閑話小題 ~何をしてきたのやら

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   * フリーランスは茨の道
 先日、書いた文章で次のような内容があった。知人の息子、何を想ったのやら… 
なかなか含蓄ある話である。私たちは何も知らないし、それ自体を知らないまま、
永遠の彼方に消えていく。情報キャッチ力は、生れてきた条件で決まるが、その
条件も、ネット社会の到来で公平になってきた。
  先日の要点は…
≪ 知人の息子が学生時代にTVのクイズショーで優勝をして、??万円を獲得し、
 一流大学を一年で中退し、今ではネット関連? 表立っては無職状態で暮らして
いると…。「ところで何で暮らしていると思う?」に、「これだけは本人以外
には誰も知らない世界。」と答えるしかない。年金暮らしの身では計りしれない
世界は知る由もなし。情報を駆使し、インテリジェンスを最大限生かせば、
生活は何とか? これがネット社会の便利性である。≫

▼ としても… そんな底の浅い教育システム でもないだろうに。しかし、
 己を若いうちに追詰めて生きるのも、せっかくの一千万円のあぶく銭を入手した
のだから、さも有りなんである。マイナス評価に聞こえたが、その青年の判断は、
この情報化社会で、そのぐらい思い切った決断が必要ということ。
 このパンデミックで、価値観が天地が引っくり返り、今までのやり方では生活が
成り立たなくなった。そこで必要なのが知恵(インテリジェンス)!
クイズで一千万だが、そこには、知識だけでなく知識、知恵の総合体としての
能力が求められる。独創的生き方を自らの信念で進むしかないが、それは厳しい!
自らが、創業を目指して生きてきて、結果オーライなら、まだ良いが、挫折とは、
これ如何に…? ただ、そこには、充実感しか残ってない。それも、残っただけ
でも、自ら良しとしなてはと… 何をしてきたのやら!

・・・・・・
6920,読書日記 ~快活こそ悟り! -3
2020年02月24日(月)
            <『老年を愉しむ10の発見』>
  今回は、4,5,6章より
 4章 「受け入れ、愛せる」人
 5章 アクシデントとどう向き合うか
 6章 「触れ合う」ことで満たされていく
 ―
   
    ♦ 4章 「受け入れ、愛せる」人
  ☆ 「人生のブルーアワー」にできること
 日が暮れる直前の夕方の空になぞらえるなら、これは「人生のブルーアワー」。
この時間になると、部屋の片隅に座って、その日に起った出来事や考えたことを
話したくなる。ただ、重要なのは、自分だけでなく、相手に話をさせること。
 … 人生で大切なことは、余暇を楽しむ気持ちを育むことであり、「決まった
目的のない行動をしたり、何もしないでいたりする時間を持つ」ことだ。
「あらゆることを楽しむ気持ち」を持たなくてもよいことこそ、年をとることの
特徴だといえる。「楽しみを必要としないことこそが、様ざまな楽しみに取って
代わる」…年をとっていく人生を落ち着いて過ごすために、二つの選択肢がある。 
・一つは、様ざまな活動をしようという姿勢を持ち続けること、体調を良好に保つ
 こと、学び続けること。社会的活動に参加すること。つまり、積極的であること。
・二つ目は受動的に振る舞うこと。身を引くことlせいぜい控えめに活動すること。
 自分一人で、あるいは家族や、友人とだけ過ごすことだ。
 ―
    
   ♦ * 5章 アクシデントとどう向き合うか
 ☆ 「起ったこと」は、何かに役立つのか
何ゆえに、痛みに堪えなくてはならないか?「人生の奥底まで知る尽くすため」。
次つぎと襲ってくるアクシデントに対して、これは人生が私に課したものなのだ。
偶然か、意図あるものかもしれない。とにかく、私はこの課題を受け入れ、
何らかの答えを導きだそう。それは何かの役に立つだろうから」
 … 人間にはメランコリーな状態に陥ることがある。「克服しなければならない」
と考えるのは問題外。それよりも、「人間という存在は、そのようなマイナス的側面
があるからこそ、人生の豊かさをあますことなく経験できる」と考えるがよい。
 人生とは、次々と襲いくるアクシデントが織成す糸をほどすプロセス。
メランコリーなど、一瞬の感情。 現実は解決されるべき案件でしかない。
 ―
   ♦ * 6章 「触れ合う」ことで満たされていく
 この随想日記を習慣の力を借りて書き続け、公開しているのは、精神的な触れ
合いを求めて自身を曝け出すため。触れあわれることは、触れあうことでもある。
<言葉を介した触れあいには多くの意味がある。「読書」もまた、触れあいになる。
 数千年前の人と、言葉を通して精神的に結ばれる。これらの通して、精神的な
広がりには、時間や空間を超えた「無限の可能性」がある。これは、「泰然とした
落ち着き」にいたるのに、充分な理由になる。>
 ―
 ―
 …「泰然とした落ち着き」とは、「不安を感じることが少ない穏やかな精神状態」
を意味している。 それは、無関心や無感動とはまったく異なるものなのだ。
触れあいで大事なことは「感情」だ。この程度の内容なればこそ、行間に「感情」
を可能な限り入れる。感情は、<感動、感激、感謝> の念の積重ねから培われる。
 これは、意識して行蔵に保管しなければならない。 快活は無感情からは決して
生まれない。特に老年期こそ、その行蔵の御宝が問題になる。貧相な小屋しかない
人は、他者の御宝を貶すしか手段を持たない。で、マイナス循環に陥り、悶絶する。
表立っては同類と連合い快活を装う。とって付けた理屈で、同類相憐れんで老醜を
曝す…『世人』をいう。これらは、政治家からしたら美味しい票になる。それが、
アメリカのブルーカラーの白人層。 その中には、快活そうな、現象と事実の見境
さえつかない、人の好い白人層が多く存在する。考えられないのは、やはり罪悪。
 
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6555,閑話小題 ~今のうち、元気のうちだよ…
2019年02月24日(日)
 * 毎日、何の負目を持たずに楽しめる人!
        (…諸事情のため、削除しました)
後記: 削除は何の事情でしょうか、忘れました。調べたが、完全削除。
   よほど、身近の人をシリアスに書上げたため? と推測される。
                      2020年02月24日記
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5094,タガメ女の正体  ー⑦
2015年02月24日(火)
       ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体~深尾 葉子(著)
  * タガメ女度チェック
 カエル男に続いて、タガメ女度のチェック。
まあ、世の亭主、良いように飼い馴らされたもの。他人事ではないか!
  ☆ タガメ女度チェックシート
1.規則正しい生活を送っており、周囲から「ちゃんとしているね」と言われる
2.パートナーには「0時には帰る」という“カエルコール”を義務づける
3.相手が失敗をすると、「ほら、だから言ったでしょ」と言う 
4.いかに自分が日々の家事(仕事)を頑張っているかを周囲にアピール
5.習い事に夢中になっている
6.休日は友人と会ったり、イベントが目白押しだったりで忙しい
7.マンションの階層にこだわりをもっている(戸建ての場合は家の立地)
8.近所からどう見られるかにはかなり敏感だ
9.スマホではなくガラケー(ガラパゴス・ケータイの略。
日本国内では便利だが世界標準ではない)でドコモユーザーだ
10.住宅ローンを組み、「郊外のベッドタウン」で暮らしている
11.結婚願望は強かった(強い) 
12.まとまったお金は投資型の運用よりも郵貯や積立保険にまわす
13.アルバムが充実している
14.誕生目やクリスマスパーティなどのイベントを企画するのが好きだ
15.ディズニーランドが大好き
16.女子会では“意味のない会詰”を延々と続けられる
17.身近に独身のオタク男性などがいると不安になる
18.「主人は~」(カレは~、)というのが口癖だ
19.PTA活動(行事)では積極的に「役職」につき、懸命にこなす
20.働きながら子育てをする女性や独身女性とはあまり親しくしない
 ・0~4:タガメ女度20%
 ・5~10:タガメ女度50%
 ・11~15:タガメ女度80%
 ・16~20:タガメ女度100%
▼ 家内は問題なので、姉の一人を想定すると何と80%? 
 傍目でみても、それは大変? 専業主婦を持ったサラリーマンなら、
タガメ度80%は仕方がないか。婿取り娘なら100%?
「このオレに あったかいのは インコだけ」
「領土権 妻はリビング 俺仏間」というところか。

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3987, 宇宙論コペルニクス以上の大転換 (宇宙は本当にひとつなのか)
2012年02月24日(金)
           宇宙は本当にひとつなのか ー1
  * 我々の宇宙は10の500乗分の1個でしかない!
2003年を境に宇宙論は、コペルニクス的大転換に匹敵するほど大きく変った。
コペルニクスが地球が宇宙の中心と思っていたところに、実は太陽が中心で、
その周りを地球が周っているに過ぎないと主張した以上の衝撃的進展という。 
それは、観測の結果から宇宙全体のエネルギーの内訳が明らかになった。
星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の4・4%で、
目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの一部分でしかないものだった。 
ここで、残る96%は何か?というと23%が暗黒物質で、約73%が暗黒
エネルギー。それを合わせると、残りの96%になり、元素のエネルギーを
合わせると100%。しかし、その正体は殆ど分かってなかった。
つまり、宇宙の殆どが分かっていなかった。ところが、その暗黒物質が分かる
一歩手前まで来たのである。この暗黒物質の研究から出てきた考えが、宇宙は
もっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかもしれないという宇宙多元論。
たくさんある宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが十分小さかったものが
わずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。殆んど宇宙のことが
分かってなかった事実と、我々の宇宙は、気の遠くなるような多くの宇宙の一つ
でしかない裏ずけがで始めてきた。
 学生時代にビッグバンとブラックホールの理論を知ったときの新鮮な驚きを
今でも憶えている。その後の科学の飛躍的進展で、宇宙のことが格段に知られる
ようになった。その一つにブラックホールの先が違う宇宙への入り口ではないか
という説。それが2003年を境にコペルニクス的大転換以上に変わったという
のを最近、知ることになった。哲学が宇宙の外があるかどうかを論じているが、
科学は、宇宙はもっと多くあり、10の500乗もある可能性を論じている。 
科学が哲学を遥かに超えたことになる。 永遠の中の有限の存在を知った人間が、
その苦しみを緩和するためつくり上げた神も、多元宇宙論を知ると、所詮は、
そこまでということが分かる。 私にとっても、衝撃的大転換である。
137億年前のビッグバンで我々の(今度から、我々の、を付ける)宇宙が
出現し、その広がりには千から2千億の星からなる銀河が、100億もある。
そこには星の消滅の時に生じる空間の歪みが、ブラックホールになり、周辺の
星を吸い込んでいる。それは、どうも他の宇宙に通じる通路と思われる。
これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの
宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
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6191,閑話小題 ~映画鑑賞 ー創業物語
2018年02月24日(土)
  * 映画鑑賞 ーグレイテスト・ショーマン
    ‘あらすじ’を要約すると、
 19世紀アメリカの実在の興行師、パーナムの半生を描いたミュージカル!
創業と挫折と再生を、家族愛を絡めたアメリカンドリームもの。
あらゆる困難を前向きに解決する筋立てが良い。しかし、そこに非難が集中する。 
古い博物館を買取り、再生をしたが思惑を外れ、失敗の様相の中で、どうすれば
客寄せが出来るかの瀬戸際で、二人の子供の何気ない言葉が…
『実際に生きている奇人を集めた見世物にすれば…』の何気ない言葉にヒント
を得て、奇人達のミュージカルショーに仕立て、大成功に導く。色々な個性を
持ちながら目立たないよう生きてきた人々を集めた、誰も見たことのない様ざま
なショーの企画である。しかし、それも焼討などで破たんしかけるが… 
 ――
  :解説:
レ・ミゼラブル」でも華麗な歌声を披露したヒュー・ジャックマンの主演で、
「地上でもっとも偉大なショーマン」と呼ばれた19世紀アメリカの実在の興行師
P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル。劇中で歌われるミュージカル
ナンバーを、「ラ・ラ・ランド」も手がけたベンジ・パセック&ジャスティン・
ポールが担当した。貧しい家に生まれ育ち、幼なじみの名家の令嬢チャリティと
結婚したフィニアス。妻子を幸せにするため努力と挑戦を重ねるフィニアスは
やがて、さまざまな個性をもちながらも日陰に生きてきた人々を集めた誰も見た
ことがないショーを作り上げ、大きな成功をつかむ。しかし、そんな彼の進む先
には大きな波乱が待ち受けていた。

▼ 創業のサクセスストーリー …幼児の頃に、両親の敗戦直後から再生の後ろ
 姿をみて育ったこともあり、興行主の二人の子供の不安心理が手に取るように
読取ることが出来た。創業当初で、まず問題になるのが目先の繁盛。日銭だけが、
生きていく上の灯になる。「恒産あって、恒心あり」で、お金と、健康と、精神
(気の強さと明るさ)と、家庭の安定がベースにしてこそ大波を乗越えられる。
それがチョッとした切掛けで脆くも壊れかかる。 ソルジェニーツィン
『イワンデニソヴィッツの一日』の中で、獄中の主人公への励ましの手紙の一節
を、今でも、鮮明に憶えている。
<人生、小説じゃないと思います。あくまで勝者が善、負者は悪です。
 その為には強くならねばなりません。強くあって下さい> 
の言葉が20歳代後半の一時期の私を支えてくれた。そのパーナムの苦労話も、
ミュージカルで演出されており、明るい気持ちでみることが出来た。乗越えれ
られたからこそ、面白かったと言えるが、舟板一枚下は、地獄が待っている。
松下幸之助が、創業当初、必死に紙に書いていた内容が、「金、金、金、金…」
だという。当然といえば当然の話。だから地元で、創業などするな!である。
創業は、既存の仕組みを根こそぎ否定することが第一歩。そこで露わな姿を
曝すのが‘生地’では…「あそこのバカ息子」と、絶対否定の対象になる。
だから遠く離れたところが条件となるか、生地ではアウトサイダーの覚悟が
必要となる。他人と同じ横並びなら生存価値がなくなるのが事業の宿命。
起承転結でなくて起承転々というが、失敗に終われば、『起承点滅』の後、
『起承転落』というより、『起床消滅』? 
これも『日々、是、口実(好日)』の自嘲の一つですか。
・・・・・・
4729,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー3
2014年02月24日(月)
 * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 ~�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 自分の節目を書いているような? 男女の組み合わせも、このようなペア
が多い? 私が?パラノで、家内が? 「パラノ」と「スキゾ」について、
浅田氏は『逃走論』で、次のように解説しています。
《・「パラノ型というのは偏執型(パラノイァ)の略で、過去のすべてを微分
  統合化して背負いこみ、それにしがみついているようなのを言う。パラノ
  人間は《追いつき追いこせ》競走の熱心なランナーであり、一歩でも先に
  進もう、少しでも多く蓄積しようと、目を血走らせて頑張り続ける」
 (『逃走論』)、それを読んでわかるとおり、これは前項で説明した
 「脱コード化」(近代資本制)社会における典型的な人間の姿を言い表わす。
・それに対し、「スキゾ型というのは分裂症(スキゾフレニー)の略で、そのつど
  時点ゼロにおいて微分ー差異化しているようなのを言う。スキゾ人間は、
 「追いつき追いこせ競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョロ
  あたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまうだろう」
  要するに、お金を求めてクラインの壺をぐるぐる回り続けるパラノ人間
  に対し、その行為を全く拒絶して、自分の思うままに生きるのがスキゾ人間
  であるということです。浅田氏は『逃走論』のなかで、パラノ人間は成長
  社会においてのみ肯定されるという本質を見事に探り当てています。
  頑張れば、それなりに結果(地位、報酬など)が得られる社会だからこそ、
 《追いつき追いこせ》の運動が活発化するのであり、それを否定するスキゾ
  人間は社会から異常者としてつまはじきにされます。いわゆる「おちこぼれ」。
  しかし、高度成長期ならいざ知らず、このデフレの時代には、パラノ的
  価値観の方が、むしろ異常と捉えられる。》
   ーネットで、この説明を解りやすい例えの内容があったー
【 1980年代、浅田彰氏を中心に、人間はパラノ型とスキゾ型の二つがある、
  と説く。・パラノは偏執型(パラノイア)のことで、十億円もってる
  吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな。
 ・スキゾってのは、つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬に
  すべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。もっとも基本的な
  パラノ型の行動といえば、《住む》ってこと。一家をかまえ、そこを
  センターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積。
  妻を性的に独占し、産ませた子供の尻をたたいて、一家の発展をめざす。
  このゲームは途中でおりたら負け。《やめられない、とまらない》で、
  パラノ型になってしまう。これビョーキだが、近代文明はまさしくこうした
  パラノ・ドライヴによってここまで成長してきた。成長が続いている限りは、
  それなりに安定していられるが、事態が急変したりすると、パラノ型は弱い。
  砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕になりかねない。ここで《住むヒト》
  にかわって登場するのが《逃げるヒト》。何かあったら逃げる。
  ふみとどまらず、とにかく逃げる。そのため身軽じゃないといけない。
  家というセンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためたり、
  家長として妻子に君臨したりはしないから、そのつどありあわせのもので
  用を足し、子種も適当にバラまいておいてあとは運まかせ。
  頼れるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。】
▼ 家庭内をみれば、旦那がパラノ型で、妻がスキゾ型。定年前の男なら、定年
 までは、パラノ型で、その後は、スギゾ型。私自身は、50歳まではパラノ型で、
 それ以降は、スキゾ型に比重が移動。そして65歳からは、完全移行になった。 
 こう振り返ると、15年間の準備期間があったことになる。
 クラインの壺の渦中だと、自分自身が見えなくなっていた? 
・・・・・・
4362, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー4
2013年02月24日(日)           
 * 親しい友人は何もしてくれない理由   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲 著
 生きてきて感じることに、「親しい友人は何もしてくれない」という厳然たる
事実がある。当たり前のことだが、友人に物事を頼ること自体が間違っている。 
が、全く違う理由がある。 ーその辺を著者は次にように述べている
≪ 親しい友人同士は、長い付き合いのうちに、頼りあった友人関係は責任が
 伴うため淘汰されることを経験上知っている。強い親しい友人は似たような
仕事か環境であるため、助け合うに不向きである。知人の方が弱い絆で責任も
伴わないし、違う分野の世界だけ広い世界を持っている。そのため貨幣世界の
人の方が割り切って紹介しやすい。 貨幣空間の成功者は、人と人を結ぶことに
喜びを見出している。優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表
資産を加えることが出来ることを経験上、彼らは知っている。 紹介された方は
心理的負債は負うが、これは金銭と違って返済義務はない。世界中のすべての人
と6次以内でつながるスモールワールドの貨幣空間では、たくさんの弱い絆
向こう側に大きな鉱脈が眠っている。グローバル時代のビジネスでは、その
‘真理’を本能的に知っている人が、成功を確実に手に入れることが出来る・・≫
▼ ビジネス社会をみると、有能の人は、人間関係の貸借対照表の資産が多い。
 私など人間関係論を専門にしてきた割に全くというほど資産も、負債もない。
独りの世界も良いが、それにしてもである。ビジネスの世界を離れれば、
その資産もアテにならない。そこでネットで検索すると
《 友情は、共感や信頼の情をもって互いを肯定し合う人間関係、もしくは
そういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛のこと。しかし、それは
すべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に
存在する。》とあった。 基本は「人は人 我は我 されど親しく」である。
群れた老人ほど(若者もか)、不釣合いのものはない。最近、暴力団にかわって
「半グレ」が話題になっているが、自立できない半ガキの群れそのもの。
半子供だから群れるしかないのも分かる・・ やはり法律で締め上げるしかない。
何かしてもらう目的で、セッセと人と人を結びつけ、人間関係の資産を増やす
貨幣空間も、これまた面白いようだ。逆に、それとは全く違った資産勘定も
必要だが、歴史上の偉人とか小説上の人物でも親しい人は作ることができる。

 

閑話小題 ~ガヤ芸人 -2

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   * ガヤが… メインキャスターだと…
 時どき司会が語る謝罪の言葉…<うちのガヤがすみません>。それぞれ業界を
代表をした発言だが、軽くて、鋭くて、責任の一端も感じられない。だから面白い
のだろうが… その人選は、プロジューサーが当たるのだろう…
 局側も実際のところ忖度も何もない?ためヒヤヒヤの筈。 その人選には呆け、
突っ込みなど、バランスがある。 ≪笑点≫を例にとると、
<助平、ファンタジー、呆け、腹グロ、インテリ、ガヤなど、役割があり、それを
ワキマエてガヤをする。家内と私も日常会話で、ボケ、突っ込みを交互にしている。
問題は、老いるにしたがい、会話がブラックになっていくこと。

 最近、ガヤが市民権を得て、メインキャスターに格上げされて、如何みても、
ピンほけの説を自信を持って語ること! ミノモンタが調子に乗りすぎ、やり玉
に上げられた現象を鋭い言葉で切捨てていたところ、同じような立場に置かれて、
右往左往して、キャスターから降ろされた。自由、博愛、平等などの建前を、
真面に信じて、その中身を証左することなく、切捨てていれば、何時か吾身に
返り矢として、そのまま突き刺さる。

・・・・・・
4361, 嘘と真実 -2
2013年02月23日(土)          
    「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
  * うそつき 
 この本は、「嘘と真実-1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。
この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の行蔵がみえてくる。そこには、
自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたく
ないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。身勝手の本性に小理屈
をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。
だから生きていられることもある。
ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言と
 いわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 
          《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』とき、より効果的うそをつく」
          《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」
          《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。
           うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
          《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞き
 たがっていることを語る。この関係は双方的なもので、政治家が有権者
 自己欺まんを代弁することもある」
 《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
これ、恋愛もいえる。人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 
                 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」
          《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福は、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」
          《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力が
          ある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしい
 ように思われるものであっても、その人の過去の歴史的事実とはあまり関係
 のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、
          正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なもの
 でもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。その道徳的価値が判断
 されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」
         《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、
 人間は自分の真実の実像を見ていたら耐えられないのは自明である。そして、
「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として
 栄えるために不可欠の要素」がある。自分が「不完全である」という事実を
 受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、
 自分を見つめれば分かること。本当のことってあるのだろうか? 
本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、
本当もうそになる。利口者の自己欺瞞、馬鹿の正直者、その間に揺れるのが心。
利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
・・・・・・
6919,読書日記 ~快活こそ悟り! -2 
2020年02月23日(日)
       <『老年を愉しむ10の発見』:
          ~ドイツ流「穏やかに生き抜く」哲学:ヴィルヘルム著>
 今回は
1章 人生には「さまざまな段階」がある
2章 自分に起こる「変化」と折り合いをつける
3章 「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの 
 ―
  
   第1章 人生には「さまざまな段階」がある
◉ 第一段階: 25歳まで
  早朝にあたる。無数の可能性がある。『したいと思いさえすれば、できるかも
 知れない』ということを意味している。逆に、試練の時でもある。挫折である。
 そこで何でも挑戦できる。その時の経験は、その後の人生の大きな糧となる。
◉ 第二段階: 20歳代後半から30歳前半には、クォーターライフ・クライシス」
 を迎えるかもしれない。30歳前半ともなれば、将来への展望が開かれていると
 思っていたことが、何時までも続くわけがないことを、おぼろげながら理解する
 ようになる。「いつか何かしなければならないと思うなら、そろそろ決断しな
 ければならない」という、自分から自分へのプレッシャーである。人生の半ばに
 さし向っていることを強く意識をし、ストレスがたまったとしても、何ものにも
 打ち負かされない力が満ち溢れていれば、年を取ることなど簡単に忘れてしまう。
◉ 第三段階: 40歳半ばから50歳辺り…
 現代人は、80,90,100歳まで生きることも珍しくない。とすると、人生の半分は
 40~50歳の間になる。この時点を境に、そこから訪れる年数は、過ぎ去った年数
 より短くなっていく。年をとることは、まるでストーカーのように私たちにつき
 まとう。体、心、精神を、そうした「人生の新しい段階」に自然に合わせようと
 すると、一方で混乱が生じる。それは「青春のいらだたしさ」を思いだたせ、
 それと同じように何年も続く可能性がある。
  人生この段階で、「泰然とした落ち着き」を持つことができるのは、おそらく、
 新し段階へと移りゆく人生の流れに逆らわず、それに身を委ねる心構えが充分に
 できているときだろう。 ミッドナイト・クライシス〈老化を自覚して無気力に
 なること】や、更年期を迎えると、人生に対する考え方が根本的に変化する。
 それまでは、ズ~ッと前向きだったのが、「私の人生は如何なるのだろう?
 私は何を達成したいのだろう。そのために何が出来るのだろう?」という視線が、
 強くなり、ここからは、後ろ向きな生活になり、人生の道は先細っていき、過去
 に目を向ける。人は自分の物の見方に束縛され、自分の生活状況と仕事環境、
 経験と人間関係に影響されていくのだ。
 ―
 
    第2章:自分に起る「変化」と、折り合いをつける
 現在の私が、この最期の変化の局面に立たされているが故に、周囲の同年代が、
このような知識が皆無なるが故に、動転しているだけでなく、他者攻撃に明け暮れる
姿が痛ましい。人生の最終局面まで生き、経験を重ねればこそ、この財産を生かす
ことが、その人の後半、そして晩年に+にはたらくもの 。 毎日を、面白くて、
充実していくには、経験の熟成が成せる業? それなくして、余生は考えられない。
 晩年、右往左往する、あの「世人」の方たち… 自身と折合いが付けられなく
なって、周囲の血の臭いを探すしかない彼らには、何の自覚がない!
 ―

    第3章: 「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの 
  ☆ 「生きやすさは」はどこから生まれるか
 何度も書いてきたが、51歳時に、5年半、軽い痴呆症だった母親を看送り、さて、
今度は自分自身の老いの問題が突きつけられた。余生は平均30年。そこを、どう
活きるべきか。まずは、還暦まで9年で、30年分を圧縮して生きる。好きな秘・異郷
ツアーを可能な限り参加。個人のHPを立上げ、ネット世界に重心を移動する。
50歳半ばから、1日1テーマの『随想日記』を掲載する。今までの事業一筋の考え方を
改める。明日、死んでも悔いを残さないように、世人と一線を隔す。
 母親を看送ったのは、2001年のは9月であった。9年前の事業清算と、19年前に、
毎日の生活習慣が激減していった。習慣の効用は、実に大きい。 ハッと気づくと、
後期高齢まで、あと1年である。快活で暇というのはない。有効な生活習慣こそが、
生きる術である。習慣といえば、『我家』である。ここを『こころ穏やかに生きる』
砦にして、そこの生活習慣を良質にすることこそ、最も重要になる。良質の生活習慣
こそが、心穏やかにする。
  ☆ 1日1日を味わいつくして生きる
◇ コーヒーの「一滴一滴」がよりおいしくなる境地
 夕刻の酒が美味いと、つくづく思えるだけで充分。早朝の一杯のコーヒーも然り。
好きな旅行も行きつくした感がある。それぞれの年代のメルクマールに秘・異郷旅行
の行先が鮮明に残っている。 最後に残るのは…『行蔵』の中にある熱い想い出と、
書き残してきた『文章』。そして、<いま、ここ、わたし> 。

・・・・・・
5457,閑話小題 ~政治を哲学する
2016年02月23日(火)
           「世界の哲学思想」小須田健著」より
   * 政治に対して哲学ができることは?
 政治には、烏合の衆をまとめて理想の世界に導く役割がある。そのためには
哲学が背景になければならないが、目先の力学も必要になる。政(まつりごと)
を治めるのが、まず第一になる。ここで「政治とは様々な意見の対立がある
ことを前提とした上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指す」と、
明示している。 高度成長期には、成長を。低成長期には、低成長の政策を
とるのが政治。哲学は、それらを鳥瞰した視点を持たなければならない。
だから哲学からは安易な答えは出してはならない。 ここで、政治についての
本質をズバリついている。 ~その辺りから~
≪ プラトンたち古代哲学者が活躍した時代から現代にいたるまで、哲学の扱う
 問題はあきれるくらい変わっていません。もともと哲学とは、千年単位で思考
する営みであるため、一年や二年といった短期的な問題に答えていくのには、
あまり向いていないところがあります。つまり哲学とは、政治や社会や、急務な
課題に答えるものではないのです。
 では哲学が、政治や社会問題に対してまったく無力かといえばそうでもない。
哲学は、どんな問題に対しても安易に答えを出してしまう私たちを戒め、
自制を促す力をもっています。数学の問題のように、ただひとつの明確な答え
が領域が確かにあります。しかし、現代の、政治・社会問題には簡単に割り
切ることのできない問題が山積しています。また、どんな問題にも正解がある
はずだと考えることは、危険な一面も併せもちます。このような人は、正解だ
と思えるものを見出したとき、それを錦の御旗のように振りまわして、自分以外
のすべての立場を否定する態度にでかねないものです。確信をもって他人を批判
する人々は、もはやその自分の確信そのものが誤っているかもしれないという
可能性をすっかり失念してしまいます。ある時点で正解と思われたものが、
いつまでも正解であり続ける保証など、どこにもありません。ですから、
「もうこれは正解でなくなったのではないか」と、絶えず自己吟味をして、
自分対して批判的な目をもち続けることが大事なのではないでしょうか。
これはけっして日和見の勧めではありません。わかることはわかり、解決できる
ことは解決していくべきなのはいうまでもありません。「今の自分にはわから
ないことがありうる」という観点を保ち続けることが大切なのです。
 哲学は、けっして万能の解決策を教えてくれる学問ではありません。
むしろ、適切なかたちで問題を提起してくれるのです。適切なかたちで問題を
提起することができれば、そのときに解決もある程度見えていることでしょう。
なんにでもわかったような顔をするのではなく、わからないことはわからない
と素直に認める潔さもときには必要なのです。
 民主主義の基本は、自分と遅う意見の持ち主の存在を認めることにあります。
ですから野党が存在しない一党独裁の国には、どういいつくろってみても本来の
意味での自由はないので。政治とは様々な意見の対立があることを前提とした
上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指すのです。フランスの哲学者
スポンヴィルの言葉を借りるなら、「みんな一緒でエゴイストになれる」道を
模索するのが政治です。哲学的思考は、常に他の答え(正解)も在り得るのだ
ということを認識させてくれるものなのです。・・・≫
▼ 世界はキリスト教イスラム徒の原理主義戦争の様相を呈しているが、
 これは、中東と、欧米の風土の違いからくる宗教観の違いがある。砂漠では
家長が絶対的権力をもって、家族を導かなければならない。過酷な環境では、
民主主義や個人の自由の主張はマイナスになる。イスラム原理主義を強引に
推し進めようとするISが、猛威をふるっているが、これを欧米に持ち込もうと
しても、土台無理がある。とはいえ、欧米の世界支配で、中東などの世界から
資源を奪略してきた現実と格差が、ネットで公然となってしまった。それは
民族間の相克であり根が深い! 21世紀の世界大戦は、既に始まっている?
世界恐慌、格差問題の露呈、世界大戦の図式が不気味に現実になろうとする。
・・・・・・
6554,閑話小題 ~映画評 「アリータ バトルエンジェル」
2019年02月23日(土)
   * 昨日のシネマは
 これが思いの外、面白い。首を刎ねたり、胴体を真っ二つにするシーンの連続。
ロボットの胴体と、人間の胸部から上が生身のサイボーグのド派手なサイボーク
同士の戦いで残酷さが半減。ロボット同士では、無人飛行機の空中戦のようで、
味気ない。中途半端な人間臭いサイボーグがミソで、目を瞑らず正視できる。
月に4回、1100円×4=4400円を高いと思うかどうか。楽しみ半分、あとは閉じこめ
られたエネルギーの解放のセラピーの治療費と思えば安いもの。感覚的には3分1!
 ―
≪ :解説: 木城ゆきとによる日本のSF漫画「銃夢(ガンム)」を、同作の
 映画化を長年にわたり熱望していたジェームズ・キャメロンの脚本・製作で、
ハリウッドで実写映画化したアクション大作。 
 主人公アリータ役は「メイズ・ランナー」シリーズのローサ・サラザール
務め、いずれもオスカー俳優クリストフ・ワルツジェニファー・コネリー
マハーシャラ・アリが共演。数百年後の未来。スクラップの山の中から奇跡的に
脳だけが無傷の状態で発見されたサイボーグの少女アリータは、サイバー医師の
イド博士によって新たな体を与えられ、目を覚ます。しかし彼女は、自分の過去や
今いる世界についてなど、一切の記憶が失われていた。 やがてアリータは、
自分が300年前に失われたはずの最終兵器として作られたことを知り、そんな兵器
としての彼女を破壊するため、次々と凶悪な殺人サイボーグが送り込まれてくる。
アリータは、あどけない少女の外見とは裏腹の驚異的な格闘スキルをもって、
迫り来る敵たちを圧倒していくが……。
  :映画レビュー:
 2563年、没落戦争から300年後の人とアンドロイドが混在する世界で鉄クズの
山から発見された記憶喪失の少女型アンドロイドの話。
この時代には残っていない技術で没落戦争前に兵器としてつくられた心臓や脳に、
この時代の普通の女の子の身体を貰い再生した主人公。設定的にも映像的にも
ゲームの様な世界観。記憶はないながら備わっていたバーサーカーの血や機甲術
という戦闘スキルと、女の子としての心情とをミックスしながら成長し闘う様子
が切なく温かい。≫
 ―
▼ こういう特撮物の進化による面白さは止まるところがない。残忍なシーンの
 割には、後味の悪さが残らない。漫画を映画化したのも新鮮さを際立てていた。 
これでは週一、通っても飽きることはない。ところが、帰って直に韓国モノの
映画の録画をみたが、これが90点。こんなに毎日が面白く過ごしていて果たして
よいものか?と。 セネカの言葉、
<人生は短いのではない 我々がそれを短くしているのだ>
 確かに楽しむ者にとって、人生は短すぎる。また無為の人も。 
楽しまない者には、退屈な長い人生になる。 
何かしら快楽主義の臭いがする。快楽主義をネット検索すると…
 【快楽主義 hedonism】
快楽(ギリシア語hēdonē)こそ善の最終的な判断の基準であると考える倫理的立場。
一般には肉体的快楽,とくに性的快楽を追求する立場をいうが,哲学史的には,
何を快楽とするかは,各体系によって異なる。ソクラテスの弟子アリスティッポス
は,人生の目的を快楽の追求とした。ただしこの快楽とは肉体的放縦の所産では
なく,逆に魂による肉体的欲望の統御から生まれると考えた。この態度は次代の
エピクロス学派に続く。エピクロスとその学派は魂の平静を重んじ,健康で質素
な共同生活を通して得られる精神的快楽を重んじた。
 ――
記憶に残っているのは、心底笑っていたり、感動し、感激したことばかり。
それも、時節ごとに大波の上での一ときに… 快楽が最上というのではなく、
それはオマケ。そのオマケを求めて命さえ晒すのが人間。面白く、可笑しく、
哀しくて、平凡で、時にスリルがあって、虚無の深淵の際に立たされ、一瞬に
永遠をみたり、そして、そう遠くない近未来にプッツンと。それが人生ですか。
 
 ~以下の文章が、シリアスなるが故に面白い永遠のテーマ!
「恒産あって、恒心あり」でしょう、娑婆は。 その基準は、その人による!

・・・・・・
6190,閑話小題 ~夫婦で目安の預金が…
2018年02月23日(金)
  * 夫婦で目安の預金が3000万円
 何か論理に飛躍があるが… 朝日新聞にシリアスなテーマがあった。
< 65歳の夫婦の場合、90歳まで生きるとすると、3000万が必要! >
ドキッとする内容だが、これだけ持ってないと枕を高く寝てられないという内容。
「だから、どうした」の話は欠落している。あくまでも、計算上の三段論法。
「65歳の無職夫婦の平均年金が255万で、支出が321万で。90歳−65歳の25年で、
66万の赤字で、年70万のマイナスとして合計1700万と、その他の車の修理、
家の修繕、など特別経費で1000万として合計3000万という論理。概ね長生きする
妻の立場からすると、考えておくべき深刻な話。 とはいえ、金欠で餓死する
という話でもない。
▼ 一世帯平均の預金が1700万というが、均したボリュームゾーンの真中は、
 400万で、3割は預金ゼロという。400万なら、毎年、マイナスが66万なら6年で
底をつくことになる。一週間前に、近所に救急車が一日、4回も来たのが不思議
だったが、数日後に、この記事を読んで、「金欠のため搬送後に、逃げるように
帰ったのでは?」という考えが頭によぎったが、これは一方的な妄想?だが。
私が預金ゼロなら… 健康で、そこそこの準備は必要だが、死んでしまえば、
経費ゼロ。
 アテネの時代から現在の欧米社会に至るまで、3%の特権階級、30%の市民
階級と、67%の奴隷階級が存在してきた。三分の一の人達には2~3千万の
預金が、未満の人達には概ね400万ぐらい、0~100万が、三分の一を占める。
グローバル化、情報化社会で、今まで、表に出なかった階級社会が、面前に
つき付けられてきた。これで朝鮮戦争などの有事があれば、更なる厳しい
現実に直面することになる。

閑話小題 ~ガヤ芸人

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笑点|日本テレビ

 

    * ガヤガヤ芸人
 タレントとは、総じて「ガヤ芸人」の要素を持った現代が生んだ寂しい言葉。
先日、TV番組欄をみていたら、この特集をしていた。見ないまま日にちが経過
したが、何となく…「見ておけば!」の気持ちが残った。遡れば『みのもんた』…
今では、テリー伊藤、落目の落語家等々が思いつく。 少し真面なことを言い
続けると、何時の間にかメインキャスターに格上げされ、調子に乗り過ぎて足元
を救われ消え去っていく。日曜の夕方の『笑点』は、落語家のガヤ漫談。
関西系の政治向きのバラエティ・ショーもある。彼らを軽んじられないのは、
彼らの何げない言葉が世論を一端を形成する役割を果たすことがある。

 <ガヤ芸人とは? >と検索すると…
雛壇芸人ひな壇芸人とは、日本国内の数名以上の ゲストが集まるテレビの
トーク番組バラエティ番組において、準レギュラー あるいはそれに類する頻度
で出演するお笑い芸人のことを指す。> これを集中して見ておけば、日本内外
の話題に遅れることはない。大阪府知事大阪市長を経験した橋下某など、なか
なか含蓄があるコメントをする。
 <がや>とは、アニメーションやバラエティ番組などでの「その他大勢」的な
仕事のことであり、所謂「 エキストラ」である。「にぎやかし」とも言う..

・・・・・・
6918、読書日記 ~快活こそ悟り! -1
2020年02月22日(土)
       <『老年を愉しむ10の発見』:
          ~ドイツ流「穏やかに生き抜く」哲学:ヴィルヘルム著>
   * 何やら変な知人たち  
 この10年来、75歳を人生の大きな区切りとして生きてきた。本気度を示すため
「75歳で死ぬ」と公言してきたため、あと一年で肩身が狭くなる。 この10数年、
歯医者以外は、医者に行ってない。 そこで、早朝散歩や、ポタリング
(ミニサイクリング)、運動ジムで運動確保を対策にしてきた。 御蔭で、まだ
先と思っていた年齢まで早一年。 あとは、御隠居で生きるしかない。
この変なのが、変な視点で娑婆を眺めると、いるいる。 アンチ・エイジングを
妄信じて日々を過ごす「変な?のが」。 老いは抗うことは出来ない。如何に、
それに合わせ適応するしかない。

   ~Amazonの内容説明より~
< 私は「アンチ・エイジング」より「アート・オブ・エイジング(年をとる術)」
 を身につけることが大切だと思う。 これは、老化というプロセスを拒否する
ものではなく、それとともに生きるための術である。
                   ―ヴィルヘルム・シュミット >
・これから得られる「豊かな実り」とは
・自分に起こる「変化」と折り合いをつける
・「それまでの積み重ね」が花開くとき
・「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの

古代ギリシャの哲学者
デモクリトスが「朗らかさ」を、外的な財産や感覚的な満足感に依存しない
最高の「内面的な財産」とみなした、というエピソードが心に残った。

快活さ=平安に満ちた心地よさを持つための土台が「生」についてなどの
スケールの大きい思慮から得られた朗らかさだと。
彼自身、「笑う哲学者」と呼ばれていたほど明るく快活だったという。
 快活こそ悟り。
■目次
1章 人生には「さまざまな段階」がある
2章 自分に起こる「変化」と折り合いをつける
3章 「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの
4章 「受け入れ、愛せる」人
5章 アクシデントとどう向き合うか
6章 「触れ合う」ことで満たされていく
7章 人生を豊かにする「つながり」
8章 深い思慮がもたらすもの
9章 「そのとき」を迎える心構え
10章 「生きる意味」について
 ―
   ~Amazonのレビューより~
     ☆ 見物人
   ◉ 老いをマイナスと捉え過ぎ 
 欧米人にも、あるがままを受け入れることを良しとする人がいたのは意外。
アンチエイジング」が主流だと思っていたから。しかし、老いと死をマイナス
と捉え、いかに癒すかに主眼が置かれていたのは、どうかと思った。老いること
による円熟や達観など、プラス面もあるのに、そういう捉え方はされていない。
― 
▼ 8人姉兄の末っ子で生れ、育ったため、両親の気持ちの半分は孫に対する
 ように扱われて育った。そして、何故か、何時も両親の傍で何不自由なく、
思い通りに生きてきたような。その温もりこそが、最大の財産だったような。
朗らかさ、快活さこそ、人生に一番、必要な要素。進学するにつれ、同期には、
暗い人が少なくなっていた。年齢もあるが、明るく、清潔感が高くなっていく。
 盆地で閉鎖的もあるが、新潟と長岡の市民性の違いは、明るさ。 もっとも、
首都圏と新潟の違いも、そのまま、比例するが。 明るさには、朗らかと、
快活さがある。それは、適度に肉食魚が混ざっているためだが… 緊張し、身の
周りに常に気配りをしないと、食肉の対象になる。食べる方は、ますます、太り、
食べられる方は、その瞬間、全てが消え去る。 老年を愉しむといえば、父方の
従兄に、存在している。86歳になっても、朗らか、快活そのもの。カメラ撮影と、
カメラそのものが趣味だが、万年青年。大家族で、多くの叔父伯母が存在すると、
様々な人生を垣間見れる。 あれだけ、明るく、清潔感があり、面白かった人が、
老いるとともに、暗く、内向けに変身する。 活きてこなかったため。
 活きる、生きないの半分は自己責任! 他人事ではない! 
 
  …次回から3章単位で、各項目単位で、テーマにする。
 昨日の一日は、シネマ館の映画が、この上なく。面白くて愉しかった?   
特に、YouTubeと、録画してみた映画と、ドキュメンは! また、それですか! 
面白いのは面白い! 「やくざ風の男の美人局の脅しの一部始終」が…
百万回ヒットすれば、10万。一千万回なら百万になる。 
「やらせ」としても、これもドキュメント風のドラマ。 …面白い時代だ。
毎日が全く飽きないから、不思議。

・・・・・・
6553,読書日記 ~すべての悩みは対人関係 ~4
2019年02月22日(金)
            【…】内私の内語
《  * 感情には隠された目的がある
 ・最も重要な問いかけは『どこから?』でなく『どこに向かって?』である。
 【ケニアのツアーに参加した時、震えて…そんなことを思う余地がなかった。
・悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために
 泣いているのだ。【そんなのは悲しみではない。涙など出てこない。】
・かっときて自分を失って怒鳴ったのではない。相手を「支配」するために
 「怒り」という感情を創りだして利用したのだ。
 感情はクルマを動かすガソリンのようなもの。
 感情に「支配」されるのではなく「利用」すればよい。
 【それを利用したのがヒットラーの演説手法。カッとしたエネルギーが
  人生の活力を生む。】
・不安だから、外出できないのではない。外出したくないから、不安を作り
 出しているに過ぎない。【腰痛は、まさに是。不安感が腰痛を増長する】
・子供は「感情」でしか大人を支配できない。大人になってからも感情を
 使って人を動かそうとするのは幼稚である。【危なそうで行くのを躊躇した
 旅先ほど感動が大きい。それは、その感動の予感が磁石になり引寄せられる】
・彼氏には甘えた声で。配達員に対してはキツイ声で。他人は相手と状況に
 応じて行動を使い分ける。あらゆる行動に目的があるからだ。 
 【行動の「行」には目的の意味が入っている。犬でさえしているのに今さら】
 ―
▼ ・感情といえば〔情念〕という言葉が浮かぶ。人は情念で動く。
 赤塚行雄<『ヒトラーの魔力』 情念の話術 大衆は女である>が、
深い示唆を示している。 ヒトラーはドイツ人の心に深く根ざしている何か、、
「情念の泉」を解き放ったのではないのかと。敵はユダヤ資本、ユダヤ人と
決めつけ、彼はスピーチや文章によって、人種的「純度」と「ゲルマン民族
(「支配民族」アーリア人)の優位性という信念をドイツ国民に広めていく。
冷静な理路整然とした言葉より、計算されつくした剥き出しの情念による言葉
を大衆は望んでいる。大衆は女どもと何ら変わりない、煽動し、熱狂し、時代
の変化への不安感を、麻痺させてほしいだけと…
 人間も社会も、内なる情念の業火に悩まされている。ことに群衆は盲目の
群れになる。左手を胸に、右手を上に向けた「ハイル・ヒトラー」と情念を
込めて発散させておけば、思考力が無くなってしまう。そこに、先の敵・味方の
色分けを塗りこんでしまう。当人が途中から、麻薬づけになって正常な判断が
出来なくなったが… それ以上に、大衆の情動は偉大な力を発揮する。
・ところで説教に『節談説教』がある。 この手法は、難解な教えを文字の
 読めない人々に判りやすく説くために、語るがごとく歌うがごとく、聴衆の
情念に訴えかける真宗の布教法。何かヒトラーの大衆誘導の説教に酷似している。
「怒りを歌うがごときに変えて大衆向きにアレンジした」ような。
理性も感情も裏腹。理性というやつも、考えてみれば怪しげでもある。
情動を理路整然と理屈づけしたのが理性? いや違いますか? 最近、NHKで、
ヒトラーの話術をテーマに放送していたが、見落としてしまったが、是、如何に? 
・個人レベルに、これらを活用すれば生き方が全く変わってしまう。
『何か、あの人、別人のよう。喜怒哀楽が激しくて、内容が支離滅裂だけど、
 何か面白い。でも、一皮むけたよう…』と… 実は、学生時代に、この猛毒の
ような本に脳をやられて、実践していた時節があった。その結果は、狂人と、
変人の塀の上の住人に? それを鳥瞰している第三の自分が、冷笑をして見て
いるのも変。鳥瞰ですか、鳥瞰。その為に、秘・異郷ツアーに嵌り込んだ向き
もある。 彼方から此方を改めて見つめると、これまた現世の日常が面白い。
「歪んだ自分」と「社会」と「身近な世間」の世界。 そうとでも想わないと… 
面白いわけだ。 自嘲で笑い飛ばすしかない、コミックそのもの。理路整然と
間違っている? のを自嘲してみるのも。

・・・・・・
6189,閑話小題 ~「自分は運がいいほうだと思う?」 -2
2018年02月22日(木)
   * 私自身は運が有る方か
 「運」のつくり方や、幸福論、精神論などを40年、いや50年も学んできた
割には、さほど運があったように思わない。かといって、高度経済成長期の
時代に、20、30歳代を過ごせただけでも、いや人間として生を受けただけでも
幸運であった。特に、終戦直後の廃墟に、この日本に生を得ただけで、いや、
人間として生を受けただけでも奇跡的幸運に巡りあえたことになる。哲学的で
いえば、「存在論」の『存在の不思議』の問題につながる。
 朝日新聞のテーマの質問、「自分は運がいいほうだと思う?」に対して、
7割の人が、「運がいい」と答えには、実は驚いている。7割が、この幸運に
気づいているからである。
 人生を振返ってみると、何度も危機があったが、必死に取り組んでいる内に、
何時の間にか乗越えていた。改めて、危機だった事象を振返ると、実に危ない
難関があったが、幸運にも、咄嗟の判断で乗越えていた。
<一つの事故の背景に、30倍の似た危機がある。> の通りである。
「間がさした」の真逆の幸運で、運が良かったとしか思えない危険の連続。
母親の口癖が『私には、3歳の頃、亡くなった父親の守護霊がついている』。
それに対して、「そう信じることで、何か内から幸運に向かう力が働いて、
幸運に導いている」と考えていた。 
 はや7年になるが、会社清算とはいえ、倒産は倒産。 資本主義社会では、
経済的前科者にあいなった。 その時の反応が何とも皮肉で面白かった!
マイナー?な人ほど、掌を返してきた。 実は、そこに、その人の不幸のタネ
が明確に現れ出ている。人を妬めば穴二つ」の別バージョンが、そこある。 
カラスと同じで、弱ったから、攻撃する。相手の傷口に、自分の傷の血を塗り
たくり、己の不遇の鬱憤晴らしの本性が透けて見えてくる。不幸系、不遇系
のマイナス度が深いだけ、辛辣になる。批判、非難で、神様になったり、
判事や、検事だったり。弁護士役など、誰も見当たらない。そこで、自分だけ
でもと、ここで『日々、是、口実』として自己弁護しているが、それは笑い
タネになる。自虐、露悪の私にとって、憐み、あいみたがいになる。
 
 ~そこで、熊、寅、八つぁん、大家さんに再び、出演してもらいます。
――
大家: 八つぁん、あんた、運がいいと思ってるかい。
八つぁん: 決まってるじゃないか。幸運というのは、幸福につながる。
  私が幸福でなくちゃ、誰が幸福というんですか。過去を振り返って、
  2割方は不幸を抱えていたね。
大家: その位の割合で、不幸を抱えていた方が良いんだよ。私もその位さ。
  で、 熊さんは、どうだね。
熊: 俺って怠け者だろう。働きは悪いし、カミさんと共働きで、陽気だから
  助かっているんだ。両親とも、教育が無かったのを、そのまま、引継いで。
  寅は、その点、少しでもと、耳学問で知識を得ようしているね。
寅: 子供の頃に、勉強してこなかったのは駄目だね。この歳になって、
  小、中学校の教科内容って生きる上の最低の知識だったんだと反省しきり。
八つぁん: 時代背景の良し悪しもあるけど、家系と、姉弟構成の立ち位置も
  大きいね。条件、状況そのままが原因というけど、本当だね。
  「運」というけど、「運命」以前に、「宿命」の問題があるね。
熊: その違いって何?
八つぁん: 宿命って、本人の努力では克服できないこと。遺伝的な…
  運命は、努力で克服出来ることさ。
寅: そう思って、努力をしたけどね。あの親の子供じゃ無理だよ。
  でも、何か運だけは良いんだ。賭け事には運があるよ。
熊: 何んだ。勝った時だけ吹聴し、負けた時は、フテ寝じゃないか。
  差引ゼロと言ったじゃないか。
大家: あれだけ楽しんで、タダなら、それで充分さ。でも、そのエネルギー
  を、教養に向けていれば、後悔も少なかったさ。御前は、遊び5割に、
  働き3、学びが2割。 熊は、遊び7割、働き2割、学びが1割りさね。
  それも、この長屋住まいの御蔭で、道を外れないでいられるんだよ。
八つぁんは、どうだろう。遊びが5で、学びが3で、働き2。
  働きは、バブリ過ぎがあったしね。4・3・3だったのにな。
  甘いか、しょうがない、八つぁんの親指人形だからさ。ったく。
八つぁん: 有難いことです。この長屋の住人になれて幸運です。

・・・・・・
5092,閑話小題 ~『悼む人』が良かった! ー�
2015年02月22日(日)
   *  『悼む人』が良かった ー�
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
 8人兄姉の末っ子に生まれ、両親に溺愛され?育ったことが、
私の人生の最大の恩恵である。それにも+-の両面がある。
小中学校の同級生を思い出すと、既に亡くなったが、義母に憎まれ
育った子や、戦災孤児寺男のような生活環境で育った子もいた。
5~6坪の居酒屋の2Fの4畳半の屋根裏に母と二人住んでいた子も。
家庭環境の格差は大きな問題。人生は不条理で覆われている。
 家内も私も両親に溺愛されて育ったが、愛情を受けることには慣れては
いるが、逆に愛することが苦手。これも大問題で、最大の欠点になる。 
 創業を志したことで、感情を抑えてきたことが、果たして正しかったか。
それが現在の私の中(自己対話)での最大のテーマになっている。
 45年、無我夢中で取組んできたことが果たして正しいことだったか? 
後悔は少ない?が、無我夢中で生きていたことは確かに憶えている!
『 誰に愛され、誰を愛したか。何を感謝されたか。』の問いが、突き刺さる。
 高度成長期の20歳で創業を決意したとき、
 ‘結果はどうであれ、やらない後悔より、やってみた後悔’の道を選んだ。
撤収を決意した時、何の躊躇いもなく行動に移せたのは、出始めに、
失敗への受容の覚悟をしていたことがある。 創業とは、
『 誰かに恨まれ、誰を憎んだか。 そこで何を失ってきたか。 しかし、
  確かに、全身全霊で生きていたことだけは私が憶えています。』になる。
その結果、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と受け止めるだけ。
 中原中也‘帰郷’の一節
「 ああ おまえはなにをして来たのだと… 吹き来る風が私に云う」
が、心の底から私に語りかけてくる。 その答えは、「面白かった! 
ただ面白かった ひたすら面白かった」
 何か辞世の言葉のような、自分への悼みの言葉になるが。
・・・・・・
5456,閑話小題 ~逃げるから怖ろしいのだ ー2
2016年02月22日(月)
   * 逃げるから怖ろしいのだ ー2
 このテーマ、面白いので続ける。「悲しいから泣く」の、
<悲しいは「感情」で、泣くは「情動の表出(身体反応)」>である。
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい}
「うまくいったから幸福なのでなく、幸福だからうまくいく」
「成功したから面白いのではなく、努力が面白いから成功する」
このような論理で、逆照射を立てると、面白い道理が多くたつ。
「内的自由度は外的自由度と、ほぼ同じなら、まずは内的自由から
始めよ」というが、まずは、知識の蓄積から始めるのがよい。
 内的自由度のコントロールで、「うれしい」「たのしい」「しあわせ」
「ありがとう」を、日常的の口癖にすればよいと勧めた小林正観がいた。
彼の言葉に、『人はいつも<正しい>ことを受け入れるのではなくて、
<温かいもの> を受け入れる。』とか、
『友人も 全てがあなたにちょうどいい』を思いだす。人の心は普段使っている
内語で大きく左右される。この「う・た・し・あ」を暇を見つけて唱えていれば、
その感情が強い磁力になって、情動になっていく。だから、感情のコントロール
は非常に重要になる。怖ろしいので、問題から目を逸らすと、自滅するのは、
感情が、情動にマイナスに働くため。『その時は、その時、取りあえず戦い
続ける。そのうち、何か手がかりが出てくる!』でもよい。
好き嫌いの感情は、すぐに相手に伝わる。「う・た・し・あ」に、好きを
加えればよいことになる。愚痴をいうから、毎日が、つまらなくなる。
「かなしい」「つまらない」「不しあわせだ」「のろってやる」「きらい」
の言葉は、その事象を自らへの磁力になる。現実に溺れた世間原理主義者が、
巧妙に、この言葉を駆使する。言葉は言霊で、相手への毒は、自分への毒に
なる。だから、世間原理主義者を、悪し様にいうのは最悪と解ってはいても?
 で、以下の内容が丁度よく繋がっていく。世間とは、そういうものである。
脱兎のように逃げるべき時もある。逃げ、負けは、前向き、勝利の裏表。
 

閑話小題 ~中国のパンデミックって、如何なってる?

 

   * ワクチン効果は本当か…?
 ワクチンが医療関係者から注入が始まった。今のところ、大したマイナスが
出てきた話題は出てない。95%が効果あり? とか。このまま、いけば年内には
爆発的パンデミックが治まりそうな空気感が漂っている。とするとオリンピック
は、一年延期で何とか開幕されるが、これも定かでない。再延長は難しいのでは!
発生源の中国のパンデミックは、殆ど報じられてないが、これまた、情報統制の
可能性もあり実態は如何なるものか? このまま、拡大すれば、経済に大いなる
影響を及ぼすことになる。 物語として、中国にとって、アマリニタイミングが
良過ぎる。5Gのスマートフォンにとって、プラスに働く上に、ドサクサに紛れた
香港の民主派の抑えこみも現在のところ着々と進んでいる。
 
 ところで、トランプ前大統領が、静かにしているが、これまた、何が出てくる
のやら。酷かった分、バイデン大統領は、やり易い! 現在でも、結構、彼への
支持は強いようだ。全世界からみれば、白、赤、黄、黒色の人種格差は、長年の
歴史からの体制は変わることがない。白による、支配と、格差は、そう簡単に
変ることはない。日本はアメリカのポチ。反抗をすれば、小沢一郎のように、
干されてしまうのが現実。

・・・・・・
6916,閑話小題 ~新型コロナの現状と、行方は? ~3
2020年02月20日(木)  

  ◆ 新型コロナウイルス生物兵器なのか?
                 幸福実現党外務局長 及川幸久
 この収録をしているのは2月4日ですが、台湾の新聞「自由時報」が
次のような刺激的な報道しています。
【 中国人民解放軍生物兵器から防衛する部門トップが武漢に派遣された際、
 『最悪の事態に備える』とコメントしました。中国のツイッターの中では
『我々は今、生物兵器の攻撃を受けている最中なのか』という話が広まっている。
一つ重要な情報として、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」が3年前の2017年に
中国の病原体研究所の実験室について「中国武漢の病原体の研究所からウイルス
が流出する可能性が将来あるかもしれない」と報じています。 その中で
「2004年にSARSウイルスが北京で流出した事故があった」と言っている。
さらには「中国には生物兵器を研究する研究所があるが、その管理に問題がある」
と指摘。また新型コロナウイルスについて、今年1月にイギリスの新聞「デイリー
メール」が、これは武漢の研究所から流出したウイルスであると報じた。
 当初、中国政府の発表では武漢の市場で野生動物から自然発生したウイルスが
原因と言っていますが、ウイルスはこの研究所から流出したものだと報じたのです。
今度は「ワシントン・タイムズ」も、この病原体は生物兵器だと報じた。
その後逆の報道が出ました。1月29日、「ワシントン・ポスト」がコロナウイルス
生物兵器だという説が出回っているが、専門家は否定しており単なる陰謀論
あると報じました。
この「ワシントン・ポスト」の記事の中には二人の専門家の意見が出ています。
アメリカのラトガース大学のリチャード・エルブライト氏が次のように言っている。
「今回の新型コロナウイルスの遺伝子情報と特徴によると、このウイルスが人工
のものである証拠はない」
さらに、生物兵器専門家のティム・トレバン氏は「ほとんどの国は長年の生物兵器
開発で結果が出ないので、すでに生物兵器開発を放棄している」と言っています。
ただ、このお二人の専門家は、2017年にイギリスの「ネイチャー」の記事の中で、
「中国の管理体制はあやふやなので、いずれ中国の実験室からウイルスが流出する
事故が起きるだろう」と懸念している側だったのです。
なので、「ワシントンポスト」の記事はあまり信頼性がないように思えます。】》

 ―
▼ ~コンニャク長屋の面々から~
 寅: 最近、全然、お声がかからないね。でも、言わせろよ。
八: 後で読返すと、何かバラバラで言葉が軽すぎるからさ。
大家: まあ、それはそれ。この新型コロナ騒ぎを話したいのだろ!
 とんでもない、伏兵が出てきたね。とてつもなく大きいブラックスワンさ。
 こうして4人が出揃うのも、避けた方がいいね。
熊: 初めは俺をボイコットしようとしたんじゃないかい。
寅: あとあと、しつこく絡まれると、俺が言ったんだ。一番、危なそうなのは
 解っちゃいるけでね。でも、俺でも分かるよ。
大家* これってソ連崩壊のキッカケに なったチェルノブイユ原発事故に匹敵
 する大事件? 独裁を目指すロシア、中国、アメリカにとって、根こそぎ、その
 可否を問われ、体制批判にもなるしね。
熊: オリンピック開催って可能なの? 
八: 誰もアベノミックスの良否を言わなくなったけで。このオリンピックが
 隠れ蓑になっていたね。私は、元もと絶対反対だったけどね。
大家: リスクが大きすぎるし、出来っこないよ。
八:  現状は、こういうことでしょ! 
   対応する手立てな今のところなし!
   外来に来る前に電話連絡をして、どうすべきか、問い合わせてください。
   まずは、人混みの中に行かないこと! 手を徹底して洗うこと。
   これからは、過って経験したことがない異常事態が日常になる。
 これじゃ、サービス業など三次、四次産業が壊滅的だげきになるね。
熊: 宵越しの金を持たねえって、生きてきたけど、弱いね~、こうなると。
 直に、その波を食らうのは、俺たち弱者だもんね。
大家: こんなニュースが、堂々と出回るんだから… 健全といえば健全だが、
 やはり、問題はあるね。
寅: あれだけミサイルで脅しをかけていた北朝鮮も、ドローンによる… 
 ミサイルより、はるかに、こっちの方が恐ろしい。
大家: そこで止めておいた方がいい! 
八: こういう映画、多く見てきたのを思いだした。 汚染された町もろ共、
 ミサイル攻撃で消滅させようとする云々とか、大都会の川上から猛毒の細菌を
 噴霧しよとする云々とか… 
熊: 22世紀が来る以前に、人類滅亡という論があると聞いたことがあるけど…
大家: 年寄り、病弱にとって、間引きに丁度良いって、私に聞えよがしに言って
 のがいたけど。私や、八さんなどは、ピンコロで悪くはないがね。
寅: としても、春節の直前に、武漢という交通要所で、死者 確率が低いが、
 感染率が異常に高い、この特質… 
大家: 今年は、3人以上の会合には出ない方がいい! 
八: これじゃあ、外食もオチオチしていられない。後は、スポーツジムを
 続けるかどうか。シネマ館には手袋と、マスク着用で… 無防備でピンコロも
 理想的になるが… この死際も肺炎なるが故に、キツイらしい! 
 やれる防御をして、ダメなら、これまた丁度良い按配? 

・・・・・・
6551,読書日記 ~すべての悩みは対人関係 ~2
2019年02月20日(水)
        『アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』小倉広・著
   
 アドラーは読めば読むほど、その奥行きの深さに驚かされる。
前向きで明るい健康的であるのが特徴。『日々是好日』こそ人生と…
その業績が多大で無料の採石場のように盗用されている割に、誰もが、それを
隠す。シンプルで当り前のことばかり。 そのあたりま」こそが真実であり、
答えである。それは現代の個人主義の背骨のようであり、何時の間にか我々の
根幹に沈殿している。
≪  ☆ すべてはアナタが決めたこと
・重要なことは人が何を持っているかではなく、与えられたものをどう使い
 こなすかである。」
・人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
 人生は、きわめてシンプルである。
・たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し、
 余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。
・遺伝や育った環境は単なる『材料』でしかない。その材料を使って、
 住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい。
・人は過去に縛られているのでない。あなたの描く未来があなたを規定して
 いるのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならない。
・敗北を避けるために、時に人は病気になる。
 そう言い訳をして安全地帯に逃げ込み、ラクをするのだ。
・「やる気がなくなった」のではない。
 「やる気をなくす」という決断を自分でしただけ。
 「変われない」のではない。
 「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。
・遺伝もトラウマもあなたを支配していない。どんな過去であれ、
 未来は「今ここにいるあなた」が作るのだ。 ≫
 ―
▼ バナナ(内側が白で、皮が黄色)を標榜しているため、個人主義
 傾向が強いこともあり、どれも当り前のことばかり。立上げ屋(創業)を
目指した人生なるが故に、既存システム、常識の破壊から入る。そのため、
ことの本質をシンプル、スペシャル、スタンダードにして、集中して対象に
取組むしかない。行動の『行』は、仏教用語。判断、決断の意味がある。
決断したら、手持ちの自己能力を設定をして足りない材料を集めなくては
ならない。要するに「夢ツリー」の作成である。5w1Hで、ツリーを装飾で
満たしていく。カレーを作ろうとしたら、冷蔵庫の材料を調べて足りない
材料を買い出しにいくのと同じ。「カレーライスを食べたい、つくろうか!」
は「その人が決めたこと」。 外は、大嵐なら、翌日にすればよい。
 
 ★ 偶然、以下の3年前の内容が、この内容に丁度よく対応している。

・・・・・・
5454,閑話小題 ~逃げるから怖ろしいのだ
2016年02月20日(土)
『 悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなる。
  怖いから逃げるのではない。逃げるから怖くなるのだ。』
と、100年ほど前に、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズと、
オランダの心理学者カール・ランゲが提唱した、ジェームズ=ランゲ説で、
「身体反応は情動経験に先立つものだと」言う見解で、骨格筋や内臓の
変化が情動を引き起こすと考えた。
 <悲しいは「感情」で、泣くは「情動の表出(身体反応)」>
情動反応(身体反応)が先立って→感情(情動:感情の感知)をうむ。
 事業清算の直後、身の置き所がなくて、弁護士に、『気分を切り換える
ため、東京でも一週間位、行きたいが・・』と切出したところ、即座に、
『絶対に後ろを向いたら駄目です。ジッとして問題を見据える今が一番肝心
な時です!』と。何度か起業を経験し、難問を乗越えてきた経験から、その
意味が直ぐに理解できた。 その時々の難問に、『正 中心 一点 無』を、
唱え、ただ無心に一つずつ正論(正道)を考えてこなしてきた。だから、
『 悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなる。怖いから 逃げる
 のではない。逃げるから怖くなるのだ。』は、実感として理解できた。
『うまくいったから、幸せになるのでなく、幸せだからこそ、良いことが
集まってくる』の道理もある。他者の実情は知らないが、私には三桁の
至高体験がある。事業の立上げの直後や、秘境ツアー先で出会った
大自然との邂逅や、名画を観て感動したとか、上げればきりがない。
それらは、みずからが、足を運んで求めたからこそ味わえた感動である。
 昔から、信じられないほど多くの、おっとり型の長女系美人と出会った。
末っ子のためか、何故か気があう? ただ、それだけだが、いつも、情動なく
終わってしまうが、後悔が全くないのも、変といえば変。私には感情反応と
情動反応の線上が一番面白いところ。女性はその境に敏感、その辺りは
気ままな4人の姉の観察から学び過ぎるほど? で、最後は(。_ _)シュン 
学生時代、「人に好かれたいと思ったら、先に好きになること。」と
教わった。好かれるのは難しいが、好きになるのは御手のものと・・
 で、 ~また丁度よく以下につづく(一昨年も) ゥゎ━。゚(゚´Д`*゚)
字をとったGNP営業の典型。
 バブル崩壊後に、その営業職員の膨大の経費を維持するため、収益の高い
死亡保険を大型にした保険会社に有利な、複雑化した、顧客無視の営業をする
ようになった。 その頃、保険会社は、それまでの顧客にとって有利の商品を
解約させ、セールスを使い利回りの悪い商品に切り替えさせていった。
その辺(01~05年)から保険会社は悪質な営業説明で本来加入できない
病歴のある顧客に加入させ、その後、契約不備を理由に保険金拒否をして社会的
大問題になった。 何と37社で130万件に至ったという。
 早くいえば、セールスレディーというオバサンを集めて、GNPで、
その人脈を食い尽くす。それは巧妙なテクニック、何も知らない素人を、
ほぼ騙しで契約をさせる悪質集団という側面を持つ。フレンドリーに長年
かけ知人・親戚に入り込む。合理的の欧米人の二倍の加入率は、組織的意図
がないと無理。 生保で、まともなのは学資保険ぐらいのもの。
22歳まで死んだときに子供の学資を保証するのは、一応、理に合っている。 
それ以外の商品の多くは、客単価を上げるための巧妙な商品。読みも理解も
できない契約書に巧妙に生保にとって有利な条文が入れてある。 
見方によれば合法的組織犯罪に近い集団。それなら預金の方が良いが、
相手はフレンドリーのプロ。その辺の理屈が理解できない人たちの不安に
付け込むのが営業センス。

・・・・・・
6187,閑話小題 ~恋と愛の違い -3
2018年02月20日(火)
   * 『男はつらいよ』~寅の恋愛談義
男はつらいよ』のシリーズ48作全てをみてきた。それに加えTVの放映で、
それぞれ2~3回はみている。マニアックほどでもないが、同年代からしたら
多いはず。アウトサイダーの生き方に同調するが、何か許されてしまう甘えも
自分をみているようである。
  ~ネット検索で調べると、
《 テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子
 に故郷の葛飾柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。
 毎回、旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして
 成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。
 主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることがある。》
《 松竹によって1969年(昭和44年)から1995年(平成7年)までに全48作が、
 1997年(平成9年)に特別編1本が製作された。渥美の死去により、1995年に
 公開された第48作『寅次郎紅の花』をもって幕を閉じた。 》
《 参道の中ほどに一軒のだんご屋がある。「とらや」を名乗っている。
 当初は「柴又屋」といった。のれん、売り台、立看板などを持ち込んで店の
 中から表の参道向きのカットを撮った。年に二回も撮影があるんだからと
 気安く、大きく重い売り台を小道具係が置いてきた。店でも便利なので
 そのまま使っていた。売り台の正面に「とらや」と出ているので、通りすがり
 の参詣客が「あら、ここが映画の『とらや』よ」。そこで、店では、だんごの
 売り台を中央に据え、屋根看板も「柴又屋」から「とらや」に変えてしまった。
 宣伝部が抗議を申し入れたが、店側は柳に風。とうとう我々が我慢できず、
 次の作品から「とらや」から「くるまや」に屋号を変えた。》

――
大家: 八つぁんが、<寅のマドンナ役への想いが「恋」の典型だ>という
  言説が単純明快で解りやすいんで、改めて話を聞かせて貰うよ。 、
八つぁん: 前回、ふと思いついたが、言われてみりゃあ、いい着眼点だね。
  思春期そのままの寅さんのマドンナへの憧れが「恋」。「トラ屋」の親族
  の面々の互いの思いやりが「愛」で、その織りなす絵柄が物語とね。
大家: よくよく見ていると、物語の奥には仏教思想が流れている。
  『空即是色』だよ。俗世の欲やシガラミから解き放されて自由気ままに
  旅する姿に、男のロマンの物語。 私の好きな寅さんの口上に、
 【"ああ生まれてきて良かった、そう思うことが何べんかあるだろう。
   そのために生きてんじゃねえか。" 】がある。
八つぁん: 高度成長時代で地方から都会に移り住み、日常に忙殺され、ふと
  田舎の家族を懐かしむ人たちへの温もりを提供した映画。 私が大学を
  卒業をして6~7年、地方都市(四日市、神戸、千葉、金沢)を転々として
  いた時に、上映すると、必ず見に行っていた映画。 思い出深いのが、
  卒業の翌年、四日市で、みた第3作 (昭和45年1月) …
 <オジちゃん、おばさん夫婦が、三重県湯の山温泉へ旅行に行くと、なんと
  旅館で寅さんが番頭をしていた。旅館の美人女将・志津(新珠三千代)に
  一目惚れして、居着いてしまったという物語。>
  湯の山温泉は、寄宿していた四日市近郊もあり、生々しい感覚があった。
大家: 御前さんも、色いろあったんだ。
八つぁん: キツカッタ時節だった。よく潰れなかったのが不思議なくらい。
  でもさ、20,30歳代は、誰も多かれ少なかれ一杯いっぱいだろう。その頃、
  寅さんと自分の不安定な日々が重ねってね。涙して見ていましたよ。
  一番辛い時こそ、一番、良いことが足下に埋まっていたね。とにかく、
  自分で事業のネタを探し、独りで、コツコツ固めていくのは、それは大変。
  事業構想の絵図を何も手掛かりも曖昧の中で模索するのは、簡単ではない。
  「マドンナ」への思いを横にスライドして、「事業構想」を求めるのはね。
  朧げな絵柄をイメージし、構想するし、単独で実践する行為は、孤独業
  そのもの。五円玉の真中に穴が開いている。その、ど真中の穴を凝視して、
  その先に何やしらのヒントを探す日々。そこに得体のしれないエネルギが
  沸き起こる。
寅: 面白そうだね。初めて聞く話だよ。
八つぁん: 自然と出てきた例えだよ。「正・中心・一点・無」を5円玉に
  見たのだろう。真中の穴は、円玉があればこそ存在する空間である。
  その空白こそ、エネルギーの元になるんだ? 
寅: 何か分かるんだ、それ。棒だけ望んで、ハリだけ叶うだね。
大家: 話が、逸れたね。
八つぁん: 恋と愛の違いだろう。「恋は妄想に始まり、実行で実を結び、愛と
  なる」で、逸れてもいないよ。で、フーテンの寅が何か言わせろという…
                         ~つづく
・・・・・・
4725,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー1
2014年02月20日(木)
  * 王様の代わりに貨幣が君臨するのが近代資本主義?   
         ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
事業の結果が、この有様だったが、何かさばさばして心身とも空を浮いた
ようで、「ほどほどで、後継者に引継ぐより、これがベスト?の感覚は、
何だろう?」と考えていたが、そのヒントが、この本にあった。 
森林でこそ事業経営も面白いが、そこを出てしまえば、充実していたか
の満足感の違いだけ。問題は、その後の準備をしていたかどうか。 
ライフワークがあったかどうか。 脱コード化の次への準備こそが、必要
だったことになる。王様の支配から資本支配にかわった体制が近代資本主義
であり、金の力が、国も、個人の価値基準になっている。しかし、この近代
資本主義も、一部に力が集中する弊害があって矛盾が出始めてきた。 
  ーその辺りを抜粋ー
《 ドォルーズとガタリは、人間の欲動が制御され、文化が形成されていく
  過程を次のように発展段階的に説明する。
 �コード化(原始共同体)=個個人の平面的ぶつかり合いで秩序形成が出来る
 �超コード化(古代専制国家)  =王様が秩序形成
 �脱コード化(近代資本制)   =王様に代わり貨幣が君臨する
・「コード化」とは、拡散する人間の欲動を一定方向に導くこと、つまり
 「秩序形成」と考えればいいでしょう。『構造と力』では、「コード化」
 から「超コード化」までの過程が描き出されています。
・「個人対個人」を原点とする平面的なぶつかり合いによって「秩序形成」
  (コード化)が進行し、やがて王を頂点とする「垂直的な秩序形成」
  (超コード化)に発展するという流れです。
・「超コード化」に続く流れとして、いままさにわれわれが生きている
 「近代資本制」(脱コード化)社会の構造と、それを乗り越えた先にある、
 新たな世界の姿を描き出そうとしています。そしてこの部分が、
 「現代人が幸福になれない理由」と、その突破口を示しているのです。
・「超コード化」(古代専制国家)された社会では、王を頂点とする秩序に
 よって社会の安定が保たれます。この「安定化の仕組み」こそが、
 ドゥルーズガタリらの構造主義者が説く「構造」にほかなりません。

   ~文字数の関係Dカット 2020年02月20日

閑話小題 ~裸の王様

   * 裸の王様の政府筋
 島根県知事の突然の表明に、波紋が広がっている。 国民の大部分は、
このオリンピックの開催は無理と思っているが、誰もが言い出せずにいる。
そこに、この県知事の発言。蜂の人刺しで、週末のトークショーに持込まれた。
橋本のオリンピック委員長就任の決定も、吹きとんでしまった。 要するに、
保守本流が何とか東京開催に持ち込み、利権を漁ったあと始末が、中止、延期に
繋がっていく。誰が、マイナスの決定の糸口を言いだすか。 まず一段が、
森元首相の失言の揚げ足取りをし、二段が、橋本女子を挿げ替え。 第三段が、
島根県知事の蜂の一突き。二月も、あと数日まで迫って、急を要してきた。
 このパンデミックは、第三次世界大戦にもつながる大いなる物語の一環。
阿部元首相も罪なことをしやはる。

≪■ 丸山知事「再び感染拡大のリスクが高まる」
< 島根県の丸山知事は「島根県内の東京オリンピック聖火リレーにつきまして、
現在、存在する問題点の解消がされない場合には中止をして頂きたい」と、
聖火リレーの中止”という驚きの言葉を口にしました。
 丸山知事は、「東京都は感染拡大を非常に招きやすく、第3波において、
保健所の機能の一部停止した地域であります。東京都の感染に対する対応能力で、
東京オリンピックを開催することが可能なのか」と話します。
 丸山知事は「感染拡大を抑えることができていない東京でオリンピックを開催
すれば、再び感染拡大のリスクが高まる」と指摘します。さらに、「緊急事態宣言
が出ていない地域でも、飲食店は厳しい状態だ」として、現状のままならば、
東京オリンピックの開催を中止するよう求めている。≫
 ―
▼ 気の毒だが、このツケは若い世代にまわってくる。怒りを超え諦める
 しかない。としても、歴代の保守本流は酷すぎる!

・・・・・・
6915,閑話小題 ~新型コロナの現状と、行方は? -2
2020年02月19日(水)
   * ことは深刻 ~問題は伝染力が非常に強いこと
 この新型コロナ騒ぎで、‘ウィルステロ?…’ と頭をかすめるが、口には
出せない言葉。ところが、先日、ネット上で幾つかの記事が堂々と載っていた。
某国?の可能性が尤もらしいが、これも… 
 ところで、東京オリンピック開催可否の問題以前に、春の大相撲、プロ野球
甲子園野球、サッカーなどの開催の可否の問題が次々と出てくる。 死亡率は
3%と低いが、伝染力が非常に強い特性が問題。それと特効薬が無いこともある。
 中国、米国、朝鮮、日本のトップにとって、理想的に終焉すれば、これほど
の神風はないが、これは、まだ『始まりの始まり』 情報をおさえ込めば問題に
なるし、庶民の手には絶大な機能の情報端末が握られ、YouTubeなどで生々しく
発信される。以前のパンデミック騒ぎと違うところが、この情報パンデミック? 
絶大な独裁の弱点が、モロに露呈された。としても、こんな記事が堂々と発表
されているだけ、まだ健全? ですか。第一線の経営者の心境は如何ばかりか!
 9年来の家内の口癖。『本当に止めてよかった!』 の言葉が、多くなった。
??でリゾート・ホテルを経営している級友が、この言葉にムッとして…
『止められないんだよ、家内は長期療養中で、嫁は東欧人で虎視眈々と!』
まあ、色いろある。
 ≪            幸福実現党外務局長 及川幸久
   ◆ミサイルではなくウイルスが大惨事を招く時代
 今年に入ってから世界の最大の問題は、中国発「新型コロナウイルス」です。
今回は、この新型コロナウイルス生物兵器の関係について、皆さんと一緒に
考えたいと思います。今から5年前、アメリカで有名なスピーチ番組「TED Talks」
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが次のようなスピーチをしました。
《・「私が子供の頃に、もし世界で大惨事が起きるとしたらその恐れるものの
景色というものはこういうものだ」と語り、原爆の「きのこ雲」を見せました。
しかし今、世界的な大惨事が起きるとしたら、恐れるべきものは、原爆の
きのこ雲ではなく、ウイルスである。
・「今後数十年の間に1000万人以上の人が
なくなるような大災害が起きるとしたら、それは戦争ではなく感染性の高い
ウイルスである。」 このスピーチを行った5年前、西アフリカでエボラ熱で
多くが亡くなった。今の時代に世界的な大惨事が起きるとしたらミサイルでなく、
自然発生的な伝染病か人工的な生物兵器だと指摘したのです。それから5年後
の今、中国発の新型コロナウイルスで、世界中がパニックになっています。
 ―
▼ 何はともあれ春節前のタイミングが、事の真相を雄弁に語っている? 
 それも中国の交通の要で… <北朝鮮の独裁者にとって致命的…>と 朝鮮
ウオッチャは論陣をはっている。これで核ミサイルより手軽な報復手段が衆知
されてしまった。高性能ドローンもあるため、お手軽。その防御や医療制度は
皆無となれば…。 学校も、春休に入ったところも多く、問題は表出してないが、
半年、一年間の休校か、ネット配信の自宅授業も考えられる。それだけ大きな
問題が我々を覆ってしまった。
 参考: https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20200218-00163520/

・・・・・・
6186,閑話小題 ~恋と愛の違い -2
2018年02月19日(月)
  * 熊と寅の恋愛談義
寅: おい熊や。最近、八つぁんのブログに、チャクラとか、愛・恋とか
  小難しいことを書いているが、分かるのかい。
熊: 愛なら分かるけどね。手前のカカアに感じる愛おしさだろう。俺だって
  あるよ。しかし、恋となるとね。この歳でも、美しい若い女がすれ違う時に
  ドキドキする奴だろう。俺なんぞは、常日頃、恋していることになるよ。
寅: 御前と歩いていると、俺の方がこっ恥ずかしくなるよ。
熊: 御前だって、年増が来ると、そわそわするじゃないか。桜か、梅かの
  趣味の違いだよ。
寅: 御前のような男が若い女を変な目で見つめられたら、気味悪るがるよ。
熊: カカアは、若い時分は良かったけどね。今じゃ、跡形がないけどね。
  それでも何か馴染んだら、違う良さが出てきたね。
寅: え、あんなババアのどこが良いの? いや、うちも同じようなものか。
大家: 二人とも真剣な顔をして恋愛談義ですか? 何だかんだ言うけれど、
  欧米も、日本も大昔から、歳とか身分など関係なしに最大の関心ごとさ。
熊: とすると大家さんも、まだ関心があるんだ。
大家: 勿論さ。今でも、カミさんに黙って、昔の女の墓参りに行ってるよ。
  心の中では更に艶っぽくなって生きているよ。
寅: そういえば、公園で艶っぽい変な顔をして座っているのは、想い出に
  浸っているためですか。
熊: 今度、虐めたら、御かみさん云い付けてやるよ。ったく、この色爺め。
大家: 冗談で言っただけだよ。冗談さ。でも、半分は本当さ。
  でも、いい女って、年齢に関係ないね。傍にいるだけでワクワクするね。
寅: それって分かるね。熊みたいに若いのしか興味ないのは、可愛そうだね。
   俺はね、兄弟ばかりで、女っ気がないから、母親のような大らかな年増
  に魅かれるの。
大家: 後悔、後で立たずだよ。いや、先にだった。
熊: 年増を梅に例えれば、梅の花が恋で、実が愛になるね。
寅: 熊も、いいこと言うじゃないか!
熊: 「恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの」というじゃないか。
  花が恋なら、見るだけで満足できるが、梅の実は梅干しにして食べられる。
大家: 御前も哲学的になったじゃないか。
  「恋は幻想だが、愛は動詞」ですよ。行為の結果が愛になる。
  恋の幻想から始まり、愛の行為の結果、子供が授かる。
熊: だから俺のガキは、バカでも可愛いんだ。夫婦とも幻滅しているけど、
  我家は温か家族だよ。
寅: それにしても、若くて綺麗な女がくると、目つきが変わるな。
  あっ、俺もそうかい。もうじき、梅と桜が開花するな!
大家: で、結論は、如何なの?
八つぁん: 今回の出演は無しと思っていたけどね。フッと「男はつらいよ
  の寅さんを思いだしたの。マドンナに恋焦がれて、最後は、失恋するけど、
  相手を思って身を引くだろう。恋心が、愛に至るからだよ。そこまで純粋
  で深い恋心と愛を監督は言いたいんだよ。 熊、寅には解りはしないよ。
大家: 実家の🍡団子屋の親仁が、ワシのようで、妹の旦那役が八つぁんで。、
  隣の印刷屋のタコ社長が熊。で、寅が、そのまま寅役になる。熊は若い
  マドンナ役の時の特別出演の時になるがね。
寅: あの中の「リリー」役の浅丘ルリ子が良いねえ!恋心よりも愛を感じるね。
  それと「ぼたん」という名の芸者(太地喜和子)と、大阪の美人芸者役の
  松坂慶子が絶品だったな。
熊: おれ、吉永小百合と、タコの娘が好きだね。
八つぁん: 本当に暇だね。でもマドンナ役は永遠に残るから女冥利に尽きるよ。
大家: 暇だから、自由気ままにに書けるんじゃないか。金も大事だが、時間も
  大事なんだよ。こんど暇をみて『男はつらいよ』の映画評をしましょうよ。
――
八つぁん: 二年前に、トラさんや、あんた方のような人たちが書いてあったよ!
  《豊かな貧困者》 とね! 
寅: あんた、さしずめ《豊かな時間持》じゃないですか。
大家: 問題は、その使い方だよ。使い方!生きた時間でこそ、
  豊かな時間持と言えるんですよ。 ところでワシな如何だろう?

・・・・・・
5453,人生で最も大切な技術 ー23 豊かな貧困者
2016年02月19日(金)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * ハッピープアー(豊かな貧困者)の存在
「豊かな貧困者」の言葉が意味深長。 仏教用語の「無一物中無尽蔵」の意味、
「人間は無一物が本来の姿だから 、それに徹したとき、逆に一切が無限に出現
する自在の境地が開ける」と似ている。最貧の状態が、最も豊かになることも
ある。 その具体的なケースとすれば解りやすい。 ~その辺りから
≪ 心理学者グループの研究にハッピープアー(幸福な貧困者)と呼ばれる層
 に関するテーマだが、ストレスに苛まれている富裕層が羨むような、陽気で
苦労知らずの人たちをこう呼んでいる。ディエナーによって実施された研究も
その一つ。カルカッタの路上生活者とスラム居住者を対象にした調査から、
彼らの家庭生活、友情、道徳、食事、喜びを含む各種の分野における満足度が、
大学生レベルとほとんど変わらないことが判明した。
 一方、社会的、感情的な愛着をほとんど断ち切っているサンフランシスコの
路上や保護施設生活者の場合は「非常に不幸」と答えている。社会学者たちは、
このハッピー・プア現象の説明に、以下の事実を根拠にしている。
 カルカッタ貧困層の多くは、社会的、経済的な立場が向上する希望を
まったく放棄している結果、この点で不安を感じない。しかも彼らは、食品
などの極めてささやかな物質を手に入れることで容易に満足感を得ている。
 ハッピー・プアが単純極まりない楽観論者だ、とは言い切れない。
チベット語の教材を印刷するために、デリーの貧困地区に暮らしていた
ことがある。ボロボロの三輪車の後ろに客を乗せて人力車のペダルを一日中
踏み続ける、リキシャ仲間がたくさんできた。冬の夜は、道端の空箱や
ダンボールをくべて焚き火をして集まるのが常だった。大声で会話しては、
大笑いをし、あたりを騒がせていた。中には流行歌を歌う者もいた。
焚き火が消える頃には、それぞれの三輪車の中で眠る、という日常。
彼らの生活は楽とは程遠い、非常に辛いものだろう。だが、その善良性と
無頓着こそが彼らを幸福にしているのである。ストレスを溜めこんでいるパリ
の広告代理店や証券市場の連中よりはるかに幸福だ、と考えざるを得ない。
 年老いたブータン小作人のことも忘れることができない。私のいた僧院
の若い僧院長が、新品のシャツと1000ルピーを差し出すと、小作人は、
「300ルピー(約7ドル)以上を手にしたことは一度もありません」と、
おどおどしながら話した。僧院長が「心配事はないか」と聞くと、
しばらく考え込んでこう答えたのである。
「はい、雨の季節に森を歩くとき吸いつく蛭です」
「他には何かないか」「それ以外ありません」
かの有名な樽に暮らすディオゲネスアレキサンダー大王に向かって告げた。
「王よ、私はあなたより偉大です。なぜなら、王が所有したよりはるかに多く
を捨て去ったのだから」。ブータンの小作農の単純さには、偉大な哲学者の
言葉と同じ重さがあるとは言えないだろうが、幸福と満足度が富に正比例
しないことをはっきり示している。驚いたことに、米国人の80%が幸福である、
と答えている。ただ、表面に現れている数字と現状には大きな落差がある。
物質的な状況は改善されているのに、若い世代のうつ病は、1960年代の10倍
に膨れ上がり、それが低年齢層に蔓延しつつある。40年前、うつ病に初めて
罹患する年齢は平均29歳だった。それが今日では14歳に低下。
世界の年間死亡者の2%が自殺で死亡し、戦争や殺人を上回る。米国では、
躁うつ病の患者の自殺が十代男女の死因の2位に上昇している。
スウェーデンでは、学生の自殺が1950年以降260%という驚異的上昇を記録。≫
▼ 準備を含めた45年間の事業人生を終えて、丸裸? で、現在は家内名義の
 自宅で、家内リッチで、私はプアー。しかし、何故か心はハッピ?ープアー
そのもの。だから、卑しい?目線に快感すら感じることがある。実際に、
今日明日の生活に貧する路頭に迷ったら、その余裕はないのだろうが。
デリーのリキシャの明るさの一端が、少しは解る? それが、最大の収穫。
今さら現象としてのコスプレの衣装が、汚れ、擦切れたとして、着たきり雀
のコスプレを羨ましいとは思えないし、逆に、暑苦しくない? と、書くと、
逆だろうと勘違いされるか。 これだけは経験しないと分からないこと。
 話題の川柳~ 我が家では イエスかハイの 二択制   (/へ\*)")ウゥ
で、これも偶然だが、以下の内容に丁度よく繋がっていく。 (_ _。)
・・・・・・
4357, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 -2
2013年02月19日(火)
    「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著
  * 愛情空間、友情空間、貨幣空間
 私たちは、まず家族、そして友人を第一に考える。そして職場の仲間、
定年になれば趣味仲間になる。しかし貨幣を媒体とする買い物やサービスを
受ける付合いもある。それらの空間を、愛情空間、友情空間、貨幣空間という。
家庭、職場、お店という空間である。その中で、いざとなると金である。
その魔力に、その隠された本性が現れ出る。貨幣で世の中の9割以上を
買うことが出来る実感がする。その本質は交換手段だが欲望を満たす手段。
金は自由そのもの。勤め人が我慢して働くのは、自分の自由を労働という
不自由と交換するため。しかし得た賃金は、自由そのものになる。
その交換の場を貨幣空間という絶妙な表現が良い。お金ほどグローバル価値
のものはない。空気と同じで、それが無くなれば今日の食事もままならない。 
 ーその辺りの要約すると
≪ 私たちにとって、一番大事なのは、家族や恋人などの関係である。
 これが八割ほどとみてよい。そして残りの19%が友人関係。ここには
 会社などの人間関係も含めて「政治空間」という。そして残りが貨幣関係。
 この関係は商品などを通して世界中ともつながる。中国製のユニクロ
 シャツなどは、その典型である。その関係は空間にある。
・愛情空間は2~10人ぐらいの小さな人間関係で、半径10Mぐらい。
 ところが、この小さな世界が、人生の大半を占める。人間は太古より、
 愛情空間の出来事の中で、愛情を作ってきた。人間社会は親族のネット
 ワークで構成されていて、それを最優先をしても、誰も咎めをしない。
 愛の至上主義は、生命の進化の過程で人類の遺伝子に組み込まれてきた。 
 だから、愛が無くなるなどありえない。
・友情空間は、最大でも20~30人ぐらい(普通は10人前後)、
 半径100Mほどの人間関係。政治空間まで広げても100人ぐらいでしかない。
 友情空間が大事なのも、人間が社会的動物だからだ。狩猟採集の時代、
 過酷な自然環境のなかで人類の祖先は群れをつくって身を守ってきた。
 群れから追放されることは死を意味していた。
・貨幣空間は、人間関係においては、わずかに1%だが、実際の範囲は、
 90%、いや99%を占めているといってよい。貨幣空間は、農耕と取引
 によって成立してから僅かに一万数千年しかない。ここに私たちが、貨幣空間
 に極めて少ない価値しか認めない理由がある。進化の歴史の重さによって、
 愛情や友情という人間関係に比べ、貨幣を介するつながりの重要性を正しく
 理解できないのだ。≫
▼ その貨幣価値は、一歩、愛情空間と友情空間を出ると、ほぼ全てが
 貨幣空間になる。新幹線に乗り、東京で同級会に出席してみれば分かる。
 その会も、友情空間と貨幣空間のミックス。家を出て、帰るまで、全てが
 貨幣空間になる。現実のシビアさと、家庭の温度はあまりに大きい。
 とはいえ、愛情空間と友情空間も、残酷で残忍の一面がある。
 愛憎空間というか。 ところが、これにネット空間が別に出来て、
 現実社会を覆ってきたのだから・・・  ーつづく
・・・・・・
5089,タガメ女の正体  ー�
2015年02月19日(木)
      ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体~深尾 葉子(著)
  * 魂の脱占領化
 この著書で紹介されていた、「魂の脱植民地化」とは、言いえて妙。
この随想日記で、言い続けてきたことが、たった一言で言い表している・・
終戦の半年後に生まれ、アメリカの占領下、魂まで植民地化された自分に
学生時代から気づいてはいたつもりさった?が・・ しかし、私もダカメ妻?
に絡めとられて40年、何時の間に前期高齢カエルになっていた、? いや、!
  ~ネット検索をすると、以下の内容があった!
≪「魂の植民地化」とは、自由なはずの魂の活動が、人間社会によって呪縛され、
 本来の自分を発揮できない状態のこと。国家による植民地化だけでなく、
親や学校、共同体、社会の空気・思想などが個人の魂を呪縛し植民地化する。
それによって偽装された自分によって、本来の情動や感情が、いかに抑えられ
ているかを、まず自覚しないと。≫
≪「不幸の均霑(キンテン)」という言葉は、第二次世界大戦下に、
 「不幸が平等であるべきだ」という日本国民を縛付けた恐ろしい概念。
それが69年経っていまだに、日本人の心の中に生き続ける。これを作動させて
いるのは個人個人の『蓋』と『箱』という人間の魂と言動を分断する装置だ。
『意図的に自らの言説空間にとって都合の悪いことを「認識しないことにする」
ことで、場の論理を維持する。』「和を以て貴しとなす」と云われるように
日本人独特の価値観がこれに拍車をかける。社会に対し不平不満や誹謗中傷
をぶつける前に、自らの感情の源泉はどこにあるのか考えることが
「不幸の均霑」という呪縛から抜け出す唯一の方法に思う。 ≫
▼ 諸悪の根源である『世間』という幻想。それに縛られた状況が作り上る
 窒息状態が人間を小さな岩穴に閉じ込め、歪んだ結果、病になる。その箍を
極力、意識し、そぎ落としてきたつもりだったが・・ それは具体的にいうと、
世間という妄想。この力が働くのは誹謗中傷で現れる。 これこそ、不幸な
人たち、何も出来ない魂の膿である。彼らの情報は、世間的価値の妄想で
作り上げた「裁き」という誹謗中傷。それが対象だけでなく、自分を毒殺
していることが自覚できない。これが世間の「魂の占領化」である。
毒殺された植民地現人が、ゾンビ化し彷徨って、不幸の均霑をしているのが、
娑婆。だから、自分の周りに柵を巡らし、ひと時でも宙遊の時を持たなければ
ならない。その為、教養(魂の脱占領化)が必要となる。

閑話小題 ~75歳ですか~

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    * 年を重ねる度に感じることは
 腰痛もあり、後期高齢者になった感慨を味わっている余裕がなかった。
その数ヶ月前から腰痛が始まり、何とも辛い日々が始まっていた。これが、
独り暮らしと考えたら背筋が凍りつくのだろう。 なる程、高齢者用の施設が
存在そるのは解る。神様同様、在らねばならない機能である。そろそろ本気に
なって考えねばならない時節ということか。義兄の一人が施設に入居したとか。
それには先立つ諸費用が必要になる。地獄の沙汰も金次第とは、正にこのこと!
 ――
    * 免許証の書換も事なきをえて…
 心配していた普通自動車の免許証の書換も無事に終え、すこし、気持ちが
落ち着いてきた。‘人生こそ、大事業’と身に沁みて思う日々になった。
YouTubeの自由投稿動画の御蔭で、この年齢で知る世界の隅ずみの光景。
何とも、儚く、かつ味わいを感じる。世界は驚きに満ちていることが多い。
その大部分を知らないで、人生を終える。
 人生の終番にはパンデミックという天地がヒックリかえる現象も… 
それも一年間で、これ程まで世界が変わってしまった。ある意味、人災とも
言えなくもないが…
 4年前にアメリカが、白人第一主義者のトランプを大統領に選出され、
これが「縁」として、「因」としての、細菌の攻撃を許す起因になった。
中国の初動のミスもあるが、その功罪はあまりに大きい。

・・・・・・
6914,映画観賞 ~『京町ロワイヤル』
2020年02月18日(火)
   * 贋作づくり
 戦前までの実家の商売が骨董店だった。 終戦後から衣料量販店に鞍替え後は、
骨董収集を趣味にしていたため、幼児の頃から父親に連れられ、昔・仲の骨董店に、
茶道具や仏像などを見せられながら育った。 本物を見続けると、贋物の真偽の
見極めが培われるのは確かだが、それでも、御宝鑑定で、時どき外れる。
 骨董の世界は、「贋物を掴まされる方が悪い」というのが罷り通る世界。
そこに贋作づくりの土壌が出てくる。面白そうなのがないので、これを見ること
にしたが、やはり素人向け!だが面白かった。     評価:80点
   
  =サイトの内容紹介より=
【◉ 犯罪映画の中でも軽めのケイパー・フィルム、また巧みな話術や贋物を使い
 金品を騙し取るコンゲームものは、欧米で根強い人気を保つサブジャンルだが、
日本ではさほどコンスタントに作られているわけではない。 
 今回で2作目の「嘘八百」シリーズは、そうした洋画のサブジャンルの型を借り
つつも、茶器を中心とする骨董趣味を加え、鼠小僧に代表される義賊の伝統も
受け継ぎ、日本ならではの“コンゲーム・コメディ”を確立しつつある。
 ◉「スティング」や「オーシャンズ」シリーズなどの賊たちはたいてい伊達者
で洗練されているのに対し、中井貴一佐々木蔵之介の垢抜けない、やぼったい
 感じが邦画の喜劇に似合い、親近感がわく。1作目の成功を受けてか広末涼子
筆頭に新顔の俳優陣も多彩に。主役2人と広末の恋のさや当てで娯楽色が増した。
居酒屋「土竜」に集う贋作師3人組(坂田利夫、木下ほうか、宇野祥平)が 
今回もいい味を添えている。】
 ―
【 ◉ 茶番劇: 前回もだけど、今回も何もかもが中途半端に終わり、
 悪人達の悪事を白日の下にさらす事に至らず、結局茶番劇でしたね。
中井・佐々木達が悪人達の悪事を暴くテレビの生放送も実際のところ、
お茶の間に届けていないんでしょう。せっかくいいキャストが一堂に会し、
ベストを尽くして頑張ったのに、いろいろ残念】

 ―
▼ 海外ツアーに参加すると、主要都市では、美術館、考古博物館がコースの
 入っている。これも回数を重ねると、何時の間にか目が肥えてくる。
欧米は、国家や財閥系の資産家は、御宝を惜しみなく積極的に公開する。 
国宝モノは、人類の遺産という概念が刷り込まれていることもある。
それらを見続けていると、贋作や、二流品が、直感的に解ること。としても、
一流の作り手の模写は、当人の味が加わり、それなりの作品になる。
一流画家は、まずは模写から、その基礎能力を築いていく。趣向にも買取り、
それを楽しむタイプと、見るだけで充分の人がいる。としても、贋作づくりの
世界も深いようだ。一番、恐ろしいのは素人の自信。相手は手練手管。
ドッコイショと持上げて、次はヒネリ倒してくる。

・・・・・・
6549,読書日記 ~すべての悩みは対人関係
2019年02月18日(月)
        『アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』小倉広・著
   * 一つ皮剥きゃホンダラホイホイ!
 またまたアドラーである。19・20世紀が、フロイトユングが潮流なら、
21世紀の混沌とした時代はアドラーである。これまでアドラーについて幾つか
書いてきた。彼は、フロイトユングに並ぶ心理学者で、<過去に縛られること
なく、未来を変えることができる>の未来志向がベースにある。
  ~ 面白い個所を抜粋すると
≪ アドラーは、言いました。
<たった一人で住んでいる世捨て人のような人さえも、実は他人の目を気にする>
ある村に世俗的な欲望を捨てた仙人のような人がいた。彼は村に住むことを拒否。
山の中に掘っ建て小屋を造って自給自足で住んでいた。村人と交流することに
意味を感じなかった。
 ある日、その村が大火事になり、村は荒れ果て、人々はその土地を捨てて、
他の土地に移住することになり、大移住をしたのです。すると驚いたことに、
その仙人のような男までもが移住して、新しい村を見渡せる新たな山に引越した。
実は世捨て人のような人は、人間関係を捨てたのではなく、「世俗の欲望」を
捨てた仙人のように『清らか』で『優れた』であると村人から思われたかった
だけだった。「観客」がいない場所で生きることに堪えられないかったのです。
『最近ウツっぽい』『忙しくて休みが取れない』など、内面の悩みに思え
言葉も、すべて対人関係の問題に起因している。
――
・人間であるということは、劣等感を持つということ
           ・・・劣等感と優越性追求について
・「強く見せる」努力をするな。「強くなる」努力をせよ
           ・・・優越コンプレックスについて
・「弱さ」を武器にしても人生は変わらない
           ・・・劣等コンプレックスについて
・勇気がない人は「特別」であろうとする。
 勇気がある人は「普通」であろうとする
           ・・・勇気について
・あらゆる過ちは「共同体感覚の欠如」に起因する
           ・・・共同体感覚について
・激しい感情を使う人は強い劣等感がある
           ・・・感情について
・あなたには貢献する能力があり価値がある
           ・・・勇気づけについて
・ひとつのことができれば他のこともできる
           ・・・自己変革について   ≫
――
▼ アドラーについての読書録を書いていた筈とHP内検索をかけると、
あるある。真面目に、真剣に取上げている。暗く、混沌の時代であればこそ
未来志向のベースが必要になる。すべての悩みは
対人関係にあり、それは3つの課題にありと… 
 1つ目が「仕事の課題」
 2つ目が「交友の課題」
 3つ目が「愛の課題」
フランクル心理学の3つ価値に似ている。
 1つ目が、「創造価値」
 2つ目が、「体験価値」
 3つ目が、「態度価値」 
<良く働き、良く遊び、良く学ぶ> の3つの切口。
 フランクも、少しアドラーをパクった? 
より納得できるのは、フランクだが… 

――――
2018/11/14
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ -3                
             <「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * 「価値低減傾向」と虐め
 本書で、虚栄心に満ちた人に見られる「価値低減傾向」について取上げている。
誰でも持っている内幕情報など覗き込み願望も、これ。‘子ぎつね’‘腹グロ’
と敬遠され、その場の空気が汚れる為、名前を出すことすらしない。自分に甘く、
他人に厳しくが、もっとも端的に現れるから始末が悪い。特に、これを営業ネタ
と活用をしているコテコテの小悪党。その毒は、対象の人間を自殺に追いやる程、
効果がある。当人が、どれ程、怨まれているか、全く気づかない。
人は短所の特徴で他人を呼ぶ傾向がある。 子供の頃から『アダナ』など、
自然と「価値低減傾向」をしているのである。
  ~この言葉をネット辞書で検索すると
≪ 優越感を持とうとするあまり、他人の価値を貶める発言や行為をする… 
 …いわゆるマウンティング。相手をケナすことで自分の価値を上げようとする
ものの、実際には相手をケナしたところでその人本人の価値が上がるわけでない。
ところが本人はそのことに気づいていないため、必死にそれを繰り返す。
優越感を持ちたい人は、家族や知人間で価値ある人間だと思われたい。
そして自分に価値が無ければ家族や仲間が離れてしまう恐怖を抱えている。
そのため家族や仲間が離れていかないよう、自分にそれだけの価値があると
思わせたい。しかし自分にそれほどの価値があると証明できないなら、家族や
仲間の価値を下げればいい…というNot-Self(自分らしくない状態)に陥る。≫
 ―
▼ 娑婆には、このコテコテの小キツネが面白いほど存在する。
 他人の不幸は蜜の味と、蜜を振りまいている輩たち。
『メシウマ』=「他人の不幸で今日も飯がうまい!」。
『メシマズ』=「人の不幸でメシが不味い!」と、粗探しを酒のツマミにする。
それが、「生きづらさを自ら生産していることに自ら気づかない。
アドラーは、この性を「価値低減傾向」と名づけ戒める。 
 ところで、私たち、これを自分の過去に対してしるのでは? 
青少年期頃の若気の至りのフラッシュからウジウジして… 酷いのになると、
痴呆症の悪例として、身近な人に、遥か昔の脚色をつけた窃盗などの妄想を
ぶつける。「価値低減傾向』より性質が悪い話を聞く。日本社会の特徴の一つ
に「同調圧力」の強さと「自尊意識の低さ」がある。自尊心が無いため、他者に
対する異質を取上げ、攻撃にまわる。その人のそれは、歪んだ自虐でもある。
 
――――
2018/11/12
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ -2 感動を使う!             
             <「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * アリストテレスの「原因論
       ~「質料因」「形相因」と、「起動因」
 社会や、物事の原因を簡明の読み解くに、解りやすい事例である。
≪ アリストテレスは、彫刻を例に原因を、次の4つに分類している。
・まず、青銅、大理石、粘土などがなければ兆候は出来ない。この場合、
 これらは、彫刻の「質料因」(何からできているか)である。
・次に、「形相因」(何であるか)。彫刻が何を現しているかということ。
 彫刻家は像を刻むに時に、何をつくろうかというイメージを持っている。
・原因の三つめは「起動因」(動がそこから始まる始現)である。
 父親が子供の始原であるように、彫刻家が彫刻の起動因である。
・さらにアリストテレスは、これらの他に、「目的因」(何のために成立
 したか)を考える。彫刻家が、彫刻を望まない限り、彫刻は存在しない。≫
 ―
   * アドラーの「原因」論
 ~ 感情も脳も、感動さえ使う、極意とは ~
≪ アドラーも、行動について「なぜ」と問う時、「原因」という言葉を使う。
アドラーは「なぜ」という問いによって、行動の「目的」を答えとして期待して
いる。「どこから」でなく、「どこへ」を問うのである。アドラーの「原因」は、
プラトンアリストテレスのいう4つの原因のうちの「目的因」である。…
アドラーは、他の原因は目的に従属していると考えた。
  ―使用の心理学―
 …またアドラー心理学は「所有(何が与えられているか)の心理学」でなく、
「所有(与えられたものをどう使うか)の心理学」である。人が置かれている
状況がそのまま人のありかたを決定するのではない。
『大切なのは、何が与えられているかでなく、与えられたものを如何使うか』
 … アドラーは、アリストテレス原因論にプラスして「目的」を加えた。
目的論とは、「善」を目指し、それを目的にしているという観点から行動や
症状などを理解することである。 脳を例えると、私と脳は別物であり、私が
脳を使うのであって、脳が私を使うのではない。脳は大事ではあるが、人が行動
する時、それによって目標を決める起源ではなく、脳が心を支配するわけでない。
【善を実現する目的のため、脳を使う。】のである。
  ―感情を使う―
感情もまた、我々を支配するのではなく、感情をある目的のため使うのである。
感情は意志の力によって左右する。交通事故で車をぶつけられた時に、男は
美人と意地悪そうな相手では全く対応が違ってくる。感情なぞ使い方で如何様に
良くも悪くもなる。ヒトラーは大衆煽動に怒りの力を利用した。怒りは、隠れた
エネルギーとして直接的になる。

▼「感情を使う」の論を考えていると、「感動をつかう」の言葉が類推された。
秘・異郷ツアーの旅先で、何度も何度も感動体験をする。その結果、脳に蓄積
された精神面でのデ・トックス(体内に溜まった有害な毒物を排出させること)
で、心というより、魂の解放を実感する。「感動を使う」こと、そのものになる。
早朝の一時間のミニ・チャリも、小さな感動の旅になる。目的は、デ・トックス
の「善」の自己実現。このブログの書き込みも一種のデ・トックスになっている。

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2018/11/07
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ               
          「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
 * 今でもバカやってんだ!
  人生を10年スパンで振返りってみて、
・10歳までは明るい性格だったが、
・小5の頃からの十代は母親が重度の欝病と、直ぐ上の兄や同級生からの虐めや、
 受験勉強もあって、アドラーのいう‘嘆きの谷’暗い10年間に迷い込んでいた。
・20代の‘嘆きの谷’から外に向け一歩踏み出せたキッカケは、20歳の夏休みの
キリスト教倫理」の教授の夏休みの課題、【人生設計のレポートの提出】。
 まだ学生時代に馴染めず茫洋としていた私に、『将来設計、どうで生きる?』
 と、ナイフの切っ先を喉に突きつけられたようであった。 
その夏、学生寮のOBが夫婦でペアレント(管理人)をしている軽井沢の山荘で、
若い宿泊者や、ヘルパー仲間と夕食後に談笑し、様々な立ち位置や、生活環境を
話したり、聞きながら、ひと夏、自分の人生の方向を考えてみた。 いまから
考えると、最善の環境に引き付けられていた。様々な生き様が、学生仲間だけで
なく、一般社会の人たちの生の具体例の全てがヒントになっていた。
そこで得たのは、「自由に生きる!」「アイデンティティ(何もの?)」の問い。
 自由の第一歩が、「親からの自由」「血筋があればこそ、その人が存在する」。
都会生活に疲れ、癒しを求めてくる人の最初の質問は、『学生?社会人?』
『で、何処の学校、会社?』『どこの生まれで、実家は何している?』『趣味って
何?、クラブは何処に入ってるの?』が柱で、8割のレントゲン写真が出来上がる。
そこで、合せ鏡で自分の将来設計を考えた。あまりに丁度良いオープンハウスの
ような寮生活の上に、今度は、その垣根を超えた山荘で、様々な人種、それも
自由闊達な明るい未来を信じて笑っている人達。20歳は、孵化しようとする時節。
高度成長期の真只中、明るい未来が広がっていた。せっかく頂いた恵まれた立場
を活かすには、皮肉なことに両親の創業を間近で体験した修羅場の追体験の設計。
「創業を目指す」の柱が思い浮んだ。 その時、暗い神経質な性格の‘嘆きの谷’
から次の谷に踏み出した一歩であった。それぞれ人生の修羅場の時節でもある。
 その頃、母親に訪ねた、『どうして、こんなにしてまで働くの?』に、
『10人の家族が生きるに、人の何倍か稼ぐ必要があっただけ。それと、仕事の
拡大と同時に、人は成長するのよ!』 成るほどと実感した。
 家の事情で、急遽、Uターンで帰ってきた時に心に決めたのは、「嘆きの谷」
の人のこと。(当時は、この簡明な言葉を知らなかった) せっかく落とした、
重荷を、そのまま背負った、不吉な神に憑りつかれた悲観的過ぎる人たち。
他者の噂話、失敗に異常に反応し、その攻撃で無為の人生の鬱憤を晴らす。
 温暖化の影響もあり、以前ほどの積雪はないが、それでも一年の4分の1は
雪に閉ざされる。そのハンデを理由に何もしない不運を嘆く。その鬱憤たるや… 
問題は、鬱憤を他者に振り向け互いにヘドロに陥ってしまう悪循環に嵌りこむ人。 
 峠道には、‘嘆きの谷’だけでなく、‘喜びの池’もある。そこは森に覆い
隠された奥にあるため、一見、目立たない。それも、森に立ち入らない人には、
その存在に気づかない。隠れた池の近くに、「嘆きの谷」の道とは全く違う
ルートが存在する。その翌年、その道に初めて立入ってみた。 そこは
光り輝く別世界。それを哲学的に説いたのが、アドラー
‘嘆きの谷’の患者治療から、心理学を発展させたのが、フロイド、ユング。 
聞くところによると、そこにも抜け道があるそうな。ただし煉獄か地獄への小道。 
時に天国? それも、これも娑婆世界。 踊るか、踊らないか? 決めるのは、
おのれ独りで。