いので、
せめてもう少し他の可能性、多角的な視点を示して頂ければ、良かったのではない
かと思います(著者の他の著作は知りませんので本作ではということです)。 ≫
 ―
≪ 驚きだったのは、
◉ 1番目に、中盤の第3章「"この国のかたち"考」にある「比較敗戦論のために」。
 たとえば、フランスが実は敗戦国であることと、それを権謀術数を弄して隠蔽
 し続ける事により生じた悪弊に今現在も苦しんでいること。
敗戦国のドイツが、「戦勝国」である東ドイツとの再統一で直面した歪み、
実はいまだなされていない「国民的合意」。日本の同盟国=敗戦国であったはずの
イタリアが、実は最後の最後1945年7月になんと日本に宣戦布告した「戦勝国」で
あることなどだ。
◉ 2番目は、第4章「AI時代の英語教育について」で提案される「成績をつけない
教育」(2018年6月の講演採録)。「目標文化」が眼中になく「目標言語」のみを
奨励する英語教育。先般、文科大臣の「身の丈にあわせて頑張れ」発言(2019/10月)
により空中分解した「英語民間試験導入」は、政府の本音が図らずも露呈してしまった
ことなのだなと合点が行く。「今さえ良ければ、自分さえ良ければ」に突き進む教育。
こういった"反知性主義"がもたらす致命的な現場の荒廃への対抗策、ではなく
教育が本来あるべき姿、それが「成績をつけない教育」と丁寧に説明された上で
断言されている。賛成。難解な本ではない。じっくり読めば誰でも理解できるように
丁寧に書かれている。知らない言葉はスマホで辞書を引き引き読んだ。知らない事
が満載だった。
◉ 最後に、印象に残った言葉。
『悲観的にならない、怒らない、恨まない。そういうネガティヴな心の動きは
すべての判断力を狂わせます。危機的状況下では判断力の正確さが命です。にこに
こ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を
呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。
ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に
重大な決断を下してはいけない。これは先賢の大切な教え』(本書p.246〜247、
初出2016年) ダークサイドに堕ちてはならない。肝に銘じます。   ≫
 ―
▼ 振りかえ見れば、20歳未満の己は小さな世界に安住し、その価値観に縛れれ、
 現在も岩陰の中でブツブツ行っているに過ぎない存在。今もである。

・・・・・・
7193,閑話小題 ~人生総括の時節に -6(0~9歳の頃) 
2020年11月22日(日)
    * 当時の長岡駅前の心象風景は、こんなふう!
 当時を線上にし想いだしながら書きだすと、細部が出てくる出てくる。
鬼籍に入った両親も、姉夫婦も、雲上でクシャミが聞えてきそう。
30歳の時節に、Uターンの折、可能な限り接点を最小にすると決めていた。
そうしないと、このまま長岡衆の世界に埋没しそうな…若旦那になる可能性
があると直感したこともある。 しかし新潟駅前で呆気なく撃沈!

 当時の大手通り商店街には、時代の波が大津波のように押し寄せていた。
地元の土地成金、そして時代の流れで十日町の商店「イチムラ」が、一発勝負で、
長岡に進出して大当り。三条の香具師だった『丸大』もまた、大手通りに進出し、
長岡の実家の商店と、三条、十日町との三すくみの勝負を演じていた。
 途中から地元の商店が集まり『丸専』という集合商店ビルを大手通りに進出、
金沢の『大和百貨店』と4店が集積した商店街が誕生していた。そこに母親の
実家の親戚が絡んだウチヤマビルも加わり、面白い激戦世界が展開していた。
そこに家具屋『今井』のマダムと、美容院のマダム、「浪花屋の柿の種」で
一発当てた姉御とか、テキヤ世界の何とかの面白い世界が展開。子供ながらに
その面白さに嵌っていた。
 
 猫、犬、猿、ネズミの世界の一回り拡大した世界を子供ながらに冷静に受け
止めていた。 その中で珍奇な危ない地元貉と、キツネの存在が何とも味が! 
それが結構、面白い! 一回り、20代に外の世界を拝見し、40歳過ぎた頃から
地球の外殻の秘・異郷の外づらを眺め観て、成行きで、Jターンで味合う、
この実感は何とも味わい深いもの。それもまた人生。これも短期的には整合性が
あっても、中期的には綻びが出てくる。今ではシャッター通りの下町風に… 
父親が人間関係にも潔癖症で、世間人を相容れないところがあったが、年齢を
増すにつれて、その傾向が強くなってきた。私は父親の歪な縮小版ということか!

・・・・・・
6826,閑話小題 ~幸福のパラドックス -2 
2019年11月22日(金)
   * 何ゆえに、何万年前と幸福感が大して変わらないか
  ~この概要をまとめると…
≪ この何万年…、特に、この二百年の間、幸せを追求し経済成長をして
きたにもかかわらず、何ゆえ大した幸福感を得ることが出来なかったのか。
それどころか、経済のグローバル化と、経済戦争で、かえって苦しんでいる。
その根底に、幸せには二種類あることを知らないためであると… それは、
「相対の幸福」と「絶対の幸福」である。この二つを意識して暮らせるか、
どうかで人生が変わってくる。

◉ まずは「相対の幸福」とは お金、財産、地位、名誉… 
 人と比べなければならない幸福である。その弱点は3つある。
・どこまで求めても、キリがない
・喜びが続かない
・死んでいく時には総崩れになる
◉ 「絶対の幸福」とは、仏教では、その目的が完成があり、死によっても
 総崩れすることがない。大安心、大満足の絶対幸福になること。カントの、
絶対言明にあたる。それに対し、仮言命法が、相対的幸せになる。
定言命法とは、カント倫理学における根本的な原理であり、無条件に
「~せよ」と命じる絶対的命法である。定言的命令とも言う。
「もし○○なら▽▽せよ」というかたち。相対的である。
 ―
 そうこう考えると、一大問題が「死」の問題と宣った。
宮本武蔵が吉岡道場と三回の決死の戦いを…
織田信長も、今川義元と、絶対的劣勢の中で、勝利を収めた。
まず最も重要な敵の親玉に狙いをさだめて、まず殺してしまった。
 これに人生を当てはめると『死の問題』が親玉になる。… ≫
 ―
▼ これは若い時分から自問自答し、少しずつ納得していくしかない。
 「死」を直視し、覚悟を決めてしまえば、死の裏側にある「生」の問題が
豊潤に浮び上ってくる。 「人生に何をすべきか」「どこまで知るべきか」
「どこまで望むべきか」のカント哲学の基底に相通じていく。 ところが、
大方の人は、「自分だけは大丈夫、まあ80歳は生けるだろう」と勝手に決め
こんでしまう。 が、そうは甘くはないのが人生。これは覚悟の問題。
時間をかけるしかない。 そこに「幸福のパラドックス」が…。 
幸福の光の背後にある漆黒の闇を考える必要があるかどうか。光は漆黒が
濃いほど光り輝く。人生は「いま ここ わたし」は …宇宙の一瞬の輝き。

 ところで沢尻エリカ様、最高のエクスタシーを味わったのだろうに。
あとで待つのが「汚れ役」の人生としても… 芋づる?で他のタレントの名がチラホラ。

・・・・・・
6462,閑話小題 ~ゴーン逮捕 -2 
2018年11月22日(木)
   * 日産とルノーの合併話が遠因?
 家内が昨日の朝、「昨夜のTVで、日産とルノーの合併話があって、それを阻止
するためのクーデターと報じていたよ!」と宣う。そこでネット検索をすると、
以下なるネットニュースがあった。
≪  ☆ ゴーン会長が日産・ルノーの合併を検討 FT報道 
 英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は20日日産自動車会長と仏ルノー会長
最高経営責任者(CEO)を務めるカルロス・ゴーン容疑者が両社の経営統合
計画していたと報じた。日産側の経営陣は強く反対していたといい、ゴーン会長
の逮捕劇の背景に日産の経営を巡る内部闘争があったと示唆した。
 複数の関係者がFTに対して明らかにしたとしている統合は、ゴーン会長が強く
推進し、反対する日産経営陣は「数カ月以内」に実現する可能性があるとみて
いたという。相互に株式を持ち合う日産とルノーの統合は、日産を影響下に置き
たい仏政府がかねて望んでいたとされる。 三菱自動車を含む3社連合の形を
ゴーン会長に頼らない体制にするためだ。ゴーン会長も6月のルノー株主総会
「私の任期終了までに企業連合の持続性に疑問が出ないようにする」などと
発言していた。これに対して日産側は仏政府による経営介入などを警戒し、独立
したままの資本関係の維持を望んでおり、水面下の駆け引きが続いていた。≫

▼ ルノーの経営会議で、ゴーンの解任は延期されたが、この事情であれば当然。
 水面下ではフランスと激しい遣り取りがあって当然。世界を揺るがす御家騒動
になるが… ドロドロした内情が噴きだしてきた。ゴーンの私利私欲のスキャン
ダルも事実で、合併が差し迫った現在、自分たちの身分が危なくなる現経営者の
策謀も事実としたら、さて如何なることか?ルノーが43%の日産株を所持に対し、
日産は15%というから、資本の論理からすると、絶対的にルノーが有利になる
のは周知のはず。 その後のルノーの臨時取締役会で解任されなかった、という
ことは、フランス政府がゴーン解任に反対したため?とすると、早々、日産の
現社長の辞任? フランスから猛抗議を受けた政府の圧力で、検察が、ゴーンを
釈放。合併を推し進めるのか、映画を地にいくバトルになる?
ここにアメ車のフォード、GMの要請を受けたトランプがアメリカ第一主義から、
ルノーの力を削ぐため、日本に圧力をかけるだろうから、日仏米間の政治問題も
絡んで何とも複雑な問題。 レバノンの難民の父を持って、世界を渡り歩いた
中で、学び、働き、勝抜いてきた筋金入りのゴーン。このまま、済むわけがない。
まさに生中継のハリウッド映画のようで、見もの。フリーのライターが色いろ
ホジクリ返すのだろうが…  検察に対して、弱みを持つ?安倍首相。
何を思って夜を過ごしているのやら! 私が日産の社長で、免責条件で、
ゴーンの不正告発を突きつけられたら、連犯で逮捕より、寝返るしかない! 
 やはり、何処かで死人が出るほどの、生々しい事件とみてよいのでは!
フランスの秘密警察は、陰湿で強力という。

・・・・・・
5365,世間、社会、会社の意味とは ー�
2015年11月22日(日)
          ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門
   * 世間の中で、もまれて大人になる日本人
 学生時代の専攻が社会学。それに影響されてか、社会科学に興味を持って、
以来40数年、その系統の本を読み続けてきた。そこに当然、身近な『世間』
なるものの正体に興味を持つことになり、手当り次第に読んできた。
その世間、社会の色取りが面白いからこそ、続けてこられた。特に日本人は、
『世間教』たる宗教めいた神様が存在して、それに大きく左右されて、
『世間馬鹿』(いま、思いついた言葉)になってしまい、人生の黄昏頃に、
その壁に気づき、自ら涙する。その世間を、否定をしないで、真正面から
捉えたのが、この本である。ーはじめにーの、「世間」「社会」「会社」
の定義が、的を得ている。まずは、その辺りを抜粋。  
≪ 日本には昔から「世間」という言葉がありました。
 「世間知らず」
 「世間の笑い者になるぞ」
 「世間は広い」
・世間とは個々の人が作った集団ですが、それは具象的というか、私たちが
日常接する人々とつくるつきあい、そして、その延長である知人のまた知人、
というふうに範囲を広めていった未知の人をも含めた集団といえる。
あくまでも、現実の人間関係の延長がつくる人間関係です。
 人は成長するに従って次第に複雑な人間関係を持つようになり、やがて
未知の人をも含めた集まりが存在していることを知るようになります。
 それが世間であり、大人になるということは、そういう世間で生きるための
常識が備わってくること、いや、積極的に世間を知ろうとすることが成長する
ことの意味なのでしょう。世間を前にすると、個々の人間は弱い存在です。
そのルールには従わなければならないし、ルールの担い手になることさえ、
周囲の人々に期待される場面もあります。世間の掟というのは、法律のように
個人を強制するものではないにしても、世間の暗黙のルールを破ると、物事が
スムーズに運びません。
 「世間知らず」とは、そういう世間の暗黙のルールが身についていない人の
ことであり、「世間は広い」という言葉には、暗黙のルールだと信じていたもの
のほかに意外なルールがあって、それに従って生きている人々がいることを
知った驚きが込められています。
・「世間」によく似た言葉に「社会」があります。学生のころ、社会学の講義
で、明治のはじめに英語の「ソサエティ」を訳すに当たり、当初、「会社」と
した場合もあったが、やがて「社会」に落ちついたと教えられました。
しめすへん「社」という漢字の左側の部分は「示偏」で、これは神を祭る祭壇を
表すと聞いた覚えがあります。そして、右側の部分をなす土という字です。
つまり、「社」という字は土の上に神を祭る祭壇を作ることで、「会」という
字は人々が集まることです。「社会」という単語には、まず祭壇があって、
そこに集まる人々がいる。つまり、共通の神があり、それを承認する人の集団
が社会なのです。
・そして、「会社」は、「社会」の漢字の順序を変えただけ。しかし日本語の
「会社」の場合は、まずある目的があり、それを達成するために人々が作った
かなり人為的な組織ということになります。たとえば紡績会社なら、織物の
生産を目的に、金と技術と意欲を提供して集まった人たちの組織ということに
なります。それに対して「社会」は、自然発生的で人間が知的にその存在を
認めた組織ということになりましょう。そうやって考えると、「社会」と
いう言葉は、あくまでも知的な認識というか、人にとっての個々の知人関係
などがつくる人間関係とは、一応は無縁な言葉ということになるでしょう。≫
▼ ウィキペディアによると、{社会とは、人間と人間のあらゆる関係を指す。
 社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括
する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する
社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を
観察する。}とある。「世間」が身近な人間関係の広がりに対して、「社会」は
その範囲が広く、社会契約を含めた、構造と、その構成要素をいう。人生を
考えるとき、「世間」たる化け物を見据えておかないと、その一員に陥る
はめになる。それを避けるには、長年かけた教養が必要のはずだが… さて?

・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして
なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として
ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの
パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの
出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」
と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、
はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に
なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。   ーまずは初回からー

・・・・・
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7~8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は
23000歩 は歩く。気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、
呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。趣味をとうりすぎてライフ
ワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7~8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、
上には上があるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。->
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)�早朝(4時半~5時半)起床 
�近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事�風呂
と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経を
となえる。この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦
してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年5月】 

閑話小題 ~読書日記 『タコツボ社会』 -②


   * タコツボ社会についての再考
 日本社会を縦社会とタコツボに見たてた説も、「それぞれのツボ内の位置を
資格と捉えて一つ外に出れば、横社会でしかない」と見れば、成るほど、資格
社会と見ることが可能。何やらイマイチの説明だが、現代では消えかかって
いる法事を例えると理解しやすい。寺側の習慣で、叔父叔母などの総代が一堂に
集まり、祖先の供養をする法事。 家系の総代が、資格と見たて、当人が出席
不可能の場合は、名代をたて、坊様にありがたい御経をあげてもらい、会食で
一応メンツを保つ。以前は2~3年に一度くらいはあったが、今では葬式ぐらい。 
一族総代は、一応、資格になり、それは、タコツボでしかない。若い人たちが、
田舎なればこそ都会に住みつき、過疎状態。1年位前に、我家の本家が自然消滅
したと兄より聞いた。行き来は全くなく、盆に花を並べて、祈るだけの関係。
「横社会・資格社会」という切口には、それなりの構成が成立つ。
嫁、婿、アニ(長男)、オジ(次男)という家制度の資格が、長年の経験上、
そこにある。結婚にしても、本人同士の祝賀会の要素が強くなり、親戚の座は、
片隅に置かれる時代。一人っ子時代には、これも自然の流れとなる。タブレット
PCによる、ネットが社会を激変させている。

・・・・・・
7192,閑話小題 ~人生総括の時節に -5(0歳~9歳) 
2020年11月21日(土)
   * 世界を4Fのミニ・ビルに凝縮したような!
               0歳から9歳までの想い出 =C=
 詳細は書けない程、惨い内容。今から思うと両親の教養不足が根底にあった。
戦前、戦中、戦後と、経済変化の中でも、様々な決断が必要であったのだろう。
変化対応のベースとして、人類の経験則としての基礎知識が必要となる。
「知識は力なり!」は、今更だが道理である。 …あるヤリ手?の男が、
「息子を家に入れたが、失敗をした!如何すれば良いか?」と相談に来た。
そこで、「すぐに追出せ、旧約聖書にもある。不自然なことをすれば、不自然
な結果として現れる。 二匹のライオンが、同じ檻に入れておけば、早そうに
問題が出る。」と… 次の出会いで、『お前の言ったとおり、直に別居をしたが、
スッキリして良かった』との返事。両親にも、その手の知識が無かったようだ。
事業設計の中で、妻子などの親戚縁者を入社させないと、決めていた。
それと資本を公開しないことも。転業などに不都合になるからである。

 遊園地の砂場のような漫画本そのものの日常になっていた。
兄姉には、末っ子として振る舞い。可愛い女子従業員には纏わりつくマセタ
がきである。特に父親には気にいられるように振る舞っていた。それら全てが、
実社会で有効に働いていた。その中で捨て犬がペットとして家族に加わった。
そして茶色の猫タマが… コロは、その後、代々の犬のペットの名前に引継がれる
ことになる。猫は、その後、伝染病で死んだこともあり、二度と飼われることは
なかった。そして、或る日、店に肩に猿を乗せた男が、「1万円で買わないか」
と売込みに来て、アッサリと同居することになった。 気分紛れに嚙みつくが、
その痛いコト! 野生サルはボスを直に識別…父親に慣れて、私のライバルに!
そこで幼稚園、小学校へと進級していった。

 幼稚園・小学1・2年の最初の友達は、「鳥梅」という焼き鳥屋の‘克ちゃん’。
店を引継いだが、複雑な事情とかでノイローゼで気力喪失になり、40年も入院の
まま晩年を迎えている。 …繁華街の真只中の日々は刺激的そのもの。
子供の情操教育には、決してプラスではない環境。 その後、駅裏の一画に、
住居が移っていった。人生の第二ラウンドが、ここから始まることになる。

 毎年、長岡祭りと、花火があって、屋上が、親戚縁者の集会場。大手通り
練り歩く神輿行列の見物が、極上の愉しみ! 春は春で、駅裏にある福島江の
花見も極上。大雪も、子供にとっては楽しみでしかない。そこに、公会堂では、
有名歌手のドサまわりで憧れの対象。 姉たち4人が、それぞれの個性があり、
花を添えていた。それも、高校生活まで! 三ラウンドが始まってきた。

・・・・・・
6825,閑話小題 ~幸福のパラドックス 
2019年11月21日(木)
 人生を振返りみれば、浮沈みはあったが、沈んでも丸裸ということもなく、
比較的安定?をしていた。「事前の一策は、事後の百策に勝る」… 万一の
構えを事前にしていたこともある。ブラック・スワンはいずれ飛来するか、
潜んでいる。幸福のパラドックスをさして感じることもなし、幸福度が減った
なりに楽しむ術は心得ていた。
<(イースタリンの逆説)によると、年収の7万5千ドル辺りが、幸福の目安と
いうが、中の上。そうかもしれない。 問題になるのが、本人の価値観。
幸せはお金で買え、しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」ことも事実。
「恒産あって、恒心あり」。 漫画家が一発当てた印税で遊び放題の人生も、
これまた幸せの極致。人生を振返ると、大方が50歳代が一番に安定し、豊か感が
あったが、では現在と比べて、如何か?というと、大して幸福感は変わらない。
…が面白さは、50歳代が格段、面白かったのも事実。ここまでくれば、第三者
認証も大した問題でもなし、「悪魔の大便」のような人物の嫌らしさ?を、知る
機会の楽しみもあり、差し引きゼロになる。我が内なる… 云々もあるが。
 ―
 イースタリンの幸福のパラドックスイースタリンの逆説)… 
◉ 『「貧しい人は、お金により幸福感が増す。しかし、中流に達すると、
それ以上お金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、
年収が7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。」』
といった、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないというパラドックス
表した言葉である。リチャード・イースタリンという経済学者が考えた説。
◉ また、「幸せはお金で買え、しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」
 米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけたが、逆説で挙げられるような、
飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と
平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」と主張。
 ―
▼ 中学、高校、大学の忘年会に出席続けていると、やはり後者の説に偏り
 たくなる。進学する度に、暗い人が少なくなる。「恒産あって恒心あり」。
「自由、平等、博愛」というが、これは逆説。でも理念として常に心がける
べきこと。平等と自由に関しては、チンパンジーが、一番、敏感という。
ああ、愛を持って接すれば愛が返ってくる博愛もある。 とすると、
人間は狂った猿」というのも、間違ってはいない。チンパンジーを引合いに
ださなくとも、自分をみれば解る! 何で人は、狂っていくのか?
< 不幸になるのは何も難しくない。ほんとうに難しいのは、幸福になること 
                            ―パスカル >
 女優の沢尻エリカを見るにつけ、その段差たるや… しかし多かれ少なかれ
誰にも待ち受けている究極の不幸……  一人称の「死」の問題がある。
 そりゃ哲学的になるは、砂漠の炎天下に突然置かれ、生への枯渇で独り
ノタウチマワルしかない究極の不幸と比べれば、全てがカスリ傷。だからこそ、
誰も正視が出来ない。「今、ここ、わたし」の幸福を赤裸々としても、
求めればよいのに。「死」の問題は、「生きる」問題の裏腹にあり。
 次回は、この問題をテーマにする予定。 
暗いも明るいもあるか、そこは漆黒の世界。目を叛けるより、まず慣れろ!
その奥に生の輝きが見えてくる。それを感じ取った結果が、幸福だろうに。
 
 ~で、これも丁度良い脈絡として以下に続く… 
・・・・・・
4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと ~�
2014年11月21日(金)
             ー私が語り伝えたかったこと~河合隼雄著ー 
   * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン
 般若心経を暗記をして30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。
当時、息子二人も毎朝の仏前の読経をきいて、面白がって暗記をした。何万回、
唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。
 今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味と実感している。ポイントは、
ゆっくりと、一言一言を区切ること。 創造工学の中山正和の講演で、
『運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい』という勧めを受け、必死で
憶えた。これは一度憶えてしまえば、汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時
など、唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー  
≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を
変えれば係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにも
なる。それほどの大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの
意識に持っていくという作業がすごく大事になる。そのため何をすればよいか
といえば、一番簡単な方法の一つが毎日、「般若心経」を唱えることなんです。
訳はわからなくていい。とにかく唱える。そこで大事なことは、へたに解釈
してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが大事なんです。 
また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。
あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。
まともに考えたら馬鹿臭くなるのではないでしょうか。
 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。
そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて
全部暗記してました。 ーある種の呪文なんですね。
 そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。
いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して
何でも意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体が
すごいストレスを生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、
それをわかろうとするのではなくて、単に唱えることに意義、つまり心を癒す
作用がある、ということですね。 ただ、それで完全にわかったと思ったら、
もう駄目だと思います。理解するより唱ることに意味がある。「般若心経」は。
‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178)  ≫
▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。
《現象は、五感は夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。
南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》《南無観世音》も一心に唱えている時は、
心が魂の世界とつながっている。魂とは一心不乱に対象に没入している時の
心の状態をいう。ひたすら、念仏や、般若心経を唱えている時こそ、自分が
自分になる。 南無..(-人-) Д│
――
 H0605
般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回、
唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の
仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。十年間の経験より
(私の実体験より)直観した事を列記すると
�自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�心臓音に波長があっている(リズム)
�α波がくみこまれている
�“念”がこの中に入っている
�お寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
�情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
�夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。
――
2001年06月11日(月)
[49] 一期は夢 ただ狂え

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄
470~480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が
古今集をまねてつくった歌の一つ。‘人生など一瞬でしかない。なら
狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。
今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。
500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!

・・・・・・
6461,閑話小題 ~ゴーン逮捕 
2018年11月21日(水)
  * 大物経済人の異例の逮捕
 一昨日の15時過ぎに、「自動車業界で世界的規模のルノー・グループの総帥が
間もなく逮捕!」と目を疑うようなビッグニュースがTVのテロップに流れてきた。
即座にNHKが臨時番組を組んでいる中、他局はいずれも普段どおりの番組。
これまでのニュースから見ると、日産自動車の社長のクーデターのようだが、
真実は如何に? 数ヵ月前から社内告発を受けて調査していたが、免責を条件に
社長自らが検察と組んで調査に全面協力。その結果、逮捕に?… 
・検察に直接、社内告発があり、社長に接触突きつけて…
・社内から社長に直接、告発があって、このままでは詰め腹をきられると判断、
 数ヶ月前に、社長自ら検察に駆け込んで免責条件で… それが結果として
 社内クーデターに…
・いつ何時、首を切られかねない社長が保身のため… 仲間割れの裏切り行為…
・CIAか、日本の公安機関が、その事実を知ってリーク… などが考えられる。
 
 自家用ジェット機で羽田の到着した直後の格納庫内で身柄を確保。その晩の
うちに横浜の自宅捜査。昨日、社長が、『ゴーン会長本人と、ナンバー2の
代表取締役二人の解任を数日後に決定予定と発表』 用意周到で見事な手際。
結果現象からは、『ナンバー3のクーデター』だが。そうは簡単に説明がつか
ないほどの問題。 世界有数の経済界大物が逮捕とは、前代未聞。 ルノー
大株主(15%)がフランス国家というから、日仏の国際問題に発展する可能性
もある。 強引な手腕に内部的に敵が多かったのだろう。
 
 超大物の逮捕には、『事実は小説より奇なり』で、ハリウッド映画の
ようなスリリングな駆け引きと、ドラマがあったのだろうが… 
風化しない数年以内に映画化されるだろう。ゴーン自身、これほど実績を
積んでしまえば、逮捕はない!と、思い込んでいただろうに…。
あれだけのゴーン資金、政治資金と流用されているのだろうから、ゴーンも、
日産社長自身も、不自然死など物理的に非常に危険な瀬戸際に立ってしまった。
まだまだスキャンダルが次々と出てくるのだろうが… 
 三権分立とはいえ、日仏国家間の政治的圧力で、即、釈放、国外退去に?
本人、検察の留置場で何を想っているのだろう。『日々、是、口実』ですか。

・・・・・・ 
4632, 夫婦格差社会 ~どういう男女が結婚するのか ー3
2013年11月21日(木)
      『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔(著)
  * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。
 ところが女性を基準にすると、別の結果が見えてくる。 まず、同じ
グループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。具体的大学名までは
分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。
「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの
男性の比率が約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述の
MARCHに学習院を加える)や「関関同立(関西、関西学院同志社立命館)ほか」
という比較的入試の難易度が高い大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる
「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した女性は、同グループを卒業した
男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、パワーカップル
代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ少ないので、
彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と
結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの
理由である。・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の
国立を含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒
女性は少ないが、短大4名、大卒13名と高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、
フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 受験校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生
 と結婚。男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、
まず家柄、大学のブランド、相性、次に容姿の順になっていく。

閑話小題 ~読書日記『日本人のすごい名言』 ―②

 

    * 『心の砦』ですか、これは!
 太平洋戦争の敗戦から76年経過したことになるが、このコロナ禍は最大級の
イベントの一つになる。朝鮮戦争ベトナム戦争ソ連、東欧諸国の敗戦などが
あげられる。世界の枠組が根底から変わる事態である。
 書籍は、今さらのことだが、<目次、まえがき、後書き、写真、参考資料>で、
8~9割方で構成されている。パレットの法則があるが、まさに、そこに要約が
詰め込まれてある。図書館、書籍店、Amazonのネットサーフィンで、暇を任せて
遊ぶ楽しみがある。
 この書籍、特に『目次』に、それを感じとらせられる。
このブログも、タイガイは、この手の内容。 …私にとっての「心の砦」になる。
読みっぱなしでは、毎日の読書や、映画、TVドラマも永遠の彼方に吹っ飛んでいく。
大して考えることなく、想いのままを書きだし、そのままブログ公開をしているが、
偽善、偽悪そのままのため、良きにしろ悪きにしろデドックス(毒出し)そのまま
でになる。 私の人生そのもので… 我ながら酷いものである。でも20年続けると、
今さら止められないのが実情。『心の砦』で生抜きをして、インディアン、
コヨーテ、砂嵐などから、自らを守るには… グログの雑記で「心の砦」をつくり
続けるしか安寧の場がない。
第1章 心が折れそうなときの
【 なまけ者になりなさい。 水木しげる 名言年齢…15歳
  世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる 
                  :坂本龍馬 名言年齢…約152歳】
など、私の現在の〔心の叫び〕そのもの。
 ―――
 ― 目次 ―
はじめに ――名言の力で「心の砦」をつくる

序章 いま日本人にとって名言とは

第1章 心が折れそうなとき
 なまけ者になりなさい。 水木しげる 名言年齢…15歳
 世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる 
                  :坂本龍馬 名言年齢…約152歳
 初めて自分で自分を褒めたいと思います。 :有森裕子 名言年齢…23歳
どうしようもないわたしが歩いてゐる 種田山頭火 名言年齢…89歳
これでいいのだ 赤塚不二夫 名言年齢…51歳        etc.

第2章 背中を押してほしいとき
前へ。 北島忠治 名言年齢…約90歳
やってみなはれ。 鳥井信治郎 名言年齢…約57歳
 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 茨木のり子 名言年齢…44歳
かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂 吉田松陰 
名言年齢…約160歳 みんなちがって、みんないい。:金子みすゞ
                       名言年齢…約89歳 etc.

第3章 成長したいと願ったとき
不易を知らざれば基立ち難く、流行を知らざれば風新たに成らず。
(不易流行) 松尾芭蕉 名言年齢…約325歳
いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします 
                     :西郷隆盛 名言年齢…151歳
 少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り 壮にして学べば、則ち老いて
衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず 佐藤一斎 名言年齢…170歳 etc. 
 
・・・・・・
4998,暴走する世間 -12
2014年11月20日(木)
     「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 世間とは、差別社会の日本的用語!
 日本の世間にも、欧米社会にも歴然とした格差があるが、高度経済成長と、
バブルと、崩壊を経て、中流階級が、総下流になりつつある中、世間様では
窒息感が強くなって、世間様のイギリス化が始まっている。この傾向は、
今後ますます強くなっていくことになる。 ーその辺りからー
≪ 八○年代までは相対的に景気がよかく、人びとに余裕というものがあった。
「世間」の贈与・互酬関係」や異通の時間意識」は、「お互い様」という
相互扶助」や「やさしい関係」という「共生感情」を生みだす。これが
「世間」のウチでセーフティネットとして機能していた。ところが、九〇年代
以降の不況の時代に入ると、人びとにこうした余裕が失われ、セーフティ
ネットとしての「世間」の機能がだんだんと後退し、「世間」の「権力性」
「抑圧性」といったネガティブ面だけが目立つようになった。「世間」の
「息苦しさ」や「閉塞感」が、前面にせりだした。この変化を、私は資本主義
の「中世」化とよんだことがある。九〇年は、オングのいう「第二次的な声
の文化」が始まる時代と符合する。オングは九〇年代以降、電子メディアの
普及によって、文化の伝承という点で、ちょうど「中世」のような状況が
あらわれたという。「中世」の特徴は身分社会にあるが、「世間」もまた
「目上・目下の関係」としての身分関係を重視する人的関係である。
この資本主義の「中世」化によって、世間」がせりあがってきた。 
 ・・(中略)例えば英国の階級社会とは、何なのか。イギリス生活が長い
ジャーナリスト林信吾によれば、英国の階級制度は、上流、中産、労働者
階級に明快に分けられる (『しのびよるネオ階級社会』林信吾)。 
☆ まず上流階級と中産階級を分ける基準は身分。これは古い貴族制度が
のこっているためで、上流階級には王室をはじめとする貴族や代々の
大地主などが入る。これはまあ、わかりやすい区別である。
☆ つぎに中産階級と労働者階級を分ける基準は、収入や資産もあるが
基本的には職業であるという。これはみた目で区別するのはむずかしい。
中産階級に属するものとして、医師や弁護士などの専門職のアッパー
ミドルクラス、高学歴のエリートサラリーマンなどのミドルクラス、一般的な
ホワイトカラーや下級公務員、自営業者などロウアー・ミドルクラスがある。
☆ 後に労働者階級に属するのは、特別の資格やスキルを必要としていない
仕事に従事している者。 ロンドンでは、二階建てバスの運転手は労働者階級
だが、むずかしい試験に受からなければならないロンドン・キャブの運転手は、
ロウアー・ミドルクラスだという。
 ・・英国でおなじみのパブでも、1軒のお店のなかで、中産階級向けの
ソファやスツールに座って飲む「サルーン」と、労働者階級向けの墓本的
には立ち飲みの「バー」が分かれていて、入口まで別。≫
▼ 欧州は人種の坩堝のため、飲食店は長年かけて以上のようなシステムに
なっている。日本も、ますます、この傾向が強くなっていくのだろうが・・ 
実際、日本も表立ってないが、客単価で、えり分けをしている。世間とは、
それぞれ階層の「目上・目下」の人的関係に過ぎないが、当人たちにとっては
大問題である。大学、高校、中学、小学校の同級会に毎年、出席しているが、
そこには、階層差が歴然としている。その上、それぞれにも明確に存在する。
それを見てきたため、創業時の事業設計から万一の備えを組み込んでいた。 
娑婆は面白い! が、それも所詮は、共同幻想でしかないが。
・・・・・・
6095,閑話小題 ~弱いから群れるのでなく…
2017年11月20日(月)
   * 「パラダイム転換」も様ざま
 寺山修司が「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」
という名言を残したが、『世間』を神様と敬う日本人には耳の痛い言葉。
天動説から地動説のような、真逆に変化するのを、「パラダイム転(変)換」
パラダイムシフト」という。400年前までは天動説が当り前とされていた
のに対して、地道説を唱えるだけで宗教裁判にかけられ危険があった。
このパラダイムシフトの変換を、コペルニクス的転換として様ざまの分野で
使われるようになった。 ~その幾つかを挙げてみると…
・まず哲学者のカントが、天動説の発見を哲学の世界で使った。
 彼の展開する「認識論」の中で、「認識が対象に従うのではなく、
対象がわれわれの認識に従わなければならない」と唱えた。
「通常、我々がモノ(対象)を認識する時は、モノが存在するのを観測者が
捉え、そこにモノがあると認識していた。しかし、観測者がモノを捉えて、
モノがあると認識したから、モノが存在すると捉えることができる。」と。
 犬コロと「認識」し、対象を従わせることが「認識」であると。
「はじめにモノが存在すると捉え、それを認識する…」から、
「対象がわれわれの認識に従う」へのコペルニクス的大転換、
「認識するからモノが存在すると捉える」になる。
「認識が対象に従う」のは、「客観」に基づいた認識の仕方にあたり、
「対象が私たちの認識に従う」のは、「主観」に基づいた認識の仕方にあたる。
この辺をシッカリ認識してないと、自分の意見に自信が持てなくなり、同レベル
以下の群れの考えに流されることになる。 「人(他人)は人、自分は自分、
されど仲良く」の、「自分」の意志、信念が薄れていく。私たちは、
「スカッとサワヤカ、コカ・コーラ」の擦り込みで、コカイン入り砂糖水を
飲まされている。暑い中、冷えたコーラが猛毒でないはずがないじゃないか。
・<幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ>は。哲学者アランの言葉。
「幸福優位」7つの法則! 法則1.の「ハピネス・アドバンテージ」、日本語では
「幸福優位性」。良いことは、幸せな人に、
  肯定感3~6:否定1 の割合の人に… 集まる。
「努力すれば成功する。成功すれば幸せになれる」ではなく、
 幸福なポジィティブな気持ちを持っていることが結果として成功する。
・ 愛されたいなら、その前に、まず愛すること学び、はたらきかけなさい。
 両親から頂いた愛情を、加味をして深めて、周囲に注ぐこと。
 ただし、相手を見誤らないこと。「誠実そうな人」と「誠実な人」とは違う。
・成功をしたいなら、まず素材の良い人を集めて、目的から作り変えるべし。
 目的から人集めをすると、長続きしなくなる。少なくとも家系だけは確認。
・そして寺山の「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」に。
群れにも多々ある。群れたいなら、その都度、自分レベルの2ランク上を。
同化したら、更に二ランク上に… 止まったと直感したら、閑静な空間をつくり、
人知れず自閉すべし。開放のままだと、世間体が…、御狐が… そういうこと。
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4631, 夫婦格差社会 ~どういう男女が結婚するのか ー2
2013年11月20日(水)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木俊詔(著)
   * 学歴の組み合わせは?
《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、
どのラインを理想とするか、あるいは、ぎりぎり妥協できるかを問うている。
この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々がわかる。
・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では
大卒男性を望む人もいるが、そのなかで大学名にまでこだわらない人が大多数。
・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。
大卒男性は女性の大学は無名でよいという人がかなりいるのに対して、女性の
場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。
・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想と
しているし「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」卒、および
「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上
の男性を理想としている。なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、相手男性
も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか考えられる。
難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、
男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは自然である。一方で、
男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける
傾向があるとされる。》
▼「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、
関西学院同志社立命館)」「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)」の
色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、何を
していたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。
血筋、大学、結婚相手のレベルで、人生が決まるか?というと、そうでもない
から面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の
同級会に出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。  
中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と全国区へと広がる。
義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、
ドレメ、実践女子短卒が二人。なるほど、その組み合わせが、そのままが、
その人となり?結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 
結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 
諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★)

閑話小題 ~読書日記『日本人のすごい名言』 ―①

 

   * そう、名言は使うものなのです。
 図書館で見つけ、借りてきた本だが、なかなか含蓄の名言を解りやすく
論じている。名言とは何度か声に出して読み、覚え、日常生活で使っていく、
引用したり、判断基準としつつ行動したりして、使うのです。そうする中で、
名言は心を支えるものになっていく。
ネット上にも多くの解説が理解を手助けをしてくれる。
 ――
≪ 【たとえば、こんな名言たち】
● 心が折れそうなとき
 なまけ者になりなさい。:水木しげる
 どうしようもないわたしが歩いている :種田山頭火
 ―
● 背中を押してほしいとき
 前へ。    :北島忠治
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ :茨木のり子
 ―
● 成長したいと願ったとき
 活用なき学問は無学に等し :福沢諭吉
いろいろむつかしい議論もありませうが、
私が一身にかけて御引受けします  :西郷隆盛
 ―
● 人付き合いに悩んだとき
 一期に一度の参会の様に、亭主をしつして威づべきとなり。
                  (一期一会) :千利休
 丸くとも 一角あれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ 
                   :江戸時代のことわざ
 ―
●道に迷ったとき
 自分自身でおありなさい。  :中原中也
けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。 :宮沢賢治
 ――
これでいいのだ」、「いじわるされるたびにしんせつにしてやったらどうだろう」、
「みんなちがって、みんないい」etc.

自分の中に名言を持つことで、その言葉を言った人の精神と自分の精神が
つながり、過去から現在、そして未来へと続く精神の系譜のようなものができ、
心を支えてくれる一生の宝物になるのです。何やら毎日、書きづ続けているが、
そこに現われているのが、底抜けの根性ばかり。≪お前なんぞは、生れて
来なければ良かったのに!> が、内なる空虚な洞窟に鳴り響いている。

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7189,閑話小題 ~人生総括の時節に -4(0歳~9歳) 
 

 

 

2020年11月19日(木)

 

 

 

閑話小題 ~人生総括の時節に -4(0歳~9歳)

   * 世界を4Fのミニ・ビルに凝縮したような!
◉ 1Fが店舗、
 2Fが事務所と荷捌き場と男子社員のベッド…、
 3fが台所と風呂場と二間続きの和室と、子供部屋(通称、三角の部屋)。
 4fが従業員部屋と、サイズ直し部屋と、倉庫と、女子従業員部屋。
これ以上の合理的なない造りだった。 子供心に、刺激的な人間模様が何とも
言えない味わいがあった。 そこに兄3人と、従業員と、猿と、猫と、犬が
加わっていた。それだけで、様々な物語が自然発生的に生じてくる。数軒先に
警察本署があり、女子従業員狙いに、若い警官の出入りが多かった。
これ等を小説に線上に紡ぎ直せば、「芥川賞」、「直木賞」の受賞がある程…? 
戦中、戦後の価値観の激変は、兄、姉達に直撃していた。特に商家の各家庭では
問題が山積み。互いの噂話が複雑に変容し、それはそれは! 
 
 太平洋戦争の敗戦から新たな民主国家への節目で、何やら明るい先が見え隠れ
をしていた時節。…普通は、3~4才というが!何故か記憶が生後半年~1歳位
からある。産まれた家のことが、薄っすらと残っている。百日咳に罹り半年が
山だったと、後で父から聞いた。 半年後、‘輪タク’で大手通りまでに戻った
記憶が鮮明にある。 愛嬌のあるニコニコした赤ちゃんだったとか。
 …「これが、まあ、ここまで憎々しくなるものか!」と、言い続けられれば、
まあ、それが万人なら、仕方がない! 四つ角の2Fの木造を、完成まで1年程。
公会堂(現在の『アオーレ』)まで移動して仮店舗に…。 毎日のように父親に
連れられ、工事現場にワクワクしながら通っていた。公会堂と、その横にある
遊園地と、祠がある小さな裏山が遊び場。父親が42、母親が38歳の時の子供。
多産の犬コロのような生活環境だった… その内に、幼稚園、小、中、高校へと
進学していった。 …何が面白かったかといえば、背景の商家の現象。
店内ラジオが常に流れていて、美空ひばりの曲目と、歌が流れていた。

 その中で、長兄と次兄と、父親の対立から、家庭内では、問題が生じて、
それは惨憺たる事態に! その中で母親が重症化した欝病に、鬼のような、
形相に… その療養にと、駅裏に住居が移っていった。 ここまでが、
人生の一ラウンドである。 この状態を過ごして、何でまた、20歳の時節に、
創業人生を目指すと決意したのか、自分でも理解できない。ドン・キホーテ
ような人生には、敗戦の最中に「両親の再生を供に経験をした背景」があった。
その中で、直ぐ上の兄の姿が消えていた。母方の家に養子として出された。
母親が倒れ、家庭内は阿修羅のごとき有り様の中で…  戻ってきた兄の虐め
の激しさは、それはそれは! 何やら、学生時代に、酒に酔って、一晩中、
泣いていたのを想起された出来事だった。そうこう当時を想いだし、ねじ曲った
当時の糸を直線的にのばすと、様々なことが再考できる。
 何ゆえに、これ程、恵まれたチャンスを与えられたか!面白かったかが!

・・・・・・
6823,閑話小題 ~下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は ー2 
2019年11月19日(火)
    * 現場を離れると見えてくること
 そこは板前、ホスト、ホステス、ヤクザ、半グレ、そして一夜の快楽を
求める酔客が入乱れる夜の世界。様々な人生が、そこに展開する。それでも
何ごともなく30年も営業を続けていたのだから、腹が坐るのも当然。
 いま思いあたるだけでも、10年前の駅南タクシー強殺事件。前県知事の
買春事件、幼女誘拐殺人事件、新発田の女性3人を狙った強姦事件。またかと
思うほど下ネタ事件が多い。昨年6月には、勾留質問中に新潟地裁から逃走し
約5分後に取り押さえられ、逃走未遂罪でも起訴されている事件などがある。
…地元の長岡など中越地区を含めると更に増える。地元が故に敏感かと思い
たいが、そうでもなさそうだ。
「パレットの法則」=ビジネスやマーケティングで広く利用されている
「80:20の法則」や「2:8の法則」と呼ばれ、元は経済学者が発見した法則。
「駅周辺の繁華街の20%の地区で、犯罪の80%が発生している」ということ?
新潟駅前女性刺殺事件… 「オンライン」で知り合ったというから、痴情の
縺れより、女性が刺されながら「御免なさい!」と言っていたことから、
ネットゲームの敗者が掛け金を払わず逃げていた?… 闇の世界は深い!
 ―
    * 織田の訴追の会見って、あれ何?
 初めから終わりまで、ポカンとして聞いていた。世間知らずも程がある。
スケートは、個人競技の典型。そこは、コーチの能力次第で、個々の力量が
決まる世界。幼児の頃から、特別な環境に隔離され、無菌状態のボクちゃんが、
突然、監督に抜擢され、日本を代表するコーチの上に立てば、浮游は当然。
何が一千万の損害請求かと… 弁護士も最たる個人競技、いや個人業務。
その二人が、海千山千の記者の前で、その世間知らずを露呈した会見。
 一流選手の競争相手は、世界のトップレベルの選手。そこに、一般常識を
持込めば、当然、勝つことは出来ない。「一千万の根拠は? 何ゆえに彼方
だけ一千万を請求するのか?」と記者に突っ込まれ、弁護士共々、タジタジ
する姿はコミック的であり、かつお気の毒。 私など「悪魔の○○」にな…
 
・・・・・・
6459,読書日記 ~『孤独の発明』 
2018年11月19日(月)
           <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独の発明
 ‘孤独’に関して深く洞察してある内容。20歳に創業を決意して65歳まで、
ある意味で、孤独業をしてきたようだ。 終わってしまえば、
<折角の人生、勿体ないじゃないか!>が半分。
<御蔭で面白可笑しく充実していた!>が半分、あい半ばである。
17年半にわたり書き続けてきた、このブログからして、孤独業である。折角の
人生というフィールドで、ネット上に何か刻印して残したいと続けている。 
独白であり、近未来の自分や、近しい人に語り掛けるように、書いている。
早朝の6時前に完成した一文と、17年の生々しい過去文を鳥瞰しながら自己
対話をしていることになる。 過去も、過去の文章も、母親のようでもある。
懐かしく、優しく、厳しく、行蔵と、限界を、眼前に突き出される。

《 私とは繰み込まれた他者のことであり、その場合の他者とは、何よりも
 まずもっとも身近な他者、養い親とりわけ母にほかならない。
母がまず子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのである。
言語はこの現初的な入れ子構造――から始まったのであり、そうである以上、
入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことだ。
したがって、相手の身になることが出来るようになった瞬間、人はこの入れ子
構造が永遠に続きうるということを――母、その母、その母の母、つまり、
自己の背後には無数の死者がいるということ――を会得してしまっているはず。
現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、死から離れた視点、
第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている』。
 孤独が寂しさを伴うところに、「出自」が暗示されていった孤独は、母の
懐から生まれるのである。
 …相手の身になる能力は捕食するものと、されるものもの、追うものと、
追われるものの身にならなければ逃げきれない――、その能力は、この二つの
視点を入れ替え可能にする蝶番のような視線、すなわち、さらに上からの
俯瞰する第三の視点を想定しなければならない。この第三の視点が私という
実質――人間的意識の実質――なのだ。空中に浮遊する第三の視点は身体を
含まない。だからこそ、私には私の死が理解できないのである。死が不条理に
思われる理由だ。この第三の視点と、現に行動している行為主体との関係が、
内的対話、内面に他ならない。行動主体は現場に属し、俯瞰する眼は永遠に属す。
すなわち身体と精神である。…  》

▼ 毎朝、ブログを書上げた直後に、仏前で2~3分の祈りをした後、
 ポタリングに出かける。その時、仏前の両親の写真をみた直後に、祖父、
祖母、亡くなった兄、姉の顔を想いうかべながら、安らかにお休み下さいと
念じている。自己の背後にある無数の祖先の存在こそ、永遠の具体的イメージ
になる。それに加えて、秘・異郷先での、大自然や、文化、文明との邂逅も、
然り。第三の視点こそ、永遠の魂の存在を暗示してくれる。 座禅、瞑想、
飛行機内の黙想にしろ、孤独の果てに行きつく永遠が浮び上ってくる。
 浮遊する自己の‘発見’? どこを彷徨ってきたのだろう、私の魂は!
「行きつくところ… 言語の政治(祭りごと)ですか?」

・・・・・・
5362,うらやましい死に方 ~死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。
最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を
語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は
とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。
私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ!≫
 ―
▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理
 だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。
エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは
「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。
一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して
踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある!

・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? -2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、
そのまま普段の生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が
模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた
緊張感があった。「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると
天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、自分が瀬戸際
に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の
備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然
の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から
整理までの起承転結の一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大
のイベント。 最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた
事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。で、この本体の経済崩壊の大津波
地方では既に到来の感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。
年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。日本で、この2千年
の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、
いずれも首都圏で直下型地震が連動して起こっていた。 西日本では18年
以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた
20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、資金が
追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が
非常に強いのである。バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入。 
イスラエルが、先手をうってガザ地域で戦争を仕掛けている。
イランへの攻撃が始まるか? 
・・・・・・
6094,閑話小題 ~「かあちゃん、怖い!」
2017年11月19日(日)
   * かあちゃん、怖い!
団塊の世代が定年をむかえ、全国中の家庭内で大変な事態になっている?
私などは事態が事態だけに、その段差が大きい。抵当物件の自宅を、家内が
「安いから私が買う」の意思表示で、考えることなくアッサリと認めた結果、
夫婦の力関係が大きく家内に傾き、ここに<家庭内格差の問題>が発生。
何かを頼むと眼を剥き、逆に頼み事は命令口調。まさに「かあちゃん、怖い!」。 
この位で丁度よいのだろうが。 としても、哀しき70代にあいなってしまった。
パソコンコーナーのある仏間と、TVのある寝室に押しこまれ、鬱憤はネット上
のボヤキしかない。まだ家が広いためが最小で済んでいるが、娑婆
経験の少ない家内は力の手加減を知らないため傷口に容赦なく口撃をしてくる。
・先日、松居一代が、亭主の船越英一郎との離婚騒ぎでTVを賑していた。
この松居女史も挫折経験が少ないみたい。理想的夫婦にも、一つ仮面を外すすと、
こんなもの。まだ、私には一匹狼の要素があるから、閑静?し耐えているが。
有名人の離婚の愛憎劇といえば、高嶋政伸元夫婦の離婚劇。大昔では、三船敏郎
夫婦モノと、娘の「三船美佳」と、高橋ジョージ・モノも酷かった。
離婚経験をした男を何人か知っているが、その心情は複雑かつ深く傷ついている。
女性も、然り。まず生活の困窮は、それはそれは! ホームレスに近い。事前の
想像との段差と、将来の不安は並大抵でないようだ。まあ「かあちゃん、怖い!」
で、世の常に従い耐えるしかない。男の場合、「タガメ」に一生に亘り、収入と
全エネルギーを吸取られ、汚れ雑巾のようにポイ捨て… 産業廃棄物が、今度は
家庭廃棄物になる。‘かあちゃん、怖い!誰か助けて~」の悲鳴が全国辻裏うら、
鳴り響いている? とうちゃんに、保険をタップリかけ、塩分と脂肪分過剰の
食事をさせた合法的?何もあるが… 殺意などの心の闇は、決して表面化しない。
登ぼり坂、下り坂、そして「ま坂」が世にはある。 『後妻業の女』の映画が
面白かったが、それより怖いのが『本妻業の女』。真面目腐って面白味のない
亭主なら、殺したくもなる? 大丈夫かいな… 専業主婦は家庭内正社員。
夫は、40年期限付き出稼ぎ労働者。誰も、己を助ける人はいない。だから、独り
遊びの習慣を持てッというの… 独りカラオケが流行るわけだ! 早朝、チャリ
でバイパス下のトンネルで老人が独りで演歌を歌っているのに出くわすが、
その度に、何とも切ない感がする。歌って憂さを晴らせる場があるだけマシか。
 連日のぼやきの御静聴と拍手?、本当に有難うございます。
・・・・・・
4997,暴走する世間 -11
2014年11月19日(水)
      「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する
「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を
するのが人間の性。それが世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想
で実は本人たちの脳がやられる。問題は自覚できないこと。ーその辺りからー  
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買った
 とすれば、それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が
生まれたときに、他人にジト-ッと嫉妬する独特の心理が生まれる。 
この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、
 モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、
自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心は
ムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪いとでもいうのか。
単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が
他人に比べて損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方ない。
横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの
差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。 が、
現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、所得格差も以前より
ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】 
 

 

閑話小題 ~読書日記『日本人のすごい名言』 ―①

   * そう、名言は使うものなのです。
 図書館で見つけ、借りてきた本だが、なかなか含蓄の名言を解りやすく
論じている。名言とは何度か声に出して読み、覚え、日常生活で使っていく、
引用したり、判断基準としつつ行動したりして、使うのです。そうする中で、
名言は心を支えるものになっていく。
ネット上にも多くの解説が理解を手助けをしてくれる。
 ――
≪ 【たとえば、こんな名言たち】
● 心が折れそうなとき
 なまけ者になりなさい。:水木しげる
 どうしようもないわたしが歩いている :種田山頭火
 ―
● 背中を押してほしいとき
 前へ。    :北島忠治
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ :茨木のり子
 ―
● 成長したいと願ったとき
 活用なき学問は無学に等し :福沢諭吉
いろいろむつかしい議論もありませうが、
私が一身にかけて御引受けします  :西郷隆盛
 ―
● 人付き合いに悩んだとき
 一期に一度の参会の様に、亭主をしつして威づべきとなり。
                  (一期一会) :千利休
 丸くとも 一角あれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ 
                   :江戸時代のことわざ
 ―
●道に迷ったとき
 自分自身でおありなさい。  :中原中也
けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。 :宮沢賢治
 ――
これでいいのだ」、「いじわるされるたびにしんせつにしてやったらどうだろう」、
「みんなちがって、みんないい」etc.

自分の中に名言を持つことで、その言葉を言った人の精神と自分の精神が
つながり、過去から現在、そして未来へと続く精神の系譜のようなものができ、
心を支えてくれる一生の宝物になるのです。何やら毎日、書きづ続けているが、
そこに現われているのが、底抜けの根性ばかり。≪お前なんぞは、生れて
来なければ良かったのに!> が、内なる空虚な洞窟に鳴り響いている。

 

閑話小題 ~最近の歯科医療の現状は…

閑話小題 ~最近の歯科医療の現状は…

   * 歯科医は予防治療を目指す!
 10年前のリタイアの頃から、歯医者に定期的に通うようになっている。
‘3ヶ月に一度、葉書が来て、通院の勧め’があり、それに従っている。
ハンドフリーなればこそ可能となるが、同年代の知人の歯抜け状態を間近に
見ていることもある。このコロナ禍以来、歯科医の客数が半減しているのが
感じとられる。私の通う歯科医は大型店舗で、予約制で多くの顧客が通う。
ロビーが広く、明るく顧客サービスが良く、居心地がよい。顧客が変える度に
看護婦が丁寧に消毒するところは、飲食店と同じ。 …ただし、この減りよう
では経営の根幹にかかわる問題だろう。ギリシャの経済危機の際、街中で、
手持ちブタそうに公園のベンチに座っている人に話しかける場面があった。
不景気で、歯科の御客が激減して廃業したばかりと… 知人の何人か倒産。
久々に会ってビックリ、歯が全て抜け落ちていた。『歯医者なんぞいく余裕
など有るわけでなし、この様さ…』と。
【 * 歯科の需要と供給 
 対10万人当たりの歯科医院数は、1999年と2019年で比較すると、その減り方
が9%となり、約一割近く減っています。歯科医師数の推移としては、歯科医師
数削減政策や歯科医師の高齢化が影響する事を考えると、今が歯科医師数増加の
ピークと予想されます。 海外と比較としてみると、この数値自体は、日本は
さほど高くなく、先進国の中では、ドイツ・イタリア・スペインなどと同水準
となっています。】
 ―
▼ 二年前のコロナ禍頃の記事とすれば、半減で、更に一割減で、6割減なら、
 さもありなん… 恒産あればこその恒心。世の中がギスギスするのも当然。

・・・・・・
7188,閑話小題 ~気づけば、年末に近づいてきた! 
2020年11月18日(水)
    * 年賀欠礼、死亡通知の時節に…
 そろそろ年末… 恒例の‘年賀欠礼、死亡通知’の時節に…入った。
従姉で最高齢の父方の従姉(95歳)と、一つ年下の母方の従弟と続く。
千葉に住む二番目の姉夫婦の義兄が施設に入所したとか。 存命の兄、姉の
平均年齢も80歳半ばに到達した。兄・姉を仰ぎ見るに、{人生は一期一会!」
行ける時、出来る時に、前倒しにしておくべきと、思うこと屡し。 。
人間は、経験したこと、食べたものと、読みこんだ本から出来ている!
 人生は、経験したもの、より知ったもの勝ちである。それしか永遠の彼方に
持ってはいけない。群れるのは良いが、そこで留まり、同質の低下化が悪い。
 ――
    * コロナ禍で進化し、実用化が進化したリモート化
 その事例の番組が、これ! 今回は大統領選挙に揺れるアメリカの人々の
本音をダイナーで聞いたユニークな内容!。 ディレクター分身ロボット”を
現地に派遣て、ダイナ―なればこそ、気楽に遣り取り出来るところが良い。
若者カップルから、老年夫婦、今朝、失業した中年黒人等とう、多彩の顔ぶれ。
《 ♦ ザ・リアル・ボイス 
 世界の人々の本音“リアルボイス”を、現地の大衆食堂で聞いていく
「ザ・リアル・ボイス」。今回は、大統領選挙に揺れるアメリカの人々の本音を
ダイナーで聞く。 出演者ほか【語り】宇崎竜童 詳細「新型コロナ対策」
「衰退する製造業」「失業対策」「人種間問題」をテーマに、アメリカ大統領選
を控え議論が沸騰している4つの都市の大衆食堂ダイナーを訪ねて、人々の本音=
リアルボイスに耳を傾ける。今回は、新型コロナ禍で取材の制限が大きいため、
リモート操作できる“ディレクター分身ロボット”を現地に派遣。タブレット
装着したロボットを日本から遠隔操作してインタビューを行い、アメリカの人々の
本音を引き出す。》
 ―
▼ 「失業で月に50万も貰えれば、働く意欲も無くなるよ!」など、
「エーッ!」という発言も何度も聞こえてくる。オバマケアの賛否のリアルな
話も、ダイナーでしか聞くことが出来ない。オバマも、トランプの政策も極端
なことが、窺い知れる。二人がアメリカと分断してしまった。…その根は深い。

・・・・・・
6822,閑話小題 ~下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は 
2019年11月18日(月)
   * この数年、新潟周辺で…
 また新潟駅周辺で殺人事件が発生した。ここで4棟のビジネスホテルの経営を
30年してきたこともあってか興味がある。常時、危なそうな客が平均7~8人が
宿泊しており、刑事が彼らの素性を把握し、尾行をしたりする。仮名を使えば
罪になるから犯罪者には肩身が狭い。フロント内には直近の指名手配書が貼られ、
そこは交番の様相。何も知らない流しのチンピラが、因縁をつけて脅しをかける
のは無知なるがゆえ。小説『御宿かわせみ』の世界そのもの。得体の知れない、
その日暮らしの男女が出入りする。 自殺は多々あったが、火事と殺人事件は、
一度も無かったのが奇跡のよう。近くのピンサロに赤ちゃんを部屋に残して、
働きに出る若い女性。半崩のチンピラの紐の男。あきらかに素人娘に売春をさせ、
凌ぎを稼ぐ。年に一度、定期的にやってくる流しの売春婦。警察に怪しまれるの
熟知していて、初めから仕事を明かす。
 
 2年に1度ぐらい、ジャスト7時の会社から電話は、自殺か、恐喝の報告。
宿泊業は、水商売そのもの。様々な社会の実態を目の当たりに見ることになる。
当事者として、ここで書けない内・外部の不審な現象が… とはいえ、これで
生業を成すものは、それは巧妙。 まあ…事業として20年が限界。 30年間は
10年も長く携わってしまった。 先日の事件は、私が事業をしていたホテルの
至近距離。若い男女の痴情の縺れ。殺したくなるような女も世の中に存在する。
痴情の沙汰には、正視できない問題が垣間見れる。
『何ゆえに、新潟周辺ばかり、危ない事件が起こるの?』と、家内に聞かれて
自然と出てきた言葉は、
『新幹線のドン詰まりで、東京から2時間。飛行場、港、高速道がある首都圏
の飛び地。何処にでも高跳びが出来るからさ!』と。海に近い河口は、飛込ん
だら死体が消えてしまう? 闇の世界には魑魅朦朧の底知れない世界が…
                          ~つづく
・・・・・・
6458,閑話小題 ~「ババくささは伝染(うつ)る」 
2018年11月18日(日)
   *「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
 内館牧子朝日新聞のエッセイが面白い!「老いるほど、普段着と生活習慣
に気をつけろ!」と。 スポーツジムで様々な人を見るにつけ、そこには長年、
培ってきた生活習慣が滲み出ている。私の外出は、SJと、早朝の自転車散歩、
週一の映画館と、同級会位である。 一般的だが、一日、週一、月一、3月に一、
年一と、各スパンに分かれている行事。 その繰り返しで生延び、老いて、
「ジジくさ」「ババくさ」になっている。 70歳の峠を過ぎると、何ごとも
億劫になる。そこで気を緩めたら見事な老人の完成と相成る。そこで偽装で
いいから、身なりと、生活習慣から気をつけるべしと、宣う。
    =朝日新聞2018年11月10日掲載= 
≪ 5年ほど前、80代中心の集まりにオブザーバーとして出た。
 「くっきり二つに分かれていたんです。
自分に手をかけておしゃれにしている人たちと、身なりにかまわない人たち」。
見ていると、おしゃれな人たちは明るく元気で、リーダーシップがあり、気配り
もすぐれていた。
「外見と中身は連動している」と感じた。
 自分の同窓会で。さえない男たちに混じって、すてきな男性がいた。
友人に「あの人は何君だっけ」と聞いた。「ばかねえ、先生よ」と返された。
こうした体験から、品格ある老い方について考えた。おしゃれな高齢者の物語を
書きたいと思った。 
 そうして生まれたのが、主人公の忍(おし)ハナ。78歳。
銀座を歩いていてシニア向けの雑誌編集者に「写真を載せさせて頂きたい」と
頼まれるほどの女性だ。このハナさんの言葉が刺激的というか、過激というか。
・「ババくささは伝染(うつ)る」
・「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
・「『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』
 と言い、『あるがまま』と言っている」
・「大事なのは他人の評価だ」 こうした言葉を連ねたのはなぜか。
 「すぐ死ぬんだから楽が一番というのは分かる。中身が大事というのもその通り。
 けれども、それだけではないのではないか。逆に、すぐ死ぬんだから好きにやる、
 自分の装いを磨いて心を弾ませるという考え方があってもいい。 
ハナを通じて、それを伝えたかった」
 数年前、桜に見とれながら歩いていて段差があるところで転んだ。右足の指が
全部折れた。外に出なくなり、化粧もいいかげんに。誰かの手を借りるのが嫌で、
何をするのもおっくうになった。「ああ、これが老人になるということだな」と
思った。動けるようになって、自分に手をかける気力がよみがえり、ほっとした。
 「終活」はしない。エンディングノートをつけるのも嫌だ。
「性に合わないから。相撲だ、プロレスだ、ボクシングだと心弾むことと接して、
残りの人生を生きたいんです」   ≫
 ―
▼ さすが、物書き!老人の心得を、あっさり書上げている。著者の、骨折が、
 私の7年半前の会社清算に同定して考えてみる。こういう危機管理は、て慣れた
モノ… 要するに時節到来の「節目管理」になる。遊びとして、俯瞰した目線で
見おろしている自分と、見おろされている自分を、遊び感覚で楽しむゲーム。
そこに、やってくるのが… ヘドロの蚊。そこで、まず私レベルの二ランク上の
スケジュールつくり。閑静の「閑」の門の中の「木」が生活習慣。「門」が下界
から吾身を守る唯我独尊。 一日一日を楽しみ、ストレスを貯めない。
 デトックスといえば、嫌がらせに、その日の内に全身全霊で、あるイメージを
繰返す。独り傷口を舐めるより、これはスカッとするが、これも内なるゲーム。
ある意味、対象の魂の抹消になる。 

・・・・・・
3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。
ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。
天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、
その世界の価値観の中で頭角する。野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、
松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。
彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、
日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウはアメリカでも天才だろう。
そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、積極的逸脱
をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。
単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解の
ベールに包まれ逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを
積極的逸脱というのか?というと、それは違う。前回、書いたが、40・50歳
代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、
これは日常からの積極的逸脱であった。その総量のエネルギーと感動は、
その他の人生の総量と同じぐらいはあった。人生の積極的逸脱で見られるのは、
40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。
江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅
がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう
恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、
第二の人生に入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。
どちらにしても結局は同じ。事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もある
なら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の
果てに待っているのが自死。これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくも
ないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 
鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」
と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
・・・・・・
4629, 夫婦格差社会 ~どういう男女が結婚するのか
2013年11月18日(月)
 『夫婦格差社会 ー 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) (その他)
* 結婚相手に何を望むのか ー
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確に
するためである。大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々
あったため、養育に支障をきたした。一夫一婦制で子育てを義務化する
ことができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。
性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、
容姿、体格、知能などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの
異性を抱え込んで、弱者が異性から排除される事態を防ぐための人類の知恵
としての制度という学説がある。
 ∵「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚
生活は、うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまく
いくという説。補完説でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、
精神的に弱い人は、心の強い人を、背の高い人は、低い人を求める、という
ことになる。自分のない部分を相手に求める。 一方、類似説では、
背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を求めるなど、
同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。
人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。
 ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、
第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムース
 に進む相手、
第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、
 学歴。女性の9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担
 の意識が高いが、学歴に関して、男女とも同類婚を望んでいる。
 ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、
 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。
学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、5%と9割を越す。
見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。
▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に
 望んでいるのか、が解りやすい。殆どの人は、学歴、家柄、容姿のうち、
二つが揃っていれば良しとして結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し
合って、離婚するのが、今では3~4組に一組。世の中、すべからく妄想で
なりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、女性の方が
シビアで、見るところを見ていたようだ。それで人生、決まってしまうからだ。
・・・・・・
4264, しまった!  ー12
2012年11月18日(日)
 ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
  * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、
かえりみること。ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動する
ことを仕事の核にしている」という。10時間以上の、まとまった時間、
ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。
前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら
黙想をしてみた。「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の
半睡のような黙想体験は、言葉で表現し得ない悟りというか、マドロミに
包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが浮かんでくれば思うまま、
半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、その状態。
宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと
一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したい
とき、ただ、あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想する
には理想的空間である。高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは
新幹線内での読書で経験していた。学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデス
をしていて、小泉元首相が外国への飛行での機内専用サービスの担当になった時
経験談を聞いたことがある。「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、
ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで寝ていたと同時に、黙想?も
あったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、ひたすら
10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕が
あれば、充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が
出来た。休日などで、ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。
大体30分~1時間。ただ目を瞑り、休む。この春から始めたヨガで、
最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。これも機内と同じ状態。
好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、人生の財産
である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえ
に固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。
これこそ財産。秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何も
しないと価値のない時間と思い込む妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの
延長に生きている人が、あまりに多い。私も似たようなものだが、改めて、
じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
4996,暴走する世間 -10
2014年11月18日(火)
     「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 公共性と「世間」とは、同じでない!
往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。
時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。
そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」の
ミスマッチのクロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、
いないかの差。それは、ネット社会でも同じことがいえる。ーその辺りからー
≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも
「世間」は、「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」
のウチにもまた「より狭い世間」があるというように、一種の入れ子のような
複雑な構造をもっている。問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつ
ために、「世間」のウチの人間にたいしては相互に「配慮」しあい「優しい関係」
をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わないという本質をもって
いることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」
に似ているのは、ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が
公共性と異なるのは、「世間」がつねにウチとソトという区別をおこない、
「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。さきほどの例でいえば、
「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の目の
とどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」
「ゴミを捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」
というとんでもない格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、
「世間」がみていないので、タガがはずれて「なにをしてもいい」ということを
意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は「世間」をつくっているから、
他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。「世間体」とか
「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、
他のグループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気に
しないで化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る
 姿が話題になったが、これも「世間」の特質の現れである。その世間が、
神様かわりをしているとしたら、三年前の節目から突然、私の前に現れ出てきた
神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは当然至極。これは、実際に経験
してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、面白い動物で満ちている。
とすると私は、珍獣?