つれづれに

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 一昨日のシネマは 『ハンターキラー 潜航せよ 』。
潜水艦物は、外れは少ないと信じてみたが、成るほど面白い。
  ~内容といえば     :評価90点。
≪ ロシア近海でアメリカの原子力潜水艦が消息を絶った。
 ジョー・グラス艦長率いる攻撃型原潜「ハンターキラー」が捜索に向かうが、
現場付近に沈んでいたロシア原潜の生存者を発見、生存者の艦長を捕虜とする。
その頃、地上ではネイビーシールズの極秘偵察により、ロシア国内で世界を揺るがす
壮大な陰謀が企てられていることが判明する。それを阻止するため、
「ハンターキラー」にロシア海域へ潜航という過酷なミッションが下される。 ≫
 週に一度、現実からのトリップできることが有りがたい。


 今朝も、早朝のポタリング(ミニ・チャリ)。近くの福島江と、栖吉川土手の
桜は満開。 明日は、天気次第で、悠久山に早朝、行く予定。





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・・・・・・
5873,閑話小題 ~東芝の危機
2017年04月14日(金)

 ホテル事業も含め、地味だが信頼のおける会社として東芝エレベーター5基や、
客室TVなどに東芝を使ってきた。 その東芝が経営危機に陥っているという。
 アメリカの原子力事業会社を買った直後に東北大震災が起きたため、原子力
発電の建設規格が厳しくなり、追加コストが重なり、前期5000億、今期が
7000億の赤字。 基幹事業の半導体部門を2兆円で売却をしても、まだ責任
がついてまわるようだ。で、残された道は倒産? シャープに続き、東芝まで
外資に持っていかれる? そして、次は?…
  まず~ネット検索より~
≪ 2016年12月。東芝原子力事業に巨額損失があると発表。
 その巨額損失というのは、東芝の子会社ウェスチングハウスWH社)が『0円』
で買収した米原子力サービス会社ストーン&ウェブスター(S&W社)の抱えていた
7000億円規模の巨額損失のこと。要するにババを掴まされたってこと。
このババを売りつけたのが、S&W社の親会社である米大手エンジニアリング会社
シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン(CB&I社)なのですが、もともと試算
されていたS&H社の資産価値(のれん代)は105億円でした。
しかし現実は105億円ではなくマイナス7000億円という大誤算。
2015年に東芝を危機に陥れた水増し不正会計後の再建計画は、この2016年末の
原子力事業での巨額損失発覚により完全に崩壊。2期連続の5000億円規模の赤字
により債務超過を招いてしまっては、当然そこには倒産の可能性も出てくるが、
なぜ東芝がこのようなことになってしまったのか?
 ★ 東芝の失敗はどこからなのか?
 それは2006年に東芝がエネルギー部門として原子力事業に約6000億円で
買収した米原子力サービス会社ウエスチングハウス(WH社)からでした。
そして2008年からWH社とストーン&ウェブスター(S&W社)は米国原子力発電所
の建設を共同で受注。しかし、このプロジェクトは福島原発事故に伴う規制強化
や人員不足による工期延長などで、発注元(米サザン電力とスキャナ電力)と
コスト負担を巡って巨額の訴訟が続くといった事態に…。
さらにWH社とS&W社でも意見が分かれるため、「これでは調整に時間を取られ
本来の仕事に集中できない」として、東芝が2015年に親会社である米大手
エンジニアリング会社シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン(CB&I社)から、
今回巨額損失を引き出したS&W社を買収することになったのです。
 ポイントは、東芝の子会社であるWH社と、米大手エンジニアリング会社CB&I社
の子会社S&W社が、アメリカの原子力発電所の建設をしていたけれど、発注元と
追加コスト負担の問題で訴訟が深刻化していたこと。
工期が遅れれば遅れるほどコストはかさんでいく(赤字が増えていく)…。
なんとかプロジェクトに集中できる環境を整えなければならない。
そこで出てきたのが、S&W社を買収する案です。
東芝には原子力関連のエネルギー事業は半導体関連事業にならんで主力なので、
失敗だけはなんとしても避けたいというのが本音としてあったのでしょう。≫
――
▼ 簡略にいうと、<6年前の東北大震災による間接被害で、天下の東芝
 解体の危機に陥ってしまった>ということ。不運といえば不運。他人事でない。
当時の経営責任を問われている二人の社長は「千年に一度の大震災なら仕方が
ない」では済まされないが… 

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5508,人類史上最大のバブルが弾ける時 ~①
2016年04月14日(木)
     ~【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時
            熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト
 アメリカ、欧州、日本、中国、そしてロシアも、政治経済の行き詰まりを
見せている。その中で、経済で中国が最も危ないことは誰の眼にも明らか。
短期的に力で押さえつけても、市場は中長期的には、何処かで火がつく。
  ~以下のレポートが解りやすい。
≪ 2015年の夏場以降、中国における“バブル”崩壊の懸念が急速に強まった。
 中国が突如、人民元の切り下げに踏み切ったことをきっかけに、グローバルな
金融市場は激震に見舞われた。我々は、中国経済が抱えるリスクをどのように
捉えればよいのだろうか?  筆者の中国に対する見方を一言で述べれば、
“短期=楽観”“中長期=悲観”である。中国は所詮“社会主義”の国なので、
公共投資を中心とするカンフル剤を打てば、問題を1~2年程度先送りすることは
可能。しかし、向こう3~5年程度の時間軸で見れば、中国では“バブル”崩壊の
リスクが高まると見ている。
 最初に、現在の中国には膨大な2つの過剰が存在することを指摘しておきたい。
・第1の過剰は、金融面での過剰融資である。中国における過剰融資の総額は
1000兆円以上と推定される。将来的に、 この内の何割かが焦げ付く場合、
数百兆円規模の不良債権が発生することが懸念される。我が国の“バブル”
崩壊に伴う不良債権額が100兆円規模であったことを勘案すると、文字通り
“人類史上最大のバブル”と言っても過言ではない。
・第2の過剰は、工場や機械といった所謂“資本ストック”の過剰である。
その総額は400兆円以上と推定される。外資自転車操業的に呼び込んで、
資本ストックを増やすことに依って成長する中国の経済成長モデルは、大きな
曲がり角に差し掛かっている。これに対し、中国の財政出動余地はどの程度か?
「中国が諸外国並みにストックベースの債務残高を拡大する」という前提の下
では、600兆~800兆円規模の財政出動が可能だと推定される。つまり、現在の
中国経済を取り巻く状況を極めて単純化すれば、
「“1000兆円以上の過剰融資”“400兆円以上の過剰資本ストック”に対して、
中国政府が600兆~800兆円規模の財政資金で立ち向かう」という構図である。
中長期的に見て、中国経済は決して楽観視できない。仮に、政府が大型の財政
出動を行ったとしても、中国が抱える本質的な構造問題は解決しないからだ。≫
▼ 中国の混乱の影響は、欧州に飛火、シリア・アフガン難民を抱えている
 欧州経済の混乱は計りしれない。そこで、日本は、表向きは目先のリオと、
4年後の東京オリンピックに向くが、その間に、世界情勢は一変している。
特に、中国の経済難民の問題が、今後、大問題として表立ってくる。

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5143,知の逆転 ~?
2015年04月14日(火)
             ー知の逆転ー
  * 5万年の間、人間の認識能力は進化してない
                 対談相手 ~ノーム。チョムスキー
 フランス、スペインに多くの洞窟壁画が、近年発見されたが、発見当時は、
プロの画家や学者は、3~4万年前に、これほど高度技術の壁画の存在を認めず、
最近、いたずらで描かれたと譲らなかった。ラスコーの壁画は、霊媒師のような
存在の人が、百数十年にわたり書き加えていたという。
≪ ・わかっていることとしては、約五万年前、ごく小さなグループの人間が
 東アフリカを出て、急速に全世界に広がっていったということ。それ以来、
知る限りにおいて、認識能力の進化は起こっていない。 つまり、たとえば
アフリカを出てから全く他の人種との接触のなかったパプア・ニューギニア
アマゾンの原住民の子供たちと、われわれの子供たちとは、認識能力に全く差が
ないということです。当時の原住民の子供をボストンに連れてきて育てれば、
私の孫たちとなんら変わらないはず。種族間の遺伝的な差異は見つかりません。
同じ種族の中での差異はありますよ。たとえば、病理学上の違いとか。
でも基本的には認識能力に差はない。ですから、過去五万年の間に、進化上の
変化は全くなかったと言っていい。たとえば髪の毛の色といった表層的な
変化はありましたが、認識能力上の変化は起こっていない。
・考古学上の資料によれば、約5万年から10万年くらいの周期で、重要な
創造力の爆発があるといいます。ですからそれくらい前に人類学者が「大躍進」
と呼ぶような何かが起こったらしい。その頃、記号を使った行動や表記が始まり、
天体の記録や複雑な社会構造が生まれ、考古学上の記録だけでも、人間能力の
突然の進化や向上が見られるわけです。それ以前にも進化はあったけれども、
この頃に急激な変化が起った。 
カンブリア紀の生命爆発の頃に、生物の基本的なパターンというものが
整ってからは、生物の発達というのはみなほとんど同じなのです。
遺伝子の保存についても十分にわかってきている。多様な生物は、実は一種類が
非常に長い時間をかけてわずかずつ変化してきた結果であるとする論文も発表
されているくらいです。しかしそれらとは違って、言語を含む人間のさまざまな
能力は、非常にごく最近、突然現れたものなのです。・・ ≫
▼ 「5~10万年の周期で、創造力の爆発がある」というが、まさに現在の
 ネットの世界的普及が、これに当る。認識能力が、このネットで飛躍的に
伸びることになる。ハッキリいえば、最近、同年代の人を二つに分けている。
「パソコンをどのように使ってますか?」「ネットサーフィンしてますか?」
 人類にとって、これは有益かどうか?など、考える必要はない。奈良時代
ヘリが空から舞降りてきて、誰でも使えるようになったようなもの。こんな
面白いものを使えないのは、知らないから。認識の飛躍的拡大が可能のマシーン
が、各自が手にしたのである。 人類にとって、断絶の時代である。
・・・・・・
4778,閑話小題 ー 二度のポタリングの試み
2014年04月14日(月)
  * 先週から、一日二回のポタリングを開始
 先週から、早朝に加え午後の一時間のポタリングを加えた。
午後はスポーツジムを早めに切上げ同じコースを走る。健康もあるが、
グライダーで空中遊泳をしているようで気持ちが晴れるからだ。
音楽を聴きながらの土手の時間は特上。
 NHK・BS/TVで、朝食時に日本各地を火野正平が撮影チーム4人と自転車で
駆け抜ける番組を放映している。数ヶ月先のコースを予告して、視聴者が、
どの道を走って欲しいかの便りを元に走る内容である。朝ドラの直後もあって
か、視聴率が高いという。平凡な毎朝の、私の定番だが、ツーリストの
自転車目線が好き。 その一つの便りに、「先年、亡くなった父親が生前、
行き先は何も言わないで早朝から夜遅くまで、出かけていた。ところが最近、
父親の日記帳を見たところ、自転車でお寺や名所廻りの行先の記録があった。
その一つの寺院のコースをまわって欲しい」とあり、そのコースを辿っていた。
「早朝から夜まで、自転車に乗って、独り、何処かに行っていた」という
言葉が妙に引っかかった。 私の自転車歴は4年半だが、その人は、一日中、
どんな気持ちで走っていた? チャリダー? ポタリスト? 私の命名は、
「一日ツーリスト」。 少なくとも、家でゴロゴロしているより遥かに良い。 
 そこで「現在、一時間のポタリングも、2~3時間にしたら?」と思いたち、
先週から二回目を挑んでいる。で、私は、「一時間ポタリスト」というところ。 
ただ、自転車は危険なこと、この上ない。それもあって、土手と、バイパス
脇の道路以外は、避けている。最近、始めたのが、ある本をヒントに、
ベンチで「ぼんやり時間」を持つこと。これが、なかなか、難しい。
自転車があるので、道の傍のベンチに座るが、ウォーカーが通ると、
何か落ち着かない。ボ~っとした自分の姿を他人に見られたくない気持ちが
動くのだ。 まだまだ「ぼんやり道」の初心者でしかない。
   * 面白い公園
 ツアーで、世界中を旅行していると、行先の都市の美術館、博物館、寺院
などの観光の中に、公園がある。公園は、その国の文化が、そのまま現れ出る。
その中に、ノルウェーオスロの彫刻家のヴィーゲランの作品をテーマにした
公園がある。 幼児期から老人期、そして死、愛、感情など、一生の出来事を
テーマに、人生を考えさせられる像が、様々なテーマごとに並んでいる哲学的
空間である。初めて、その空間に入った時の驚きは、今でも憶えている。
人生をテーマに国をあげて公園をつくる、そのセンスの奇抜さに・・
 一日がかりで、それぞれのコーナーで、自分の人生と重ね合わせると、
記憶が生々しく立ち上がるのだろう。
・・・・・・
4411, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ -8
2013年04月14日(日)
   * 心清く、よく遊びよく遊べ ーつれづれに
 老後を考える上で、なかなか面白い本である。何事にも自然体で、拘りを
持たず、自由に気楽に生きることがベース。人間は、それぞれ固いバイアスに
囲われている。それを一枚一枚、そぎ落としていくのが人生。老いるにつれ
何事も面倒になり、過去に目を向けて、周囲の現象には上から目線になりがちに。
両親の晩期を供に生活をし、冷静に身辺整理をした父の姿を見ることが出来た。
母からは何事にもチャレンジする姿を見た。「始める前に、あるレベルまで
到達できるかどうか見極めること。決心をしたら、先生を見つけ集中すること。
ライバルを見つけること」と、教えてくれた。道を極めようと一心不乱で
日々過ごすと、心が純化されていく姿が見て取れた。「心の純化」こそ極意。 
以前「何かに集中していると、あるゾーンに入る瞬間がある」と書いたが、
それは心の純化の状態。 何事も純化の心から生まれ出てくる。「童心に帰り、
純化の心で、遊べ遊べ!」である。人生を振返ると、その時々、面白く遊んだ
ことが思い出される。 事業も、遊びも、何でも、遊びになるまで対象に入り
込まないと。それは楽しむことから始まる。楽しみになるまで対象に同化する
こと。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」 
これは高杉晋作の言葉だが、その心は純化した心。 論語の雍也第六に
『子曰。知之者不如好之者。好之者不如樂之者』がある。「師曰く、真理を
知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」
という意味である。真面目に学べば「知ること」ができる。 しかし、知った
ことは、よく忘れる。だが、好きでやったことは身に付くから忘れることも
少ない。更に良いのは「楽しむ」こと。・・・更に、楽しみを遊びにしていく
ことである。遊びは、現代風にいうと、ゲーム化することになる。
ゲームは仮想世界の競争である。人生を夢幻として、難関を乗り越えて
いくことになる。人生のゲーム化。 夢幻の劇場で自作自演の役割を演じ、
それを味わい楽しむことである。心清く、遊んでいれば、その役をこなすこと
が出来る。 「うれし、たのし、おもしろし」の世界を、持つこと。ただし、
節度を持ってである。だから、そこに「良く」がなければならない。
その辺りに少し気を使いながら。
・・・・・・
4037, 閑話小題 
2012年04月14日(土)
  * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震
 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。
前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、M8・7の大地震
しては大津波は発生しなかった。地震学者は、「これは東日本大震災震源地の
隣接地域で10年、20年単位で誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、
注意が必要。」と、忠告している。東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型
地震の可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 
日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに原発が54もあれば、
危険極まりない事態。
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4
月~11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから
7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、
午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の
組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車
の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、
お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート
フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え
始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
  * チョッと騒ぎすぎでないのか?
 打上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打上げ少し騒ぎすぎ。
また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。北朝鮮の存在で一番、都合が
良いのは中国。極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の
属国、日本と韓国の国境の緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 
まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。
更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、
国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、呪縛にとらわれている。 
その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切る
ことになる。
  ・・・・・・・
3671, 節目どきに ー6
2011年04月14日(木)
  * 都知事選の結果をみて
 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。
東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性が
あったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、
この国ではありうること。都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗を
したことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。政治は
言葉で方向性を常に発し導くことである。石原を除いた他の候補は、論外も論外。
  * 本州壊滅は本当だったのだろうか?
 この原発事故が発生した数日後、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」
と聞き及んでいた。ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列を
なして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している
シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、
事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開の
ニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪
レベル7に引き上げられた。事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7と
いうことを外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、
ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、
両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。
  * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴
 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。
前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。それも、
リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元の
リゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえる。「過度の自粛を控えなさい」
というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。
だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。
気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。
その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、
いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。  

読書日記 ~『サピエンス全史 ―文明の構造』 -3

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         『サピエンス全史 ~文明の構造と人類の幸福 』
                       ユヴァル・ノア・ハラリ著
    * Amazon読者の投稿より
  ~何ゆえにホモ・サピエンスは生き残ったか?~
 復習のため、再度、確認のため、Amazon読者の投稿を…
≪ かつて地球上にはさまざまな人類種が存在したが、なぜホモ・サピエンス
 だけが生き残ったのか。ハラリはその理由を、7万年前にホモ・サピエンス
 脳に起きた「認知革命」に求めた。これによってホモ・サピエンスは、
「虚構」を操る力を手に入れたのだ。 この能力によって人類は、言語を獲得し、
「神」や「国家」などの概念を生み出した。目に見えないものを崇めたり、
自らの身体スケールを遥かに超える大きさの共同体をイメージして、互いに
協力したりするようになったのだ。
 今よりも豊かな生活や、まだ見ぬフロンティアなどを想像する力を手に
入れた人類は、文明を生み出し、イノベーションによって進化のエンジンを
加速させ、この星の歴史上、もっとも繁栄する生物となった。
「虚構」というコンセプトひとつで人類史をクリアに見通してみせた
< 私たちはどこから来て、どこに向かうのか、私たちは何者なのか──。
人類(ホモ・サピエンス)の来し方行く末こそ、私たちにとっての最大の謎。
気鋭の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は、この究極の
問いのうち、「私たちはどこから来たか」を解き明かそうと試みたものだった。
 ――
   ~ホモ・デウスとは何を指すのか~
人類の歴史を振返ると、飢饉や疫病、戦争によって人々の生存は脅かされてきた。
ところがいまやこれらは克服されつつある。もちろんこれらの問題が根絶された
わけではないが、実際には飢饉で死ぬよりも肥満で死ぬ人の方が多く、疫病より
も老化で、戦争よりも自殺で死ぬ人のほうが多いのが現実だ。この3つの問題を
克服しつつある人類は、次のステージに向かうのではないかと見ている。
次なるステージで人類が目指すのは、不死と幸福と神性の獲得。サピエンスは
自らを神(デウス)にアップグレードさせ、ホモ・デウスになるのではないか
というのが、本書の予見する未来である。
サピエンスは認知革命によって知のネットワークを拡大させ、やがてそれは
科学革命へと発展していった。科学革命は人間を自然から切り離し、世界の中に
すえる人間至上主義を生み出した。人間の命や心、意識などを特別視する世界観
が支配的となったのだ。だが現代の生命科学者たちは、すべての生命はアルゴ
リズムであるとする。
 私たちの意識は、ニューロンが発する信号によって脳がデータ処理を行う
プロセスの副産物に過ぎない。現代の脳科学では、私たちの自由意志ですら虚構
だとされる。魂や自由意志にかわってクローズアップされるのは、遺伝子や免疫
機能である。「ホモ・デウス」が描き出すのは、私たちが想像もしなかった未来。≫

▼ この情報化社会の変革は、人類誕生だけでなく、生命誕生以来の革命とまで
 言い切る論に、妙に納得する。世界が情報機器で結ばれ、ネットで覆われた
現象。個々人がスマートフォンタブレットPCなどの受発信基地(サテライト)
を持ち、現場から、個々の生情報を受発信を始めた。これは、個々の脳がネット
で結ばれ共同活用が可能になってしまった。それと結びつき、超人に至る人を
「ホモ・デウス」というが、この超人は、何をしでかすか? 
超人といえば、ニーチェが思い浮ぶ。「何に、神も悪魔も所詮は立場の違いで
しかない。自分が信じる神が他人さまから見たら悪魔だって事もあるし、一生
大切にすると子供の頃思っていた物がゴミへと変わる事もある」
 結局は、その人間が「ホモ・デウス」になっても、その本質は変わらない。
で、そこで待っている事態が、崩壊。

・・・・・・
6240,閑話小題 ~加山雄三とヨット -2
2018年04月14日(土)
   * 加山雄三、ヨット全焼で何を思う?
寅: 悲しいだろうにな~
八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの
  問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を
  考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。
大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも
  すれば、不幸中の幸いになりますよ。
寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから
  して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。
  幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。
熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや
  自分さえ分からないからね。
八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット
  の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。
  世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。
大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、
  羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も
  入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして
  いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。
八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、
  遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。
  早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。
熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな~。
八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。
寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない
  ようだが。如何して?
大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。
  そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。
八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに
  20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ
  たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。
大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。
八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど
  の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。
熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って
  言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。
八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。
熊: なら普通だ。
大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。
  それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。 
  後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。
八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生
  だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。
寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。
大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、
  周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。
八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら…
大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、
  悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。
八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、
  年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、
  私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。
大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。
  キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢
  に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。
八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を
  味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の
  金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、
  自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら
  日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。
大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。

つれづれに

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 昨日のシネマは、『ハンターキラー』。
これが思いの外、面白い! 評価は、90点というところ。
 
 栖吉川と福島江の桜、今日が八分咲、明日が満開。
咲き具合は、例年並みか… 信濃川の桜は八分咲。
鶯は何故か鳴いてなかった。






・・・・・・
・・・・・・
3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2
2010年04月13日(火)
 ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、、
投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、
国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、
金売りが殺到し、暴落する。 その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻せばよい。 一般の国民は、
一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。 アメリカの金融占領国の日本は、
そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。
 金は世界共通通貨である。 ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格を
コントロール下におくのは当然である。 金が真実で、ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、
金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに買い集めた
ゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。 ドルの下げはアメリカの
対外債務が大きく減額される。あと1~2年か、数年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 
と同時にデノミなどを世界中の国々が一斉に実施するだろう。 その前に金融シンジケートは何度かは大きな
株や債権の上げ下げをしながら、売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5~10年
スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。「世界は、ごく一部人たちによってコントロールされて
いて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の
恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。 G7の首脳を動かしている力の存在は、
当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが!

・・・・・・・・
2930,新潟清酒達人検定
 2009年04月13日(月)
一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、
銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1~22度まである
 とかいう軽い内容が中心?
・受験生は若い女性から、あらゆる世代の人にわたっていたという。それから、酒のメーカーの批評から
話題が次々と出て和気藹々になってしまった。新潟の酒蔵は104あったが、現在では97に減ってしまった。
酒は米の質と、水と、米を何処まで削り落とすかで清酒の質が決まってくる。「上善酒、水の如し」と
いうが、水の質も大きな味の要素になる。酒は朝日山と、寒梅が良いとか、南魚沼の「緑川」が美味しい
とかの議論が伯仲した。そこからNHKの「天地人」に話題が移行、長岡近郊の与板城主が井伊直弼の4男だった
とか、まあ面白い話題をそれぞれの人が持っているものである。法事も普段に会えない、叔父叔母の連れ
添いの親戚などの色いろの人生を知るチャンスでもある。一人の人生の中には、生きてきた経験と知識が
詰まっている。当然のことだが・・  清酒達人検定試験、来年でも受けてみようか?
・・・・・・・・
2566, ターニングポイント
 2008年04月13日(日)
・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まる
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
  ー以上のことから
 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 
 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」になる。
これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅
するなど、考えられない事件であった。日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。幸い事業
には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県
エネルギーが10~15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。
これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。

・・・・・・・
2007年04月13日(金)
2201, 新幹線乗り越し、6回目
                  (~Q~;) おはよう?? ファ?
一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかり
していたが、その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前
でドアが無情にも閉った。またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、
無事Uターンした帰ってきた。4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、
出てきたのが以下の文章である。なるほど文章化をしておくのも面白い。 乗り越した「浦佐」の駅員に、
「長岡では乗り過ごさないように」と注意されたり、横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と
励まされたり、シッカリ酔っ払いをしてきた。いや酔っ払いずれをしているということだ。5年前の湯沢で
乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、割り勘で同部屋に泊まったことがある
(全く知らない人だった)、その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。
その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。
 以下は以前の書いたものだ。
 ーーー
2003/08/22  
 5回目の乗り過ごし
昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
ーーーーー
2002/02/10
新幹線の乗り越しー4回!
 通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。
10?15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテル
の近くのスナックに飲みに出た。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
・・・・・・
2006年04月13日(木)
 1836, ローマから日本が見えるー1   b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国
成立までを、自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の
濃い一冊である。
 =まずは、この本の概要をまとめてみる。
ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー
著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、
自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎな
かったローマが、有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、
その原動力は何であったのか。そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の
面白さに満ち溢れている。古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。
健康で人を愛して生きよ。あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。
「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」
ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。また、
そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。              
 ーローマ人の改革についてー                  
「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」  ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~
ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。どんな改革
であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどう
なるか。結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革を
やろうとすれば、結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放
もしくは死刑の宣告)を与えた元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。
それは従来ローマ市民にしか与えられなかった元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな
改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。
                        …(´Д`驚)…!!              
改革にはタイミングがポイントとなる。ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく
占領された。このどん底から這い上がることで真のローマになった。敗因が自分たち自身にあったことを
反省し、ローマ独特の共和制を樹立し政治改革を完成させた。ローマは、その苦境を乗り越えるために、
ローマは、自らを改革して行った。それこそが、ローマが王政から共和制へ、そして帝国へと変わって
いった過程なのだという。「ローマは試行錯誤によって作られた」のである。もちろん改革の時期には
改革を阻止しようとする勢力が優勢になり、後戻りも頻繁にある。しかし、その後戻りも結果的には改革
への推進力に切り替えるかたちでローマは自らを成長させてきたことが、本書でも簡潔に示されている。
著者はローマが新生ローマになるには20年の年月がかかった。それだけかかっても改革への取り組みを
諦めなかったからこそローマはローマになったと指摘している。ローマも改革も1日にして成らずである。
改革には時間と手間がかかる。既得権益を持つ人達は手放したがらない。多くの人は改革の手間を惜しみ、
まだ大丈夫と思っている内に国家は衰退していく、と指摘。当時のローマに今日の日本の姿を投射しながら
改革の「必要性」とタイミングの「重要性」を説いている。急激な経済の拡大成長に従来の国内システム
が対応できない日本。その間に業者や特定利益団体が自民党族議員・一部官僚と結託して、利権体質を
作りあげた。現在の日本はその体質改善が求められる。 
                 ーつづく   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・・
2005年04月13日(水)
 1471, 『冥途のお客』を読む
  佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。
月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味
の濃いものであった。文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の
直後、霊体質になった。最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな
現象に出くわした。そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質
になったというから、私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は
興味本位で聞いていただけで、内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。
違う感覚器官が、身についたという感覚である。そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、
音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。それと同じことである。私の場合は、身近な人の
葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と出会うことは少ない。最近は本当に
少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、[あの世で静かに
お眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)
に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れた
ところ人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出て
くるはずがないと思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の
泊まった前の部屋で「病死のようだが、人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に
悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。
霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。佐藤愛子の場合、私よりズット
霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。理屈に全く合わないのだから。
ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。
 ーーー
著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)
・・・・・・・・
2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味
 昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、
サウンドバックのように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト
寸前。 5回はいつダウンをするか一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチ
が当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容
。映画の「ロッキー」を見ているようであった。ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、
見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。9回2アウトからの大逆転のようなものである。
最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に負けるわけのない選手に一発で
負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた選手の、
劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。それと青年期にはカシアス・クレイ
(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。ボクシングも最近以前のように熱心には見なく
なってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。
・・・・・・・・・・
2003年04月13日(日)
 739, 睡眠時無呼吸症候群
一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。
「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって
無呼吸症候群が問題になって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?
そういえば新幹線の停車ミスの運転手も無呼吸症候群だった!そこでインターネットで
睡眠時無呼吸症候群」を調べた。その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。
または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
・・・・・・・・・・
2002年04月13日(土)
375, 「テーマ日記」を書き始めて一年
 あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで
書いた。何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは
事実である。気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1~2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくる。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事
を考えてない自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に今更
驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事とあまり
違いはない。内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

閑話小題 ~お笑い… 春うらら -2

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 お笑い、小噺ほど白けたら、これほど面白くないものはない。逆に、その場に
同化してしまえば、これほど楽しい時間はない。一時期、凝った時節があり、
この分類に<お笑いコーナー>に納めてある。これはという一品に出会うことは
少ない。笑いのツボが人によって違うことが多い。 私の特技が、心の底から
笑うことが出来ること。これで何とか、人生を乗越えてきた。これは日頃の訓練
が必要となる。笑いとは喜怒哀楽の感情を豊かにする切り口になる。これは常日頃
の訓練を要する。確か、インドにツアー仲間の女性が、中東で大麻を吸った時の
状態を話していた。 腹が捩れるほど笑っている状態に似ているとか。
 笑いも、つい振り向いてしまう美人と同じ。 明るさと、下ネタとしても、
アッサリした清潔感が必要。その最低条件は、具体的な生々しさを消すこと。
  
   ― 世界一短い小噺特集 ―
1.天国の話       :「アノヨッ」
2.ほんとうにあった話  :「ジツは(実話)」
3.旅行の話       :「この度(旅)は」
4.十二支の話      :「エット(干支)」
5.ピカソの作品     :「エッ(絵)」
6.四谷怪談       :「今からユーレイ(言うでぇ)」
7.気分が良くなる話   :「そうかい」
8.テレビラジオの話   :「ホーソウかい」
9.おならの話      :「ヘェー」
10.「こんな所に魚の頭が落ちているよ」 :「アラッ」
11.「向こうから来るのは坊さんかい?」 :「ソウ」
12.「小さな鳥が落ちた」 :「コトリッ」
13.「お母ちゃんカギ落とした」     :「キィーつけや!」
14.「台所使ってもいいですか?」    :「勝手にしなさい」
15.「この野菜何と言う野菜?」     :「きくな」
 ―
  ~他にいくつか
・日本酒を飲んで、飲酒運転してるやつが突然言いました。
  ゲッ!警官(月桂冠
・これは、ソースですか?
  そうっす!
・この椅子に座ってもいいですか?
  いいっす!
 ―
  ~ おまけ
魚屋さんの店先で、あるお客が「このイカ、タコかな」
「お客さん、イカイカですよ」
「はい、わかってます。 このイカを炊たこかなと思って」
 ―
ある母子が、京都の都をどりを見に行きました。しばらく踊りを見ておりまして
「お母さん、あのおねえさん、まだ着物脱がないの?」
「バカね、着物なんか脱ぎませんよ」
「でも、この間、お父さんと行った時は、全部脱いだよ」
 ―
  * 笑いの真髄
 (一度書いた内容だが、私が最も好きな小噺)
ある男暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって
待っているように言われた。
その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。
鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。
1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが
ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。その部屋に行くと、
数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。
一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかけると、
その男曰く「いや1週間前はもっと面白かった!
 馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」

・・・・・・
3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、
10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始
されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして
もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。
「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と
思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると
聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム
に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない
上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、
ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。
平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、
ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10~17時の
平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、
一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の
運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く
なった分、身体を動かさないと! 
・・・・・・
5872,トランジション ~人生の転機に、トランジション理論 ~6
2017年04月13日(木)
  * 30歳辺りが最大の転機というが
 ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。
責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る
難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、
真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の
基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。
 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、
30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、
出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、
何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 
 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を
目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。
血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、
本番の創業に向かうことに。
 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。
34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、
余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの
ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と
すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、
準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。
背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、
人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。
18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回
のヨガで持ちこたえているが… 
 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から
見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、
もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか?
 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。
石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。
・・・・・・
4410, 夫源病と妻源病
2013年04月13日(土)
 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ
が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について
インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、
「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人
いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! 
  ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー
≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断
 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、
妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の
役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす
病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 
夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、
激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、
不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満
が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを
かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、
と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、
プチ家出をする、などがある。≫ 
▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。
 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦
の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。
また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の
「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、
団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い
の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からし
今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。
多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。
で、やはり強いのは大方は御夫人の方? 
・・・・・・
5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー�
2016年04月13日(水)
            ~文芸春秋オピニオン。2016年の論点100~
              〔国立科学博物館 海部洋介〕より
 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。
以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の
70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の
己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の
人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。
  * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い 
≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。
 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも
あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を
越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。
・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。
恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし
数字の大きさが全てだとは、私は思わない。
・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで
あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低~中
緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。
・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス
つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え
無人オーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が
マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ
へ渡る陸橋をみつけて、無人アメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る
と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が
植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな
ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど
の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など
様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。
・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物
がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。
衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を
開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。
・かつての世界には、ジャワ原人フローレス原人、ネアンデルタール人など
の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは
ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。
世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない
かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。
私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫
▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に
 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する
権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。
権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代
アメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに
包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える
仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、
以下につづく。
・・・・・・
4036, 一時停止 ー2
2012年04月13日(金)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955~2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 
 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。
私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは
詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、
人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い
行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」
詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 
その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら
詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです
「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは
黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、
ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な
ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間
の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない
んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 
私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 
私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 
詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる
ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは
ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を
諦めているわけではないのです。」≫
▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。
 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に
なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで
いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも
夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 
夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 
詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。

  

つれづれに

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 今日はシネマ。 さて… 

今朝方は福島江の桜を見つつ、信濃川土手へ。
福島江は6分咲き。 明日から一週間が桜見の見どころか。

去年の今時分に、富山・金沢の日帰りバスツアーに参加。
その時は、福島江の桜は、ほぼ散っていた。それにしても、
このツアーなかなか良かった。富山の白山連峰を背景にした
桜並木などの3重奏の眺めが良かった!
20歳代で一番、キツイ金沢時代。 振返れば青春の真只中。



・・・・・・
・・・・・・

2014/06/01
「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
   * 金沢百万石での経験
⑨ 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の
経験不足はまだまだ不足。それと建設期限まで二年間半の期間があた。そこで、
何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた
「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の
社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がり
に落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先への
新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。
2~3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、世の
サラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく言ったもの。
何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。三年前の決断は、こういう経験が
あればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの
踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の
対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。 
 当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない震災クラス
の事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、
北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。

⑩金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ
京都風の味わいがある。特に目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。
いっけん厳しそうな男女間は、非常に大らか。私の出身地の長岡藩では、幕末の
「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何とも
いえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した会社内の空気
から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。

⑪ 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。ジャスコも含め、多くの売場配転から学んだことは、
業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の
再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つ
でしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、親しくさせて貰った取締役
部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、その後の事業立ち上げの教訓
になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、入社の一年4ヶ月後に、
突然、家からの一本の電話が入った。      ーつづく
――――
2005/06/29
1548, わたしの酒中日記-11
金沢-7
1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。



・・・・・・
4409,隠居大学ーよく遊びよく遊べ -7
2013年04月12日(金)
       第六時限 「遊行の旅に出よう」 ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 安野光雅
    * いのち短し恋せよ 人生は! 
  御隠居には自由気ままで何事も楽しめる特権がある。 桜は咲き誇った時だけでなく、桜絨毯にも何とも
いえない美しさがある。散った花も花である。人生は二度なし、その時どき、すべきことをしておくべき。
しない後悔より、してみた後悔がよい。「いのち短し恋せよ 人生」である。今でも遅くない、自分の
バイアスに気づき取り払うこと。それが、御隠居の残された最後のお勤めになる。今までの枠を超え
楽しまなくては、長生きの甲斐がない。どちらにしても先は長くはないのだから。
≪ 天野: 落葉の風情なんてまるで意味のないものと思われていますよね。
 安野: あのね、わたしの家の近くには桜並木があって、春には窓から花見ができる借景なんです。
  この前、ある人が近所に引っ越してきて、その人も最初はキレイな桜を見て「素晴らしい、素晴らしい」
 って喜んでいたの。ところが、秋になって落ち葉が家に入ってくるようになうたら、こりゃ住めた
 もんじゃないっていって、引っ越しちゃった。
 花も落葉もあるいいところなのに。落葉は風が吹くと竜巻ぎみたいになって、クルクル回ったりしてね、
 いいなって思うんだけど。
天野: 落葉のそういう風情を楽しむのは、遊び心の一つなんですよね。機能的なことだげ考えたら、
 そんなのないほうがいいってことになっちゃう。だけど、そういう、なんとなく無駄なようだけど
 風情があることの中に、何かこう人生を感じたり面白味があったりするなあと思うんですよ。…(略)
安野: ・・・いまの現代の文明が昔を超えたかというと、超えていないわけですよ。ミケランジェロ
 みたいな絵を描けっていわれても描けない。ミケランジェロはおろか、まだ人間以前のクロマニヨン人
 が描いたラスコーの壁画だって描けませんよ。電気もない、真っ暗な洞窟の壁に、あんなものどう
 やって描いたんだろうと思うけど。文明は進化したかもしれんけど、文化はさほど進化していない。
 だから、古いものだからって、バカにするのは違うんですよ。
天野: 人間は技術文明の上では巨人になっても、文化や芸術の面では木偶の坊になったっていう人が
 いるんだけど、同感だね。せめて現代の隠居は、落葉の風情の楽しみ方みたいなものを次の世代に
 伝えていけたらいいと思います。
安野:『即興詩人』に憧れてイタリア全土を周遊するなんて若いころの話で、今では、仕事だから、
 仕方がないから行っているものも多いんです。私は言葉が分からなくても行くからね。そういうと、
 言葉とか、食事はどうするか聞かれる。高学歴の人に多いね。でも、困ることなどない。宿屋に行けば、
「部屋探しに来たんだな」って思われるし、八百屋に行けば、「野菜を買いに来た」と思われる。
 レストランなどでは上から三つ目にしている。たいてい食べられるものが出てくる。
 一度、とんでもないものが出てきたことがあったけどね。(笑い)  
天野: 隠居生活は、遊行の旅のようなもの。日々気ままに、好きなほうに歩いていけばよい。
 面倒なことをしないで。
安野: そう、なんでも、自分の思いのまま、楽しんでやってみたらいい。言葉など必要ない。
 いのち短し恋せよ少女、ですよ。≫
▼ 何ごとも楽しむ人生を過ごせたので、あまり人生に後悔はない。いい時代、いい家庭に恵まれた
 ことを感謝している。あとは、過去の思い出と、現在の楽しみを味わい尽くすことである。死んで
しまえば、それまで。生きているうち。それにしてもバイアスが邪魔をする。「ハミングしながら
スキップ気分で何事にも触れること」は分かっているが、いま一つ。
・・・・・・
4035, パチンコに日本人は20年で540兆円使った
2012年04月12日(木)
    「パチンコに日本人は20年で540兆円使った」 (幻冬舎新書) 若宮 健 (著)
 以前にも、同じ著者の本を取り上げ、パチンコが日本に大きなマイナスを与えている実態の驚いた。
先日、図書館で、その続刊の最新書を見つけ読んで、改めて、その被害?の大きさに驚いてしまった。
 ー内容紹介ー
≪ あっという間に1万円が消えるパチンコに日本人は多くのカネと時間を奪われてきた。この既得権益
 貪る人間、依存症に苦しむ人々。20年で540兆円―日本人が「失われた20年」でパチンコに費やしたカネは、
 2011年の国家予算(92兆円)の約6倍、GDP(479兆円)を凌駕。多くの人々の労働・消費意欲を奪い、
 また精神疾患であるパチンコ依存症者の数は450万を超える。ものの30分で1万円以上を失うパチンコが、
 カネと人間性を奪ってきた。なぜ韓国にはできた「パチンコ全廃」が日本ではできないのか。依存症の
 実態とそれを誘発するメーカー、蜜に群がる利権政治家、警察、マスコミの現状を徹底糾弾。
◎ パチンコ業界の売り上げは、『レジャー白書2011』によると、2010年は19兆3800億円。これは日本
 独自の市場。 ギャンブル依存症世界保健機関も認める精神疾患近年は通常の病気と同様、健康保険の
 適用を受けられるようになった。否認の病気と言われ、嘘・借金
・お金を盗む・うつ・失踪などが症状で、進行性の病気である。厚生労働省が2009年に行った研究調査の結果
 によると、日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.4%がギャンブル依存症であるという。2009年の成人
 人口から単純計算すると、男性は483万人、女性は76万人で、合わせて559万人という驚くべき数。
 そのうち8割程度がパチンコ、パチスロによるものと言われる。
◎ テレビ、映画で禁じられるサブリミナル効果がパチンコの特許に特許3029562の発明。大当たりの図柄
 を暗示銘柄にし、遊戯者が認識できない短い時間、挿入している。潜在意識に働きかけ、遊戯を続行させる
 手段として用いているようだ。≫
▼ 私の感覚では20年で540兆円、年平均27兆円も使ったとは信じられない額である。コンビニの総売り上
 が8兆円。スーパーの売上総額が20兆円。書籍の2011年総売り上げが1兆1千億というから、その20倍
の売上高になる。それに対してパチンコの売上総額が20~30兆円。しかも愛好者が1600万人、中毒者が500万人。
数多あるコンビニの二倍以上の売上高? 信じられないので何度見直しても、そうある。事実としてみると、
これは亡国の事態。韓国は、その社会的大きさに、国家として廃止してしまった。 しかし日本には、
それを実行するだけの自己修正力は無くなっている。
◆ パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? -2 2012/02/28
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル総額が30兆というから、
大部分がパチンコ・スロットの売上げが占めている。子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは
明らかに賭博であるが、どういう訳か廃止論が出て来ない。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 チョットした
市の郊外には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで何の規制もない。 
受験が終わって、友人と初めて行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。やっと大人を感じる時である。 
人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰り返す
仕掛けがある。 業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。パチンコ店の音楽や
パチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。負けたのは、
勝つための技術料金と錯覚させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが
当たりの場合、ABAや、AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。しかし、外れは外れでしかない。
その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出る
ドパーミンが長年の間に多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。iPadを購入して以来、
パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、
グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、あと一歩のところで達成できない
ようになっている。金を賭けている訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレ
さえ行けないほど熱中する。難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 私の周辺の人でパチンコ
が趣味というのは一人もいないため、20~30兆円がピンとこないが、この金額は国民の何割の人は
中毒に近いと伺わせる。 韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。
 この不景気で、業界は壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
  ・・・・・・・
3669, 節目どきに ー4
2011年04月12日(火)
 こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。私の人間関係は長年?の友人が多い。
その節目どきに、真かどうかが見えてくる。 具体的の話は、まあ・・止めておこう。立場が変われば、
これまでの関係が変わるのは当然。それを取り上げること自体がおかしい。その中で一番身近な家内が、
このところ上機嫌である。立場が逆転するからである。今後を考えただけで恐ろしい。早々に粗大ゴミ
にされてしまう恐れがある。彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、プライド?の高い、底の浅い?
修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。前向きな人生を生きていなかった?
それぞれの人生が、境目から見えてくる。これは私の歪みの目。それでは御前は何じゃい! と言われると
何も返す言葉がない。年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも仕方
がないか。 大体が人間の付き合いは立場における力のバランスの上で成り立っている。その力が変化を
すればバランスが崩れて当然と割り切ればよいのは分かっているが。ところで昨夜、学生時代の友人が
当時のクラブを代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。(当人の会社の仕事が
偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、
何の?先輩の実兄が先日、電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?
話しは幾らである。 いや、この数年間は、その宝の山だろう。 特に銀行筋の手順の中には・・・ 
それと、世間様レベルの人々の視線を、そのまま書くことになるだろうが、面白そうだ。
「家内が、先日、前の町内会長婦人とあったので、挨拶をしたら無視された」レベルの話しである。
こういうのを重ねて、ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、
こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の絶対言明!より深く
本を読む節目の時節到来か。
 ・・・・・・・
3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1
2010年04月12日(月)
 あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。
 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、
 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」
 というと、話しは違ってくる。  そのレポートの内容とは
・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が
 上がりそうになる度、大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引
「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てには
 ならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 
 真偽は如何だろう?
・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社
 の中の主要9社が午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた
 5社の価格平均で決めているいうもの。米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 
 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が保有している総量より多いことである。これはマグワイヤ
 というトレーダーによって暴露されたという その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。
金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で
騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんな
ものかもしれない。相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、
「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、
半年、3千円、2~3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。世界経済は、
数人の男たちによって動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、
アメリカの政府の首脳とは別の!
・・・・・・・・
2929,閑話小題
2009年04月12日(日)
 * 昨日は法事
去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。その叔父と連れ合い、
そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後ではないか」
と言っていた。これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も
最小にして、ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから
上ったりだろう。
 * 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。
もちろん戦後60数年で初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業
の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、
それは国債発行でまかなうしかない。その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。
あらゆるところから、綻びが現れてきている。
 * 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状
にあるという。一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、
それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。
地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・
・・・・・・・
2565, ドル覇権の崩壊 ー2
2008年04月12日(土)          (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本で面白いと思ったところといえば、
第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
 イラクアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、
 原因というのも解る。 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
  (字数制限のためカット 2012年4月12日)
・・・・・・・・・
2007年04月12日(木)
2200, 反時代的毒虫 ー1         才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記   
 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。
カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げ。
(字数制限のためカット 2010年4月12日)
ーーーーーーー
2006年04月12日(水)
 1835, 善意について      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を
目にする。善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教キリスト教
イスラム教、一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも
持続はしない。環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党
族議員、ゼネコン、官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も
許されるという甘えがマイナスになる。日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブル
があまりにも多いという。「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、
「連帯保証に、善意で判を押してしまった」という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている
人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに割り切っていたほうがよい。ただ、善意では
なく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。善意と優しさは、似て異なるものである。
善意という動機にクールの視線を持てということだ。
(ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)   
ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。
これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。
ーー
2004/02/06
 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た
不動産業に対する批判と知識。
 (字数制限のためカット 2012年4月12日)
・・・・・・・・・
2005年04月12日(火)
 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2
このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の
内面に落とし込んで、それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。 
  (字数制限のためカット 2013年4月12日)
・・・・・・・・
2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2
・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、
 宇宙の森羅万象のお陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 (字数制限のためカット 2013年4月12日)
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
 738, NTTの現状から時代の変化をみる
先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。NTTが現在、大きい
分岐点にあるのは私でも解る。
  (字数制限のためカット 2011年4月12日)
・・・・・・・
2002年04月12日(金)
374, 主観と客観(喜劇と悲劇)
 以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、
悲しいぐらいのいたみである。
  (字数制限のためカット 2013年4月12日)

閑話小題 ~お笑い… 春うらら

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    * 早朝、つれづれにお笑い!
◉ フランスに逃げ帰った?ゴーンの妻が帰えってきて検察に出頭をした。 
‘これでは正にコント’と数日前に、ここで述べた。
「だから、ゴーンの身柄確保に踏み切った」検察の主張を妻自らが実証した
ことになる。それに気づき再来日してきたのだろうが… 逮捕かどうかは? 

◉ 塚田副大臣につつき、桜田五輪担当大臣が失言をして辞任をすることに… 
 この時節に、『災害対策より、候補者の勝利が先!』と本音…。これでは
首相が首を切って然るべき。 大臣として、最も顔を売れる恩恵を受ける職責。 
ここまで失態を重ねる中で、野党がこの地方選挙で大勝できないとは不甲斐ない。
今まで問題にされなかったリップサービスも、ネットで瞬時に拡散される。

 ~~~~
現実社会そのまま描写するとお笑いそのものだが、他人事ではない…
 そこで小噺でも…

   ~老夫婦 (以前、紹介したが… 何か身につまされ再び)
ある田舎町で結婚50周年を迎えた老夫婦に地元の新聞社がインタビューした。
「50年間も結婚を続けてこられた秘訣は?」
すると夫が昔を振り返って懐かしそうに答えた。
「わしらは新婚旅行でメキシコへ行ったんじゃ。そしてロバを借りて二人で砂漠を
のんびりと歩き回った。すると妻の乗ったロバが急にガクンと膝を折り、妻は落ちて
しまったんじゃ。妻は『1』と言うと何事も無かったようにロバに乗り、再び散歩を
続けた。するとまたそのロバが急に膝を折ってな、妻はまた落ちてしまった。妻は
『2』と言うとまた何事も無かったようにロバに乗った。そして三度目に落とされた
とき、荷物の中からリボルバーを取りだして、ロバを撃ち殺してしまったのじゃ。
わしゃあ、びっくりしてな。いくらなんでも撃ち殺すことはなかろうと妻をひどく
叱ったんじゃ。そうしたら妻が言ったんじゃよ」
「何て?」
「『1』」 
 ―
   ~味噌汁の味
ある所に息子夫婦と舅(しゅうと)が三人で住んでいた。 一年前に他界した
姑女は、とても温和で上品な人、嫁にも優しい人であった。
が、舅の方はそれと反対に、頑固で少々意地の悪いところがあった。
かいがいしく世話をする嫁の行動に、いちいち文句をつけるのだ。
 中でも味噌汁については
舅:「婆さんとは全然味が違う、なっとらん!本当に覚えが悪い嫁だ!」
と毎日嫁を怒鳴りつける始末。 ある日、とうとう頭に来た嫁は舅に出す味噌汁
の椀に、こっそりと殺虫剤を振りかけた。 その味噌汁を一口すすった舅が一言。
舅:「これじゃよ!この味じゃよ!! 婆さんの味噌汁は!!」
 ―
    ~チュウ
  家の大掃除をしていると、一匹のネズミが走り去りました。
「キャッ、びっくりした。今のネズミ大きかったなぁ。」
「なぁに、たいしたことはないよ」「いや、大きいよ」「小さいよ」「大きい」
「小さい」「大きい」「小さい」・・・・、二人で言い争っていると、
さきほどのネズミが、「チュ-」
 

最後は …とっておきの("^ω^
   
   ~誰の物まね?
「誰の‘真似声’で電話をしているの?」
「うちのマネージャーっぽい真似じゃ」
       <マネジャーを雇う余裕のない事務所にて>

追:ところで、書き残こしておけば〔私にも歴史あり、過去有り!〕に。
 去年の出発の日は桜は散っていたが、今年は、これから… 平成最後の桜見だ。
 たしか同級会と重なっていた。今年も、花見を兼ねた会が開かれる通知が… 
  30分早いが、さて福島江と信濃川土手の桜見のポタリングに出発… 

・・・・・・
6238,閑話小題 ~金沢・富山バスツアー ~2
2018年04月12日(木)
   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、
 夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
 今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
 写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  ~【金沢・茶屋街】で検索すると~
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
――――
2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
   ー平家ー鉄板焼
 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4~5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
――――
5140,閑話小題 ~北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアー能登半島
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
――――
2014/06/05
「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
   
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく
か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、
多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの
である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、
大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に
いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、
抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との
東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋
で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下
を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。
ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、
「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、
「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」
と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も
考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが
青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、
「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、
創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、
人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を
自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
――――
 2014/06/03
「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17~8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か
質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  
ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2~3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め
の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は
感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い
かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声
で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り
返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを
互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と
する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう
決まっている、その人のソフトのベースもある。
 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、
人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける
こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。
人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人~15人の小グループに、1人~2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり
「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を
柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

――――
2014/06/01
「事業人生を決心して45年」の語り直しー5
   * 金沢百万石での経験
⑨ 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の
経験不足はまだまだ不足。それと建設期限まで二年間半の期間があた。そこで、
何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた
「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の
社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がり
に落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先への
新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。
2~3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、世の
サラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく言ったもの。
何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。三年前の決断は、こういう経験が
あればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの
踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の
対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。 
 当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない震災クラス
の事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、
北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。

⑩金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ
京都風の味わいがある。特に目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。
いっけん厳しそうな男女間は、非常に大らか。私の出身地の長岡藩では、幕末の
「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。
しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何とも
いえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した会社内の空気
から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。
しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。

⑪ 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、
子供服売場へと配置された。ジャスコも含め、多くの売場配転から学んだことは、
業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の
再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つ
でしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、親しくさせて貰った取締役
部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、その後の事業立ち上げの教訓
になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、入社の一年4ヶ月後に、
突然、家からの一本の電話が入った。      ーつづく
――――
2005/06/29
1548, わたしの酒中日記-11
金沢-7
1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ

http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 今朝の天気は、ポタリング(ミニ・チャリ)に出るには絶妙な曇り空。
迷った時は、中止した方がよいのは春だから。 現在の一週間単位の
生活サイクルの中では、木曜日がピーク。SJでヨガエアロが終わると、
ホッとする。 金・土・日が、ほぼ単独時間が殆ど。 TV前と、PCに
集中する時間になり、フロー状態に… 





・・・・・・
・・・・・・

4034, 幸福になるための五箇条
2012年04月11日(水)

     「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵

  「今日一日 親切にしようと想う。」
  「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」
  「今日一日 謙虚にしようと想う。」
  「今日一日 素直になろうと想う。」
  「今日一日 感謝しようと想う。」
「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。
意識するとエゴがでてしまいます。 そういう想いが、いつも体の中にある人間になるのが一番いい。 
潜在意識に刷り込むのが良い。
  
▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。「しようと想う;なろうと想う」が良い。
 パソコンかトイレに貼っておくと良い。
「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝しようと想う」
と憶えればよい。
・・・・・・・
3668, 節目どきに ー3
2011年04月11日(月)
  これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、
それが全くない。恐らく10年以上、一日2~3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。
事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに
書いているが、現状のその様は何だ!」と、酒席で言われたが、その通り。
その時に「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、
他の人から忠告された言葉を思い出した。毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を
書き残したり、毎日一文を書き始めた時から何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁の
ある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広く明るく自由にする。心は言葉である。
毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。
何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 
ギリギリのところで、表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、
公開することの効果を感じ取っている。だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。
初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、書いた時々のマイナス、プラスなど、
如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。
その上に、いわれのない?  数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると
周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。
その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。先月末を持って、数ヶ月、
節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 
結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・
   2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
 ・・・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
 2010年04月11日(日)
* 死の不安の克服は可能か
   ー まずは、その部分の抜粋 ー
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれは
それと正面切って対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあます
あまり何かで紛らせようとするが、人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために
何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは
必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは中高年期以後に精神障害に陥る
ように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり対決したりできる
ものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが
はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。
少なくとも、病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、
別の何かで紛らせ続けようが、最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が
逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 
俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、死や滅亡しないで済ませる工夫でも
あり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのものばかりで無い。
あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽
が空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、
E.バーンは「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに
適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されて
いる通常の状態かのいずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい
「生まれる前なることが、それほど恐れるべきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・(中略)
それがしの不安を宥めるために思いつかれたかどうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれに
とって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんで
いると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、そこで安んじることができる。
しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
▼ あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、
 後ろから迫ってくるが、70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。病気でさえ、それから
回復という目標としての気を紛らわせる手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな
存在しないことに恐れることはない!とはいえ、そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 
だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから宗教が最後のよりどころということか。 
最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、一日一日を精一杯生きる
ことしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、
楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。
気を紛らわせるために。

・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 -7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか?
 ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・
 ー設計事務所
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウス
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  ~~
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。
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2564, サルも朝日の美しさに感動する! -1
2008年04月11日(金)
 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面
が目に焼きついている。猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではない
だろうか?それを猿が持っている?等を考えた。しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。
夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を感じていたが、猿も、その美しさに
見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
まずは、その一節を書き写してみよう。
* ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて
 並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から
 一切の物の形を浮かび上がらせる。ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。
 そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと台地の向こうに去ってゆく。
「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。
* この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に
 昇ってきたときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用
 の椅子を持ち出して、アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど
 暗緑色のジャングルが細長く横たわり、谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 
 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
      (字数制限のためカット 2010年4月11日)

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2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々  オッ(*^○^*) ハ~ヨウ  ー読書日記ー
新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言-2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)   ー読書日記ー
唐沢俊一著「壁際の名言」が面白い!この本は「まえがき」「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿
しい?が、シビアで現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。
自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。
 ーあとがきーの文章がよい!
老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとして
いるが、京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった
手管や失敗談は、一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロ
して、一円の金もとれずに消えてしまった。 ・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、
「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」と聞いてみた。すると、彼はうつむいて
考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。「それは・・・顔の?それとも、内面の?」
と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉の
インパクトは、ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。
(もちろん、仕事上である) そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、
それのみを自分の価値観として生きていて、ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを
要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、と強要し、こちらはホトホト困窮した。
一方、外面~顔~の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、此方がわ(芸能プロダクション)
が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、プロの論理できちんと応えてくれた。
その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。

以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい
一部分は理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をして
いるから、その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。
 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 
顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。
  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの
言葉を選んだ。「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」  (尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」         (ジョジョの奇妙な冒険
「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」
マツモトキヨシ)         
  (字数制限のためカット 2012年4月11日)              

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2005年04月11日(月)
 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かに
そういえる部分がある。特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、
重荷も軽い」という言葉が人生の妙を言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、
「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は
軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、努力と技術で可能になる。いつも書いて
いることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。荷物は決して減りは
しないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、
重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。
海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せる
ようにしておく。慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。これは人生の荷物にもいえることである。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2004年04月11日(日)
 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記-1
以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、
「ありがとう」の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに
従うしかないと思うと同時に「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリ
と読むと深い暗示を多く含んでいる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)

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2003年04月11日(金)
 737, 若い人の価値が下がってしまった
 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを
いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なく
なってきた。いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなった。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、
勝ち組と
負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方
が得策になる。「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、
過去会社経営してきて身に沁みて解った。十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」
と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?
今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった!
・・・・・・・
2002年04月11日(木)
373, 何故マイナス思考になるのか
 ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。その失敗の経験が
マイナス思考を生み出す。あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! 
ある??会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの! どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議。
現実に溺れて(下と横だけを見て)?? 子狐がいるせいもあるが。この子狐不景気になってきたら急に
元気になった。周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な
家庭からは事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュース。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、
どんどんマイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えて
しまう。主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、この年になると実感する。といって
マイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。人は他人の不幸をどういうわけか
好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。
不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。他人の不幸を
悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。いやその前に自分が幸せと芯からえなくては
ならない。まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。
以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。
「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に
対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。