つれづれに

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 今朝は3時に起床。ブログを書上げた5時過ぎにポタリングに出た後に、
宮内の母方のお墓参りをして、父親が戦前に不動産を買った縁の無縁墓を参り、
実家の墓参り。帰ったのが7時過ぎ。例年のごとく、淡々とこなす。

 お盆と、年末年始は国民的レジャータイム。皆と休めば、怖くないという
お墨付きで、年単位の非日常になる。







・・・・・・
・・・・・・

5629,お金に強くなる生き方 ~③
2016年08月13日(土)
           【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * お金という幻想 
 この本は、お金に対して素人向き内容で物足りない!が、佐藤優ならと、
読み通した。そこで、私の「お金について」を、思いのまま書いてみる。
☆ 私たちは、お金という幻想で、何かを縛られている。父親が、日頃から、
「お金の恐ろしさ」について語っていた。 太平洋戦争の戦災で焼出されて、
それまでの国家体制の洗脳と、それを信じた結果、現金は無価値になり、
殆どの財産を失い、時代の激変の恐ろしさを肌身で経験していた。
 自分の身を守るためには、土地、資源株、骨董品に分散して、ヘッジする
とか、普段の生活を質素にするなどを実践するのを身近で見て育った。 
 しかし、晩年、余命一年を告げられ、それらが何の意味がないことも
身近で知ることができた。しかし、バブル期に時代と踊る必要性も直感した。
「踊るときは踊り、崩壊する時は崩壊すればよいことも?」
お金は蓄積した分そのまま、力に変わること。
その為、時間をかけて一定額の預金と、投資をしておくことも。
☆ ここで、著者は、お金に対して、「見切り」と「見極め」の必要性を説く。
 5年前に事業整理で、「見極め」と「見切り」をつけたが、これは「時代」に
対する見極めと、「事業」に対する「見極め」「見切り」であった。
☆ グローバルの時代は、国家間の垣根が低くなり、貧富の差が大きくなる。
 私たちは、この中にあって、お金の本質や、世の中のカラクリを知って
おかなければならない。「アベノミクス」のカラクリを知った上で、
判断しないと、その正体が現れ出た頃には、何らかの食い物にされている。
 大手銀行が、コマーシャルで、投資信託を勧めているが、あれは詐欺同然。
この程度のことが、分別のありそうな?人たちが引っかかってしまう。
そこで、アベノミクスで株価を上げて、景気を煽る。所詮、こんなもの。
 手を引くなら今である。体制に従うしかない「畜群」には、無理だろうが!

・・・・・・
4532, 閑話小題 ーつまらん男
2013年08月13日(火)
  * つまらん男は私(お前)じゃないか
 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」
「嫌な奴」と自覚するようになった。色いろの経緯もあって、自己否定と、
それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。老年は誰も似たか
よったり? 相手を指摘するときの人差指の下の3本は自分の方を向いている。
親指は上を指しているが、親指が天の道理で、人先指は相手の指摘、他の三本
の指が自分のこと、になる。相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。
 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、
不条理の返り矢に当たった実直な人物に、励まそうと思って使った枕詞で、
大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。
この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する
自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。「つまらない男」
は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。
その直前に横の席に実家の老舗を倒産させてしまった人が、「倒産した
現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。
この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の
一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。もう一人の息子に恨まれるし、
継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。三羽の震災クラス
の黒鳥の到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。
下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを逆に黒コマと
して考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、第三者から
みれば自己詭弁でしかない。このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味
がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 
で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前!
人生の完成じゃないか。」である。 哲学で言う「承認」の言葉。 
それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は
当人にとって大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で
十二分に自覚はしているはずだが・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた
「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐しい!
【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の
 倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、個々人の関係における道徳性の再構築)
にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、
その中心は、承認関係に置かれている。】
ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー 
  ご先祖様、歪んだ私を助けて!

閑話小題 ~今日のひと言… 引き籠りの意味

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   * 「べきオバケ」と、「べきエンジェル」
 「オタク」の原因は、両親の、「普通であるべき」「世間常識であるべき」
や、仲間内からの「差異」に対する無理解からの虐めが起因することが多い。
「子供は親に従うべき」「良い学校に入り、良い会社に入るべき」「バランス
のとれた相手と結婚すべき」等々。これで動きが取れなくなる。
人間は、自惚れがあり、自らを冷静に判断できない。これに「べきオバケ」が、
絡みつく。 しかし、それがエンジェルの役割をする要素もある。
「べきエンジェル」の外装が、「べきオバケ」であることが多い。それに気づく
のに数十年も要することが多い。 私の兄姉たちは、太平洋戦争を跨いだ青春
時代を生きていたが、そこに、大きな価値観の変容があった。その時代の大家族
が生き抜くには、父親の絶対的存在が必要であった。戦前、戦中、戦後の時代の
変遷の中で、その都度、「…であるべき」という縛りの変化は、仕方がなかった。
家族主義は、国家体制の変動の何れの時代の前提条件になっていた。上の七人の
兄、姉たちを末っ子の立場で見て、「べきオバケ」にガンジガラメで縛られた
彼らは、自分の数年先の道標であり、先行の姿が、リアルに見えていた。
それは、家風として必要だった半面、お飾りの商品とした枠が大きく、それぞれ
を縛りつけていたようだった。その鬱憤が、他者に向けられているうちは良いが… 
 20歳の頃、「創業を目指す!」と、夏休みの宿題を真面目に受け止めたレポート
を提出した。「兄・姉たちは、反発したが、私は、父親のように生きたい!」と。
これが、「べきエンジェル」への転換だった?  しかし、私にとっては、
立派な「べきオバケ」ということ?は、数羽のブラック・スワンの出現で、
アッサリと化けの皮が取れてしまった。「べきエンジェル」の縫いぐるみも、
なかなか着心地が良かった。 自分自身も魂の上に肉体という縫いぐるみを
着ている存在でしかないことを意識せざるを得ないから…。 大方の人は、
その縫いぐるみに、リタイア後に初めて気づく?。いや、それさえ気づかない?
天皇』という御職業。縫いぐるみもいいところ。国家の象徴という縫いぐるみ。
誰かが着なければならない代物。 国家の祀りごとの重要な役割になる。
 さしずめ「べきオバケ」が政府なら、皇室は「べきエンジェル」ですか。

――――
2001/12/21
[109] 偽坊主 

今の仏教界ーいや仏教業界よりましな話!
10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、
ふと哲学的になってしまった。内容というと「世話になったお寺の和尚
が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、口からデマカセの法
事で無事代役を終える役(偽坊主)を、トラが演じていたー
そのとき奇妙な感覚になった。

まず本人ーこれを1・能作がまづあり2・本人の苗字があり3・俳優の
渥美清4・寅さん5・偽坊主ーと重なりがある。
能作?が2345を演じていることにきずいたのだ。このような場面は
私も何回も経験をした事がある。

仕事も役割もこの重なり合いといってよい。
この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。
渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。
                      2001/08/15

・・・・・・
6361,閑話小題 ~つれづれに、お盆の朝
2018年08月13日(月)
  
◉ 昨日の朝、例年、恒例のとおり長岡駅近くの大手通りアーケードの、
 臨時売場の「お盆花」を買ってくる。これは早朝のポタリングの帰りに偶然
見つけた穴場? スーパーで、1000円以上はするのが、600円×4束で2400円。 
ここで買い始めて10年は経つ。さて、三か所のお寺廻りに出発だ。
 ところで、本家筋の家が昨年、「絶えた」と… 発達障害の息子が独り身で…、
5年ほど前に一度だけ法要の席で同席したことがあった。葬式の知らせがあれば
出席したのだろうが。 寺廻もあって3時半に起床して、これを書いているが、
4時45分、何故か、雨が降ってきた。直に止みそうだが… 涙雨ですか、これ。
まず仏壇に参って、ポタリングは急遽中止、寺廻りだ。このアップは、この後!

◉ お腹が少し出てきて気にしていたが、ここ数ヶ月で体重が2キロ近く増えた。
 週5日、通っていたSJ通いを週4日にして運動量を減らしたことと、暑さで、
水分を倍近く?摂取したため。早朝のポタリングは、雨の降らない限り欠かさず
続けているので、太らないと油断したこともある。また暑さで食欲低下より、
何故か食欲増加もある。 特に、モナカのアイスクリームに美味しいのが多い。
物欲、性欲、自己顕示欲などで、満たされるのは食欲のみ? それも牛丼、
カツ丼、回転寿司でお茶を無制限に飲めば、然もありなん。ここで自動的に
コントロールするのが、これまでの習慣。猛暑の一事例が、これ!

◉ 先週末、川西の牛丼屋で昼飯。1000円札を出すと、「レジに何故か札が入ら
 ないので「他の札にして貰えますか」と。その瞬間、客が一斉に偽札か?と、
注視された。新札と入替えるとスンナリと入った。その後の映画館の自動発券機
では入金することが出来た。何だろう、あれ!

・・・・・・
5264,徹底した自分主義  ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月13日(木)
               ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
    * 徹底した自分主義 
 人間の遺伝子の基本は「エゴ」である。イエスでさえ「自分を愛する
ように、隣人を愛しなさい」と。他人を愛する前に、まずは自分を愛せよと。
18歳までに、家庭や学校などから洗脳された固定観念を、壊し始めるのが、
大人への第一歩。そのためには、「徹底した自分主義」に徹しないと、あれらの
ように、同一化された従順の羊になってしまう。 まあ、何も考えずに、世間様
におさまって、何も気づかず一生を終えるのも一つだが。何故なら、その範囲し
か知りえないのだから。その外は、知らないのだから! ~その辺りから抜粋~
≪ 処世術や、倫理や道徳、これは、してはならない、人には優しく、親切に、
 等々、これをさらに細分化されて実践的なものになったのが、ノウハウとか
ハウツーというものだ。それだけではあきたらず、特定の現場でもっとも有効な
ハウツーすら出てくる。それがマニュアルだ。生き方、商売、セックスさえまで
マニュアルが用意されている。何をどうやるのか。なぜ、自分で考えて自分なり
に実行しないのか。世間の目がそんなに怖いのか。あるいは罪悪心を持つのを
恐れているのか。それとも、自分で考えることすらできないのか。
 たぶん、教えられた通りにやればうまくいくという迷信が蔓延したあげく、
真理のように信じられている? 教えられた通りに勉強しておけば、テストで
いい点数がとれる。それをくり返してきたあげく、考え方が固ってしまっている。
だから、学校の成績のよかった人はもろい。挫折すると立ち直りにくい。
 人生は固定観念を習う時間ではない。自分が生きていく時間であり、自分が
生きていく場だ。頭と行動を固定観念で染めてしまうと、自分はいなくなる。
自分の中に古い他人がたくさん詰まっているだけだ。そんな人に個性などないの
も当然だ。定年を迎えた人が「第二の人生」と称して、俳句、絵画だのエッセイ
だのを始める。誰もプロになれない。下手な俳句、下手な絵画、下手なエッセイ。
なぜ自分が下手なのか理由さえ知らない。その理由はシンプルだ。固定観念
物事にあたっているからプロになれないのだ。俳句とはこういうものだ、絵画
とはこう描くものだ、という固定観念しか頭の中にないのだから仕方がない。
 人が何かクリエイティブなことをして成功したいのなら、必ず概念、固定観念
常識といったものを超越しなければならない。名人や芸術家というのはそれを
果敢にやってきた人々のことなのだ。固定観念の再現とか人の真似事がクリエイ
ティブであるわけがない。誰もの固定観念にある何か、ではなく、自分の中に
ある何かを表現することがクリエイティブというものだ。
 多くの人が忘れがちになるが、この世に、生きていくこともクリエイティブ
なことだ。つまり、多くの人は自分を生きずに世間の人々を生きている。
だから、こういうことをすれば隣近所はどう思うだろう、親戚から白い眼で見ら
れないだろうかと危惧するのだ。自分の中に道徳も価値も基準もタブーもない。
そういった精神を支えるものすら、世間に依存する。これでは、自分を生きて
いる、といえない。したがって、この一回限りの人生を本当に生ききりたい
のなら、自分主義でいかなければならない。自分が自分のルールを決め、
自分がその責任をとるのだ。人にいわれたことをするのではなく、自分の意志と
計画で行動するのだ。そういう生き方は他人から見たら、わがままで自己中心
主義に見えるかもしれない。自由奔放で、掟破りで、アウトローに見えるかも
しれない。けれど、そういうふうにしてこそ、自分というものが掴めるのだし、
自分の能力を発揮できるものなのだ。それが他人にはわからないかもしれない。
いや、わかる人はまだ少ない。誰も理解してくれないどころか、世に認められ
ないかもしれない。しかし、いつか必ず、それが斬新なことだと認め称賛して
くれる人が現れる。でも、立ち止まってはならない。さらに自分主義で行く。
突っ走るのだ。これこそ、新しい時代を運んでくる人間の生き方なのだ。≫
▼ 20歳時に、「創業の人生」を生きると決めたと同時に、自動的に「自分主義」
 が、確定した。その一点が、価値判断になった。当時、ある人に詰られたことが
あった。「ガチガチの個人主義者!」と。純朴な当時の心の奥の決心が、それが
見える人からしたら、そのまま‘その言葉’になっていた。 今からすれば、
それはそれで良かった? それほど、創業の決心は重く暗く、圧し掛かっていた。
4年前に、それらから解放された時の、心の軽さは、想像を遥かに超えていた。
 そして現在、違った意味の人生からの解放への「自分主義」に向けて歩みだした。

・・・・・・
4899,ホントに大事なお金の話 ~4
2014年08月13日(水)
  * 金の持つ力ー魅力・魔力・暴力とは
 世の中の8割は?金の力で自由になる。だから魅力と魔力と暴力性を備えた
金を持つ人間に惹かれるのである。今の世界は資本主義社会であり、資本=金
が価値基準の元になっている。金とは、自由であり、力そのもの。金さえあれば、
世の中の8~9割が自由に出来る。逆に、金を失うと、不自由この上なくなる。
そして、裸の自分と向きあう事になる。それが、逆に効用になるのは、
皮肉といえば皮肉。 ーお金の持つ力について、以下で、ずばり指摘している!
≪ お金とは何か、を考える際のキーワードは、金の持つ「力」である。
 お金は、3つの力(魅力、魔力、暴力)を、兼ねそなえている。
1、お金は、価値がコンパクトに保存されていて、
  必要なときに必要なものと交換できる(お金の魅力)
2、お金は、人々の欲をどんどん大きくする (お金の魔力)
3、お金は、そのカで人々を操ったり傷つけたりももできる 
 (お金の暴力)≫
▼ この3つの力は、人生を生きていく上で大きな働きをする。
100万なら100万の、1億なら1億の、10億なら10億の、100億
 なら100億の力を発揮するし、それを動かすだけで世界も、視野も開ける。
・小学、中学と、高校、大学の友人を見ていると、学力だけでなく、
 家系からくる貧富格差が明らかに見て取れる。
・お金の魅力については、その交換価値にある。 世界旅行に出たければ、
旅行代理店の旅行パックを選び、金を振り込めば、世界各国に気楽に行ける。
こんな便利で、都合の良いものはないが、これを稼ぐとなると、それなりの知恵
と努力が必要になる。 剥き出しの真実の塊は、そう簡単に得ることは出来ない。
・その金には、魔力が潜んでいる。金の魅力に対し、欲が無制限に広がっていく。
それが逆に命取りにもなる。
・お金は、その力ゆえに、人を支配した上に傷つける「暴力」性が出る。
お金で何事も解決できる
という錯誤を持ってしまう。しかし、解決のための一番の力でもある。
人間の持つ自由への無限の願望の、手段そのものになる。
・お金は、知識、情報に非常に似ている。知識、情報は、自由と力をもたらす
点である。持った分、使った分、自由を得ることが可能になる。 全てが、
終わってしまえば夢幻! それを金で買えるのか?買えるのである!
だから、魅力と、魔力があり、暴力性が伴うのである。恐ろしいかな幻覚。 
で、饅頭欲しい!  で、いやに去年の同月同日の文章が微妙に響いてくる。

・・・・・・
5994,幸せの確率  -2 ~ベスト・メモリーの作り方
2017年08月13日(日)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
             アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * ベスト・メモリーの作り方
 人生も先が見えてくると、目先の快楽追及より、過ってのベスト・メモリー
の世界に舞い戻ることが楽しみになる。
 ・秘異郷を中心にした51回のツアーでの至高体験や、
 ・創業をテーマにしていた生き方も、その機会を多く得ている。
 ・節目節目の何気ない人たちとのクロスのベスト・メモリーかある。
それらを凝視すると、何れも深い闇が背景があればこそ、光を濃くしていた。
それをコンパクトにしたのが秘異郷ツアー。その場に置かれた状況からくる
ストレスが窒息しそうな闇。ツアーでの至高体験が「光輝く」のは濃厚の闇が
あればこそ。現地まで3、4日かけ飛行機、車を乗り継いで辿り着いた先の観光。
 これは人生と同じ。20,30,40,50歳代の何れの時代にも、至高体験がベスト
・メモリーとして残っている。 魂レベルの御宝である。事業を立ち上げて、
ホッとした直後に、押し寄せる喜び。また、思いもよらない大自然との邂逅。
 この積み重ねが、求心力になって、幸福感の機会を呼び寄せる。
数千までとはいわないが、数百は軽く経験してきた。
 今では4kTVで、YouTubeに行先の「ベスト・メモリー」のキーワードを
入力すると、高画質の光輝く映像が次々と出てくる。 記憶と現場感覚が、
ベスト・メモリーに新たな映像が追加され、更に魂に刻印されていく。
 その都度、印象の記録としての文章化と、写真を撮って整理をしてある
ため、余白の追加のようでもある。「アーリーリタイア」は、「第二の人生」
の前倒しであり、『空即是色』で、新たな『色』を呼寄せる吸引力になる。
 算盤の「御破算で願いまして」で、さっさと、「白紙に戻す」ことである。
切れた首輪をつけたままの犬が、行先もなく徒党を組んでいるが…
群れるのが犬の本性なら、それは幸せで自然なこと。さて、墓参りだ。

・・・・・・・ 
4157, 老後は夫婦の壁のぼり
2012年08月13日(月)            
  ーまずは、内容紹介よりー  「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著
 すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、
人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を縦軸に、今、団塊世代が直面する
「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。
 ーー
 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と
出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、マサカの坂に出会ったりするが、
老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、
のようなもの。とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。
亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。
しかし稼ぎを無くして年金暮しで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、
それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと溝は深まるばかり。 
ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に
出演した時の、鈴木清順のー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、
「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。著者は草野球を
していたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との
交流の嬉しさ、そして、試合が終わってから家へ40~50分歩いて帰ること」
と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。
≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、
腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、どなると大声が出て肺に良い。
毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から
鱗が落ちた。私の草野球健康法は海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 
 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと
大声で喧嘩もしていられない。家内とも大喧嘩は日常茶飯事だが、どうも
こうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、家に入って
からは、互いの壁のぼりが言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の
悪い人を選ぶ!」という格言がある。若いときは、自分にない部分を持っている
人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人。それが長年かけて
鬱積として蓄積されている。それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、
年金暮らしで昼も夜も一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、縦社会
に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に慣れてないため、
どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。小さな家の中での啀み合いが、
「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。
もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ?
・・・・・・
5629,お金に強くなる生き方 ~③
2016年08月13日(土)
           【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * お金という幻想 
 この本は、お金に対して素人向き内容で物足りない!が、佐藤優ならと、
読み通した。そこで、私の「お金について」を、思いのまま書いてみる。
☆ 私たちは、お金という幻想で、何かを縛られている。父親が、日頃から、
「お金の恐ろしさ」について語っていた。 太平洋戦争の戦災で焼出されて、
それまでの国家体制の洗脳と、それを信じた結果、現金は無価値になり、
殆どの財産を失い、時代の激変の恐ろしさを肌身で経験していた。
 自分の身を守るためには、土地、資源株、骨董品に分散して、ヘッジする
とか、普段の生活を質素にするなどを実践するのを身近で見て育った。 
 しかし、晩年、余命一年を告げられ、それらが何の意味がないことも
身近で知ることができた。しかし、バブル期に時代と踊る必要性も直感した。
「踊るときは踊り、崩壊する時は崩壊すればよいことも?」
お金は蓄積した分そのまま、力に変わること。
その為、時間をかけて一定額の預金と、投資をしておくことも。
☆ ここで、著者は、お金に対して、「見切り」と「見極め」の必要性を説く。
 5年前に事業整理で、「見極め」と「見切り」をつけたが、これは「時代」に
対する見極めと、「事業」に対する「見極め」「見切り」であった。
☆ グローバルの時代は、国家間の垣根が低くなり、貧富の差が大きくなる。
 私たちは、この中にあって、お金の本質や、世の中のカラクリを知って
おかなければならない。「アベノミクス」のカラクリを知った上で、
判断しないと、その正体が現れ出た頃には、何らかの食い物にされている。
 大手銀行が、コマーシャルで、投資信託を勧めているが、あれは詐欺同然。
この程度のことが、分別のありそうな?人たちが引っかかってしまう。
そこで、アベノミクスで株価を上げて、景気を煽る。所詮、こんなもの。
 手を引くなら今である。体制に従うしかない「畜群」には、無理だろうが!

・・・・・・
4532, 閑話小題 ーつまらん男
2013年08月13日(火)
  * つまらん男は私(お前)じゃないか
 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」
「嫌な奴」と自覚するようになった。色いろの経緯もあって、自己否定と、
それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。老年は誰も似たか
よったり? 相手を指摘するときの人差指の下の3本は自分の方を向いている。
親指は上を指しているが、親指が天の道理で、人先指は相手の指摘、他の三本
の指が自分のこと、になる。相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。
 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、
不条理の返り矢に当たった実直な人物に、励まそうと思って使った枕詞で、
大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。
この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する
自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。「つまらない男」
は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。
その直前に横の席に実家の老舗を倒産させてしまった人が、「倒産した
現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。
この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の
一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。もう一人の息子に恨まれるし、
継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。三羽の震災クラス
の黒鳥の到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。
下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを逆に黒コマと
して考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、第三者から
みれば自己詭弁でしかない。このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味
がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 
で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前!
人生の完成じゃないか。」である。 哲学で言う「承認」の言葉。 
それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は
当人にとって大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で
十二分に自覚はしているはずだが・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた
「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐しい!
【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の
 倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、個々人の関係における道徳性の再構築)
にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、
その中心は、承認関係に置かれている。】
ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー 
  ご先祖様、歪んだ私を助けて!

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 さて、明日はお盆。今朝は、3時過ぎに起床し、ポタリング後、
例年のように長岡駅前通りの臨時お盆花販売所で花を5束、買ってきた。
連休とはいえ、普段の生活と何ら変わりはない日々。







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4156, EUメルトダウン
2012年08月12日(日)
      「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著)
 オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、緊迫した日々になる。
この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、イスラエルによるイラン核施設への攻撃の可能性である。
ズバリ8割だろう。この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。
去年暮れに出版された本で、その後の推移は、ほぼ当たっている。しかし、その都度EUは何とか緊急融資
を決定して、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。
  ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、スペインといったいわゆる
 PIIGS諸国″に連鎖し、遂にEUの屋台骨の一つであるフランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しよう
としている。さらに、もう一つの屋台骨であるドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。
EUは、まさにメルトダウン寸前の状態にある。 ギリシャの破たんが、すぐそこまで来ている今、ユーロは
暴落し、諸外国の株価も急落している。EU発の世界経済大崩壊″第二のリーマン・ショック″は日に日に
現実味を帯びてきているのである。果たして世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。 そして、この
欧州危機は世界に伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? ‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わり
つつある今、世界経済は大変革のターニング・ポイントを迎えている。欧州危機を乗り越えるにはどんな
方策があるのか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に関わっていくべきなのか?エコノミスト
浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、マーストリヒト条約締結から現在に到るまでの
歴史的事実から、EU、そして欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫
▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから始まったが、その足並みが揃わず、
 大きな壁に突き当たったが、最後に妙案が出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、
ドイツの経済実態に自国経済のパフォーマンスに摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、失業率も、
金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」を各国がすることだった。ところが、
1990年代に入って、安定するはずのドイツが、東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、統一
ドイツ・マルクになって、価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々の
ために「連帯税」を取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、南欧の人たちの仕事に対する
甘さが、そのまま、ドイツに重く圧し掛かって、その将来に暗い影を落としてきているのが現状。
ドイツ国民も、どこまで、この重圧に耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも言い出し、勝利を収めれば、
このEUメルトダウンが大爆発を起こし消滅することにもなりかねない。その前にPIIGSの一つがデフォルト
の可能性が大である。時の権力者は自分の代での爆発は避けたいもの。それが積もり積もり、限界点に
到達したか?
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3791, スポーツジムの景色 -2
2011年08月12日(金)
 このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、
「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは
値段の安さである。昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、
日祭日を除く10時から17時)のコースが月に5980円である。私は、ほぼ皆勤で10~12時の2時間は通っている。
20日で割ると一日300円でしかない。しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、
ジム内の会員数が激減をしている。まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。
嘘のようだが、本当である。僅か4ヶ月のうちである。平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が
多いこともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。会費が二月分前払いのため、連休明けから激減
したようだ。また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。イメージからして、
農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介
キャンペインを始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇
に入る施設である。 10年前の9.11テロと、3年前の9.15-リーマンショックは、数百年に一度の文明
と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、私の事業も倒産に至った。 
その上に、1000年に一度の地震津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの
世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。
 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が
減っているかどうか聞いたところ、「元もと少ないので、減った感じはない」という。 とすると、
ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い
戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が付加されて
いるので、大方が元に戻るというのも考えにくい。 やはり大震災の影響である。それと私自身の見方が、
時が時だけに、悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設のサンライフ
いくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、
それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、景気も、そう甘いものではない。 
それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 
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3426, iPad 対 キンドル ー3
2010年08月12日(木)
    『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
  * iPadは「eBook」ではない?!
 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。
しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かって
きた。アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。
モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動した。
この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格の
モバイル小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングや
カフェなどで見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのため
iPadキンドルとは似て非なるものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさを
ソファーやチェアやベッドで寝そべって見れるところが、ポイントとなっている。我家の居間のテレビ
前の座り机の横にパソコンを置いている。その台は回転が効いて、私が使ってないときは、家内が向きを
反転させ使っている。だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。居間で時間を遊ぶ面白さがよく
分かるからである。 次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。既に多くのものが
iPhone用に開発され、世界中に普及している。それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。
そのためkindleeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」に特徴になる。またeBookに関していうと、
手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対して「雑誌」的なiPadといえる。現在iPadが月に100万台の
大ブレークの販売に、一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。これは、これまでの出版業界
だけでなく、マスコミそのものの根本からの崩壊に繋がる。紙の出版物は10年後には半減どころか、
10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。
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3051,人を殺すとはどういうことか
2009年08月12日(水)
「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、
借りてきた本である。LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。
これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人
を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。後半が刑務所の他の受刑囚
たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を
収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じ
なかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、後悔や反省の念がわき起こる
体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに起こ
した。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について
「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕
され、1件目の犯行が発覚。その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の
感情についてインタビューを試みる。そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた
人間の生々しい姿。強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な
人間が、TVのご対面番組には涙を流す。ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し
「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2686, 人生のハレとケ
2008年08月12日(火)
 以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、
ケのときもある。ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の
生活である(ケチケチ、倹約の時)。我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時
を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。
書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。そして、その日々を此処で
連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで
面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。
写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。
そのために背景のケの日々が、その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、
そのケの楽しみ方を知っている。とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。私も日々の
生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。生活を楽しむ!ということだろう。隣に人がいても
いなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、
とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって白だけだったら白色の
白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、
如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実
させるか、ハレ(外着)の他メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と
言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。
ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えば
できること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか~
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2007年08月12日(日)
2322, 政治家の家族とは・・ -3    (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪
 *銀座のママと政治家の共通点*
彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、政治家の家庭で育った環境が
大きくプラスになっている。夜の水商売は虚飾の世界である。前に書いたが、政治家も
「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。社会を選挙民という票田と捉え、人の集まりには可能な
限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。議員として相応しい
人物としての演出された顔である。夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて
集まってくる「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム
(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを
求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解って
いながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。 サカリのついた狸と、それを遊ばせる
狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?政治家も、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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2006年08月12日(土)
1957, 片づけられない女ー2            \(^▽^*)おは!
検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。
現代病の典型的な病で、これまでにもTVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。
ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす
女性について、多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格
にあるのではなく、神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。 この神経系の障害は、
ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。幼いころから兆候が現れていても、 見落とされることが多く、大人に
なるまで本人が気づかないことも少なくないという。さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の
症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、「片づけられない女」というレッテルを貼る
ことで、解決されてしまいがちだ。カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する
困難に触れながら、ADDを持ちながら充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ
女性たちにエールを送っている。
  ー内容ー
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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2005年08月12日(金)
1592, 幇間ー太鼓もち
 幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。そのため年末が子供ながら
楽しみであった。芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。といって長岡あたりでは
プロの太鼓もちはいない。近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。 通称
「八木漬物屋のオヤジ」。彼がいないと場がしらけるほど存在感があった。映画で観る幇間そのもので、
芸者の三味線に合わせて色いろな芸をしていた。それをキッカケに他の人の芸が出てくる。家族や従業員・
取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。幼稚園の頃から日本酒をコッソリ飲んだ記憶がある。
幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と同じように旦那衆におべっかを使って
機嫌をとるのが仕事である。落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している
技を持っている男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる魅力がなければならない。
そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。人間は誰でも褒められ威張りたいもの。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2004年08月12日(木)
 1227, 新潟駅前ランチ事情
新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1~2年で、横浜軒、松屋ロイヤルホストすき家
などのナショナル・チェーン店が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を
出していた。売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。7000円が相場であったが、
最近は300~500円の店が増えてきた。
(以下、字数の関係でカット 12年08月12日)
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2003年08月12日(火)
 860, プライド -1
プライドについて考えてみる。
プライドとか自負心を自分で意識する時は「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた経験をしたのは私だけで
ないだろう。新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。
常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。
 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れてくるのか考えてみる。
「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか「自分のやってきたことに誇りを持っている」
とかに表現される。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2002年08月12日(月)
 485, 「我思う故に我あり」-1
デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と
言われているビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。
「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。どこかの女子大の哲学の教授の
「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。
前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。
そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」「我 行動す 故に我あり」「我 祈る  故に我あり」
「我 感動す 故に我あり」「我 愛する 故に我あり」「我 夢みる 故に我あり」
「我 美食する 故に我あり」「我 セックスする 故に我あり」「我 読書する 故に我あり」
「我 前進する 故に我あり」「我 遊ぶ 故に我あり」「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」   幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。それが自分ともi云える。
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2001年08月12日(日)
 [106] 坂之上小学校ー同級会
昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2~3年で。
そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。

閑話小題 ~ 何と申しましょうか!

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               ~ 『堀江貴文の言葉』より 
   * 懐かしき「堀江貴文の言葉」
 バブル王子の堀江の言葉も、デフレの時節が続くと懐かしく思える。時どき
 TVのバラエティで見かけるが、前科者の暗さは全く感じさせないのはさすが。
 ~まず、その幾つかをネット上から抜粋~   註:【…】内は私の感想
「できない理由を先に考えるな」
   【入口を、間違えるとしないと、出来ないが判別できなくなる】
「皮膚感覚で嫌なものは、絶対に断れ」
「ネガティブな事を考える人は、ヒマなのだ」
「満足したら思考が止まる」
「お金から自由になるために働こう」
   【満たされないから、執着するしかない人が娑婆に満ちている…】
「仕事はみな娯楽である」 …【仕事だけじゃない】
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」
「物事を出来ない理由から考えるのか、それとも出来る理由から考えるのか」
「悩むとは物事を複雑にしていく行為。考えるとは物事をシンプルにしていく行為」
「人生を変えるのは簡単。現状に縛られず、一歩踏み出す。それだけのことなのに、
 多くの人は行動を起こそうとはしない。古い価値観に縛られ、変化することは
 危険で、現状維持が安定につながると思い込んでいる。」
   【変化の先のイメージが出来ないから困ったもの】
バンジージャンプをするのに、特別な能力など何一つ必要ない。ロープを巻いて、
 ただ飛び降りるだけだ。それなのに、恐怖で泣き出してしまう。過去のトラウマ
 だかプライドだか知らないが、せっかくのチャンスを前に尻込みするなんて…。」
  【43mと100mから飛び降りてみたが、その恐ろしいこと… 死の恐怖の仮想体験】
 ―
 Amazonの内容紹介より
古い価値観の呪縛から解き放たれ、動きまわる楽しさの様々な言葉で伝える
 既刊『堀江貴文の言葉』に、新時代の名言を70以上加えた決定版が本書。
「走る」「貫く」「生きる」「思考する」「稼ぐ」「つながる」「学ぶ」「見通す」。
堀江を象徴する8つのキーワードごとに、人生の指針となる力強い言葉を紹介。

 ――
▼ 圧倒的に面白い人生だっただろに。ホリエモン自身がyoutubeチャンネルで
 紹介していたが、2018年6月に会員数が2万人を突破したようだ。これに800円を
掛け合わすと、月に1600万。年に二億近くですか。これに印税が入るし、何とも…
その分、濃厚な嫌なこともあるのだろうが… 
  ネットで堀江貴文の会員数と検索すると…
<月額980円のホリエモンメルマガの人数はどれくらいかは分からないが、
2013年時点では15000人以上はいると…。ちなみにホリエモンの月額1万円の
オンラインサロンの会員数は2018年時点では1500人はいる>と、あった。
そりゃ、娑婆の小童は、バカばかりと、思うわけだ! 

・・・・・・
6360,読書日記 ~喜びのツボ
2018年08月12日(日)
             <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
  * 随想日記の楽しみのツボ
 「好き!」と実感できるには、1万時間、10年は要しただろうか。
それでも素直に好きと言えないところがある。毎日毎日、底の浅い自分と向き
合うのも… しかし底を見つめ直す機会になっている。出たとこ勝負のテーマと
素材探しも、全神経をはったり、緩めたの中で可能になる。書き終えて、信濃川
へ向け解放されるポタリングの早朝の霊気は心地よい。 その前に、テーマに
ついて、まず自分が「わかった」「おもしろい」の瞬間がないと、数年後の私に
伝わらない。だから、浅い理解、小さい感動としても、己の振動が必要である。
「だから何になる?」など論外。面白いから、好きだから以外の何ものもない。
その後のポタリングを含めた早朝の3時間セットの他は、「おまけ」という感覚。
(「おまけ」あればこそだが、その達成感で元をとっている。)

   ~その辺りから~
≪◉ 楠木: 常日頃見たり聞いたりするなかで自分の興味関心に引っかかったり
 する出来事や現象からロジックを思いついていくのが好きなんですね。データ
ベースとか体系的に収集したデータセットではなく、偶然出会った素材や事例が
自分の考え事のタネになり肥料になる。自分のアタマにある好き嫌いフィルター
を通じて自分の思考に入ってきた現象をじっくり考え、そこにどういうロジック
があるかを考える。これが僕の仕事の基本動作です。 ~米倉誠一郎先生との対談で、
喜びのツボの話が出ました。青島先生の喜びは源泉に近い川上にあり、米倉先生
は河口。楠木先生は中間という比喩でした。~

◉ 楠木: 学者ごとに喜びのツボは違っていて、どんな時が楽しいのか、青島君
 に聞いたことがある。そうしたら、「わかった!」という瞬間が一番楽しいと。
これは僕の推測ですが、彼にとっては「わかった!」という感動がというか、
精神の高揚さえあれば、あとは全部「おまけ」なんじゃないかと。誰かに認め
られるかどうかはオマケ、付け足しのようなもの。自分が面白いと思ってる
ことを届けて、相手が面白がってくれれば最高です。僕が好きなのは定量的な
実証研究ではなく、事例の断片から自分の論理を組み上げていくような定性的
な研究ということです。30歳半ばで開き直って、「掲載されなくても結構、好き
なように書こう」となりました。これが、「定性復古の大号令」。発令された
ことは僕以外の誰も知らないことですが。

◉ 楠木: …芸風は一つしかない。自分の好き嫌いのツボと心中する覚悟で
 やらないと、努力の娯楽化という好循環は生まれないし、良い仕事が出来ない
じゃないか。つまり、自分の芸風を知るとか、自分の土俵が分かてくることは、
土俵の外にアルモノを捨てるということ。何かを得るということは、常に何かを
捨てているわけです。考えてみれば、これは実は、すごく人間にとって自然な話
になる。≫


▼ 上記は、17年間、一日一テーマで6千数百を書きつづけられた有り体その
 ままが、表現してある。ここの小項目に「読み、書き、推敲」が好き。」と
ある。何のためでなく、この面白さが、教養ベースの蓄積の実感があるため。
これを続けていると、過去文と、書上げた文章との偶然の出会いがシバシバある。
他にも多々、「意味ある偶然の一致」の機会がある。偶然と必然の境目が何とも
考えさせられる。 それと自分とは、そもそも何とは何ぞや? 何者でもない
多重性格者? 単純でいて、小難しくて、いい加減で、怠け者で… 

・・・・・・
5993,幸せの確率 ー1
2017年08月12日(土)
          ー幸せの確率 あなたにもできる!  内山直 (著)
   * アーリーリタイアのすすめ ―
 新潟の医師が開業12年後の40歳後半でリタイア。医院は後輩医師に任せ、
悠々自適の第二の人生を始めて1年余り経って、この本を出版した。内容は
さすがにシリアスで、長期的天引き預金と、硬い投資を勧めている。
私の場合、引き足が遅く、母親を見送った51歳時に、還暦にラインをひいて、
1年1年を全エネルギーを投入し生きた経験がある。大よそ80歳までの30年で、
し残したこと、やりたいことを、9年間に圧縮した生き方をした。
それもあってか、この内容に興味を魅かれ、読むことが出来た。
   ~内容紹介~
 アーリーリタイア(早期リタイア)そのものや、自由度の高い生き方に興味を
持つ人に対し、幸福学や心理学の学術データを用いて、真の幸せとは何かと問い
かけると共に、ファイナンシャル理論や行動経済学の観点から、そのために必要
な蓄財・運用術を、わかりやすく紹介しています。
生存率・貯蓄率・満足率・リスクリターン率という4つの「率」から、生涯を
通してみた「幸せの確率」がどうすれば上がるのかを考察し、アーリーリタイア
にひとつの答えがあるのではないか、とのアイディアを提起しています。
停滞を始めた現代の資本主義社会で生きる我々が、真に幸せに生きるには
どうすべきなのかを問う、新しい生き方の指南書^p1
   ~出版社からのコメント~
 生活のためにあくせく働くのはもうたくさん!
 もっと家族や友だちとのんびり過ごしたい!
そんな人にぜひ読んでいただきたいのが本書です。まだ40代の著者は、現在、
無職。幼い3人の子供を育てながら、執筆、イベント企画、ヨガ・瞑想など、
興味あることに次々と挑戦しています。この「隠居生活」を支えているのは、
行動経済学や現代ポートフォリオ理論に基づいた蓄財法や運用法。もともと
金融のプロでもなんでもない著者は、アーリーリタイアを夢見て独学し、
独自の資産形成術を編み出しました。 そのノウハウを本書で余すところなく
お伝えします。 稼がなくちゃ! という縛りから解放されて、自由で幸せな
生き方を求めるすべての人に、本書を送ります。
   
   ~カスタマー・レビュー~
この本で真に書かれていることは何か? それは、社会的に成功して、まだ
まだ現役として活躍できる医師がセミリタイアするまでの記録、そこに至る
までの考えです。
成人男性の生存確率は
60歳で約92%
65歳で約88%
70歳で約82%となっています。
定年と言われる60歳までに12人に一人。
更に6人に1人(!!!!!)は70歳まで生きられないことを統計は示しています。
人は、なんとなく平均寿命の80歳まで生きられると考えてしまいますが、
そんなことは決してありません。
著者はそのことをある日の夢(悪夢)で自覚しています。そして、人生の残り
時間を真剣に考え、残った時間で何がやりたいのかを真剣に考え、アーリー
リタイアを目指しています。資産形成、過剰な欲望のコントロール、質素な
生活を実践して、アーリーリタイアを実現させています。
著者にとって、セミリタイアは目的ではなく、自身がやりたいことの実現手段
として書かれています。普段は意識していませんが、人間はいつか必ず死にます。
明日生きているという保証もどこにもありません。

人生の残り時間を意識し、その残り時間でなにをやりたいのか?
それを自覚することの大切さを、この著書は教えてくれます。
そして、著者の辿ったアーリーリタイアへの過程は、間違いなくアーリー
リタイアを目指す人にとっては道標になるでしょう。
リタイアのための資産形成について書かれた本は多数ありますが、アーリー
リタイアする際の精神面での問題に書かれた本はあまりありません。
アーリーリタイアは、大多数の人とは異なる生き方を選ぶことになるので、
そこで様々な精神的な葛藤や迷いが生じるのは必然です。
その必然の葛藤や迷いの解決に、著者の考えは大いに役立つはずです。

▼ 百歳を超えても医師を続けた日野原重明の生き方もあるが、さっさと
 現役をひく生き方もある。あとは、その人の人生観である。世界の秘境を
見て歩きたいため、医師になり、冒険家と掛持ちの星野道夫の人生もある。
最期は熊に襲われ喰いちぎられて亡くなったが、はや、21年も経った。
生き方、死に方には、考えさせられる。
 恵まれた才能があればこそだが、そこには長年の計画がある。
で、何時ものような偶然で、以下の文章が文脈として現れ出てくる。
・・・・・・
4898,ホントに大事なお金の話  -3
2014年08月12日(火)
        『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
 * お金と「幸せ」について ー幸せは金で買えるか?
  幸せは金で買えるかは古代哲学からの大問題。
   ー以下で、その辺りを取り上げている。
≪・2002年に、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カネーマンが
『年収7万5千ドル以上になると、それ以上の所得の増加は「生活満足度」は
 高めても「幸福度」は殆ど変わらない』と結論づけた。
・2013年、ミシガン大学のスティーブンソンとウォルファーズは、各国の詳細
 なデータ分析から、一人当たりGDPと「生活満足度」には明確な相関があり、
「幸福度」とも一定の関係がある、とした。
・それでは日本人の幸福度はどうでしょう。国の豊かさを示すGDPは50年前
 には4000ドルでしたが、現在は43000ドルと、10倍以上になりましたが。
 一人当たりの経済活動費は飛躍的に増加し、私たちが手にする金も増えました。
 それが連動するなら、日本人は10倍も幸せになったはず。
・ある調査で、世界各国で自分の幸福度を10段階で自己評価したものを集計した
 結果、2012年時点で、日本は6・5で、1960年度から50年で、ほとんど変化を
 してなかった。一方、北欧諸国は8・0前後と高く、他の欧米諸国の多くも
 7・0~7・5、深刻な経済危機をかかえている失業率20%のギリシャさえ6・4%。
 日本は主要先進国中、最低レベルなのです。OECDの幸福度指数でも、
 経済力の割りに高くない。一人当たりGDPが14位にかかわらず、
 幸福度指数が34ヶ国中21位でした。・・・ ≫
▼ バブルの崩壊以降、右下がりの経済環境の中、戦前世代、団塊世代
 団塊ジュニアは、右上がりの時代と比べてしまうのが要因の一つ。私の場合、
終戦から40年近く右上がりの時代に生きて、それまでの40年は日本の歴史的
繁栄時代に生きることが出来て、非常に良かったことは確かである。で、現在は? 
というと、バブル崩壊までに、その恩恵を充分に受けていたこともあり、当時の
温もりがあってか、それなりに良いし、満足をしている。
 森の生活の30数年間は、7百万~千5百万の収入だったが、年金生活の現在、
3分1から4割の収入になったが、収入なりに楽しみがあって、当時が良かった
と思いは皆無。7万5千ドル(750万円)といえば、一般の家庭生活で、生活を
していくに気にしないで済むレベル。御隠居生活なら400万もあれば、充分。
父親の質実剛健の教えが、年金暮らしで再度、生きてくる。預金が10億もあれば、
やはりハワイに夏場と冬場の数ヶ月は滞在しているのだろうが!
饅頭嫌いは建前で、饅頭大好きが、やはり本音である! 
小さな中古マンションに引越し、半分はハワイに行くことは可能だが、
そこまでは出来ない!のは・・ この考えも、バブル期の残物?
・・・・・・
5628, お金に強くなる生き方 ~②
2016年08月12日(金)
             【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * 金融資産1億以上は、2・5%
 以前にも書いたが、日本の富裕層(一億以上の金融資産家)は2・5%=
358万人という。紀元前のギリシャでも、現在のアメリカでも、支配層が3%、
中間層が30%、下層階級が67%の割合は変わらないという。資本主義国の
優等生の日本では、一億円以上の金融資産がトップ層の目安になる。 
 年金生活に入って、今さら渇望するほど欲しいものもないし、日常の生活の
楽しみを良しとして淡々としているだけで充分。10億、100億あったところで、
使う意欲もない。 反面、日常生活でのお金の有難さは、強く感じている。 
 700万円位までは幸福度と比例して右上がりになるが、その辺りから、収入
増加に比例しなくなるという。 ということは、日本では公務員の平均給与が、
600~700万辺りのため、高給取りの部類になる。 ならば、公務員になって、
大人しく生きることが一つの模範かも。アメリカでは、7割の人が「自分は幸せ」
と思っているという。何か変と思うが、これが事実である。 ~その辺から~
<3分1の世帯が貯蓄率ゼロでありながら、全世帯の貯蓄平均値が1000万以上。
 これは何を意味しているか。とんでもない金融資産を増やしている世帯がある
ためである。 大多数の日本人はさほど賃金が上がった実感がなく、物価上昇
だけは感じているというのが現実。反面、ポルシェを買っていく人も多い>
▼ 都会サラリーマンの退職者に、2千万以上の預金を持つ人が多い。
 それに比して、地方は、親から引継いだ商店を潰して、夫婦して国民年金で、
預金がゼロに近く、何とか生活している人が増加している。地方格差の問題で
ある。とはいえ、今のところ、生活費を切詰めれば何とか生きていける。
リタイア後の生活で、お金を使わなければならない場面が圧倒的に少ない。
その上に、酒などを切詰めれば、年金内で、生活が出来ないことはない?
 娑婆は良いように出来ている。持った額だけ、それがパワーになることも
現実である。「金持ち、金をつかわず」である。使う必要がないためである。
・・・・・・
5263,ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り 
            ~地球大進化46億年 ー⑤
2015年08月12日(水)
      ー「NHK 地球大進化 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り
 最後まで残ったネアンデルタール人と、私たちホモ・サピエンスの差が、
複雑な言語を操る能力の差であった。 これは、現代社会の人間の能力にも
当てはめることが可能である。人間にとって最も重要な能力は、これである。
とすると、現代では情報端末を使いこなし、欲しい知識を得て、知恵に変える
能力=インテリジェンスになる。それが、そのまま、能力格差につながる。
 今では、ネット社会が、現実社会の上を覆ってしまい、それが現実を左右
する時代になってきた。IS(イスラム国)などは、その典型事例といえよう。
 ネアンデルタール人として、死滅するか。ホモ・サピエンスの次世代の人間
として生きるか?それぞれが大きな分岐点に立たされている。~その辺りから~
≪ ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの間に横たわっていた大きな溝、
 それは複雑な言葉を操る能力の差。もしネアンデルタール人が現在に生きて
いたらいつも会話をしている私たちの姿はとっても奇妙に見えたことでしょう。
言葉を獲得したホモ・サピエンスは、その能力を最大限に役立てました。
狩猟民族は言葉によって緊密な連携プレイを取り効率よく狩りを行っている。
そして狩りが終わった時、改めて言葉の果たす大切な役割が分かります。
その日の狩りを皆で振り返る時、言葉がさらに交わされます。
大人同士は狩りが失敗した理由を考え、新しい工夫を話し合います。
大人の会話を聞いた子供たちは狩りの技術を学んでいきます。
私たちは自らの経験を言葉で仲間や子供に伝えています。言葉を持って初めて
私たちは世代を超えてそれぞれの知識を共有できるようになったのです。
 言葉を持ったホモ・サピエンスとうまく操れなかったネアンデルタール人
二つの氏族の運命を分ける時代がやってきた。4万年前、ヨーロッパーは
200万年間続いていた氷河期の最後のピークを迎えていきました。
寒さは厳しさを増し北半球ではぶ厚い氷河が欧州の北側を覆い尽くしていた。
この過酷な世界で生きるために言葉はホモ・サピエンスにとって大きな助けとなる。
寒冷地に住む動物たちは季節の移り変わりとともに大きな群れをつくって移動。
その時、ホモ・サピエンスは言葉によって獲物が移動してくる時期や場所の
情報を交換しそれに備えて狩りの計画を練ることができたのです。
言葉が未来を予測する力になったのです。 ≫
▼ 現在では、情報機器とネットが、日々進化して、現代人は、それに翻弄
 されている。しかし、時間とともに、それらを使いこなすことになるが、
その能力格差が果てしなく大きくなり、制御不能になるのでは? と思われる。
 言語能力だけでなく、洞窟画も、ネアンデルタール人には無かったという。
そこにも人間の能力の意味を知ることが出来る。より広く、深い知識を得て、
様々の世界を知り、音楽、絵画、演劇など多くの芸術に感動し、それを満たし、
新しい何かを創造することが人生であることを示している。

つれづれに

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 スポーツジムが盆休み。早朝のポタリングがあるから
何とか最低量の運動が出来るが… 
 冬生まれの私にとって、暑いのは堪える。
ただ食欲は衰えることはない。食欲が衰えると気力まで萎える。





・・・・・・
・・・・・・

5627,お金に強くなる生き方
2016年08月11日(木)
           【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * 年収600万で上位10%
 佐藤優の【お金に強くなる生き方】というテーマに惹かれて図書館から
借りてきた。現実的な内容で合点がいく。年収600万で上位10%とは驚き。
 正社員の収入が414万円で、非正規を含めると、中央値が300万半ばになる。 
これが現実である。 ~その辺りを抜粋する~
《 先ほどの国税局の調査で平均年収が414万円。この数字は平均で、高所得者
 に引っ張られているため。実際は、これより低い。「年収300超~400万以下」
が17・4%。 男女別に見ると、男性が「年収300超~400万以下」が18・7%が
最も多く、次いで、「400~500万以下」が17・1%。 女性で最も多いのが
「100万~200万以下」で、26・1%、次いで「200~300万以下」が21・8%になる。
 おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近い。
つまり、年収300万台が中央値である。日本の労働者の年収上位10%には、年収
580万台の人が入ります。年収600万なら間違いなく上位10%に入る。
 どうもバブルの頃のイメージが抜けきれず、平均値のマジックに惑わされるが、
年収500万位が平均的な数字のような感覚があるが、現実は、かなり違っている。
300~400万も稼いでいれば自分を卑下する必要もないのに、何か焦って、変な
投資をして騙されるケースが多い。》
▼ 「年金生活者」の言葉自体に問題がある。「年金補助生活者」が性格な答え。
 これが浸透してないため、不平が政府に向かう。とはいえ、三人に一人が預金
ゼロというから、僅かな年金では生活できない。そこで、「生活保護制度」で
何とか生きていける。とはいえ、バブル崩壊以降は、厳しさは増している。
 ~で、これも偶然だが、以下に続く!
 


・・・・・・
4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に
2012年08月11日(土)
   * オリンピックも終盤に入った
 ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本として
はメダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた効果が、
ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。
国が衰るとオリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。
 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、
浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。
9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い
動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、
無事終了して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが
道理だが、それが通らないのが彼ら。
  * 地平線の距離は?
 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、
20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。一番身近では海原と空の境目
がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニア
のセレンゲッテーの草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 
私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。
  * つれづれに
 この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の
帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは60年、70年先も生きて
いるのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。
一線を退いたこともあるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは
無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が取り壊され
更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で
楽しそうに佇んでいた。恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住む
のを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。

閑話小題 ~職業は、その人を現す

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    * 「ああ、司会者か」… ね!
 その人の外郭を知ろうとすると、まずは職業、そして家柄、出身校、人柄、
センス… 等が続く。それだけ職業が、その人物を大きく体現する要素になる。
ところが、本人は意識していない。クリステルは、それを聞いた時、「ムッ」
とした表情だったような。 それぞれのキャリアといえば職業である。
そのため、男には名刺がある。とすると、名刺は、「釣書」「吊り書」の役割
を示す。ネットで、小泉元首相が、息子の相手を知った時のことが紹介された
時のひと言が注目に値する。
《 小泉進次郎衆院議員と滝川クリステルが結婚することを父親の純一郎元首相
が知ったのは、今年6月(2019年)のことだったという。元首相は「よかった。
一度はした方がいい」と喜んだが、相手の名前を聞こうとしない。
兄で俳優の幸太郎さんが同席していて、「相手が誰なのか、気にならないのか」
と聞いて、進次郎氏がスマホで写真を見せると、「ああ、司会者か」とひとこと。
初対面の席でも「クリスタルさん」名前間違えてる! 》
 ―
▼ 熟年同士の有名同士のカップル。クリステルあれだけの美貌で、華やかな
職業からして、あんのじょう浮名も多かったようだが。
…10年前の2009年に熱愛が報じられたのが中田英寿
その直後から小澤征悦(2009年末〜2015年)。
最近では外国人の新恋人のデートの画像がマスコミを賑わせていた。
芸能世界は、特殊とみれば、進次郎など、赤子を捻るようなもの。その経歴が
災いになり、親父と同じ道を歩むことに? 数年の新婚生活は、それは楽しい
だろうが、骨抜きに? お二人の心の内までは解らないが、それも人生には必要に。
特に、離婚経験は、この政治家にとって必要条件とすれば、最適な御相手。年寄り
冷や水の一歩手前で。成るようになるのが、娑婆世界。でもまばゆいばかりの
絵に描いたようなカップル。何をや言わん! 幸せな人には幸せの人が集まる! 
問題は危機管理。 糸の切れた凧のように… そこまで心配することもなし。

・・・・・・
6359,読書日記 ~嫌なことはやらない
2018年08月11日(土)
            <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * まずは「嫌いなことをしない」
 「好きな事をやる」より、まず「嫌いな事をしない」が、第一歩。
戦略とは「何に焦点を合わせ、集中することより、何を絶対にしないかを
決めることを優先すること」といいうが、人生でも、ビジネスでも同じ。
黒柳徹子の「仕事も、遊びも、好きなことしかしない」からこそ、現在でも現役
でいられるコツ」の言葉は有名だが、それ以前に「嫌いなことはやらない!」が
優先するとは… 20歳の頃、「キリスト教倫理」の課題に『人生の将来設計図』
が夏休みの宿題にあった。 考えあぐねた結果、『創業人生を生きる』で、両親
の戦後の転職の苦労話を書き連ね、自分も、同じ人生を生きたいと、書上げ提出。
その時に、驚いたことに、丁寧な長文の返事が返ってきた。
 『素晴らしい、その人生を生きるべきです!』
この遣り取りで、自分の性格が一変してしまった。丁度、都会生活と、寮の先輩
夫婦がペアレントをしていた軽井沢山荘のヘルパーに駆り出されて、単調な学生
生活から抜け出し始めた頃であった。何か世界が明るく輝き出したような… 
 世界は「自由、平等、博愛」を理想としているが、世界は真逆。それらは一つ
ずつ自分で獲得するものと。人生は自分の意思で選択するものと。考えるとは、
何が好きで、何が嫌いかから出発する。
 
  ~著者の、以下の部分が、一番の要点…
≪ テレビの創成期の日本テレビのプロジューサーだった井原高忠さんが
 書いた『元祖テレビ屋大奮戦』という本に、ガツンとやられた。…
<自分の好き嫌いで仕事をしている!これこそ理想だ>と思いました。
漠然とした自分の方向感覚が出来ました。以来、井原さんが僕のモデルです。
会ったことがないが、勝手に心酔しています。彼の本の素晴らしいところは、
<「好きなことをしろ」より「嫌いなことをするな」である>というメッセージ
が前面に出てくるところです。 フツーの人はそもそも自分が好きなことが何か
わからない。それで困っているのに「好きなことをやれ!」って言っても…。
好きなことはわからなくても、まず嫌いなことをやらないと決めたのです。≫

▼ 兄姉たちは、両親から距離を置いていたが、末っ子の私は、常日頃、
 親元にまとわりついて育ってきた。 面白いのが、商売のコツの話。
情報と知識の重要性、特に読書と新聞購読がベースと… それと知恵の捻り
出しの具体的ケースの数々。何ごとも好きになるまで努力をすること。
それと師と仰ぐ人の存在。父は津上製作所社長の「津上退助」「野本恭八郎」。
努力の量も、質に変化していくこと。ここでいう、『努力の趣味化』。
まずは「嫌いなことをしない」こと。好きなことをすれば、当然「嫌いなこと」
は薄れていく… ただし、これも慣れ、コインの裏表と同じく、そこに素晴ら
しい何かが隠れていることがえてして多い。時と、場合次第である。 
 誰がすき好んで、17年も連日、頼まれたわけでなし、小難しいテーマを
取上げ、書きつづけますか。嫌が応でも意地で続けてきたため。 
人生で一番良かったことは、嫌なことでも、嫌と思わなくなれたこと。
良し、悪いの比率が6対1のため。好きを増やすか、嫌いを減らすかは人による。
<500mで安住してきた人、大好き。> お前自身のことかい? 皮肉かい?

・・・・・・
5262,贅沢を敵にしない ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月11日(火)
              ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * 贅沢を敵にしない        
 ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して
いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに
つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。
 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が
嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。
 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。で、30年間、堂々と使ってみて、
どうだったか? いや、良かった。本当に!使った分は、あの世とやらに、
持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! 
≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。
 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな
状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、
あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。
豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった
ものから必ず生まれるものがある。
 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ
何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる
ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの
は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、
いきいきと生きられない、ということを意味する。
 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに
図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ
ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを
生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が
あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人
にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため
にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。
 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの
ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ
るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。
 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた
質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと
オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。
 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より
も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな
手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。
 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている
ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから
この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん
でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に
たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、
圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病
よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも
人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて
いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、
求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを
得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。~p109~111  ≫
▼ 上記の意味すら理解できない人が、地方には多い。周辺の思惑に左右され、
「かがんで身構えて何も掴もうとしない!」 そう、ただ彷徨っているゾンビ
のような人が、身近な顔色を伺っているだけ。近づかなければ良いだけだが、
それが、また・・ 21歳時に、一ヶ月で、現在の300万以上の大学の欧州一周
ツアーに参加してみて、それまでの、小さな先入観が粉々に粉砕された。
そこで知ったのが、上記のこと。可能な限り力を発揮し、その力で、最大限、
豊かさを得て、この世を楽しむことこそ人生。 だからこそ創業を目指した。
 創業45年の人生、一応、豊満で、面白おかしい経験が行蔵に残っている。
贅沢は敵でなく、素敵である。どの道、直ぐに死ぬのだから!で、以下に続く!

・・・・・・
4897,閑話小題 ーシャバシャバ
2014年08月11日(月)
   * 娑婆とは
 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。
≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由の
 ない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとって
の外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の
地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」
になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では
変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマの出所シーンで
「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や
新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が
「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ 
≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」
(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界
ともいいます。「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ
世界という意味です。≫ とあった。
▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび
 聞いていた言葉。商家は、日常が戦場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 
終戦直前に、空襲の焼夷弾で街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業を
しながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。若者言葉に「やばい」と
「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる?
この言葉から「ショバイ」が連想される。ショバイ日々、商売に熱中する日々。
ショバショバである。現在の私は「ショボショボ」になるのか!

・・・・・・
5992,閑話小題 ~最後の講義・12 ー石黒浩:対談
2017年08月11日(金)
   * 人の感情を推し量ることからの開放
 大人数の家族の末っ子として育ったこともあり、周囲に気を使い過ぎる
きらいがある。 SJでも、軽い会釈か、挨拶さえしないで独り、無言で、
イージーライン、ヨガ、ウォーキングマシン、マッサージのコースを大よそ、
2時間、熟している。メンバーをみると、3分の2が独行で、残りが2~3人で
談笑しながら過ごす。対話の話題には、こと欠かないが、日常会話は苦手。
どうしても口が重くなってしまう。 まずは、何気なく褒めれば良いのは
分かってはいるが… 表情を最小にしたロボットが、思いの外、重宝して
いるようだ。無表情な部分を人は、想像でカバーしているようだ。無口で、
無表情の人に何やら魅かれるのは、そのせいである。
――
<石黒>
 アンドロイドの研究を行ってきた結果、最終的に行きついたのが、
「人の存在をどうやったら表現できるか」、「その条件は何か」ということ。
人間の脳は、「見る」と「聞く」を足し合わせて、1+1の2で認識すると
思われがちですが、実は、2つ情報が重なったときに、4とか5に反応する
しくみになっています。その結果、「知っている」という状態になるのです。
ハグビーの場合も2つの情報は「声」と「触感」です。
 人間そっくりのアンドロイドをつくって分かったことは、人間は大事では
ない要素を引き算して認識するということです。さらに、あるところまで行き
つくと人間は相手のことを想像でカバーし始めます。テレノイドが受け入れ
られるのは、人間は、「誰かはっきり認識できる相手に話しにくいこともある」
という性質があるからです。後期高齢者認知症の人は、人に対して申し訳
ないといった感情から、話ができなくなっています。ところがテレノイドに
対しては、自分の記憶の中で適当な想像を働かせながら話すことができます。
<本荘>
 それは面白いですね。リアルな人間よりも、テレノイドに対しては、人間に
対する遠慮のような感情が湧かなくなるから、ピュアに受け入れられるのですね。
<石黒>
人間は相手のことを推察しますが、相手の感情を直接見ることができるわけ
ではない。すべて自分の想像の産物です。ネガティブな想像をはじめれば、
とことんネガティブになってしまう。ところが、ロボットだと分かっていれば、
ネガティブな想像をしなくなります。 私たちが行った実験では、高齢者、
認知症の人、自閉症の子ども、みんなロボットが大好きです。
今の社会では、人の感情などを推し量る必要があるため、そこで問題が起きる
ことが多いのです。もちろんロボットで全ての問題が解決できるわけではあり
ませんが、少なくとも治療の手段にはなります。ロボットを使用してある程度
話せるようになれば、人間を相手にして話す、といった活用です。 既に、
自閉症専門病院では、小型のコミュニケーションロボットであるCommUが使われ
ています。精神障がいの女の子の例ですが、大ゲンカをする嫌いな相手の女の子
がいるのですが、嫌いな理由は一切医師には言わない。しかしCommUにはすべて
話すのです。CommUを通じて、次は相手の女の子と話すことを約束した結果、
普通に話すことができて、関係を回復させることができました。 
心に引っかかっている、ちょっとした何かを取り除く助けになるかもしれない。
それがロボットの可能性です。
<本荘>
認知症や精神障がい以外にも、ロボットは、転職や職探しのケースで効果がある
と聞きましたが。
<石黒>
 ジョブカウンセリングも同様、人間のカウンセラーだと遠慮して言えないこと
があります。遠隔操作のロボットであるとわかっていれば、心を開きやすい傾向
があります。マツコロイドのお悩み相談は何度もやりましたが、相談者は素直に
話してくれます。落ち着いて緊張することなく、論理的に話せるのが特徴です。
――
▼ スマートフォンの普及で、仲間同士がネットで繋がりを持つことが可能に
 なった昨今、ブログが、感情の吐きだしとして有効に働くことになる。
マイナスも多いのだろう。 歳を重ねる度に、人は自閉症的になるようだが…
・・・・・・
5627,お金に強くなる生き方
2016年08月11日(木)
           【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * 年収600万で上位10%
 佐藤優の【お金に強くなる生き方】というテーマに惹かれて図書館から
借りてきた。現実的な内容で合点がいく。年収600万で上位10%とは驚き。
 正社員の収入が414万円で、非正規を含めると、中央値が300万半ばになる。 
これが現実である。 ~その辺りを抜粋する~
《 先ほどの国税局の調査で平均年収が414万円。この数字は平均で、高所得者
 に引っ張られているため。実際は、これより低い。「年収300超~400万以下」
が17・4%。 男女別に見ると、男性が「年収300超~400万以下」が18・7%が
最も多く、次いで、「400~500万以下」が17・1%。 女性で最も多いのが
「100万~200万以下」で、26・1%、次いで「200~300万以下」が21・8%になる。
 おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近い。
つまり、年収300万台が中央値である。日本の労働者の年収上位10%には、年収
580万台の人が入ります。年収600万なら間違いなく上位10%に入る。
 どうもバブルの頃のイメージが抜けきれず、平均値のマジックに惑わされるが、
年収500万位が平均的な数字のような感覚があるが、現実は、かなり違っている。
300~400万も稼いでいれば自分を卑下する必要もないのに、何か焦って、変な
投資をして騙されるケースが多い。》
▼ 「年金生活者」の言葉自体に問題がある。「年金補助生活者」が性格な答え。
 これが浸透してないため、不平が政府に向かう。とはいえ、三人に一人が預金
ゼロというから、僅かな年金では生活できない。そこで、「生活保護制度」で
何とか生きていける。とはいえ、バブル崩壊以降は、厳しさは増している。
 ~で、これも偶然だが、以下に続く!
 ・・・・・・
4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に
2012年08月11日(土)
   * オリンピックも終盤に入った
 ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本として
はメダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた効果が、
ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。
国が衰るとオリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。
 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、
浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。
9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い
動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、
無事終了して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが
道理だが、それが通らないのが彼ら。
  * 地平線の距離は?
 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、
20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。一番身近では海原と空の境目
がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニア
のセレンゲッテーの草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 
私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。
  * つれづれに
 この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の
帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは60年、70年先も生きて
いるのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。
一線を退いたこともあるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは
無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が取り壊され
更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で
楽しそうに佇んでいた。恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住む
のを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。

つれづれに

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 昨日は、シネマ館で映画観賞。
ハリウッドものだが、迫力過剰感あり。
敵対する悪役を微妙な黒人。ヒーローの片割れが、
サモア人にして闘わせる。






・・・・・・
・・・・・・

5626,人生を幸福で満たす20の方法 ~⑥
2016年08月10日(水)
           <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
    * 絶望の日々を生き抜くために  ~【 】内は私見である。
 危機の中で、生き抜く方法を以下のように挙げている。
☆ 危機は自然体で乗り越えよう 
 :危機は肉低的危機と、尊厳の危機がある。
 :想像を絶した困難を乗越える努力の必要がある。
 【挫折は、魂の危機である。その時に教養と情報が大きな糧になる】
☆ 夢を叶える方法
 :人間万事塞翁が馬 :人には添うてみよ :馬には乗ってみよ
 :転石苔を生ぜず
 夢を持ち続ければ、縁は振ってくる それを信じた人のところに
 受け入れる人のところに
 【棒ほど願えば、針ほど叶う】
☆ 絶望の中に希望を見出す
 :絶望の淵に立ったとき 悪魔に背中を押されて奈落の底に落ちますか、
  天使の助けを借りて青空に舞い上がりますか どちらも貴方次第です。
 :絶望度を測る3つのステップ
 ・本当に絶望しているのか ・絶望とあなたの距離を測る
 ・絶望から立ち直りたいと本当に望んでいるか
☆ 赦すことで前に進もう
☆ 孤独からの脱出法
 :孤独のコントロールとは、一人でいるときに孤独だと感じないで済む
  能力である。
 【大家族の末っ子で育ったため、多人数の兄姉は、自分の世界を閉じて、
 それぞれが孤立していた。それが逆に、疎外感を少なくしてきたようだ。】
――
最後の最後は、自分ひとり(自問自答の世界)である。それに何時、気づくか。
実際のところ、幼児の頃に光を失うことは大きなハンデだろう。それを努力で
克服した当人の言葉には血が滲む思いが入っている。 

私が、危機に立ったときに、実行してきたのが、<対象に「正中心一点無」
にして、自然体に身を委ねる>ことである。 これで、何度も救われた。

・・・・・・
5261,決断する ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月10日(月)
             ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * 決断する
 ニーチェは、生きるために必要なこととして「決断」の重要性を上げる。
事業を振返ってみると、小規模ながらも節目には多くの決断に迫られた。
ソ連崩壊、中国の実質的に共産主義経済から、自由主義経済への移行。
・それと時期を同じくした日本経済バブルの崩壊とデフレ経済の進行。
・9・11テロとアフガン戦争とイラク戦争。そして、世界経済の低迷。
リーマンショックと、日本経済の更なる低迷。
・何よりも、ネット・パソコンを代表とする情報端末の普及による社会変化。
など、思いもよらぬ断層が生じ、その対応に、思い切った決断が迫られてきた。
 その決断こそ、生命が生延びるか、死滅するか境目になる。~その辺りから~
≪ 人生のまっただ中で、若い人たちがとまどっている。この人生の中で、
 何をどうすればいいかわからないからだ。迷い、怯え、自己過信などとうの
昔に失い、さらには残る自信を削られ、自分の力のなさと能力の乏しさを感じる
だけの日々。そうこうしているうちに、望みの多くを達成しないままに、確実に
歳だけが増えていく。
 実は、こう感じているのは若者だけではない。いい歳をしたオトナも同じ。
なぜならば、みな人生の初心者だからだ。ところが多くの人は、オトナはいわば
人生のヴェテランだと思い込んでいる。自分は人生のヴェテランだと称する
中高年も実際にいる。
 けれども、十代のときに面したのと同じ問題が三十代になってもまったく
同じ形で自分に向かってくるわけではない。三十代になれば三十代の問題がつき
つけられる。七十代になれば七十代の、そして衰弱や病気などの逃げがたい問題
が加わる。そういう意味で、誰もがその時点において人生の初心者なのだ。
 もしそうでなければ、たとえば親の助言を聞いて同じように実行する若者ほど
人生がたやすくなる。ところが、親の助言や知恵は有効ではないことがしばしば。
すでに親が経験した時代とはまったく別の時代が今だからだ。よって、いつも
昔の解決方法が有効だというわけにはいかない。 昔の事柄にしか習熟していない
親の助言や知恵が現代で無効ならば、若い人の問題や悩みを助けるのは何だろう。
書物だろうか、現代の問題についての新しい考え方だろうか。
 それらは有効であり、有効ではない。なぜならば、個々人の問題に直接的に
具体的に役立つようなものはないからだ。だからこそ、それぞれの人がそれぞれ
の個人的な人生を選んでいく意味というものがあるのだが。
 それはともかく、問題解決に役立つものをどこかに探すという依存的な姿勢を
脱すべきだろう。では、人生最初の問題に面したときにはどうすればいいのだろう。 
 確実な答えがある。問題の前でいつまでもぐずぐずしていないことだ。
すなわち、決断をする。その決断がまちがっていたらどうしようなどとは
絶対に考えない。決断を自分で引き受け、自分で取り組むのだ。
 うまくいくかもしれない。ひどい目に遭うかもしれない。その中間かもしれない。
いずれにしろ、事態は変転する。 これは、超人のやり方の一つだ。
おじけついて引き下がらない。人目を気にしない。前例の真似をしない。
おずおずと取り組まず、堂々と果敢に取り組む。そして、どういうことが起き
ようとも反省などしない。もちろん、後悔もしない。自分の決断が新しい時代を
生むことになったら、また自分で決断する。力の限りに取り組む。そうしていく
うちに、すべてが変わる。自分すら変わる。それには少しの勇気が必要だ。 ≫
▼ 4年数ヶ月前、まだ財務悪化が深刻になる直前に、事業継続の断念を決断した。
 弁護士が『今回は、見切り千両、いや見切り万両です』と言われたが、時間が
経つにつれて、それを改めて実感している。ただ、現象は変われど、問題解決の
手順、方法は、同じである。問題の中心を、「正・中心・一点・無」の心で
凝視し、過っての手順を思い出し、これも45年の事業人生の最後の区切りとして、
味わい深く一つずつ決断していく。そのうち、現象そのものが面白くさえなる。
それが、上記そのまま。 そう、決断は、人生を根底から変えてくれる。
決断を延ばしに延ばし、野垂れ死が待っている日本。どうなるのだろう?
 決断直後は、激痛が伴うが、べき時に決断をしないと、どうなるか。
できない彼らの薄ら笑いが目に浮かぶ。 もうじき、涙目になるのだろうが。
・・・・・・
4896,ホントに大事なお金の話  -2
2014年08月10日(日)
      『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
   * 医療保険と、生命保険に入る馬鹿!
 少し考えてみれば分かることだが、生命保険など、もっての他。あれだけの
約定を誰も読まないし、読んでも解りようがない。そこには、あらゆる保険会社
に都合の良いことが書いてあるのは当然の話。私たちが、30、40歳で死ぬ確率は
1千人に1人でしかない。社会人になると同時に、保険屋からの軽やかな勧誘。
それが、実は家と同じ位の大きな買物であることさえ知らず、契約をしてしまう。
 そんな甘い時代も終わったと保険屋はいうが・・
 ーまずは、以下の部分からー
≪厚生省のデータによると、死亡率は35歳男性で1000人中0.8人、40歳では
1・28人となってます。 文字とおり万一ではないが、千が一ぐらいの低確率。
とはいえ、不幸が起きてしまうと家族に対する経済損失は大きく、人生最大の
リスクになる。生命保険文化センターの試算では、40歳男性で、
妻38歳・長女10歳、長男8歳の4人家族の場合、会社員で約750万円。
自営業者で約2400万円を、民間の保険でまかなうのが望ましいと、されます。
 データによると30代男性は平均2200万円、40代男性は平均2800万円で多くが
会社員であるとを考えると充分に用意できていますね。それでも、生命保険文化
センターによれば、足りてないと感じている人が6割にのぼる。月々払う保険料は、
何も起こらなければそのまま消えていきます。いわゆる「掛け捨て」という言葉
にあるように、お金を捨てている気にさえなるかもしれません。
そこで、保険料の一部が将来戻ってくる商品があります。「積み立て」「貯蓄型」
と呼ばれるタイブ。払ったお金が利息ともに戻ってくると聞けば得した気分なる。
 万が一の備えと将来への貯蓄がひとつの保険で、できるので、一挙両得な気が
しますね。実際、貯蓄好きの日本人気質に合ったのか、このタイプは人気のよう。
ところがこのタイプ、よくよく見ると、掛け捨て型の保険に「積み立て部分を
編込んだ商品」なのです。将来の教育費に備える学費保険も同様です。≫
▼ 39歳までにガンになる人は、一年間に100人に1人。その死亡率は
500人に1人しかいない。統計から見ると、ガンは高齢者であり長生きをした
代償。その漠然とした不安と、こういう事実を知らない素人を言葉巧みに誘う
のが保険の本質である。平均入院日数は35日で、入院の自己負担は平均20万。
これに対し、保険会社から給付される保険金は、平均一万。一生に1~2度の
イベントのため、保険に入っている。30歳の人が給付金1万を受け取るため
の保険料は、月に約3千年。合計10年で36万。預金にすれば金利がついて
40数万になる。そこからも、保険のカラクリが見えてくる。支払保険の半分
は、保険屋の餌食とみればよい。私の主義として、銀行借り入れの前提条件の
ホテルへの火災保険以外は、保険には入ってない。そのため、家内は不安に
なって、結婚以来、家内名義の給与から、健康保険と厚生年金を差引いた分の
10万を40年間、預金をしていた。それが、3年前の窮地のタネ銭になった
ことは何度か書いてきた。保険屋の餌食になっていれば、半分は?? 
この一連で言われた、計画倒産など元もとする必要など無い。
世の中には下衆の類が多いが、保険屋の一番おいしい人たちでもある。
・・・・・・
4529, 生きる悪知恵  ー8
2013年08月10日(土)
 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
    * 親の面倒は金で解決と割り切ること
Q: いい年して恥ずかしいのですが、親と仲良くできません。中学の頃って、
 誰も口も利かなくなるじゃないですか。 大学で家を離れ、正月もほとんど
帰らないまま30年か過ぎ、もはや何を喋っていいかも分からなくなりました。 
とはいえ、ある年齢以降は「たまには親孝行を」と思って食事に連れていったり
もしたのですが、「ひとつも旨くなかったな」などと人の好意を無にするような
ことを平気で言います。・・・ そんなことが積み重なって、親との間に微妙な
食い違いが生じるようになってしまいました。・・・ 
 どうすれば心穏やかに親と接することができるでしょうか。
A: 親の面倒は、それこそお金で解決しなきゃいけない問題なんです。
 だって、24時間も介護してたら、仕事はどうするの? 自分や奥さんや、
子どもの生活はどうするの? 医師も介護のプロもみんな言ってます。
「素人じゃできないよ」って。寝たきりでウンコを投げてくる人を、素人が面倒
見れる訳がない。共倒れになるだけ。介護はプロしかやっちゃいけない。だから、
そのためにもお金を貯めておかないけない。 親孝行もいいけど、そのへんを
はき違えて優先順位を間違う人が多い。家族のことを考えたら、姥捨て山に捨て
なきゃならないときがあるんです。だから、本気で介護のことを考えるなら、
早めにそういう施設を見つけておくこと。あとは金銭面でのバックアップ。
 家族がやるべは金銭面のバックアップ。週イチでもいいから、 お花を持って
いって「大好きだよ」とか言ってあげる。そして、お金を出してあげる。
だからもう、仲よくするとか親孝行など考えなくていいんです。無理なものは
もう無理。というわけで、そもそも親と仲よくできないと悩むこと自体がムダ。
【親子仲よくなくてヨシ。】 困ったときは力ネで解決。
 そのためにしっかり働きましょう。
▼ 8人兄姉の末っ子だったこともあり、両親から孫のように扱われてきた
 こともあり、至って良好。そうこうあって、実家に住むことになって現在に
至っている。 母は亡くなる前の5年半の間、軽い痴呆症になっていた。
息子二人を含めた家族総がかりで何とか持ちこたえたが、傍目と現場の違いは、
あまりに大きい。金だけで解決できるほど甘くない。しかし、金で割りきった
方が良い部分が多くあることも事実。昔から、老人の蔑称に、「死にそこない」
というが、長生きはよいが、死に損なうのは問題だ。人生、そう甘くない! 
特に最期は。明るくプッツンと逝きたいもの。
・・・・・・
4154, 中小企業の延命は、すでに限界 
2012年08月10日(金)
  * 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加)
 昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の
見出しで、この活用後も経営難が悪化し、倒産が増えている実情をレポートを
していた。 ーまずは、その概要をまとめるとー
≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの
 金融円滑化法が、来年3月末で期限切れになる。一時的延命も、経営立て
直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、その延命期間も
市場環境が悪化、借金が増え続けてしている。地銀の支店長によると、正常な
貸出先に戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが85%を占める」。
金融庁によると、返済猶予をした中小企業は全国で30~40万社の前途。
この通りだと、25~35万社がこの秋以降、かなり厳しい事態になり、
倒産が大幅に増える。≫
 私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロ
もあり見切りざるを得なかった。 恐らく無理をし続けていたら今は地獄。 
おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が起きそうな状況で、
多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税
考えると経済パニックは避けられない。9月以降は日本も世界も非常に厳しい
緊迫した状態になる。何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。
実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が手に取るように分かる。 
平成を装っているのか、この静けさは何だろう。大手家電メーカー各社が軒並み
に大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、
ショッピングに楽しみを見出さなくなってきているという。震災の経済に
与える影響は、これからという上に、リーマンショックと欧州発の金融危機
くれば、誰もが財布を締めて当然。 どうも話はマイナスばかりだが。
 ・・・・・・・
3789, 天才だもの
2011年08月10日(水)
 {「天才だもの」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー春日武彦著}
天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の
切り口が違っているところが面白い。天才と気違いは紙一重というが、気違い
の部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から
違った視線で、逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、
目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。
気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 
凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと?
ーまずは、序文の中からー
【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。
 ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、私たちがどのような人物を
「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。
・・・ さて天才の定義である。あたかも天から授かったかのような傑出した
才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、
天才にはいくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。
天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。 
またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかった
のではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は若干十九歳であり、
ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である
天才伝説には必要なのかもしれない。・・天才は日常生活においては無能ないし
常識外れであることも、三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、
ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立った
ままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。
大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、ごく当たり前のことが
余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心
の外へ追いやられてしまっているのだと理解することによって、やっと我々は
彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。そして天才は幸福であっては
ならない。少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。
いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、
金銭にまったく無頓着とか、食事メニューが一年三六五日同じとか、そういった
非現実的なところがないと困る。あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、
我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。
妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。
つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に脳まされている
うちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから
狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】
▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は
 別の本で読んで、これは我われが日常感じているレベルで読者と共に楽しめる
内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまう
ため、逆に天才が見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、
精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィールに正直
に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。
特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常をきたし格闘をしている
人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった
人たちの血と汗が、直接伝わってくる。